第36話我を忘れ
「しまった!」
真田が来たことで攻めの姿勢に出ていた圭は、気がつけば楓とは距離が大きく離れてしまっていた。
そこをついて、二人が動いたのだ。
「くそ、やらせるかよ。『土よ』『風よ』『斬り裂け』!」
重力とは関係ない機動力ですぐさま楓の方に向かう。さらに、風の魔術を使い二人の動きを阻害した。
だが、それだけで二人が止まるはずもない。圭が楓の元へ辿り着く前に、二人が楓の元へと辿り着いた。
「ふふん、これで、形勢逆転」
重力をかけたといえども、腐っても能力者。動きを鈍らせることはできるが止めることは叶わない。そして何より、圭の動きも阻害してしまう。
「さてさて、どうしようか、うんうん」
マロウが意識のない楓の首ににわずかに針を刺す。そこから赤い血が溢れ、身体へと赤い線を引いていく。
「おい、やめろ」
圭の言葉は叶わない。さらに、真田が無情の声を出す。
「『重』」
「はっ!?なにこいつ、人質がどうなってもいいの?」
「知らんな、俺には人質は通じない」
圭は、楓だけを見ていた。
一般人よりかは強くとも、魔術師は能力者と違って常に身体能力が高いわけではない。
真田の荷重は今、楓の身体に大きな負荷がかかってしまっている。その証拠に、マロウに抱えられた楓は不自然な体勢をとってしまっている。
「やめろ」
「『圧』」
真田が、人質なぞいらないとばかりに楓ごと二人の能力者を吹き飛ばす。それを受けて、楓は一本のスギの木にあたり、地面へとずり落ちる。
「やめろ」
楓の首だけでなく、口からも血が垂れていた。明らかに苦しそうに、激しく呼吸を荒げていた。
「こうなったらこの子殺しちゃう?暴走させれば四つ巴でうまく二人とも殺せるかも」
「あらあらそれは悪くない案かもしれませんね」
マロウの手が楓の艶のある黒髪を掴み、宙に上げる。
そこが、圭の限界だった。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
地面に鉄棒を突き刺し、そこを始点に信じられない速度で棒が伸びた。
「えっ?がぁっ!っ、」
瞬きをする間に距離を詰めた圭は、怒りのままにタリナを拳で地面に叩き潰した。
「ぐっ、ぁっ、」
伸びた棒が一瞬で縮まり、唖然としたマロウの首に打ち付け、今までとは段違いの速度でぶっ飛ばした。予め調整していた方向は真田がいる場所。
「ぬぅ……」
あっという間に吹っ飛んできたマロウにぶつかり、衝撃に耐えきれずそのまま縺れ合うように真田ごと転がった。
タリナを殴り倒した時に飛び散った血が、圭の肌に付着する。それは今まで絶対に食らうまいと避けてきた猛毒そのものだった。
圭は楓を優しく抱えた。言葉を発さずに土を動かし、簡易的ではあるがベッドを作成しそこに寝かす。重力が多少かかろうとも耐えれるように、身体を曲げないよう心がけた。
そこまでして、圭は棒を肩に担いだ。
ゆっくりと、今までとは段違いだったダメージを受けたタリナが起き上がる。
「あら、あら、……毒を、浴びましたね」
タリナの毒は魔術師の治癒魔術でも治せはしない。優れた魔術師や能力者はある程度毒の進行を遅らせることができるが、必ず死に至る。
だが、今の圭にとってはそんなことはどうでもよかった。
目の前の女は、楓を殺そうとした。
そして、あそこで立ち上がった女も、男も、楓を殺そうとした。
理由はそれだけで十分だった。
「全員、殺す」
圭の持つ鉄棒が、グネグネと異様な変化を始めた。それは今までとは違う動きで、生き物のようにすら思えた。
「何を。わたくしを殺すなど……」
