第十九話 でも、彼氏のフリなんてしないでよね

「木曜の一・二時間目ですよね。ぼくは授業ないですし、授業に潜って怒られることは、受講者が何十人といる大講義なら、ふつうはないでしょう。ただ、再来週は出られないですけど」

 再来週、七月第一週は蓮台寺の出席停止期間にあたる。円香がため息交じりに言った。

「与那次第ね。与那、どうなの?」

 与那は、真っ青な顔をしている。口を開いたかと思えば、早口にまくしたてた。

「蓮台寺くんがわたしんちにいるだけでも驚いてるのに、なんで二年のわたしと同じ授業に出るっていうの? わけわかんない」

「それはだな、与那。授業中におめーのことを助けてやれる誰かが必要だからだよ」

と、茉莉が腕を組みながら言った。

「そうよ、与那。同期の女子のあなたを見る目がどんなか、わたしも聞いているわ。かといって、ほかの男子を信用できるわけでもないでしょ」

 怜子は、心配そうに言った。

「でも、その話は与那んちでは止めよっか。与那も支度済んでるみたいだし、移動しましょう」

と、怜子は提案した。

 しかし、どこか行く当てがあるのだろうか。有間川駅からここまで来る途中、気の利いた喫茶店やファミレスのようなものは見当たらなかった。

 円香は、出されていたお茶を一気に飲み干した。それから一息ついて、言った。

「漁港行こう」

「ぎょ、漁港!?」

 ヘンな声を出したのは蓮台寺だけではなかった。茉莉もだった。怜子は驚いたように眉を上げた。どうも、怜子の思っていた移動先ではなかったようだ。与那は、ただ思いつめたような表情を浮かべていた。

 もう帰るの? と言う与那の母親への挨拶もそこそこに、蓮台寺たちは与那の家を後にした。


 有間川フィッシャリーナは、有間川駅から徒歩七分といったところにある漁船の係留施設で、休憩所が併設されている。休憩所は、何本もの大きな丸太を組み合わせて作られた建物で、誰でも利用できる。一階にはテーブルや机があり、二階は見晴台になっていた。平日の午後ということもあって、蓮台寺たち以外には誰もいなかった。

 蓮台寺たちは、海を見晴らすために二階に上がった。

「こんなところがあるのね。意外だわ」

と、怜子は眼前に広がる日本海を見渡しながら言った。曇天ではあるが、海はなんとか青い。

「曇りじゃなきゃもっといいのに。ふだんはデートスポットなのかしらね」

 怜子は、意味ありげに円香の顔を見た。

「自習スポットよ。基本、平日は誰もいないからね」

 円香は眉一つ動かさない。

 円香や与那は、この辺りが行動範囲なのだろう。さすがに土地勘はあるようだった。与那は押し黙っている。

「さっきの話の続きだけど、やっぱり、伊都くんが一緒に授業に出たほうがいいと思う」

 円香が、潮風に髪をなびかせている与那に向かって言った。そこだけを切り取れば、映画のワンシーンでもおかしくない、と蓮台寺は思った。

「だから、なんで蓮台寺くんなの? それに、一緒に授業に出たって、何も変わらないよ?」

 与那の声音は怒気をはらんでいた。それは円香に向けられた台詞だったが、蓮台寺はいたたまれない。

「だったら言うけど、あの授業に一緒に出てる友達なんているの?」

 円香が言い返した。

「それは……でも、だからって。蓮台寺くんがいたってどうにもならないじゃない」

「ま、ね。どこまでもカンニング一年生だからね」

 円香はそう言って、ため息をついた。蓮台寺にぐさりと突き刺さる。

「でも、いないよりはマシなんじゃないの? それに、怜子の友達よりは信頼できるんじゃない?」

 円香は怜子をじろりと見ながら言った。それに対して、怜子はとくに気を悪くしたふうでもなく、穏やかに曇り空を見上げながら応えた。

「そりゃね。わたしの友達って言っても、何度か一緒に騒いだってくらいで、別に親しくもないし」

「おめー、ひでーなー。アッチはおまえのファンなんだろ?」

と、見晴台の偵察が一通り終わった茉莉が戻ってきて突っ込む。

「ファンだからって親しいわけじゃないわ」

 怜子はけんもほろろだ。

 そんな怜子たちの様子を眺めつつ、与那はつぶやいた。

「マシっていわれてもなー……」

 与那はなお不安そうだ。蓮台寺は、膠着状態を打開しようと思った。

「ノートを取るくらいならできます。その様子だとノートのフォローも必要でしょう」

 それを聞いた怜子が、頷いた。

「そうよ。わたしの友達のノートはあてにならないわ。事情説明しなきゃだし。でも、その点、伊都くんなら」

「あたしらの言うことなんでも聞いてくれそうだからな!」

と、茉莉がニヤつきながら言葉を継いだ。

「しょうがないですね、先輩は」

 蓮台寺も呆れるほかない。しかし、先輩で女子とくれば、後輩の男子が言えることはほとんどない。

 与那は、少しの間、曇天の空と鈍色の海を見て考え込んでいた。

 空と海の境目は、あまりないように見えた。そろそろ、夕立でも来そうな勢いだ。

「わかった。みんながそこまで言うなら」

 そして、与那は蓮台寺のほうを一度見て、それから目を逸らし、言った。

「でも、彼氏のフリなんてしないでよね」




 


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