第6話
工場の床に腰を下ろしたまま、二人は話を続ける。
梓は圭太に、四つのことを強く言い聞かせた。
『学校では話しかけないこと』
『用件があるときは無題、本文無しのメールを送り、帰宅後に廃工場で落ち合うこと』
『急ぎの場合は題に適当な単語を入れて、待ち合わせ場所と時間を本文に書いたメールを送ること』
『施設、及び任務に関することは一切口外しないこと』
圭太は二つ目、三つ目、四つ目についてはすんなり受け入れたが、一つ目については抗議した。『別に学校で仲良くしたっていいじゃないか』と。
「周囲の人に、あんまり気安い人間だと思われると困るから。余計な印象がつくと、根ほり葉ほり聞かれたり、付き合いに誘われたりして隠すのが面倒でしょ?」
「それは俺以外の奴の場合だろ? 俺と仲良くするぶんにはいいじゃねえか。隠す必要もないし」
「まあそうなんだけど……」
「だろ? せっかくまた会えたんだしよ、昔みたいに色々遊びに行こう!」
「それでも学校であっちゃんはやめてもらえる? さすがに違和感があるから……『桜井さん』でお願い」
「あー、まあそのくらいならいいぞ」
「絶対だからね」
梓は圭太を睨みつけた。
「もちろんだ」
圭太は大仰にうなずいた。
「じゃあそろそろ帰りましょ」
そう言って梓は立ち上がり、廃工場の出入り口に向かって歩いていった。
「おうそうだな。送ってくよ。家どこ?」
圭太は立ち上がりながら、梓の背中に声をかけた。
梓は首だけ振り返った。
「……腕相撲、もう忘れたの? 私は普通の人間に襲われる前に気づけるし、そもそも襲われたら返り討ちにできる程度には強いつもりよ」
「おおそういえば盛大に負けたんだったな。すまん忘れてた。じゃあ気をつけて帰れよ!」
「お互いにね」
そう言って二人は歩き出した。
――同じ方向に。
「……付いてこないでよ」
「違う! 帰り道が同じなだけだ! あと上着! 預けっぱなし!」
「え? ああ。そういえば」
梓は立ち止まり、後ろから歩いてくる圭太に上着を差し出した。
「はい」
「おう」
圭太は上着受け取り、羽織りながら言った。
「ったく。ラブレターかと思ってばっちり決めてきたのに……」
「とんだ不幸の手紙、ってところ?」
二人は横に並んで歩いた。お互いに前を向いて視線は合わせない。
「そうだよもう。よくわからん男たちにボコられるわ、あっちゃんにボコられるわ、散々だ」
そこでふと、圭太が何かに気づいたように顔を上げた。
「そういえば、あの人らは大丈夫なの? 俺が変な薬で強化されてるの見られちゃってるけど」
「それは多分大丈夫。施設が用意した人間だって聞かされてるから」
「はー。施設ってのはすごいねー。結局その施設ってなんなのさ?」
「余計なことを探ろうとすれば、たぶん処分される、と思う。前にいたんだけどね、探ろうとしてた子。もう誰も顔を見てない」
梓が渋い顔をして答えた。
「ぐへえ。あっちゃんそんなところで働いてんだなあ。そしたら雰囲気も変わるわなあ」
「え? 私雰囲気かわってる?」
梓が顔を上げて圭太を見た。
「うん。なんかぴりぴりしてる。手のあとに口が出てくるのは変わってないけどさ、なんか、こう、近寄りがたい感じ」
「そりゃ学校ではそう振る舞ってるから。変に近寄られて詮索されたら面倒だし」
「いやそうじゃなくてさ、なんかこうやって話してても気を張ってる感じ」
「ああ、そういうこと。それはたぶん、五感が鋭くなってるからだと思う。目は見なきゃいいけど、耳と鼻と皮膚感覚はどうしようもないから。こうやってる今でも、けーくんの心音とか聞こえてるよ」
「まじか。大変だなあ」
「そうね。実際、五感が鋭くなったせいで、病んでしまう人も居るからね」
「あー。あっちゃん図太いもんなあ」
梓のローキックが圭太の足に炸裂し、鋭い音が夜道に反響した。
圭太は片足飛びで移動する。
「失礼なこと言わないでよね」
「あー、こういうノリ、懐かしいなあ。俺が言ったことにあっちゃんが突っ込むの」
圭太はまだ片足飛びを続けている。
「そうだったっけ……」