タリナと圭の間は三メートルはある。さらに、ジリジリとタリナは距離を開けている。今までの経験から、圭から逃げるのは容易い。そう判断した。
「死ね」
動きが止まった鉄棒を、圭は動かずに突き出した。
「気でも狂っ……っ!?」
ギリギリで、タリナは避けた。
圭がその場で突いた棒は、三メートル以上の距離まで伸びたのだ。先ほどの急激に棒が伸びたのを見ていなければ避けられなかっただろう。
だが、その三メートルの棒は、気がつけば一番先の部分から刃が生えていた。その形は鎌。首を刈り取るために作られた鎌を横薙ぎに払った。
「っ、!?」
生存本能が鳴らした警笛にタリナは従い、手をついて下に避けた。
パラリと宙に髪が浮く。
だが、それが落ちる前に圭は無言で魔術を使っていた。本当に小さな魔術。タリナの手が着いた地面を少しだけずらす魔術。
小さな魔術は最大限の効果を発揮し、タリナのバランスを崩す。そして、本来なら棒を返すだけの時間があるはずなのに、それよりはるかに早い段階でタリナに激痛が襲った。
「ああぁぁっ!!」
後ろを見る余裕もない。振り払われた鎌とは逆の位置に、鉄棒の先から鋭いトゲが伸び足首を突き刺したのだ。
これによって完全にバランスを失ったタリナはなす術なくうつ伏せに地面へと倒れ込む。
それに合わせるように、圭は棒を両手に握った。
その先端は槍の矛先。さっきまであったはずの鎌は跡形もなく消え、突くことだけに特化した形状に変化していた。
それを、タリナの心臓に突き刺した。
血が溢れる。
飛び散った血が、大量に圭の服に付着した。だが、もはやそれはなんの害も圭に及ぼさない。能力者本人が死ねば分泌した毒はその効力を失い、体内を破壊しようとする毒も治癒魔術で治すことができる。
すぐさま楓の方へ走り、治癒魔術をかけた。
「『治れ』」
苦しそうにしていた表情は徐々に和らぎ、やがて穏やかかつ規則的な呼吸を取り戻す。
ここまで来れば命の心配はない。
「『治れ』」
自分の身体に残る毒を排除し、圭は楓の寝る場所から離れた。
「あと二人」
鉄棒を引きずり歩く。
その先には木を操り攻撃を仕掛けるマロウと、重力や圧力を駆使して相手を翻弄する真田の姿があった。
その二人とも、森から圭が現れたのに気付いて戦いを止める。
その姿はまるで鬼のようだった。
ほぼ全身に血が飛び散っているのが目に写ってしまう。どう考えても一人は人を殺した姿を見て、マロウは息を飲む。
真田とて違いはない。木陰で見えてはいなかったが、この短時間での返り血はタリナを瞬殺したことを意味する。
本来なら味方であるはずの圭に、殺意を向けられていることにも気がついていた。
また鉄棒が一気に伸びる。あっという間に距離を詰められたマロウは自衛のためにその場のあらゆるものを使って、自らの身体に針を纏った。
「『針か…あ゛ぁっ」
鉄棒は、全ての針をまるでなかったかのように打ち砕いて横に振り抜かれた。
その形は剣。叩き切るような姿になった武器が、マロウの腕をぐちゃぐちゃな断面で切り落とした。
「『爆ぜろ』」
パンッと音が響き棒は反転する。
棒には表と裏がある。攻撃した方とは反対の先が変形し槌の形になりメキメキと音を立ててマロウを吹き飛ばした。
その速度は圧倒的で、何本もの木を全て文字通り貫通し、姿が見えなくなった。
圭はそれを確認せずに、真田に目を向けた。
「み、味方だぞ」
真田とてランク6、ただやられるわけはない。そのはずなのに、圭の信じられないような殺意に思わず腰が引けてしまった。
「伸びろ」
魔術を行使するまでもなく、棒は伸びる。
