第5話変化した生活

「おはようございます」


 田村と一緒に礼をする。朝は6時半、琴桐楓が起きたときにはすでに着替え終わっておく必要がある。欠伸をしたら田村に叱られた。


 琴桐家の家族が朝食をとっているのを見ながら、姿勢を崩さず立ち続ける。


「お父様、お母様。彼が新しい護衛よ」


 そういって手を圭の方に向けると、それに合わせて二人の視線がこちらに移る。なんとなく軽い礼をしておいた。


「大丈夫かしら。なんだか頼りないし」

「そうだな、最近かなり圧力をかけられているし、もっと別の方がいいのではないか?」


 ナプキンで口を吹いたマダムは、娘と似たようなキリリとした目で圭を値踏みする。フォークとナイフを置いた父親は心配そうに楓を見る。


「心配ありません。優秀な人を雇うほどのお金はありませんし、何より彼は強いですから」


 昨日楓から聞いた話によると、強さに比例して大企業に雇われやすく、金払いも良くなる。超有名企業であれば億は軽く越えるそうだ。

 そう考えると、月200万はなんだか安く聞こえてしまう。


 だからこそ、彼女は圭を執拗に追い回した。

 強さで知れ渡っている人は軒並みどこかに所属している。圭のような無名の魔術師はいないといっていい。


「それならいいが……」


 不安そうに父親が圭の方を見る。確かに筋肉もまともについていないなよっとした身体は、不安を掻き立てるものがあった。




 登校は車で、名門七琴学園まで十分程度だ。ここは日本でも有数のおぼっちゃまお嬢様高校らしい。親の金と本人の学力が両方とも揃っていないと入学は難しい。

 楓は学力においては上位に居座っているらしい。


 上流階級であれば決闘を知っている者も多く、魔術に対する知識も持つ。琴桐楓は魔術師でもあるため、学園内ではちょっとした有名人でもある。


 ただ、残念なことに彼女は魔術師の中では最弱だった。


「じゃ、行ってくるわ」

「いってらっしゃーい」

「三鷹様」

「あ、はい。行ってらっしゃいませ」


 琴桐楓を見送りすぐ家に戻る。着替えてしまったら自転車で大学へと走り出す。



「おはよ」

「おっすおっす」


 村上慎也が手を上げて圭を呼ぶ。一限の英語は予習がめんどくさい。課題が山盛りだ。


「そういえば、昨日どうしたん?珍しいじゃん休むなんて」

「あーそれはね、ちょっと事情があって……新しいバイトを始めたんだよね」

「ほお」


 強制的に連行させられた、なんてことは言えない。


「新しいバイトって、なにやるん?飲食とか?」

「あー、えーっと、なんで言えばいいかな……」


 護衛、決闘代理。

 どちらも人前では言わない方がいいだろう。


「ほら、あれだ、あれ」

「なんだよあれって」

「企業の事務手伝いをしてるんだ」

「へえー、なんか意外」

「まあ僕も想定外だよ。こんな仕事する予定じゃなかった」

「やめればいいのに」


 やめたいのはやまやまだが、断るのはほぼ無理なのが現状だ。社員という扱いではないので絶対にやめられないことはないが、また追い回されそうだし朝から夜まで半ば監視状態。唯一の癒しは雇い主の琴桐楓が、黙っていれば眼福なことくらいだ。ただ口を開けば高圧的なのでゲンナリしてしまう。


 授業が終われば慎也はすぐさま外へ行ってしまうため、一人の時間を図書館で過ごしたり別の授業に出たりして時間を潰す。彼がいなければ圭はボッチだ。大学生コミュニティに乗り遅れ私生活まで拘束されてはボッチにならざるを得ないだろう。




 四限が終わる頃にはお嬢様の迎えに行き、後は豪邸の一部屋で暇な時間をつぶす。


「なんか、大学生っぽくない」


 束縛されすぎている。しかも、自分から進んでやっているわけじゃない。


「いいじゃない別に」


 肘を机について不機嫌な表情を見せると、ツンとした返答が返ってきた。


「でも助かったわ。まさかあなたが帝一大生だったなんて」

「だからといってこれはないんじゃないですか?」


 帝一大学はこの学生都市きっての難関大学だ。高校模試の偏差値70なんてザラにいる。それは激しい受験戦争を乗り切ったことを意味しており、三鷹圭もまた勉強はできる人間だった。


