【修正中】CHAPTER/13

インフレイムによるエニグラドール本部襲撃・3時間前。






ごつごつとした岩が無秩序に点在し、所々に枯れた草木が残る黄土色の荒野。

ゼウス直属のトレーラーとその護衛車両が列を成して土煙を巻き上げ、荒野に幾本ものタイヤ痕を残しながら進んでいた。

大型トレーラー40台弱をガントラックや装甲車が取り囲んでいるこのコンボイは、オリンポスから第2の要塞都市・マリネリスへと電子機器を輸送するための陸上護送団である。

現在地は、オリンポス西部の工場地帯よりもさらに西。

オリンポス、マリネリス、そして第3要塞都市アマゾニスの周辺は、多くが旧世界の核戦争による放射能汚染が残っている。

しかし、危険エリアの合間を縫う網目状に放射能汚染度の低い安全区域が存在し、各要塞都市の連絡・貿易ルートとして使われており、この陸上護送団も確保されたルートを選んで走行していた。


今回の護送任務に駆り出されたロックとジャックは、コンボイのやや後方を走るトレーラーの荷台に座っている。

この任務では旧シカゴ市内を経由して燃料の補給を行いつつ、マリネリスまでは約1100kmの長い道のりを越えねばならない。

オリンポス付近を出発した頃の、トレーラーの中で大人しく座っている様子もつかの間、双子はいくらも進まないうちにトレーラーの屋根へと登り、さらに間もなく荷台の屋根へと飛び移った。

道のりの中間地点であるシカゴへも到達していないというのに、スラムの少年ギャング並に気の短い彼らは、代わり映えのない車窓の風景に飽きてしまったのだ。

今は360度のパノラマ風景を見渡せる特等席を陣取って、排気ガスや土埃を上手く避けられる位置で鼻歌を歌っている。

今回の護送任務は雇い主がゼウス、エニグラドールの正体を隠す必要もない。

普段は無骨な手足を覆うカーキ色のコートも車内に置きっぱなし、彼らのジャケットやパーカーを連れ去ろうと風が弄んだ。

直射日光に当たりすぎるのは避けろ、とフォックスは彼らの耳にタコを作らんばかりに言っていたが、否応なしに雨が続くオリンポスの周りでは乾いた空気を味わう機会も少ない。

「フォックスニハ秘密」

「おお」

荷台の端から脚を投げ出して背中を預け、めちゃくちゃで適当な鼻歌を歌う双子はどちらも眠たげで、そのまま溶けてしまいそうだ。


ガントラックや軽装甲車は物々しい機関銃を構えてはいるが、マリネリスまでは比較的安全なルートを通ることに加え、傭兵の中では最も有力なグループのひとつと言って良いエニグラドールも参加している。

