第19話

 梓は病衣を着て、松葉杖をついて病院内を移動していた。

 そこは普通に地図に記載されている病院、普通に電話帳に登録されている病院。だが、それはこの病院の半分でしかない。残り半分は施設のためにある。

 梓はそんな病院の廊下を移動して、ある病室に向かっていった。

 目的の病室のプレートには「狭山祥子」と書いてある。

 コンコンとノックする。

「どうぞ」

 中から声が返ってくる。

「失礼します」

 梓が中に入る。

 ベッドの上で上体を起こしている狭山が、感情の伺えない顔で梓を見つめる。

「座ったら?」

 そういって狭山はイスをすすめた。

 梓は松葉杖を抱えながらイスに座った。

「何の用事でここに?」

 梓は少し姿勢を正した。 

「狭山祥子さん、今回の件で、施設があなたに利用価値を見いだしました。あなたが施設の命令に従う場合、見返りとしてあなたの婚約者の治療を施設が行います」

 狭山が目を見開いた。

「破格の条件ね……てっきりこのまま処分されるのかと思ってたわ……」

 梓が表情を殺して問う。

「従いますか? 任務の中で命を落とすことも充分あり得ますが」

 狭山は薄く笑った。

「……当たり前じゃない。彼が助かるためなら何でもするわ」

「わかりました。施設には協力する旨、伝えておきます」

 梓は少し姿勢を崩した。

「でも、その婚約者の方と一緒になれるかはわかりませんよ?」

「彼が生きる望みがつながっただけでも、私には充分な幸せよ……」

「そうですか……」

 狭山はうつむいた。

 しばらくそうしていたが、やがて身体をふるわせて涙を流した。

「よかった……よかった……」

 狭山は両手で顔を覆った。

 狭山の嗚咽が病室に響いた。

 梓は松葉杖を立て、イスから立ち上がった。

 部屋を出ても、狭山の嗚咽が聞こえていた。



 入来圭太は目を覚まさなかった。

 全身の筋肉が萎縮し、内臓はボロボロだった。特に薬の過剰摂取によって肝臓が最もダメージを受けていた。

 肝臓移植が必要な状態だった。

「けーくん、今度は私が助けるから」



 圭太が目を覚ましたとき、ベッドのそばにはジャージ姿の梓が座っていた。

「おはよ、けーくん」

「おう」

 圭太は違和感を覚えた。やけに物音が聞こえる。においがわかる。

「俺、生きてたんだなあ……」

「大分長い間意識を失ってたけどね」

 圭太は自分の腕を上げようとしたが上がらなかった。掛け布団の上に出ている腕に目を移すと、ガリガリに痩せた自分の腕が見えた。

「はは。腕、ほとんど上がんねえや」

「……」

 梓は黙って圭太の顔を見ていた。

「なあ、あっちゃん」

「なに?」

「俺、なんかされた?」

「どういうこと?」

「なんかさ、あっちゃんの心音とか聞こえるんだよ。薬打ったときよりも小さい音だけどさ」

 圭太は梓の目をじっと見ていた。

「特に何も無いわよ。薬の後遺症じゃない?」

 梓は圭太から視線をそらしながら答えた。

「……そっか」

 圭太は梓の目を見た。

「これからのことだけどさ……俺、あっちゃんの手伝いするよ」

「何言ってるの! けーくんはこの件だけって話にしてあったのに!」

「あっちゃんともっと一緒にいたいんだ」

「……今の生活はどうするの」

「今いる家もほっとかれてるし、学校にそこまで親しい友達もいるわけでもないし、問題無いよ。それよりも俺はあっちゃんと一緒にいたい」

 梓は俯いた。

「そんなガリガリの体で何ができるのよ」

「筋トレでもするさ。無くなった分は取り返せばいい」

「死ぬかもしれないわよ」

「まあ、そんときゃそんときだ。あっちゃんと少しでも長くいられればそれでいい」

「けーくんはほんとバカだね」


 圭太は笑って答えた。


「よく言われる」

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バカの願う幸せ @seizansou

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