第3話 事情と秘密


菜々花ななかちゃん、やっぱ可愛かわいいな」


 体育のため、グラウンドに姿を現した菜々花の事を見ながら、祐介ゆうすけがそんな事を言う。


 この教室は五階にあるので、向こうがこちらに気付く事はないが、逆にこちらからは菜々花の姿がよく見えた。


 菜々花はこれから体育という事で、かみを頭の高い位置で一つに縛っており、それがいつもの彼女とはまた違った魅力を見る者に与える。


「お前、そんなんだからモテないんだよ」


 視線をグラウンドから教室内に戻し俺は、そう祐介に事実を告げる。


「か、関係ないだろ、別に」

「いや、関係あるだろ。グラウンドの特に仲がいいわけでもない女の子を見る男子高校生。ほら、モテないの確定だろ?」

「……いいよな、お前は。毎日好きなだけ菜々花ちゃんの事見れるんだから」

「そりゃ、家族だからな」


 何を当たり前な事を言っているんだ、こいつは。


「くー。俺にもあんな可愛い妹がいたらな。毎日ルンルン気分で生活出来るのに」


 ルンルン気分で生活する祐介というのは、気持ちが悪くて想像すらしたくないが、祐介の言いたい事も分かる。そしてそれが妄想の中でしか成立しない事だという事も。


「ハプニングとかないのか? 一緒に生活してて」

「ハプニングってなんだよ?」

「例えば、菜々花ちゃんが入ってるのに脱衣場に突入しちゃったり」

「ウチの脱衣場には鍵が掛かるんだ」

「ちらりと見えちゃいけない所が見えちゃったり」

「お前最低だな」


 そう言って俺は、ゴミを見るような視線を祐介に向ける。


「う、うるさいな。とにかく、そういうラッキースケベ的なやつだよ」

「ラッキースケベって……」


 現実で初めて聞いたぞ、そんなワード。


「ねーよ、お前が夢見てる事なんて」

「かー。そんなんでよく菜々花ちゃんの兄を名乗れるな、お前」

「むしろ、お前みたいなやつは、どれだけ生まれ変わっても可愛い妹と仲良く出来ないだろう、絶対に」

「なんでだよ!?」

「下心が見え見えだからだよ」


 そんな兄貴、気持ちが悪くて俺だって願い下げだ。


「そんな事言って、お前だってホントは随分我慢してるんじゃないのか?」

「祐介知ってるか? 普通の人には自制心というものがあってな、お前みたいに欲望を内からはみ出させたりはしないんだ」

「自制心ね……。って事は、裏を返せば我慢してるって事だろ? 結局は」

「……」


 くそ、こいつ。祐介のくせに鋭いじゃないか。


「実の妹によこしまな感情を抱くなんて、お前の方がよっぽど変態じゃないか」

「うるさい。こっちにも色々事情があるんだよ」

「なんだよ、その事情って」

「事情は事情だよ」

「まさか――」


 しまった。口をすべらせ過ぎたか。


いまだに一緒に風呂に入ってるとか?」

「……ばーか」

馬鹿ばかとはなんだ、馬鹿とは」


 祐介に冷たい視線を送りつつ俺は、窓際から離れ、近くの自分の席に戻る。


 そろそろ次の授業が始まる時間だ。


 さて二時間目は古典。確か今日当てられるのは――


「あっ」


 前の席に遅れて座った祐介が、何かを思い出したようにそう声を上げる。そして程なくしてこちらを振り返る。


「ちょっとだけでいいから、ノート見せてくれない?」


 悲痛な表情でそんな申し出をしてきた祐介に俺は、満面の笑みを浮かべ、こう言い放つ。


「断る」


 と。





 昼休みになり、クラスの雰囲気がまた活気付く。


 ようやく昼ご飯という事もあるだろうが、やはり長い休みというのはそれだけでテンションが上がる。


「菜々花、ご飯食べよう」

「ななちゃん、ご飯食べよ」


 私が机の上を片付けていると、あかね由多加ゆたかがそう声を掛けてきた。


 この素早さを見るに、二人は授業が終わる前からすでに片付けを始めていたのだろう。まったく、二人とも気が早いんだから。


 使われないだろう二つの椅子いすを勝手に使い、三人で私の席で昼食を取る。ちなみに茜が私の前方の席、由多加が私の隣の席を借りて座っている。いつもの布陣だ。


 机の上に二人が弁当箱を置き、私もかばんから同じく弁当箱を取り出す。


 二人の弁当箱のサイズは対称的で、身長が高めでバリバリの運動部の茜は大きめの男の子のような弁当箱を、身長が低めで文化部の由多加は小さめの両の手で包み込めるサイズの弁当箱を、それぞれ持ってきている。