トレーラーの周りを並走する傭兵や兵士たちの表情も堅苦しいものではなく、順調に進む長旅はある種の気晴らしになっているようだった。


はるか遠くから痩せたコヨーテがトレーラーの集団を睨んでいた。

錆びたブリキのおもちゃのようなクラシックカーに荷物を詰め込み、荒野を旅する物好きな男が手を振っていた。

古いマカロニ・ウェスタンで転がっている草の塊をはじめて見たときは、トレーラーの助手席に座るゼウス直属の若い兵士と双子で、UMAと遭遇したほどの盛り上がりだった。

若い兵士が先輩らしき兵士に頭を小突かれている様子をとっても、風景は平和そのもの。

地平線の彼方をわずかに覆う黒い雲の下では、今も非現実的な白い箱が音もなく雨に濡れているだろう。

数kmに渡って荒野を這うコンボイはまるで蟻の行列、どちらの風景にしても非現実的ではあった。

しかし大勢の人間や―――人間でない何かがひしめき合うオリンポスやスラムと比較すると、ほとんど何もいないはずの荒野は、風や動物、あるいは誰かが常に囁いている。

「もっとずっと、とおいところまでいったら」

「昔ト変ワラナイ街トカ、人ガ残ッテタリシテ」

「むかしって、いつのことだよ」

「昔……サァナ?」

休憩の合間に拾った小枝を咥えて、ロックは青空の彼方をぼんやりと眺めながら呟いた。

スラムは雨水に押し流されて蓄積した砂粒の山で、真ん中には目のないサイコロが置いてあり、吹き溜まりの南側には第3拠点がある。

シアン一行は「南部の煉獄」での拠点防衛作戦が終わり、本部へ戻る道中だろう。

フォックスや療養中のギガは廃工場地帯の本部、そして双子はオリンポスから遠く離れた異国へと向かっている。

シアン一行が本部へ辿り着くまでの半日、エニグラドールのメンバーは各自が離れたエリアで行動せざるを得ない状況だった。

「みんながこんなにはなれてるの、めずらしいよなぁ」

「確カニ」

ジャックの何気ない一言で不安に似た感覚が過り、ロックはポケットから手のひらほどの端末を取り出し、ギガの端末を呼び出した。

数秒のコール画面が続き、間もなく映像通話を行う画面が表示されたものの、肝心の映像部分は灰色のノイズが覆っている。

「おまえ、だれにかけたんだ」

「アレ、変ダナ。多分ギガノ端末……電波悪イカモ」

お世辞にも機械に強いとは言えない双子が、とりあえず画面の様子を窺っていると、ようやく機嫌を直した端末にミケの顔が大きく映し出された。

『こちら、ミケなのですよー』

「よ!」

「コッチハ本日モ晴天」

ロックが端末のカメラ部分を青空へ向けて突き出す。

つられて天を仰いだジャックは、はるか虚空を鳥の影が漂っている所を垣間見た。

『いいなあ……今はギガも寝てるし、お外は雨だし、たいくつなのです』

双子は映像の面積を取り合ってカメラ部分と画面を交互に覗き込み、心底羨ましい様子のミケへ口々に声をかける。

「そっちにもどったらあそぼうな」

「まりねりすデ、オ土産買ッテ帰ルヨ」

長雨に暇をもて余すミケに、双子はこれまでの道のりで見かけた様々なものについて、まるで冒険談のように語った。


双子が他愛もないことを話して半時ほどが経過した頃、画面を見つめて話に聞き入っていたミケが、突然顔を逸らした。

「ミケ?」

『誰か帰ってきたなのです!』

「シアンたちかな」

「帰ッテ来タノカ。早クナイカ?」

ミケがソファーかどこかに端末を置いたのだろう、画面には天井とギガの髪の端だけが映っていたが、彼もミケの後を追って画面の外に消えた。

またも暇を持て余し始めたロックは、端末を自分の横に置き、空を旋回する鳥の黒い影を見上げた。

変わった形の鳥で、妙に尾が長い。

歴史であれ言語であれロックは勉強という行為が嫌いだった―――今も嫌いには変わりないが、「勉強」という概念に縛られず、図鑑や地図で興味のある部分を眺めることは好きだった。

