第9話

 翌日の日曜日、午後八時頃、二人は繁華街の一角にあるビルの喫茶店にいた。

 女性客の比率が多い洒落た店で、あちこちで女性グループの会話が聞こえてくる。少し声を小さくすれば、二人の声はその会話音に埋もれるほどだった。

「目標は二人。ここからちょっと行ったところにあるビルの地下室で捕まえるわ。誘導役の人が二人を誘導したら私が先に突撃して時間を稼ぐから、その間にけーくんは注射を打って、二人を捕獲して。殺さないでね。理想は無傷で拘束だけど、無理そうなら手足を折るくらいなら大丈夫よ。拘束したら私たちの役目は終了。後のことは後処理担当の人がやってくれるから早々に撤収する。……大丈夫?」

「おう! まかせとけ! ……注射は自分で打つんだよなやっぱり……?」

 圭太は恐る恐る聞いた。

「他に誰がいるのよ」

「そうかあ……」

 圭太はしょんぼりした。

「ところでちゃんと渡したのは着てきた?」

「おう! あの変なちっこい機械がついた下着の上下みたいなやつだよな! 上も下も中に着てるぜ! これなんだ?」

「けーくんが暴走したとき用の装備よ」

 梓は渋い顔をした。

「まあ、暴走しなければ使わないからあんまり気にしなくていいわ」

 そう言って梓は誤魔化すように、砂糖が大量に投入されたコーヒーを口にした。

「おおそうか! じゃあ気にしないぜ!」

 そう言って圭太はオレンジジュースに口を付けた。圭太はコーヒーが苦手だった。

「そう言えば今日はジャージなんだな」

「動きやすいからね。素肌をさらすよりは危なくないし……」

「この店でジャージって逆に目立つんじゃないの?」

 圭太がぐるっと辺りを見渡すと、様々に着飾った女性客が楽しそうに会話をしている。

「余計な事を言わないで……」

 梓は不機嫌そうに圭太を睨みつけた。

「ま、まあジャージにはジャージの味があるから」

「なによジャージの味って」

 そうやって雑談をしながら時間をつぶしていると、梓が腕時計を見て「そろそろね」とつぶやいた。

 二人は会計をすませ、目的のビルに向かった。

「油断しない、でも手加減する。忘れないでね」

「おうよ!」

 そうして目的のビルに到着した。

 梓が目を閉じ、耳を澄ませた。

「いるわね……この前と同じ心音……」

 居酒屋の客引きの格好をした男性が、近寄ってきて小声で告げた。

「こっちの相方の誘導はほぼ完了した。もうすぐ地下に到着する頃だ。あとは頼む」

 梓は首だけでうなずくと足早にビルの中に入っていった。圭太もそれを追うように中へと進んでいった。

 ビルの地下へと続く階段、梓はそこに三つの心音を感知していた。三人の会話が聞こえる。

「本当にこの先にあるんだろうなあ?」

「もちろんですよ。……ちょっとそんなに睨まないでくださいよ、私だって命は惜しいんですから」

「けっ……」

 梓は階段を降りずに、自分の心音が悟られないように心を静めている。そして地下室の扉が開くのを、ひたすら待っている。

 ガチャリ。ギイ……。

 地下室の扉が開かれた音を合図に、梓は踊り場の壁に向かって飛び出した。梓が踊り場の壁を蹴る音が響く。その音に二人の男は振り返り、その隙に二人を誘導していた男は出来る限り扉を開いた。

「てめっ……」

 二人組の片方がつぶやいている間に、踊り場の壁を蹴って飛び込んできた梓が、目標の二人の服を掴んだ。そして飛んできた勢いのまま、地下室の中へと二人の男を引っ張りながら転げ込んだ。

「閉めて!」

 梓が叫ぶのとほぼ同時に誘導役の男は鉄製の扉を閉め、鍵をかけた。

「ちくしょう! 出せやコラァ!」

「ぶっ殺すぞ!」

 二人組の男は最初のうちは扉に向かって悪態をついていた。しかし彼らの背中、地下室の中央辺りで梓が地面を蹴った音を聞くと、とっさに梓の方に振り返った。梓が飛びかかっていることを視認すると、常人離れした速度で飛びすさる。二人に距離をとられた梓は扉近くに着地した。

