第九話 おめー、んなことしたらぜってーしばくぞ!?

「あの、与那さんの計画は、具体的には、どういうものなんですか? とりあえずカンニング用ノートづくりにそれぞれの授業のノートがいるってことはわかるんですけど」

 蓮台寺は、ノートを蓮台寺に返すと、さっさと本当に自習を始めてしまった円香に聞いた。

 円香は、読んでいた本から目を上げると、とくにウザそうにするでもなく答えた。

「当然の質問ね。与那もSNSじゃ伝えにくだろうから、副委員長であるわたしから説明しましょう」

 そう言うと、円香は、読んでいた本に筆箱から取り出したしおりを挟んだ。それから教科書の脇に置いてあったノートの何も書いてないページを開いた。

「まず、わたしたちの委員会は、与那を委員長として、わたしが副委員長、それから会計と書記の二人の四人」

 円香はノートの上のほうに委員長、その下に副委員長、さらにその下に会計と書記を並べて書いた。

「と、きみ」

 円香は、会計と書記が書いてあるところからかなり右のほうに「きみ」と書いた。

「きみは本委員会初のヒラ委員よ。喜びなさい」

 喜べないし、意味がわからん、と思いつつ蓮台寺は、恐れ入ります、と言った。

「よろしい。きみに期待されている役割は、人文学部一年生の授業のノートの網羅です」

 ノートの網羅、だと!? うすうすそうではないか、と蓮台寺は思っていたが、あらためて言われるとげんなりせざるをえなかった。

「時間割上履修できないものについては与那が補充します。二年生配当のとかね。まあ、人員の関係で一、二年のテストだけが狙い。きみのおかげで一年が射程に入ったわ」

 おかしな点に、蓮台寺は気づいた。委員長である与那すら人文学部に張り付かなければならない。経済学部その他、他学部でカンニング用ノートをつくるのには、明らかに四人では足りない。

「その、カンニングは、人文学部でしかやらないんですか?」

 円香は眉を驚いたように上げた。

「それも聞いてないの? わたしたちの目的は、まず、人文学部のカンニング依頼者リストを作ることよ。一気には集まらないから、試験のたびに徐々に増やしていく。目標は二年生百人。定員百五十人の人文学部の過半数。一年生はオマケといったところね」

 蓮台寺は驚いた。百人という集団カンニングにではなく。

「経済学部の円香さんには何の関係もないってことですか」

 円香は目を伏せた。

「わたしに何の関係もないってこともないけど……経済学部の試験は関係ない。経済学部の試験は人文学部ほど『持ち込み可』のテストは多くないし」

「じゃあ、何のために円香さんはこの委員会に?」

 当然の疑問だ。

「与那から聞かなかった? テストからみんなを開放するためよ。人文学部限定だけどね。百人の集団カンニング。成功すれば、誰もテストなんて気にしなくなるわ。『持ち込み可』のテストなんて気にしてない人も、もともと多いだろうけど」

「なんで人文学部限定なんですか? その理屈だと、全学部でやらなきゃいけないってことですよね」

 円香は軽くため息をつき、蓮台寺を睨んだ。

「後輩のくせに、よく先輩にそこまで意見するなあ、きみ」

 かわいい声なので迫力はまったくなかった。

「きみは人文学部。与那も人文学部。それでいいじゃない?」

 円香は、話は終わった、と言わんばかりに本とノートをリュックサックに詰め始めた。もう自習をする気はなくしたらしい。

「いえ。それじゃあよくありません。整合性がとれません」

 蓮台寺は、理由を知らずに済ますことは好きではなかった。与那の企みを阻止するにしても、その理由を知っておく必要はあった。

 円香は蓮台寺にかまわずにリュックサックに詰める作業を終えると、身支度を整えて部屋から出ようとした。慌てて追いかけようとする蓮台寺。すると、扉の前で円香は、ぴた、と止まった。