自らの太腿から下にくっついている飛べない鳥の脚と、弟を形作る鳥の翼と、様々な鳥の姿を見比べたことがある。

彼は鳥の名前はあまり覚えなかったが、図鑑を飛び回る彼らの姿は鮮明に覚えていた。

けれど、空を泳ぐ鳥の形は知らなかった。


爪の先ほどの黒い影を追っていると、映像通話を切らずに放っていた端末から、空気を切り裂くような鋭い金属音が響いた。

端末を覗き込んだロックは、画面が映し出す光景に思わず口を掌で覆った。

ラクーンドッグが野戦服の裾を翻しながら画面を横切り、刀に切り裂かれたフォックスの身体から血飛沫が飛び散る。

兄の様子に、追って画面を見たジャックも言葉を失った。

双子は画面の向こう側の状況をどうすることもできず、カメラ部分に血液が飛んで視界が妨げられると同時に声を上げる。

「畜生……本部ニ戻ルゾ。ココカラナラ、他ノめんばーヨリ俺達ガ行ッタ方ガ速イ」

「けど、こっちは」

「構ッテラレルカ、向コウノ状況ノ方ガ確実ニマズイ」

ロックとジャックが顔を見合わせて頷き、トレーラーの荷台から飛び降りようとしたその時だ。

コンボイ内の連絡用に配布されたヘッドセットから、切羽詰まった様子でゼウス兵が叫んだ。

『10時の方向に所属不明の飛行物体を確認した、全護衛車両は警戒せよ!』

「敵カ!!」

「こんなときに……!」

双子は咄嗟に臨戦態勢を整える。

獣のように四足で低く構え、背後に流れて行く荒野を見回した。

『なんて速さだ………10時、いや、もっと近づいて………真上だ!!!!』

双子のヘッドセットにその声が届いた瞬間、鼓膜を破りかねないほどの破裂音と同時に、トレーラーの前方が爆風を巻き上げた。

それは正に青天の霹靂、雲一つない空から雷が落ち、地面を鉄槌のごとく貫いた。

時速80km近くのスピードで疾走するトレーラーのヘッドは、雷で抉られたクレーターに片輪が落ち、荷台を大きく振りながら蛇行する。


この状況で不自然な雷撃、「奴」しかいない。


暴れ馬さながらに跳ねる荷台にしがみ付きながら、双子は土煙の合間から上空を睨み付ける。

照り付ける白い太陽の中央、黒い点がじわりと広がった瞬間。

やっとのことで体勢を立て直したトレーラーの荷台に、弾丸のような速さで塊が降ってきた。

荷台の天井は大きくへこみ、その中に詰め込まれていた金属コンテナまで大破する。

トレーラーもろとも大地にめり込まんばかりの衝撃に、天井から跳ね飛ばされかけた双子は、割れた荷台の端に爪をかけてどうにか元の位置に降りた。

コンテナの中から梱包材やガラスの破片が飛び散り、日光を反射して威圧的にきらめいては消える。

「奴」は膝を付いた体勢から仰々しく立ち上がり、気怠げに首の関節を鳴らした。

インフレイムの特殊強化型兵士、カスケード。

カスケードは白迷彩の野戦服を気障な仕草で払い、2対の腕を組んだ。

以前ギガや双子と戦った時から少しも変わらず、困ったような嘲るような、気味の悪い薄ら笑いが顔に貼り付いている。

「お久しぶり。双子ちゃんに会いたくなって、こんな所まで来てみたよ」

挨拶代わりにと、カスケードは甲殻に覆われた異形の指を揺らした。

「……何ノツモリダ」

「はは、何のつもりでもないよ。ちょっと構ってほしいだけなの」

「おまえ、ふざけるなよ。このひとたちに、すこしでもてをだしてみろ……」

双子は敵意を具現化するかのように歯を剥き出したが、カスケードは大げさに肩をすくめるだけだ。

「そんなに怒らないでよ。単なるストレス発散……ってのは冗談だけど。まあ、苛々してるにはしてるかな」

あの人、オレのこと全然見てくれないし。

カスケードはどこか不服そうに遠くを見つめ、最後の言葉は誰に向けるでもなく呟いた。

「………あのね。今日は双子ちゃんだけに用があるんだよね。誰がどこに何を運んでいようと、オレはどうでも良いの。取って食ったりしないよ」

「ソノ証拠ハ」

「そっちが狙いだったら、とっくに全部ぶっ壊してる」

「だったら、もくてきはなんだ」

怪訝そうに自身の様子を睨む双子に、カスケードはにっこりと微笑んだ。

口の端から耳にかけての甲殻に切れ目が走り、昆虫の顎の構造を習って、顔の骨格がわずかに歪む。

「オレと戦ってほしいんだよね。それはもう、死にもの狂いで」