「てめえ、この前のガキだな……? なんだ、またやられにきたのか? とんだマゾだなあ! お望み通りぶっ殺してやるよ!」

 そう言ったのは帽子を被った男だった。梓はそれに答えない。

 梓はコンクリートとスニーカーが強くこすれる音を出して、未だ空中にいる帽子の男に飛びかかった。

 梓に飛びつかれる前に、帽子の男は地下室の壁に足をつけ、地下室の中央方向へと飛んだ。

 わずかにタイミングが遅れて、梓は男が蹴った壁に両手足をつかって勢いを殺しながら張り付く。

 重力によって地面にずり落ちるまでの数瞬の間に、梓は心音を探る。

 もう一人の男、サングラスをかけた男が梓に向かって高速で移動していることがわかった。

 梓は逃げた帽子の男は追わずに、今向かってきているサングラスの方に四つ足の獣のように飛びかかる。

 梓の視界に、サングラスをかけた男が飛びかかっている様子が映る。

 二人は互いに飛びかかり合う状態となった。

 サングラスの男は梓の髪に左手を伸ばした。梓はそれを右手で払いのけると同時に、左手で男の襟を掴む。

 心音を探ると、帽子の男が梓に飛びかかってきていることがわかった。

 梓は掴んだ襟を強引に引っ張り、サングラスの男を帽子の男が飛んできている方向に投げ飛ばした。投げ飛ばした反動で梓は入り口方向に飛んでいく。

 サングラスの男は、帽子の男と空中で衝突し、鈍い音を響かせて二人はぼとりと地面に落ちた。

 入り口側に飛んでいった梓は壁にふわりと足をつけて勢いを殺し、地面に降り立つ。

「おとなしく投降してくれない? そうすれば痛い思いはさせないから」

 立ち上がってこちらに飛びかかろうとしていた男たちに向かって梓は声を上げた。

 男たちは飛びかかろうとしていた姿勢を崩した。

「はあ? なに言ってやがる。てめえはこの前俺たちに散々ぼろぼろにされただろうが。もう忘れたのか?」

 帽子の男がバカにしたように笑っていた。

 その様子を険しい顔で見つめていた梓が、男たちの方を向いたまま、後ろ手で入り口のドアをノックした。

 そのときになって初めて男たちは気がついた。

 異常な速さで脈打つ心音が増えていたことに。

 ガチャリ、と扉の鍵が開けられ、一人の少年が、その異常な心音を響かせる存在が中に入ってきた。

「アアアアァァ……」

 それは既に強化を済ませ、口からもうもうと湯気を吐く圭太だった。

 男たちは圭太に警戒しようとした。

 しかしそのときにはすでに圭太によって入り口の反対側の壁に叩きつけられていた。

 地下室内に圭太が地面を蹴った音と、強烈な衝突音がほぼ同時に響く。圭太が飛び出した風圧で梓の髪が揺れた。

「がっ……」

 飛び出した勢いで壁に張り付いたままの圭太を中心に、その両脇には、圭太にそれぞれの片腕を捕まれた男たちが、背中を壁に強烈に打ち付けられていた。

 圭太に掴まれていた腕は完全につぶれていた。骨は粉砕骨折、肉はつぶされ、二人の男の片腕は完全に使い物にならなくなっていた。

「カハァ……」

 圭太が口から湯気を吐く。重力によって壁から引き離され、地面に足をつく。同時に圭太は二人の男の腕を放した。

 二人の男はぼとりと地面に落ちた。

「ひっ……」

 二人の男はそれぞれが散開して逃げようと地面を蹴ろうとした。

 しかしその足はいつのまにか圭太に掴まれていた。

 圭太は二人の男を自分の正面までずるずると引きずると、ぐるぐるとジャイアントスイングの要領で回り出した。

 数度回ったところで手を離し、壁に向かって男たちを放り投げた。

 投げると同時に圭太は深くしゃがみ地面との摩擦を増加させ、地面とスニーカーのこすれる音と煙を出しながら飛び出し、投げられた男たちを追い越してそれぞれを片手で掴み、二人まとめて壁に叩きつけた。

