第18話
圭太は入り口に背を向けている狭山に向かって飛びかかった。
狭山は突撃してくる圭太に後ろ蹴りを放った。その速度は圭太と同じ速度だった。
圭太は上体を捻って何とか直撃を避けようとするが、肩口に当たり、圭太自身の飛び込んできた勢いと合わさって凄まじい勢いで回転しながら体育倉庫の備品の中に突っ込んだ。
狭山も圭太の突進を受けた反動で前方に滑っていった。
「手ぇ……放せよ……」
備品の山に埋もれた圭太が、梓をつかむ腕めがけて飛び上がった。狭山は梓を手放し、圭太の突進を避けた。解放された梓がゆっくりと地面に向かって落下する。
圭太は飛び上がった勢いのまま、体育倉庫の天井に着地した。そして両手足で天井を突き放し、狭山に向かって飛び蹴りを放つ。
狭山は圭太の蹴りを避け、蹴り足を抱えるとその勢いを利用して地面に圭太をたたきつけようとする。
圭太は両手を地面につき、衝撃を吸収しようとする。しかし吸収しきれず頬から地面に衝突する。
圭太はひるまず、掴まれていない方の足で、足を掴んでいる狭山の手を蹴り飛ばそうとする。
狭山は圭太の足を離し、圭太の蹴りを避ける。そして伸びきった圭太の両足をまとめて抱えようとする。
圭太は地面についた両手に力を込め、指先を地面にめり込ませながら両足を狭山の手から逃す。
狭山はローキックで圭太の腹部を蹴ろうとする。
圭太は両手、両足、腹筋に既に力を入れていたため、咄嗟に動きを変える事ができない。一旦力を抜いて動きを変える事が間に合わない。
結果、狭山の蹴り足は圭太の腹部にめり込み、圭太はまた備品の山の中に吹き飛んだ。
「ガハッ……」
狭山は深追いせず、備品の山に埋もれる圭太を暗い目で見下ろしている。
圭太は備品の山から這い上がり、立ち上がった。
狭山は圭太の顔面に右手を突き出した。
圭太は咄嗟に顔を後ろにそらし、突きを避ける。
しかし狭山の手は開かれていた。それによって圭太の視界が制限される。
圭太がそれに気付いた瞬間、狭山の右の上段回し蹴りが圭太のこめかみにぶち当たる。
圭太は下腹部の重心を中心にぐるぐると回転しながら吹き飛ばされ、体育倉庫の外まで吹き飛んでいく。途中で足が地面に接触し、回転は止まり、体全体を地面に衝突させ、それでも勢いは止まらずざりざりとグラウンドを滑っていく。
圭太は一瞬意識が飛んでいたが、すぐに意識を取り戻す。しかし体の平衡感覚が狂っている。
立ち上がろうとしても視界がぐらついてまともに立てない。
(俺……なんでこんなことしてんだっけ……?)
一瞬意識が飛んで混乱する。
梓だ。梓を助けるためにここまで来たのだ。
それに圭太が思い至った瞬間、梓と狭山を体育倉庫の中に二人きりにしておくことの危険さに思い至った。
ふらつきながら全力で足を踏み込む。
しかしグラウンドの砂利で足が滑り上手く加速できない。
盛大に砂煙を上げながら圭太が体育倉庫の中に走り込む。
狭山はこちらに背を向けていた。
「ねえ、桜井さん答えてくれない……?」
そう言って狭山は赤くはれ上がった梓の左足を踏みつけていた。
地面に倒れた梓はふるふると首を振っている。
狭山がちらりと圭太を見た。
圭太はポケットからロープを取り出し、後ろから狭山の首に回す。狭山はロープを指で掴み、首に締め付けられるのを防ぐ。圭太は背負い投げのようにして狭山を体育倉庫の外に投げ飛ばす。
盛大な砂埃を上げながら狭山はグラウンドの反対側まで吹き飛ばされる。
「大丈夫か……」
「左足を折られたわ……」
梓は上体を起こして苦しそうに答えた。
「そうか……このままじゃ……だめだな……」
「そうね、なにか対策を考えないと……」
圭太は唐突に梓を抱きしめた。
「え? ちょ? なに?」
梓は混乱した。