黒い体液が通う筋繊維が、グロテスクな甲殻の隙間から覗いている。

「答えの選択肢はイエスだけだよ。オレ、この人たちはどうでもいいって言ったけど、双子ちゃんが拒否するなら人質に使おうと思うんだよね」

カスケードの脅迫を鼻で笑い飛ばすと、双子は不敵に返した。

「イイゼ」

「あいてになってやる」

仮にこの発言が嘘だとしても、カスケードが自らの移動速度を超えてコンボイに追いつくことはないだろうとロックは踏んでいた。

以前オリンポスの周りで戦った際、タタラの精密な狙撃に追われて撤退するときですら、カスケードはロックやジャックほどの巡航速度を持っているわけではなかったからだ。

違いはここで戦うか、追い付いて戦うかだけだ、勝敗には関わらない。

ジャックは指先の大爪が震えていることに気付き、ひしゃげた荷台の屋根に掌を押しつけて誤魔化した。

奴は強い。

「狼さんは聞き分けが悪かったけど、双子ちゃんはノリが良くて助かるよ」

「アイツト違ッテ、喧嘩ハ嫌イジャナイカラナ」

走り続けるトレーラーのエンジン音でも掻き消されない、奇妙に通る声で高く笑うと、カスケードは荷台を蹴って宙に浮き上がった。

トレーラーの背後に躍り出たカスケードを追って、双子も荷台から飛び降りた。

不穏な突風が大地を煽り、青天に陰を落とす。
















南部スラムの遠征から戻った一行は、割れたガラステーブルの破片や血だまりで足の踏み場もない談話室を前に、言葉も失って呆然と立ち尽くしていた。

到着した彼らが異変に気づく要因となった本部の玄関は、まるで入り口の体を成さず、頑丈な扉があった場所はコンクリートもろとも崩れ去っている。

しかし、もはやフォックスとラクーンドッグどちらのものともつかない血液で、壁一面が真っ赤に染まっている凄惨な光景は、その比ではない。

自らの日常を塗り替えんばかりの赤黒い鮮血と、濃く漂う鉄の臭いに絶句するほかなかった。

たとえ煉獄と呼ばれる厳しいエリアで任務に当たろうと、たくさんの兵士が無惨に散る様を前にしようと、ここには平穏があるはずだった。

その平穏が、音をたてて崩れかけていた。


シアンが苦し紛れに、そして八つ当たりのように言葉を絞り出した。

「嫌や、こんなん」

靴裏で砕けるガラスの音にすら負けるほどの囁きには、くずおれてしまいそうな疲労が滲んでいる。

彼女はこんなときですら、タタラには届かないように声を抑えている。

――――ここまで極めたら、まるで本能だ。

ホノメは自分の場違いな感心に気付いて少し呆れ、同時にどこか冷めた視点で非日常を見ている自分の役割を思い出した。

わたしのホログラムは血の臭いを感じない。

実体のない足には、踏みしだく残骸の触覚もない。

世界に溢れんばかりのあらゆる情報は、たとえ彼女らの五感を支配するほどの密度だとしても、わたしの処理機構に干渉することはできない。

「シアン、タタラ。ね、現状の把握をしましょう。道中、無線で聞いたことだけではとても足りないわ」

シアンは自らに言い聞かせるように、小さく何度も頷いた。

「みんな治療室にいるって…………そう、誰も死んでいないのだから、今回だって十分ですわ」

悪友じみた笑顔を見せると、少しの間のあと、返事がわりに同じ笑顔が返ってきた。

「………………せやね。その通りや」

シアンは唇を軽く舐めた後、フォックスとギガのいる処置室へ向かって、点々と続く血だまりを辿りながら談話室を出て行った。

彼女のあとを追って談話室を出たホノメとタタラは、ようやく本部へ到着したナナシとミケの姿に気付いた。

雨風が吹き荒ぶ大穴へ駆け込んだ所を出迎えられると、ナナシはミケを処置室へ連れていくようホノメに頼んだ。

「火傷がひどいんだ、声も上手く出ない。フォックスはまだ生きてるか」

「え、ええ、シアンも帰ってきたから、処置はできるけれど…………あなたは大丈夫なの、ナナシ」

雨水の滴る長い髪が顔を隠す様子は、どことなく暴走する直前の雰囲気を思わせる。

だが当の本人は、「大丈夫」というホノメの言葉に少し笑って見せた。

「少なくとも前よりは安全。でも今は、俺様のことはいいよ」

「そう…………」

早く連れていってあげて、と促されたホノメは、泣きじゃくるミケをなだめながら廊下の暗がりに消えた。



