第5話
「小さい頃、私たちが育った場所、覚えてる?」
「もちろん。孤児院だ。確かあっちゃんとは幼稚園以来ずっと同じクラスだったよなあ」
「そうね」
そこで梓は一旦言葉を区切って真剣な表情で圭太を見た。
「実はあの孤児院、あの施設では人間の、その、強化を行っていたの」
作り物じみた話に、圭太は一瞬言葉を失った。
「は? なに言ってんだあっちゃん。本気で言ってるのか?」
「真面目な話よ。幼い子供たちの食事に、毎日少量ずつ薬を混ぜて、肉体改造をさせるの」
「いやいやいや、んなこと言ったって、俺ふつうだぞ? ちょっと運動神経には自信があるけどその程度だ」
圭太は顔の前で手を振って否定した。
「けーくんは特殊な子供達の内の一人だったの。普通は第二次成長期に入ったら別の薬を投与されて、それで初めて効果が出るようになってるの。で、その投与の前に血液検査があるのだけれど、けーくんはそれで過剰適合って結果がでたの」
「過剰適合?」
「そう。第二次成長期に投与される予定の薬を、投与できない体質だったの。それで、一般家庭に養子に出されたの」
「ふむ。その過剰適合って奴で俺は今の家に引き取られたのか」
「そう。私は異常がなかったから第二次成長期に薬を投与された」
「投与されるとどうなるんだ?」
「さっきけーくんが体感したやつと同じ。あそこまで激しくはないけどね。五感が鋭くなって、身体能力が向上するの」
「ほー。あっちゃんも注射打つとさっきの俺みたいになるの?」
「違う。定期的に薬を接種してるから、注射を打たなくても、常に五感が優れて、身体能力も通常の人間を凌駕してるの」
「ん? じゃあ何で俺はさっき注射を打たれたんだ?」
「それは、第二次成長期に投与されるはずだった薬を、あの注射で投与したから。過剰適合っていうのは、第二次成長期に薬を投与されると、制御が難しくなっちゃっうらしいの。だから、結局施設のお荷物になっちゃうと判断されて、放出されるの。第二次成長期以降に投与される薬さえなければ、一般人と変わらないから、放出しても問題ないんだって」
「ふーん」
そう言って圭太は工場の天井に目を移した。
「あ、そうだ」
圭太は視線をもどして、改めて梓の顔を見た。
「どうして幼なじみってこと隠してたんだよ。寂しいじゃねえか」
「ごめん……。でも言えない事情があったから」
「どんな?」
「施設では人間の強化を行っていると言ったけど、それはあくまで手段で、目的は他にあるみたいなの」
「目的ってなに?」
「わからない。でも私くらいの年齢以上になるとみんな任務を与えられる。そして任務であちこちを転々とするの」
「え、その任務が終わったらあっちゃんどっか行っちゃうのか?」
「まあ、そうなるかな……」
「えー。せっかくだしもっと一緒に遊ぼうぜー。そうだ。俺最近、アニメとか漫画にはまっててさ。一緒に見ようぜ! お勧めの教えるからさ」
「そうはいかないわ。任務は次々に与えられるし、任務に失敗、または反した人間、もしくは任務の存在を公にしようとした人間は処分されるもの」
「処分? なんか課題でもやらされるの?」
「言葉通りよ。殺される、みたい。物と一緒ね。私もあまり詳しくはないんだけれど……」
「……まじかよ」
「ええ。だから私は、私達は施設に逆らうことはできない。ちょっと話がそれちゃったけど、幼なじみだって事が周囲に明らかになっちゃうと、私が施設……まあ表向きは孤児院だけど、そこ出身者だってばれちゃって、場合によっては施設の警戒リストに載ってしまうかと思って。それで幼なじみってことも知らないふりをしてた」
梓のその言葉のあとには、どちらの言葉も続かなかった。
「あの、けーくん、お願いなんだけど……」
「お、おう。なんだ、なにをすればいいんだ?」
「最近、コンビニのATMが被害に遭ったってニュースでやってるでしょ?」
「知らん。テレビはアニメを見るものだ」
「……やってるのだけれど、その犯人を捕まえて欲しいの」
「なんだそりゃ? そういうのは警察に任せておくもんじゃないのか?」
「どうも施設から流出した注射が利用されてるらしくて、施設としては警察よりも先に抑えておきたいみたいなの」