「あっちゃんは忘れてるかもしれないけど、俺昔、あっちゃんのことが好きだったから告白した……友達でいようって言われたから、いい友達でいようとした……あっちゃんと再会できてからはいい幼なじみでいようとした……」
狭山がゆっくりとこちらに向かってきている足音を感知する。
「え、いきなり何を……」
「それでもやっぱりあっちゃんが好きだ……だから、あっちゃんにこんなことする奴は許せない……」
そう言って圭太は梓から離れた。その手には注射が握られていた。
「え!? それ!?」
「ポケットに入ってるの知ってた……抱きついたとき取った……」
「それで何を……」
狭山の足音がどんどんと大きくなっていく。
「良く分かんねえけど、量を増やせばいいと思う……」
梓は圭太がやろうとしていることを察した。
「絶対に守るから……」
圭太は梓からすっと離れた。
梓は圭太を止めようとするが、片足が折れているためすぐには動けない。
圭太は左腕をまくると注射を打った。圭太の体内の薬は二倍の濃度になった。
「バカ! そんなことしてどうなるか!」
梓は止められなかった。
圭太の様子がみるみる変わっていく。
鼻からぼたぼたと血が流れる。
口からより多くの湯気が吐かれる。
全身の皮膚の上に大量の血管が浮き出る。
心音は狂ったように早鐘を打つ。
大量の感覚情報が流れ込み倒れそうになる。
筋肉はがくがくとけいれんする。
体を制御しきれないと脳が悲鳴を上げる。
圭太はゆっくりと体育倉庫から出て行った。
一歩一歩、体を慣らすように歩みを進める。
その先にはこちらに歩いてくる狭山の姿があった。
百メートル以上は距離がある。
「しょう……こちゃ……ん……みのが……して……くれね……えか……」
ぼそぼそと圭太が言葉を口にした。
それでも二人の感覚器官があれば小声でも会話は可能だった。
「私は幸せになりたいだけ……そのための障害は全部取り除かなきゃいけないの……」
「そう……か……」
圭太は狭山の筋肉が収縮する音を全て聞き取っていた。
瞬間、狭山の筋肉の多くが収縮した。
同時に大量の砂煙を上げながら狭山が突進してくる。
圭太は、薬の濃度が二倍になるのだから、二倍強くなるんじゃないかと期待していた。
しかしそんなことはなかった。
いくらかゆっくりに見えるだけだった。
でもそれで充分だった。
狭山が打つ拳が見える。
圭太は姿勢を低くして狭山の拳を避け、その腹に突きを放つ。
激しい炸裂音がして二人が吹き飛ぶ。
一般的な人間なら、打ち合っても、重力に縫い付けられて吹き飛ぶことはない。
だが圭太の筋力に比べて重力は圧倒的に非力だった。
圭太の突きの衝撃で、喰らった方も当てた方もはじけ飛んだ。
圭太は突きを放った姿勢のまま吹き飛びながら、自身の突きが当たった事を実感するが、その感触から、相手の筋肉の鎧によって内臓までは威力が浸透していないことを悟る。狭山の心音を探るが、変わらず高速な鼓動を続けている。
圭太はものを考えようとするが、脳のほとんどが体の制御と感覚情報の処理に費やされているようでほとんど頭が回らない。
「まも……ら……ない……と……」
圭太ががくがくと体をけいれんさせながらかがみ込む。口から鼻から、大量の湯気がもうもうと上がる。
鼻血はぼたぼたと垂れ続ける。
鼻血で真っ赤になった靴と靴下を脱ぎ捨て、裸足になると、足の指に力を入れて足で地面を掴む。
まるでチーターの爪が地面を噛むように、圭太の足の指は地面につき刺さり、加速度的に速度を上げていく。やがてつま先が完全に地面にめり込むほどに蹴り込みながら、狭山の元に高速で移動する。
狭山は咄嗟に腹筋に力を入れて致命打を避けたものの、おもいきり吹き飛ばされごろごろと地面を転がっていった。転がっていた途中で体勢を立て直し、後ろに吹き飛ばされながらも、前に駆け出そうとする。
当然砂利で滑って前に進まないが、すぐに後退は止まり、前進し、圭太に向かって加速する。