切れかけた電球が点いては消えを繰り返し、叩きつける雨の音がさらなる壁を作り上げて、タタラは閉鎖された空間の中に閉じ込められた感覚に陥った。

心臓を撃ち抜いたときと同じ、狙撃手と標的だけの閉鎖された空間。

殺し損なった標的はあのときの標的らしさを失っていて、タタラの罪悪感を無性に蒸し返す。

「これから、きっと皆同じことになる。心を持っている以上は同調する。俺には、わかるんだ」

ナナシは一瞬たりとも視線をそらすことなく、囁くように言った。

「俺は重たい物を背負わせた。けど、それを下ろせと、お前は正しいと言ったって聞きやしないのは分かってるぜ」

ナナシを撃ったこと自体は、タタラにとって単なるきっかけに過ぎなかった。

そのきっかけによって明らかにされてしまった、仲間を撃つこともできる自身の本性が、重くのしかかっている。

今まで目を背けてきた、弱気な性格というベールで覆い隠してきた事実。

それは外部からのアプローチで昇華するものではなく、タタラ自身の中でひたすらに堂々巡りを繰り返していた。

異常だ。

皆が異端者へ向ける目で彼を見た。

「だから」

乾いたノイズのような声が、やみくもに回転する彼の思考を遮った。

「『次』は俺がやる。あの時、お前を選んだことの償いに…………ひとりにはしない」

泣き止んだ後に似た息をかすかに滲ませながら、タタラは涙の代わりに言葉をこぼした。

「………………救ってくれる訳じゃ、なさそうだね」

「一番下で待ってることならできる。俺様は落っこちた側だから」

本質をさらけ出して、異常とカテゴライズされた側。

「底まで行けば、あとは昇るだけかな」

「だといいけどな」

気管の内側をなぜられるような声で、ナナシが笑った。

僕も彼と変わらない。

「みんなが底に落ちて来るだけかも」

「悪くはないぜ、それが真理なら」

草木も眠る深夜に瞼を閉じて、ベッドの真ん中に渦巻く暗闇へ沈む時によく似た、深い感覚を呼び起こされる。

「悪くない………………そうだね、悪くない…………」

体が蝋人形になって、抱き締められた人肌の温度で、次第にとろけて行くような気分だった。

爪先や首が不気味な方向に曲がって、液体となって流れ出す。


許容されるということ。

柔らかい場所。

自分を支えている意地や信念のような何かが、音もなく折れてしまう。


タタラはふらふらと談話室を抜け出した。
















ホノメが処置室を訪れると、すでに治療の手伝いをしていたギガが顔を出した。

「今は…………いや、仕方ないか」

彼は戸惑うようにホノメと背後の処置室を交互に見て、結局は彼女の隣で俯いていたミケを処置室に入れた。

後を追ってホノメは処置室を覗き、ギガが躊躇した訳を理解した。

本来は負傷したエニグラドールを治す時に用いる手術台の上に、今はフォックスが身を預けていた。

上半身の服は取り払われ、ラクーンドッグの凶刃によって引き裂かれた皮膚があらわにされている。

刀傷はシアンの応急処置で塞がれつつあるものの、片腕は筋肉まで焼失し、金属骨格を露出した様子はまるでアンドロイドの残骸だった。

骨盤や肋骨が浮く合間で、病的に薄い腹がわずかに上下することで、かろうじて生きていると分かる。

彫りの浅いアジア混じりの目元を、灰銀の髪が覆っている。

思えば、彼が眠っている姿を最後に見たのはいつだったろうか。

遠い昔のような気もする。

ホノメは彼の横顔をホログラム越しに眺めた。


「ミケ! よう帰ってきたなぁ!」

ミケを任されたシアンは赤毛を愛おしげに撫で、床に膝をつくと、幼い顔の様子を覗き込んだ。

高周波で焼けただれた口元は筋繊維が剥き出しになり、舌は変色して縮んでいた。

高周波の影響は片方の眼球まで及び、本来は澄んだブラウンの瞳が白内障のように濁っている。

泣きじゃくり目を擦ろうとする小さな手を優しく押し止め、シアンは溜め息を吐いた。

「大丈夫、このくらいなら治る。でも、ウチのは荒療治やし……」

あくまで戦場での応急処置を得意とするシアンは、裂傷を圧着させて出血を抑えたり、骨折箇所や断裂した腱を固定するなど、最低限の機動力を維持するための処置に特化している。