 男たちは衝撃で動けなくなった。

 さらに圭太が両手を男たちにのばしたところで、梓が叫んだ。

「けーくんストップ! 後は私がやる!」

 梓はポケットに入れていた装置のスイッチを入れた。

 すると、バチンと電撃の音がして、圭太が全身を硬直させて倒れた。

 梓は男たち二人を素早く特殊繊維のロープで締め上げ、ついでに圭太も同じロープで締め上げた。

「ガアアアアアアッ!」

 圭太の叫びが地下室中に響く。その叫びを聞いて、男達は「ひっ」と小さく声を漏らす。

「骨折くらいはいいって言ったけど、流石にこれは度を超してるよ……」

 暴れ回る圭太の四肢が届かない位置に座って梓が言った。まだ圭太は興奮状態が続いており、梓のその声は届いていないようだった。

 二人の男には麻酔をかけ、意識を失わせておいた。そして梓は圭太が落ち着くのを待った。

 しばらくして圭太が落ち着くと、梓は圭太のロープをほどいた。

「いててててて!」

 梓は薬の反動で痛がる圭太の襟首を引きずって地下室の入り口まで歩く。そして扉をノックし、「終わりました」と告げると、鍵が開き、ドアが開かれた。

 梓は誘導役の男に「後はお願いします」と言い、地下室の階段を圭太を引きずりながら上っていく。

「あっちゃん待った待った! いてえんだって! 少し休ませてくれ!」

「あ、ごめん……」

 梓はそういうと、圭太の襟首を離し、階段に座り込む圭太の隣に座った。

「おう、わりいな……いてて……」

 しばらくその様子を眺めていた梓が、口を開いた。

「なんか、さっきは最初に工場で見たときよりもかなり凶暴だったけど、薬の量は間違えてない?」

「あー……いや、あっちゃんに怪我させた奴だってわかったら、ちょっと気合入っちゃって……」

「そう……気持ちはありがたいけど、けーくんには人を殺して欲しくない。それに余計な怪我も。だから次からはちゃんと手加減をして欲しいかな」

「うん……すまん」

 圭太はうつむいて謝った。

「……そろそろ平気だ。行こうぜ」

「わかった」

 そう言うと梓は立ち上がりお尻を数度はたいてほこりを落とし、階段を上り始めた。圭太もまだ痛みが残っているのか、ふらつきながら梓の後に付いていった。

「そういや、あれ、バチンってなって突然動けなくなったけど何だったんだ?」

「ああ。全身の筋肉に電流を流して筋肉を強制的に収縮させる装置よ」

「あ! この変な機械がついた下着みたいなやつがそうなのか! まあ確かにこれなら俺も動けなくなるな!」

 それを聞いて気まずそうに梓は小さくつぶやいた。

「……まあ、強すぎると心臓も止まっちゃうけど……」

「えっ? なんだって?」

「な、何でも無いわ。とりあえず今度から敵をあんまり傷つけないで制圧する戦闘の訓練もしましょ」

「今度? まだあるのか?」

「そうよ。強盗事件は全部で三件あった。他に似たような対象が二組いると思っておいた方がいいわ」

「それはまだあっちゃんは会ってないのか?」

「そうね」

「そか。じゃあ今度は手加減できそうだ」

 うなずく圭太を梓はじっと見ていた。

「そいつら倒すまではあっちゃん転校しないのか?」

「どうだろ……どこまでやれって言われてないから、状況によって変わるとしか言えないわね」

「そっかあ……長く居て欲しいんだけどなあ」

「ま、まあ、たぶん残り二組の対処をするまでは転校は無いと思う」

 梓が圭太の反対側を向きながら言った。

「そか! まあ短い間かもしれないけど、色々遊ぼうな!」

「……あんまり遊んでる暇はないけど、努力はする」

「ん、おう! わかった!」

 そうして二人は帰途に着いた。

 梓は、圭太を拘束する装置の出力をもう少し弱くしようかと考えていた。

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