完全に殺す気だと悟った真田は、すぐさま抗戦に移った。
「『圧』!」
真横に斥力が働き、真田の方から圭に恐ろしいほど力が加わった。これにより宙を舞って後ろに大きく吹き飛んでしまったが、それを圭はほぼ無意識に理解し、斜めに突き立てた棒を伸ばして再び距離を詰めた。
伸ばした棒の先端に捕まった圭は、強く拳を握る。その前には、赤く魔法陣が広がった。
「『炎よ』『雷よ』『土よ』」
一つ目で両掌大に展開された魔法陣は、二つ目で人ほどの大きさへと進化し、三つ目でさらにその数倍まで膨れ上がった。
「『重』!『重』!!」
圭の動きを封殺しようと数十倍もの重力をかけても、地をずりながら圭は勢いを止めない。
そして、真田の下の地面から、圭の拳は一気に上昇した。
「『
「『圧』っ!!……がぁぁぁぁっ!?!?」
腹部に衝突した魔法陣は、繰り出された拳の勢いを最大限に活かし、爆炎により腹を焼き、雷により全身が感電し、先に生えた杭により腹部を大きくえぐり飛ばした。
あらゆる衝撃が混ざりあった前代未聞の衝動に、大きく吹き飛んだ真田は打ち付けられた場所で悶え苦しむ。
その姿を無表情で見た圭は、ゆっくりと真田へと近付いた。
「き、貴様っ……俺は、味方だろうっ!」
ありえないと言わんばかりに圭を睨む。それに対して、圭はあまりに冷静かつ冷酷だった。
「楓を傷つけた。だから殺す」
「ふ、ふざけるな」
真田に影がかかる。月明かりに照らされた圭の持つ棒は、すでに槍へと先端が形を変えていた。
突き刺される直前に、真田は全身を使ってその場を跳ねて離脱した。
血が滴る腹部を押さえながら膝をついた状態まで身体を立て直し、圭の動きを封殺するべく能力をかける。
「『圧』!」
「『空よ』」
「っ!?!?」
たった一言で、真田は一気に吹き飛んだ。それどころか、圭の前方にあるありとあらゆるものが根こそぎなぎ倒され、更地にさせられた。
その威力は甚大で、吹き飛んだ真田は木を何本も折り、衝撃を受けつつもしばらくスピードが落ちることはない。
圭が行ったことは非常に簡単だ。真田の能力は圧力の増加。それも空気などに干渉しないよう自然と能力をコントロールしている。
ただし、魔力で空気をかき混ぜると話は別だ。重力が増加する範囲とそれ以外の範囲では非現実的な気圧差が生まれ、それを修正しようとたとばかりに急激に空気が外に押し出されたのだ。
この倍以上ある気圧差による風は、人間が作り得るあらゆる風を凌駕していた。
それらを操り圭は真田にぶつけた。ほんの一瞬だったが威力は絶大。見えなくなった真田を追うようにして、能力が解けた身体でその後を追う。
感情はほとんど感じさせられず、側からみれば冷静にしか見えなかった。
真田は森の斜面で、身体が転がるのを木に止められている状態で横たわっていた。
生きてはいるが、痛みで動くことができない。
その姿を、木に垂直に立った圭が見下ろしていた。手に持つ棒はレイピアのように細く尖った先端をきらめかせる。
「ま、まて……俺を殺すのは、貴様にとっても、よくない、はずだ……」
「討死したと言えばいい」
「俺が、い、言えば……やつらについて、調査が、入る……」
「……」
殺さないメリットと感情のせめぎ合いが交差する。本来なら、どれだけ憎くても殺すべきではない。それで融通を効かせられることもある。
だが、どす黒い感情はそのメリットを塗り潰しそうなほどに大きかった。
「……」
圭は棒を持ち直す。先端は槍ではなく、ただの棒先になっていた。
それを振り上げ、真田の腕を強打する。そして、胸、足と移動させる。
「ごぁっ、ぐほぉっ、ぐぅっ……」