麻酔を打っても悲鳴を上げさせる処置だと、仲間内でも悪名高いほどだ。

彼女はミケを前にためらい、助言を求めるようにフォックスの骨張った手に触れた。


「へっ?」

眠っているはずの手がぴくりと動き、シアンは素っ頓狂な声を上げた。

フォックスは切れ長の目をわずかに開け、彼女に構うこともなく、上半身を起こそうと金属の腕で手術台を突いた。

「う、いてて」

「『いてて』じゃ…………おい、あんた!」

体を支えようと慌てて手を差し出したギガは、手術台に赤黒い液体が滴り落ちていることに気づいた。

フォックスは道端の石ころでも見るように、今しがた自分から溢れた滴を一瞥する。

「ああ、まだダメか。このまま適当に輸血しておいてくれ。先にミケを直す」

腕から伸びるカテーテルをぞんざいに引き寄せ、涼しい顔で立ち上がろうとするフォックスをシアンが引き止めた。

「ちょ、ちょい待って。それだけ、そこだけは押さえるから」

彼女はフォックスの胸を貫く刀傷を指し、傍らの道具箱から包帯をひっ掴んで巻き始めた。

「片腕が使えないというのも不便だな。手伝ってくれるね」

「そりゃ手伝うけど……」

「死にはしないよ。私は後で良い」

彼は手術台から降り、自身の代わりにミケを台に横たわらせる。

フォックスは片手に薄手のゴム手袋を嵌めさせ、金属骨格に肉片が張り付いたもう片手でミケの袖を捲る。

シアンから手渡された生体AI用の抑制剤を施し、いつもの通りに耳元でひと言囁くと同時に、ミケは眠りに落ちた。

「眼球のスペアはあるし、火傷は問題ないが…………気道と舌は一度沸騰した状態だ。このまま壊死しては他に影響が出る」

フォックスは必要な機器や薬剤をまとめてシアンに頼み、他のメンバーには処置室から出るよう伝えた。

処置室の滅菌を行う前に立ち去ろうと、ギガが取っ手に手をかけた瞬間、ドアが勢いよく開いた。

「あ?」

ギガの目の前にナナシが現れ、携帯端末を差し出す。

「おい、まずいことになったかも知れねえ」

「どうしたの」

突然立ち止まったギガの背中にホログラムの投影機を追突させ、ホノメが額を押さえながら顔を出す。

「双子から応答がない。あいつらのGPS情報と、コンボイの現在予定地が離れすぎてる。あいつら、さっきから全然移動してない」

ナナシは藍色の長い髪をぐしゃりと握り締め、喉から絞り出すように言った。

「嫌な予感がするんだぜ、なあ……!」













両脇を猛スピードでトレーラーがすり抜けて行く中、荷台から飛んだカスケードは空中で一回転し、そして翅を高速で羽ばたかせて宙に留まった。

コンボイと後続の装甲車が通りすぎ、もうもうと立ち込める砂煙を強い風が押し流していく。

乾いた砂色のベールと、すぐ隣に広がる緑化地帯から舞う葉に取り囲まれ、カスケードの姿が煙に隠れて一瞬消えかけた。

怒りすら感じる暴風と砂に、荒野に降りた双子が目を細めた刹那の間、一気に視界が開けた。

カスケ―ドの隣にはもう1人、異形の人影が浮いていた。

「そういえばね、友達も連れてきたんだよ。1対2じゃゲームにならないからね」

カスケードは状況に似つかわしくない呑気な声を上げ、隣の異形を気障な仕草で指し示した。

その異形は、何らかの鳥類と人間の特徴を併せたような姿をしていた。

爪先には鈍い黒に光る刃のような爪を持ち、翼と化した両腕も相まって、神話に登場する怪物ハルピュイアによく似ている。

猛禽に似た4つの目をバイザーで覆っているが、遮光板を通しても鋭い眼光は失われていない。

下段の目は双子を見下すように、上段の目はカスケードに不満を向けて睨み付けている。

「友達になってやった覚えはねえが」

「何よ、つれないなぁ………」

「俺はお前の連れでもねえからな」

「それは残念」

鳥人型の異形は気まぐれで時折翼を羽ばたかせながら、噛みつかんばかりに歯を剥き出して唸った。

「今日は機嫌が悪い。特に悪い。お前を構ってやる気分じゃねえんだよ」

鳥人の視線が地上のロックを、そしてジャックを品定めするかのごとく撫ぜ、荒野の殺伐とした空気を味わうように深く吸った。

