第八話 今後とも励むように

 蓮台寺は、大変失礼な発言の出所を見た。

 すぐそばに、メガネをかけた小学生が立っていた。いや、小学生ではない。その胸の膨らみは、エグい。といっても西山助教ほどではない。若さ、か。

「きみが蓮台寺くん?」

 さっきの発言の出所がそのエグい小学生なのは間違いないようだった。

礼拝らいはい……円香まどかさん?」

「ふーん。与那が『堂々とカンニングしちゃうすごいコだよ!』って言ってたけど、状況から察するに、きみ、ほんとに『うっかり』でしょ」

 その通りだった。

「ぼくは不正行為なんてしないですよ」

 そう。蓮台寺は不正行為なんてしない。するのは正当な実力のアピールだ。自作のカンニングペーパーを使っての。

「ま、持ち込み不可の授業で『うっかり』持ち込むバカって、まったくいないってこともないわよね。たぶん三百人に一人はいるわ」

 三百人ってまた言ったな、と蓮台寺は思った。

「百人に何人かはヘンな人がいるものだっていうけど、三百人に一人っていうのは、ようするに、ふつうのヘンな人の三倍ヘンてことよ。わかる?」

 小学生のような外見のあどけなさとアニメ声でなんとか中和されているが、ふつうに聞けばとんでもない悪口だ、蓮台寺はそう思った。なんとか話を進めようと、礼拝さん、と蓮台寺が呼びかけると、円香は眉を少し上げて言った。

「聞いてないの? わたしたちは名前呼びよ。名前呼び。与那は与那。わたしは円香」

 蓮台寺は、女子を名前で呼ぶことにまったく慣れていない。戸惑っていると、円香はふうっと息をついて言った。

「あのね、委員会はね、秘密なの。わたしたちがここで会ってるのも、目立っちゃいけないわけ。で、名字で呼び合ってると、知らない人でも誰かわかっちゃいやすいわけよ。とくにわたしの名字は珍しいしね」

 なるほど、と蓮台寺は思った。田中俊は別格として、名字が被る人はなかなかいない。だが、名前が被る人は意外に多いものだ。「まどか」なんていかにも多そうだ。

「ま、きみは『きみ』で十分だけどね」

 蓮台寺は苦笑するしかない。しかし、確か与那は「蓮台寺くん」と呼んでおり、そんな「名前呼び」の話なんて一切しなかったはずだが。まあ、話し忘れたのだろう。

 円香は、薄笑いを浮かべている蓮台寺を見てため息をつくと、歩き出した。どこへ行くんです? と蓮台寺が聞くと、図書館に決まってるじゃない、と振り向きもせずに言った。


 図書館は、大学の敷地中央に位置しており、どの学部からもだいたい同じくらいの時間で行き来可能だ。

 図書館にはグループ学習室というものがあり、さすがに一人では無理だが、二人以上集まれば、早いもの順で借りることが可能だ。図書館のなかだが、グループ学習室のなかでは議論さえ許されている。防音はさほどだが、書架や自習机からはかなり離れているため、ふつうに会話する分には誰かの興味を引くことはない。

 円香は、さっさと手続きを済ませ、図書館の二階奥にあるグループ学習室に向かう。

 グループ学習室に入るなり、円香は蓮台寺に向かって厳しい調子で言った。

「きみ、本当に何も聞いてないの? わたしたちのこと」

「え? 大学での学修はなんとかって委員会でしたっけ」

 蓮台寺は後ろ手で部屋の扉を閉めた。

「そう、きちんと扉は閉めること。そういうところは頭が回るじゃないの。わたしたちは組織的にカンニングをしようとしてる。そんな話は、あまり聞かれたくはないわね、ふつう」

 そう言って、円香は部屋の奥の椅子に腰を下ろした。おもむろに背負っていた大きなリュックサックから何冊もの教科書やノートを取りだす。そして、蓮台寺にも同じようにするよう促した。

「わたしたちはこの部屋で勉強してる。忘れないで」

 グループ学習室は、なかでいかがわしいことが行われないように、ガラス張りで、外から中がチェックできるようになっている。もっとも、円香は少し気にしすぎのようではあった。というのも、別の学習室には、とくに何も広げないで談笑しているグループもいたからだ。

「で、ほかに何か聞いてる? 具体的な話は?」

 蓮台寺は、背負っていたリュックサックからその日の授業の教科書やらノートを取りだしつつ答えた。

「授業に全出席してノートを全部とれって与那さんに言われたくらいですか」

 円香は、そう、と言って机の上にある教科書の山の一番上の本を手に取った。

「与那とは人文学部棟で会ったりはするの?」

「廊下で会っても無視されます」

 蓮台寺は、何の感情も見せずにそう答えた。あれ以来、与那は蓮台寺に話しかけてこない。いつも名前がわからないが与那と同じくらい背が高くて目立つ女子と一緒にいて、蓮台寺が会釈しても返すことすらしない。どこが「味方」なんだ、と蓮台寺は内心憤っていた。だが、SNSのメッセージはわりとひんぱんに来て、授業の進行度合いを細かく聞いてくる。

「そう。まあ、そうよね。目立つもんね。人文学部棟は、とくに」

 確かに、男女の学生が二人で話していれば、それだけでうわさが立つ。みな、その手の話題に飢えているのだ。だが、「人文学部棟は、とくに」とはどういうことなのだろうか。もちろん、与那も蓮台寺も人文学部なのだから、当然と言えば当然だが、逆に、いちいち言う必要があるようにも思えない。蓮台寺がひっかかりを感じていると、円香が続けた。

「それはともかく、三百人に一人のヘンタイのきみ。ノートを見せなさい」

 いちいちそこまで言わんでも、と蓮台寺は思いつつ、蓮台寺は、それまで受けてきた授業のノートを円香に見せた。あらかじめ、ノートだけは与那にもっていくように言われていた。

 四、五分ほど、無言の時間が過ぎた。

「やるじゃないの。例の『うっかり』がなかったら、結構成績いいんじゃないの? こんなノートがとれるなら」

 そう言って、円香は蓮台寺のほうを見た。多少は印象をあらためたのかもしれない。

「はあ、まあ」

 どうせ一期のテストはすべて無効だ。

「与那がカンニング男を勧誘したって言ったときは、心配だったけど、安心したわ」

 そう言って、円香は蓮台寺の前で初めて笑顔を見せた。蓮台寺は、つい、かわいいかも、と思ってしまった。カンニング男と言われたことなど左から右に抜けた。

 その視線に気が付いた円香は、照れを隠すように急に真顔になるとノートを蓮台寺に返しつつ、厳粛に言った。

「今後とも励むように」


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