一撃一撃が、いつもよりもはるかに上回る破壊力を持っていた。
圭は真田が葛西の部下たちが無惨なまでに痛めつけられるのを思い出していた。
そして、当の本人に対してその苦しみを実感してもらう。
これが真田を殺さない、最低限の妥協だった。
しばらく殴り続けた真田の胸ぐらを掴む。
両腕足は途中で曲がり、服の節々から血が滲んでいる。何度も与えられた衝撃は真田を死の淵まで追い込んでいたが、それでも能力者であるがゆえに死ぬことは出来なかった。
元の場所に戻った圭は、引きずってきた真田をその場に放り投げる。
呻き声が聞こえたが、もう圭は興味を失っていた。
次に、別方向に目を向ける。
その方向、マロウが吹き飛ばされた方向へと圭は足を向けた。
マロウは登山道に転がっていた。その様相は真田よりも酷く、ほんの一部だけピクピクしている以外は生気すら感じさせない。
圭は転がるマロウの髪を掴み、上へと持ち上げた。
「『治れ』」
淡い光がマロウを包み込み、少しずつ身体の異常がなくなっていく。ある程度治ってから、水を生み出しマロウの顔へとぶつけた。
「……ん、」
マロウの目がゆっくり見開かれる。少しの間ぼうっと目の前を見た後に、一気に意識が覚醒した。
「三鷹圭っ!?」
「黙れ」
騒ぐ前に圭は喉元に針を突きつけた。その先がわずかに首に当たり、ゆっくりと血が赤い線を垂直に描く。
まるでマロウが楓に行ったことの再現だった。
「誰に依頼された」
「い、言うとでも?」
「言わないなら殺す」
「っ、……」
少しだけ針が肉に食い込む。それが、圭の言葉が本気なのだという証拠だった。
「……『
「名前は」
「……分からない。『ダユウ』と呼ばれていた」
「そうか」
髪を離すと、力なくマロウは倒れた。もはや戦う気力もないらしい。圭は保険をかけるため、持っていた鉄棒を変形させて目隠し、猿轡、そして残っていた左手の拘束を行った。
そのまま真田が悶え転がっている場所へとマロウを持って移動した。
「もしもし、葛西さんですか?ええ、片付きましたんで来てください」
圭の電話は激闘の際にひしゃげてしまったため、楓の電話を使って葛西に連絡を入れた。
そこまで確認してから、圭は楓のすぐそばにあった木に背中を預ける。
「使えたのか……」
棒術、とはもはや言えないかもしれない。
魔術によって自在に棒を変化させて様々な武器を使い分けるという一風変わった戦闘術は、異世界でケインが使っていたものだ。
棒の変形により長さも形も自由自在、さらに破裂の魔術をはじめとした様々な魔術を棒を起点に発動させることができる、師匠仕込みの魔術格闘術。
圭としても、今までわざと使っていなかったわけではない。
使えなかったのだ。
異世界で使った棒はかなり特殊だった。魔力を非常によく通すもので、ケインのあらゆる要望に応えてくれた。
しかしこちらにそんなものは存在しない。いくら魔術操作に長けている圭でもただの鉄棒にそんな高度な変形はできなかった、はずだ。
マロウの拘束に使った鉄のあまりに魔力を込めて形を変形させてみる。
すると、短い棒だった鉄はゆっくりと長さを伸ばし、その先端が少しずつ鋭くなる。
ただこれは今の全力だ。
先ほどまでのような瞬時の変形はできる気配もない。
なぜだろうか。
「まあいいや、楓も僕も無事。結果としては最高だ」
空を仰ぐ。
半月が夜の暗闇を照らし出し、それを取り囲むように星々が輝く。
何を考えることなく、圭は葛西が来るのを待った。
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