すぐに二人は肉薄する。
狭山は右の手のひらを圭太の眼前につきだし、圭太の視界を防ぐ。
しかし圭太には狭山の下半身の筋肉が収縮する音が聞こえていた。
狭山は前蹴りを放っていた。
圭太はそれを両手で抱え込み、足を掴んだまま、後ろ足の指で地面をえぐるほどに掴んで体を支えながら狭山の腹部に前蹴りを放った。
先ほどよりいっそう大きな炸裂音が響いた。
今度は二人ははじけ飛ばなかった。
圭太が狭山の足を掴んだまま離さなかったからだ。
狭山は千切れそうになる掴まれた足に全力で力を入れて、足が千切れるのを防ぐ。
しかしその代償に、はじけ飛ぶはずだったエネルギーは全て狭山の腹部に集約された。
「ゴボッ……」
狭山が血を吐く。
血しぶきはとてもゆっくりと飛んでいく。
圭太はそれを見て顔を歪めた。
「しょうこち……ゃん……やっぱ……り……やめよ……うぜ……」
「いや……よ……私は……あの人と……一緒に……」
「そう……か……」
圭太はロープで拘束することも考えた。だが駄目だ。今の狭山の力であれば容易に引きちぎるだろう。
「離しなさい……」
狭山は掴まれた自分の足を引きつけながら、圭太の両肩に手をかける。
圭太は両手で足を掴んでいたため、狭山の手を払うことができなかった。
狭山は口を大きく開き圭太の首に噛みつこうとする。
圭太は咄嗟に掴んでいた足を離して狭山を突き飛ばす。
歯がかみ合う音を響かせながら、片足立ちで不安定だった狭山は後ろに吹き飛び、尻餅をつく。
二人の間には二十メートルほどの距離が開いた。
圭太はがくがくと震えながら鼻血をぼたぼたと垂らして、今にも倒れそうになっている。
狭山はゆっくりと立ち上がった。
「入来君……どうやら放っておけばあなたの方が先に限界を迎えそうね……」
狭山の言うとおりだった。
心臓は破裂しそうなほどの勢いで鼓動し、全身の血管が破裂しそうだった。
五感は冴え渡りすぎて発狂しそうだった。
筋肉は出力が上がりすぎて細かい制御が効かず、まっすぐ立つこともままならない。
だが。
それでも引き下がれない。
自分の想い人を守らなければならない。
「祥子ちゃん……にも言い分……が……あるんだ……ろうけどさ……俺も……俺で……好きな人を……守りて……えんだ……だから……祥子ちゃん……を止めなきゃ……なんねえ……」
圭太が口から湯気と血を吐きながら途切れ途切れに呟いた。
狭山は時間を稼ぐために圭太から遠ざかろうと一歩後ずさる。
圭太はがくがくとふるえながら四つん這いになる。そして四肢の十指に力を入れ、地面に指を、スパイクのように突き刺す。
狭山は背を向け駆け出すことを考えるが、今からでは間に合わない事を悟る。圭太の方が身体能力が高く、しかも、既に突撃する体勢を整えている。ここは迎撃してしのぐしかないと考える。
圭太は狭山の考えたとおり、めり込ませた指に力を込め、全身のバネを使って突撃した。
すさまじい量の砂埃が立ち上がる。
狭山はどんな攻撃でも、衝撃を殺そうと身構える。
圭太の攻撃は、頭突きだった。
狭山は圭太の頭に両手を当てて、後ろに跳びすさろうとする。
しかし跳べなかった。
気が付くと、圭太に胴体をがっちりと両手で抑えられていた。
そのまま地面に押し倒される。圭太が突撃してきた勢いでざりざりと数十メートルほどグラウンドの砂利の上を滑っていく。
圭太はその間に顔を上げ、倒れた狭山の上に馬乗りになる。
そして両手で狭山の首を絞める。
「カッ……ハッ……」
狭山はそれに抵抗し、圭太の指を引きはがそうとする。
しかし二倍の薬を投与されている圭太の指は引きはがせない。
力負けしているため圭太の指が少しずつ首にめり込んでいく。
圭太の鼻と口からはぼたぼたと血が垂れ続ける。
「私は……あの人と……暮らすんだっ……」
狭山は両足で地面を蹴り、自分の頭部を軸に圭太ごと大きく縦に回る。