 圭は今は数学を教えていた。

楓は今高3で、今年度受験勉強、降って湧いたような家庭教師が目の前にいたら活用しない手はない。


「高等数学はめんどくさいからイヤなんですけど」

「無理とは言わないのね」

「まあ受験で勉強したしまだ覚えてますけど、パターン決まってるからそんなに面白くないです」


 こんな態度をとっているのを田村に見つかったら確実にお叱りを受けるかもしれない。ただ、田村は楓ではなく琴桐家の執事なためいつも楓のそばにいるわけではない。

 それに、護衛も兼ねるという意味では、ほぼ常に楓についていないといけない。勉強はおまけである。


「だいたい、なんで家の中でも護衛が必要なんですか?しかも、普通奇襲なんて受けないんじゃないんですか?」

「はぁ、分かってない……」


 楓はため息をついた。

 その態度を見て、圭は眉を潜める。常識が違うのだ、分かるわけがない。

持っていたシャーペンの先を圭に向ける。


「まず、力を持つ者には3種類いるの。一つはあなたみたいに人に雇われる人。二つ目は公務員として働いている人。三つ目は組織に所属する人」


 魔術を含めた能力者は全国にごまんといる。

 大きな企業は決闘やゲームをするために能力者を何人も抱えていることが多い。このタイプは雇い先が企業のため非常に金払いがよく人気がある。その代わり、一定以上の実力やコネがないと雇われない。


「能力対策課」が各都道県庁に設置されており、公務員として働く人たちはそこに勤める。能力者による犯罪への対応は全て彼らの仕事だ。彼らは能力を扱うための特別な学園に通い国家公務員として仕事を行う。ある意味エリートコースである。


 最後に組織に所属する人。この組織は様々なものがあり、普通の雇われ傭兵や馴れ合いサークルみたいなものから、国家転覆を図るテロリストや独自の神を信奉する宗教団体もある。


 また、能力者のコミュニティが公的に設置されており、ここに登録しておけばさまざまな融通をしてくれる。


「まず前提として、犯罪組織は金を得るために人質を狙うことが多い。だから一般的に企業の要人やその親族にはなるべく護衛をつけるの。特に子供は目をつけられやすい」

「あーそれで襲われてたのか……」

「私にも護衛はいたの。でも優秀な護衛は雇うためには高額の依頼料を提供する必要があるから、最近まで業績が良くなかったうちはあまり優秀な人を雇えなくて……」

「ふーん」

「ちなみに私は魔術師の中では最弱と言っても差し支えないわ」

「自慢しなくてもいいです」


 魔術師になるには家系か運が必要だ。琴桐家には魔術師はいなかったが、たまたま楓が魔術師になることができた。

 ただ、楓のスペックは低く、魔力量も平均の半分、扱える魔術もない。唯一得意なのは身体強化で、身体だけは頑丈になるらしい。

 ぶっ飛んで来た時に生きてたのもこれが理由である。


「はー、つっかえ」

「自衛できるだけマシよ。

 あと、七琴学園は上流階級の御子息が通う学園で、基本的にあの中にいれば襲われることはないの」

「ほう、寮でも入ってください」

「残念ながら近すぎたみたい」

「はー、つっかえ」

「なんだか、腹が立ってきたわ」


 一部には、敢えて通学を選ぶ人もいる。こういう人は殆どが護衛を雇っていることを前面に押し出しており、権力の高さを示している。


「なんか、聞けば聞くほど僕がここで働くメリットがないように聞こえてきましたよ」

「それはなぜ?」

「だって、強かったらコミュニティに斡旋してもらえば雇われることができるし、聞いた感じ強さを測る指標みたいなのもあるように思います。しかも、今は年2500万での契約ですけど、もっと大企業であれば億も狙えるってことですよね」

「まあ、そうね」

「前襲ってきたやつらが平均以下だとしても、僕の実力は中堅にはなるはず。ということは、もっといい雇い主がいるはず!」


 楓は渋い顔でシャーペンを置いた。実際その通りだ。琴桐グループに所属する大きなメリットはない。ただ、楓はこれは承知で雇っていた。


「でも、わたしがあなたに提供できるメリットがあるわ」

「メリット?」

「そう。まず、働く場所。わたしの護衛であれば、帝大に通うことができる」

「そんなこと?」

「そんなことって、これは大きなメリットよ」


 能力者の契約は四六時中護衛をすること。決闘代理専門の人もいるが、基本的に大学に通えるような契約は少ない。さらに、仕事地域が帝一大学周辺というのも大きい。大学に通うことを前提としたら雇い先はほとんど存在しない。


「2つ目に、目立たない。わたしたちは弱小、そんなとこに決闘を仕掛けることなんて少ないはずよ」

「おー、なるほど」


 確かに目立って追っかけ回されるのも血を流して戦闘するのもそんなに好きではない。ある程度魔術の使用に自由が効いて楽しめるのは意外と大きなメリットである。


「うーん、確かにこれ以上の束縛は無理だし、かといって普通に暮らしたら暗殺者でも来そうだし……」

「お父様の評価が得られれば報酬は上がっていくはずよ」

「そのお父様にも護衛はいるんだろ?」

「もちろん。わたしよりずっと強い、魔術師よ」

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