「んなことができるのか?」
「どちらかというと、私達の施設は末端の組織みたい。もっと中央のところでは、警察にも手が入ってるみたいで。だから警察担当は警察からの情報収集とか、捜査の攪乱とかをやっているみたい。施設の方は、出回った薬に関する対応をする、という分担だと、先輩からこっそり聞いたことがあるわ」
「なんか陰謀論みたいだな」
「……多分、それが『普通』の反応なんでしょうね。でも私にとってはこれが『普通』なの」
「まあ、実際やばい体験はしたからなあ。まるごと全部が嘘ってわけでもないんだろうけど、どうにもなあ……」
「でもニュースでやってたじゃない……って見てないんだった。えっと、その犯行の手口が明らかにおかしいのよ」
「おかしいって?」
「被害に遭ったATMの痕跡から、まるで素手でこじ開けたような痕跡って言われているのよ」
「ATMを素手で? あくもんなのか?」
「『普通の人は』開けられない。でも私達みたいに強化された人間なら開けられる」
「ふむ」
「そして、その事件のちょっと前に、薬の流出が確認されている」
「ほほう」
「他にも裏付けとかはとってるんでしょうけれど、私達実行部隊に伝えられたのただ、『こいつを生きたまま捕まえてこい』ということだった。だから私はそいつらに接触したの」
「ああ!? 危ねえだろそんなことしたら! バカだな何やってんだよ!」
圭太のその発言に梓の眉がピクリと一瞬つり上がった。
「……まあ、結果として一ヶ月入院することになってしまったのだから、バカと言われても受け入れましょう。とはいえ、これでも今までたくさんの結果は残してきた、という自負はあるの。バカにされるのはあまりいい気分ではないわね。特ににけーくんには」
「どういう意味?」
「けーくん、昔からバカって言われてたでしょう? どうやら未だにバカって言われてるみたいだし」
「失礼な! バカって言う奴がバカなんだぞ!?」
その言葉を聞いて梓は小さく吹き出した。
「ああん? なにがおかしい」
「小さい頃からそればっかり言ってるよね。それこそバカの一つ覚え、ってやつね。あとはそう、バカ正直。バカみたいに素直。けーくんは何でか、『バカ』って言葉に縁があるよね」
そういって梓はくすくすと笑っている。
「そういうあっちゃんだって、女子一人でそんなおっかない犯人に向かっていくとか、バカだろうがよ!」
梓は少しむっとした様子で圭太を見据えた。
「さっき話したじゃん……ちょっとこっち来て」
そう言うと梓は形の崩れていない、縦に立っているドラム缶のところまで歩いていき、圭太に手招きをした。圭太は言われるがまま、ドラム缶のそばまで歩いていった。
「けーくん、腕相撲しよう」
「ん? おうわかった。あんまり痛くないようにしてやるからな」
「いいから。本気できて」
そう言ってドラム缶を挟んで向かい合い、腕を組んだ。
圭太は前屈みになり、組んでいない方の手でドラム缶を掴んだ。
一方で梓は肘をドラム缶に乗せるために少し前屈みになった程度で、空いた手はだらんとさせたままだった。
圭太が握った梓の手は華奢で柔らかく、強く握ったら折れてしまいそうだった。
「いくよけーくん。レディー……ゴー!」
瞬間、梓は前腕だけを傾けた。圭太の手の甲がドラム缶にしたたかに叩きつけられ、ドラム缶が盛大にひしゃげる音がした。圭太は声にならない叫びを上げた。
「……いたい……これ折れてんじゃねえの」
「言ったでしょ。私これでも強化されてるんだから」
「それは口で言ってくれればよかったんじゃ……」
「さっき言ったじゃん。口で言ってもわからない人には身体で覚えてもらうしかないじゃない」
「ぐう」
圭太はかろうじてぐうの音は出すことができた。
圭太はその場であぐらをかいて涙目で手の甲をさすりながら聞いた。
「つまりあれか。そこまで強化されてるあっちゃんでも返り討ちにあうほどの犯人だったってことだな」
「そう。それを施設に報告したら、今度はけーくんを使えるか試してみろって命令が来て……」
「ふむ。しかしたまたま同じクラスになるとは、すごい偶然もあったもんだな」