「わかった。一言だけ言っておくわ。うちの大学の人文学部はヒドい。それだけ」

 そう言うと、独り言のように、整合性なんてふつう会話じゃ言わないわね、と言ってクスっと笑った。蓮台寺は、また、かわいいかも、と思ってしまった。

「あと六十分は自習しといて。もったいないから」

 今度は振り返らずに、円香は出ていった。グループ学習室とはいえ、途中で誰かが抜けて一人になったかどうかまではチェックしないようだ。

 蓮台寺は、おとなしく自習することにした。

 集団カンニングのプランナーが「自習しとけ」だって? 蓮台寺は少し後になって違和感を感じた。


 次の日、金曜日。蓮台寺が二時間目の語学の授業を受けていると、携帯端末が鳴動した。ふだん鳴動しないのでマナーモードにしていなかった。そのくらいのことでわざわざ注意されはしないが、教師からの視線が厳しい。授業が終わってから確認すると、与那からのメッセージだった。

「円香ちゃんはどうだった?」

 どうも円香が与那に報告したようだ。

「別に何の印象もないです。ノートはほめられました」

 と、蓮台寺は返信した。ちょっとだけかわいいと思った、とでも言えというのか。いったい、どんな答えを期待しているのか蓮台寺にはわからない。

「円香ちゃん、わたしのノートもほめたことないのにね」

 ほう、それはうれしい、と蓮台寺は思った。

「ほかに何か言ってた?」

「別に何も」

 詳しく答えてやる必要はない。与那は「委員長」で、知りたいことは「副委員長」からいくらでも聞けるはずだ。蓮台寺は、あの誰もいない教室での一件以降、与那に無視され続けて一週間以上経つ。蓮台寺の中で、与那のありがたみは薄れてきた。ここで、どうして人文学部のテストにだけ集団カンニングを仕掛けるのか聞いても、おそらくたいした答えを得られそうにない。蓮台寺が何も書かないでいると、与那からメッセージが来た。

「もう一人、今空いてるっていう委員呼んでおいたよ。お昼休みに第一食堂裏のベンチで待ってて」

 さりとて、与那とその企みが気になる蓮台寺は、結局、与那の指示通りに動くのだった。それに、円香も含め、女子との接点が増えるのは、田中俊以外につながりをもてそうにない蓮台寺には一縷いちるの希望だ。年頃の男子としては当然といえよう。

 その「委員」は、栄茉莉さかえまりという名前で、教育学部二年生だという。また女子の先輩だ。

 蓮台寺は、なんとなくそわそわしつつ、体育館裏、ならぬ食堂裏に向かった。大学は敷地が広いため、空き地があちこちにある。そうした空き地にはベンチやちょっとしたテーブルが置いてあり、休めるようになっているところもある。

 第一食堂裏の空き地は、建物の陰になっていて薄暗い。日差しの強くなる初夏。コンビニや大学生協の購買で買った弁当を広げる学生もいる。だが、やはりじめじめしがちなため、あまり人がいないのも確かだった。

 お昼休み、蓮台寺は、そんな空き地で携帯端末をイジり倒していた。あれ以来、与那からメッセージは来ない。三時間目の授業がないからいいようなものの、もしあれば、蓮台寺は授業をすっぽかすわけにはいかなかった。

 お昼休みも終わろうかというとき、与那からメッセージが来た。

「茉莉ちゃんは荒くれ者だから気を付けてね」

 円香のときは毒舌に気を付けてね、なんてアラートなどなかったが。と、蓮台寺が思った瞬間、話声が建物の角から聞こえてきた。何か言い争っているようだった。

 次の瞬間、茶髪のショートにジャージの長身女子が蓮台寺の視界に入ってきた。女子にしては珍しく、蓮台寺と同じくらいの背丈だ。そして、ジャージの上からでもわかる見事な曲線美。まるで外国のファッションショー(ジャージだが)にでもそのまま出られるかのようなプロポーションだ。

 その長身女子は、携帯端末で誰かとしゃべっているようだ。いや、誰かを怒鳴りつけているようだ。

「おめー、んなことしたらぜってーしばくぞ!?」





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