第十三話 ノート持ち込み可のテストだったら、カンニング用ノートという概念自体成立しないのでは
与那と蓮台寺は、正門を抜けて、歩き出した。どこへ向かっているのか、蓮台寺には想像もつかない。どこにも向かっていないのかもしれなかった。
だが、蓮台寺は浮足立ってしまう。いくら期待できないとはいえ、一応、無味乾燥なメッセージとはいえ、与那は「なんでもして」くれると言っていたのだ。そして、蓮台寺は手伝っている。蓮台寺のノートに与那は満足するはずだ。
しばらく歩くと、二人は閑静な住宅地に入った。夕方だから、家々からは話声などが聞こえてきそうなものだが、何も聞こえない。あまりにも静かだ。
与那は何も言わない。蓮台寺はついていくだけだった。このまま人気のないところに行くのか。小さい期待がだんだん膨らむ。
さらにしばらく歩いて、大きな公園が視界に入ると、子供の声が聞こえてきた。辺りはまだ明るい。そういうこともあるだろう。
唐突に、与那は口を開いた。
「円香ちゃんから聞いたと思うけど、蓮台寺くんにはこれからもノートをしっかりとってもらうよ」
むろん、蓮台寺はそのつもりだ。円香のお墨付きでもある。ただ、あらためて聞けば、げっそりしてしまう。ノートをとるのと、とらされるのとは違う。
「円香ちゃんは反対だったのよ。あなたを入れるの。円香ちゃんは、『うっかり』ミスにしてもカンニングにしても、そんなバカのノートは使いものになるはずがないって」
別に反対し続けてくれていてもよかったのだが。蓮台寺は、円香の顔を思い出しながら思った。それであの態度だったのか……まあ、いいか。
「でも、とにかく会ってみてって言ったら、ホントに会ってくれて。円香ちゃんもきっとイヤだったと思うけど。でも、すごいよ。円香ちゃんがノートをほめるなんて」
「も」ってなんだ? 蓮台寺は違和感を感じた。もっとも、蓮台寺はそこには突っ込めない。ほかのところを突っ込んだ。
「円香さんって、経済学部ですよね。なんで心理学とか哲学のことがわかるんですか?」
すると、与那は、急に活気づいた声を上げた。
「行動経済学って知ってる? 何年か前にノーベル経済学賞をとった研究でもあるけど、ほぼ心理学よ。それに、経済思想は哲学に通じるものがあるわ」
蓮台寺は、与那の顔が少し輝いたのを見逃さなかった。こういう話をしているときは、少し楽しそうだ。
「円香は勉強できるの。本当にすごい」
なぜ、そんなすごい円香がカンニングの片棒を? 蓮台寺は不思議に思った。だが、今はそれを聞くべき時ではなさそうだ。込み入った事情がありそうな気がした。
「円香だったら、どんな科目でもノートの良し悪しわかると思うよ。結論だけじゃなくって、きちんとそこに至る理由が書いてあるかとか、説明が論理的か、とかね」
与那の顔は蓮台寺がそれまでに見たことのない活気を帯びていた。しかし、与那は、蓮台寺が驚いたような顔で自分を見ているのに気づくと、すーっと無表情になった。それから、公園の入り口に向かって歩いていく。
いったいさっきのは何なのだろう、と思いながら蓮台寺もついていく。
公園の中では、小学生と思しき男子たちがサッカーのまねごとをしていた。
与那は木陰になっているベンチを目指し歩き出した。
「一期の依頼者は一人だけだったけど、二期からは、怜子も依頼者を集めてくれる。これから忙しくなるわ」
蓮台寺は急に現実に引き戻された。そうだった。この女は、集団カンニングの首謀者だ。そして自分は、それを直前で暴き阻止し、学部当局に働きかけて人文学部のテストをすべて「持ち込み不可」にする。与那とはそういう関係だったはずだ。「なんでもして」くれるなど、しょせん、はったりだろう。しかし、蓮台寺に弱みがあることに変わりはない。
与那は、蓮台寺のほうを見ることもせず、ベンチに向かって歩みを進めた。
「この一年間で、人文学部二年生の過半数をテストから解放したいの」
人文学部の一学年の定員は百五十名。与那の声のトーンは真剣みを帯びていた。
蓮台寺は、気になっていたが、あえて今まで聞かなかったことを聞いてみた。
「そのカンニング用ノート、どうやって使うんです? 依頼者に配布するんですか?」
与那は、もうベンチの前にたどり着いていた。だが、座りはしない。
「もちろん科目によるよ。人文学部のテストにもいろいろあるからね」
そうだった。なかには「手書きのノートのみ持ち込み可」なるものもある。そして、蓮台寺が「検挙」されたテスト、加藤教授の「心理学原論」は「持ち込み不可」だった。
「まず、ノートは依頼者を募集するために使うわ。ノートを欲しいっていう人に、アンケートに答えてもらうの。っていうか、カンニングしたいっていう人にしかノートはあげない」
「あの……」
蓮台寺はおずおずと切り出した。
「ノート持ち込み可のテストだったら、カンニング用ノートって概念自体成立しないのでは」
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