「そうだよ。覚えてない? 幼稚園からずっと同じクラスで、最初はそんなに話さなかったけど、毎年同じ顔を見てたから、だんだんと絡むようになって、俺がなんかするとたいてい最初にあっちゃんに突っ込まれて、それでみんな笑ってて……」
「なんか、すごく昔の話みたい……」
「そうか? 俺は昨日の事みたいに思い出せるけどなあ」
梓はうつむきがちになりながらぽつぽつと話し出した。
「中学に入学する頃にけーくんが突然居なくなって、中学は静かだったなあ……それで、高校に入ったら、なんか任務とか言われてあちこち転校させられて、なんか危ないこととか色々やらされてたらいつの間にか高二になってて……」
「そう言えば俺、ちゃんとあっちゃんとお別れしてなかったな。ごめんなー」
「そうだよ。いきなり居なくなってびっくりしたんだから。先生に聞いて初めて里親が見つかったっていうのがわかったんだし」
「やー、なんか学校から帰ったら急に呼び出されて里親見つかりましたって言われてそのまんま連れてかれたからなあ。ほんで、この二人があなたの里親ですって言われて。はあそうですかって感じだよ」
圭太はやっと両足で歩き出した。
「そっか……。まあそんなところだろうとは思ってたけどね」
梓はそこで一度言葉を区切り、圭太を睨みつけた。
「……ところでいつまで付いてくるの? 家が同じ方向とか適当なこと言って送ってるつもり?」
梓は咎めるように圭太の顔をのぞき込む。
圭太は顔の前で手を振って答えた。
「いや違う違う! まじで俺んちこっちなんだって!」
「ふーん……」
「そういえばあっちゃんさあ。女子がジャージで外出――ってあぶねえ!」
梓は上段後ろ回し蹴りを放ったが、モーションが大きかったため何とか圭太は避けることができた。
「けーくんに言われたくないし! 私だって好きでジャージ着てるんじゃないんだから! 引っ越しが多いと服って荷物になるの! それにお洒落なんてしてる暇ないし……」
「暇がないって、家でなにしてるんだ?」
「勉強よ。施設から基礎教養を身につけておくのは必須だって言われて。学校の科目以外にも、薬物とか医学とか危険物とか任務に関係しそうなこととか。それに外に出るときは大抵任務の時だけだから動きやすい格好がいいのよ。この格好は利便性を重視しているだけ」
「リベンセイねえ……。でも好きで着てるわけじゃないんだろ? だったら今度服買いに行こうぜ!」
「けーくん人の話ちゃんと聞いて。荷物になるって言ったじゃない」
「いいじゃんか一着や二着くらい。それに何だったら俺んちに置いてたっていいだろ?」
梓は逡巡してたが、ぽつりとつぶやいた。
「……まあ、少しくらいなら……でもいつ任務の連絡、犯人たちの情報が来るかわからないし」
「よしじゃあ明日行こう! 先送りにしてたら行けなくなっちまう!」
「そんな急に明日……って……そうか、明日は土曜日か……」
「ん? ああ、そうか、そうだな。そうだそうそう。休みだしぱーっと遊ぼうぜ!」
「けーくん……明日が休みって、頭になかったでしょ」
「うん。まあサボればいっかなって……」
梓は圭太を睨みつけた。
「いやほら! だっていつまで一緒にいられるかわかんないんだろ? だったら早い方がいいじゃん!」
「まあいいけど……」
「じゃあ明日駅前集合な!」
「わかった……」
それきり会話が途絶え、二人は並んで歩いていった。
しばらく歩いたところで、梓が口を開いた。
「ねえけーくんの家って、ほんとにこっちなの?」
「ほんとだって!」
「住所どこ?」
「一丁目三番地」
「嘘! わたしも一丁目三番地!」
「なるほど。そりゃあ帰り道が一緒になるわけだ……お、あれが俺の家」
そう言って圭太は少し先にある一軒家を指さした。
「え……私はあそこ……」
そう言って梓は、圭太の家のはす向かいにあるマンションを指さした。
二人はしばしの間呆けていたが、圭太が口を開いた。
「……あっちゃん……明日、直接迎えに行くよ」
「うん……」
その日の夜、外の騒音がうるさく、梓は勉強に集中できなかった。
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