「俺はインフレイム軍特殊強化型兵士、ラロックス。よく覚えておけ、そしてフォックスに俺の名を教えてやれ」

鳥人――――ラロックスは、どこか少年の幼さが残る不機嫌な顔を歪めて、奇妙な笑顔を浮かべた。


「…………口を開ける状態で帰れたらな」


双子は本能的に危機を察知した。

爪や皮膚、髪が何かを感じ取り、それがAIに送られて論理的解釈をするよりも早く、双子はその場を飛び退いた。

地表が蟻地獄の罠さながらに凹み、砂の怪物が双子の影の残像を食う。

ラロックスは翼から覗く青い指を揃え、弓矢を構えるように腕を伸ばしている。

手前に突き出した腕の延長線上、地面が次々に「凝縮」し「発散」する。大地を削り空気を抉る姿のない攻撃に、空中で引きちぎられた髪が舞った。

双子の認知が解釈に到達した時には、すでに3発の攻撃が行われた後だった。

双子は直感に身を任せ、踊るように避けながら敵の特性を分析する。

攻撃付近に可視物体が確認できない辺り、ホノメの圧縮窒素砲に近いものか。

球状に抉り取られた土は体積にして2割ほどに縮んだ直後、その圧力が内側から押し返しているかのように暴発する。

フォックスと連絡さえ取れたらメカニズムの見当もつくのだが、彼らにそんな余裕はなかった。

「地面を這いつくばれるなんて良い脚じゃねえか、削るには惜しいな」

双子すれすれを狙いつつ、あえて攻撃を外しながらラロックスが獰猛に笑う。

弄ばれるがままの双子は、すぐに我慢の限界を突発した。

ふたりにはアイコンタクトすら不要、敵の攻撃のわずかな間に反撃をねじ込まんと、ロックが地面を蹴り、油断するラロックスに体ごと突っ込んだ。

パウダーブルーの翼に、どす黒い体液が滲む。

重力加速度に従って空中に身を放り出したロックは、身動きが取れないことにも構わず、目前に迫る逆さまのカスケードに舌を出す。

カスケードの雷撃がロックを貫く直前、彼の体は空中から消えた。

遅れて跳んだジャックの足に足裏を合わせ、落下の方向を強引に変える。

振り返ったカスケードの脇腹を、再度飛びかかったロックの蹴爪が切り裂く。

白迷彩の野戦服を貫通し、装甲のような硬い外骨格が削れ、破片が飛び散って消えた。

無表情のカスケードが僅かに目を見開き、彼の腕と腕を結ぶように紫電が走ったが、淡い青の翼が目の前に割り込んで制した。

「スイッチ入れてんじゃねえよ。殺しちまったら話にならん」

二の腕を切り裂かれたラロックスが、上唇に飛んだ体液を嘗めながら囁いた。

翼を構成する羽根がわずかに震え、肌が露出していた肩に至るまで、一面が羽毛に覆われていく。

「その言葉、そっくりお返しするよ」

全身の羽が高揚を象って逆立つ様子に、カスケードは雷を帯びた腕を広げて肩をすくめた。

ラロックスとカスケードが交わす会話の隙を使って、双子は次の一手を練る。

武器について詳細は分からないままだが、ラロックスの射程距離は本体を中心として半径20m程度の球状以内であること。

双子は垂直軸方向の特攻も可能ではあるが、基本的には平面を疾走することに長けているため、何も無い平地では圧倒的に分が悪いこと。

スラムでの戦闘のように、高層ビルなどの足場さえ確保できれば。

鷹に似た金色の眼差しが、吹き荒ぶ風に混じる木の葉を見た。

半kmほど先から荒野はゆるやかな丘になり、その先には枯れた針葉樹の森がある。

双子はラロックスにターゲットを絞り、タイミングを狙って体当たりを仕掛け、自らに注目を引いた。

俺たちと戦うことが目的なら、着いて来い。

地平線に浮かぶ木々を目指して双子が駆け出すと、案の定ラロックスとカスケードは追って来た。

強力な電流で焼け焦げた砂地と、圧縮されて砕け散った無数の岩を背後に残し、双子は間もなく辿り着いた森へと飛び込んだ。

針葉樹を一気に駆け上がり、やや遅れて現れたラロックスの肩辺りを狙って、ジャックが鋭い爪で斬りかかった。

まずはその腕を切り落とし、圧縮攻撃の器官を破壊する。

ラロックスがとっさに減速し、ジャックの攻撃が掠めて外れたが――――向かいには巨木がそびえ、方向転換をする足場はいくらでもある。