「どうなんでしょうね。もとからいざという時の予備としてけーくんを利用できるように、昔仲良かった私があのクラスに送られたのかも知れない」
「そんなこともできるのか?」
「かもしれない、っていう可能性の話よ。何の裏もとってないし、私程度じゃとりようもないでしょうけど」
「でも俺って、えっとなんだっけあれ、あのー」
「過剰適合?」
「そうそれ。それで使えないんじゃないの?」
「制御の難しさは個人差があるみたい。施設から言われていたのは、『私で対応仕切れない場合は信号を送れ』ってことだけ。たぶん、この近くにけーくんみたいな過剰適合者を確保するための専用の部隊が待機していたんでしょうね。きっとそのときは、けーくんは利用できない、ってことになってたんだと思う」
「利用できない場合は俺はどうなっていたんだ?」
「ごめんなさい、そこまでは私には知らされていなかった。でも施設からの命令に逆らうこともできなくて……」
梓が申し訳なさそうに俯く。
「そっかあ、あれだな、あっちゃんもトラバサミで大変だったんだな……」
「それ多分『板挟み』だよね」
「たぶんそれ。まあわかった。いいよ、俺なんかで良ければ手伝ってやるよ」
「いいの? そんな安請け合いして。死ぬかも知れないし、死ぬよりもっと恐ろしい目に遭うかも知れないよ?」
「幼なじみが頼ってくれてるんだからな、俺としちゃあそれに応えたいんだよ」
「ごめん、ありがとう……でも安心、できるかはわからないけれど、報酬もあるから! 今は手元に百万しかないけど、最高で五百万までなら用意出来るはず」
その言葉を聞いた圭太の顔が険しくなった。
「俺は金が欲しくてやるんじゃない! 俺の大事な幼なじみが困ってるから手助けがしたいだけだ!」
梓は俯いて、「ありがとう」とつぶやいた。
「よし! そいつらどこにいるあっちゃん! 今からぶん殴りにいくぞ!」
「え、ちょ、ま、待って! まだ相手のことも話してないし準備にだって時間が……」
「む、そうか。それもそうだ。とりあえず相手はどんなやつだったんだ?」
圭太がどかっとあぐらをかいて座り込んだ。相変わらず痛そうに手の甲をさすっていた。
「私が接触したのは二人組の男だったわ。心音も何も普通だったから、てっきり普通の身体能力だと思って油断していたんだけれど、二人とも人間離れした動きで応戦してきたの。とりあえず逃げるのが精一杯で、それでも大怪我を負わされてしまった……」
「ふむ。二人組か……」
「そう。でも安心して。身体能力が強化されてると言っても、私ほどじゃなかった。だから逃げ切れたんだもの。油断さえしないで、こっちも二人がかりで戦えば、充分勝ち目はあるわ」
「二人がかり?あっちゃんまた戦うのか?」
「もちろんよ。むしろ私が主導するわ。けーくんが強化されると心音が異常になるから、接敵する前にこちらに気づかれてしまう。私がおとりになって相手を引きつけるから、その間にけーくんを強化して、背後から取り押さえる。あ、くれぐれも殺さないでね? 施設からの命令は、生け捕りにしろ、ってことなんだから」
「うーん。なんか納得いかないなあ。男の俺が前面に立って戦いたいもんだが……」
「しょうがないじゃない。適材適所よ」
「うーん。しょうがねえかテキザイテキショだ」
「……けーくん、意味分かってないでしょ?」
圭太は満面の笑顔で梓を見ながら首を傾げた。梓も圭太にあわせて満面の笑顔で首を傾げた。
「けーくん追試頑張ってね」
「おまえは俺の身体だけじゃなくて心まで傷つける気か」
梓はジャージのポケットに両手を突っ込んで言った。
「ともかく、今日はこのくらいにしておきましょう。詳細はまた今度詰めましょう」
そんな梓の言葉を受けて、圭太が感慨深げにつぶやいた。
「しかしあっちゃん変わったよなあ。成績なんて小学生の頃は俺と変わらなかったのに」
「まあ、色々勉強させられたり訓練受けたりしたのよ」
「あとなんかさっき抑え込まれたとき、なんか柔らかかったぞ? 太ったのか?」
圭太は全治二日の怪我を負った。
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