それによって圭太は頭頂部から地面に衝突するが、それでも狭山の首から手を離さない。頭頂部を地面につけて逆さになった圭太に狭山が覆い被さるような格好になった。
「俺だって……ゆず……れね……えんだよ……」
圭太も自分の鼻血と吐血でまともに呼吸が出来なくなっていた。しかも逆さになってしまったため、血が気道に入りそうになりそのたび血をはきながらせき込む。
二人はひどく無様な格好で、それぞれの意志、想い人のため、死に物狂いでせめぎ合っていた。
圭太の指は狭山に遮られつつもかなりめり込んでいた。
狭山の意識が次第に遠くなっていく。
「い……やだ……い……や……」
そこで唐突に。
「ちく……しょう……」
圭太が呟いた。
圭太の指の力が徐々に衰えていく。
血を流しすぎたのだ。
徐々に意識が薄れていく。
狭山の首を絞める力も弱くなり、徐々にめり込んだ指が戻されていく。
「私の……わた……しの……」
狭山が必死に指を押し戻す。
「か……ち……」
狭山がそう漏らした瞬間、ゆっくりと狭山の首に細い腕が絡まった。
「!?」
二人は気づいていなかった。
必死になるあまり、互いのことしか認識していなかった。
本来ならここにいる、もう一人の存在に。
梓が狭山に裸締めをしていた。
折れた足を引きずって、二人の元まで来ていたのだった。
「けーくん気をしっかり!」
梓は全力で狭山の首を締め上げた。
梓の腕の力と圭太の指の力が合わさり、力の均衡は崩れた。
狭山の首が一方的に締まる。
「カッ……カハッ……」
圭太も、もうろうとする意識の中、梓の声が聞こえた気がした。
(がんばらなきゃ……)
そう思った。
五感が大分鈍ってきている。
目の周りがぐらぐらと揺れる。
それでも指に力を入れた。
気道に血が詰まりそうになる。
なりふり構っていられない。
とにかく指に力を込める。
そして。
狭山の抵抗がなくなった。
狭山の目から、涙がこぼれた。
梓が狭山の首に絡めていた腕をほどく。
梓の腕で狭山の首に取り付いていた圭太の指もほどけ、圭太の両腕がばたりと地面に落ちる。すでに圭太の身体に力は入っていなかった。
「けーくん!」
梓は狭山の下から圭太を引きずり出しながら呼びかける。
圭太はぴくりと反応する。
「あ……ちゃ……」
圭太ががぼっと血を吐く。
梓は血が気道に入らないように、圭太を横向きに寝かせる。
梓はスマートフォンを取り出し、救護要請をする。
「けーくん! けーくん! しっかりして! お願い! 死なないで!」
梓は圭太の手を握って叫ぶ。
圭太は弱々しい力で梓の手を握り返す。
「あ……ちゃ……無事……か……?」
「私は大丈夫! それよりもけーくんが!」
「そ……か……」
圭太は小さく笑った。
「よか……た……」
梓は圭太の手を強く握り返す。
「よくない! けーくん死なないで!」
梓は首を振りながら叫ぶ。その目には涙がたまっていた。
「お……れ……小学生の……ときの……告白……ほんとに……緊張して……さ」
圭太ががぼっと血を吐く。
もうほとんど意識がない。
「俺……いい……とも……だち……なれてた……かな……」
梓が大きくうなずくが、圭太はそれを見ることはできなかった。
「なれてたよ! 私の自慢の友達だよ!」
その声はかろうじて圭太が聞き取ることが出来た。
「そ……うか……うれし……いな……」
梓は大粒の涙を流していた。
「助けるから! 絶対助けるから! これで終わりになんてしないから!」
梓は顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
「けーくん……わたしも……けーくんのことが……」
圭太の意識はそこで途切れた。
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