 私はその中間、普通サイズの弁当箱だ。


 包みをほどき、弁当箱のふたを開ける。


 今日の弁当は、小さく切ったトンカツに、ポテトサラダ、スライスされたゆで卵等々、昨日のおかずと今朝作った物が混在した、可もなく不可もなく至って普通のお弁当だ。


「ほふぃはんとは――」

「飲み込んでからしゃべりなさい」


 口に物を入れ話す茜に、私は冷静に注意を入れる。


「お兄さんとは、一緒にご飯食べたいとは思わないの?」


 ごくんとご飯をみこみ、茜がそう改めて言い直す。


「兄さんには兄さんの交友があるだろうし、私は私で二人ともご飯食べたいから、別にいいのよ、そこに関しては」

「菜々花」

「ななちゃん」


 私の言葉に、なぜか感極まったように目をうるます茜と由多加。


 いちいち大げさだな、二人とも。


 それに、あまり学校内で翔兄しょうにいと必要以上に絡むと、変な噂が立ったりして向こうにも迷惑を掛ける事になるので、そこはさすがに自重している。


「でも、ななちゃんはホントお兄さん大好きだよね。ウチなんか、顔合わせればケンカばっかりで、全然仲良くないよー」


 実は由多加にも兄がいて、初めはその話で盛り上がり、彼女とは友達になった。

 まぁ、話の中身は全くと言っていいほど違ったけど。


「ケンカって言っても、由多加が一方的にからかわれてるだけだろ?」

「うー。そうだけど」


 茜に真実を言い当てられた由多加が、情けない顔でそのほおをぷぅとふくらます。


「私も兄さんからからかわれる事はあるけど、ケンカになる事はないわね」


 そう言いながら私は、おかずを自分の口へと運ぶ。


 うん。昨日の夕食の残り物だけど、十分美味おいしい。


「からかうって言っても菜々花の場合、そのベクトルが違うだろ、どうせ」

「ベクトル?」

はたから見たら、いちゃついてるようにしか見えないって事さ」

「それは……否定しないけど」

「否定しないのかよ」


 正直に真実を認めた私に、なぜか茜が呆れたようにツッコミを入れる。


 よく分からないが、私の答えと茜の求める答えはどうやら違ったようだ。


「ななちゃんのお兄さん、優しそうだもんね。怒る事なんてしなさそう」

「そうね。しかられる事はあっても、怒られた事はないかな」

「え? 叱られるって、どんな事で叱られるの?」


 私が兄に叱られる絵が想像出来ないのか、由多加がそう私にたずねてくる。


「うーん。例えば、私がソファーでうたた寝してたり、兄さんのベッドで思わず寝てしまったり――」

「お兄さんのベッドで!?」

「ベッドで寝た!?」


 由多加と茜が、私の言葉をまるでき消すように、そう私に詰め寄ってくる。


「二人とも声が大きい」


 今のやり取りでクラスメイトの視線が、ほぼ全部こちらに集中したが、すぐにそれも三々五々に散らばる。


「ごめん。けど……」

「その年で兄のベッドで寝たとかいう、とんでもない発言が飛び出したから」


 声のボリュームを落としながらも、決して追求の手をゆるめようとはしない由多加と茜。


 正直そこまで驚かれるとは思っていなかったため、少し対応に困る。


「寝たと言っても、借りたい物があって部屋で待ってたら、そのまま思わず寝てしまったってだけで、二人が考えるような事はしてないわ」


 本当は、平日は毎朝ベッドの中に入り込んで、二人でうだうだしているのだが、それはこの場では言わない方がいいだろう。


「それにしても、ね?」

「その年でそれは、ちょっとまずいだろ」


 由多加と茜がそれぞれそう言い、お互いの顔を見合わす。


 なるほど。一般的に高校生の兄妹は、お互いのベッドで寝たりはしないのか。一つ勉強になった。


 とはいえ――


「大丈夫よ、私たち兄妹なんだから」

「いや、お前の場合、その兄妹という言葉が信用出来ないんだって」

「失礼ね。私にだって、ちゃんと節度や社会通念くらいあるわよ」

「ホントかよ」


 まぁ、社会通念がなんなのかはよく分からず口にしているけど、なんとなく雰囲気としては分かっている、ような気がする。


「ななちゃん、困った事があったら言ってね。私、力になるから」

「ん? うん、ありがとう。もしそういう時が来たら、相談するわ」


 由多加に手を握られた私は、よく分からないまま、そう言ってうなずくのだった。

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