ロックとジャックは針葉樹の幹を蹴って高速ですれ違い、亜音速の体当たりを互い違いに繰り出す。

その嵐のように目まぐるしい斬撃に巻き込まれ、地上へ落下することすら叶わず、刃物と同等の爪によって身体を切り裂かれている。

タールに似た体液が乾いた木肌に飛び散り、やわらかい羽毛が粉雪さながらに辺りを青白く染めた。

ラロックスは皮膚が裂ける度に呻き声を上げていたが、やがて抵抗することもなくなった。

ただただ切り裂かれた方向に振り回されるラロックスに、双子は最後の一手を叩きつけようと、左右から挟み撃ちに飛びかかった。

が。


「サービスの時間は終わりだ」


亜音速で飛び回っていたジャックの首が、常人の倍はあるラロックスの掌によって真正面から鷲掴みにされている。

「こっからは有料、血で払いな」

翼の関節でバイザーの位置を直し、ラロックスは悠々と鼻で笑った。

気管を握り潰されて声も出ないジャックは、背中から木に叩き付けられて呼吸だけを漏らした。

陽炎のように揺らぐ意識に爪先が空を掻き、口の端から溢れた唾液が糸を引く。

「ジャック!!!」

ロックは敵の翼を切り裂かんと、脚の鋭い爪を振りかぶったが、これは2人で攻撃してこそ威力が発揮されるはずの技。

ラロックスは軽々と避けると、隙のできた彼の足首を掴み、やっと追い付いた――――急ぐ気すらなかったカスケードへと投げ飛ばした。

「うわあ、乱暴だね」

「離セ…………コノ野郎!」

「君が吹っ飛んで来たんじゃない」

ロックの背後から胸や脇腹に爪を立て、肩に顎を乗せた状態でカスケードがぼやく。

ギガやタタラに勝るとも劣らない剛腕が肋骨を締め上げ、ロックはその拘束から逃れようと必死に暴れた。

カスケードは胴はおろか顔まで硬い外骨格で覆われ、手足が届く部位のどこを殴っても一向に効き目がない。

肩越しに覗く顔を蹴ってやろうと脚を振り上げたが、遊んでいた1対の腕に容易く阻止されてしまった。

「君、足癖が悪いね」

カスケードはロックの太股を掴んで彼の身体を伸ばすと、腰あたりに膝を押し付けて一気に前へと押した。

肌が粟立つような鈍い音と共に、ロックが絶叫する。

抜け出そうともがいていた彼の脚は、途端に力が抜けて動かなくなった。

まるで糸が切れた操り人形のような脚を撫で、激痛に朦朧とする少年の横顔に頬笑む。

「大げさだよ、殺しはしないんだから。帰ったらあの人が修理してくれるんでしょ?」

カスケードはロックの胸ぐらを掴み、地上へと降り立った。

透明の翅を肩甲骨あたりにめきめきと格納しながら、気を失いかけたロックの頬を平手で殴る。

「起きて起きて! 弟くんを見てあげてよ」

焦点の合わない眼で自分を睨みつけようとするロックを確認し、カスケードは満足げに笑った。

ラロックスも暴れるジャックを無理やり拘束して地面に降り立ち、自身の肩越しにカスケードを一瞥する。

「背骨折ったのか、そんな計画はねえぞ」

「まあ、この方が効率良いから許してよ」

ラロックスは露骨に舌打ちを返すと、拘束していたジャックの顔面をおもむろに殴りつけた。

昏倒しかけるジャックの腹を蹴り、地面へ仰向けに崩れた彼の上に馬乗りになる。

パウダーブルーの翼は見る間に腕に吸い込まれ、他の部位と同じ色の青い肌に変わっていく。

ラロックスは立て続けに顔を殴り、鼻から鮮血を流してかすかに震えるジャックを覗き込んで囁いた。

「我慢しなくていい。その方がお前のためだ」

「…………どういう……いみだ」

青い拳が容赦なく薄い腹を抉り、ジャックは咳き込むと同時に言葉を失った。

傍観していたカスケードは堪らないという様子で、宙吊りにしていたロックを地面に打ち捨てた。

ロックは折れた背骨では起き上がることもできず、地に這いつくばる身体を蹴って向きを変えられ、殴られるがままのジャックが目に入った。

「頑張ってください! 先は長いですから!」

カスケードは地面に膝を付き、2対の手を祈るように握り合わせて、病人の傍らで応援の言葉をかける真似事をする。

「うるせえんだよハゲ。お前は黙ってろ」

「はいはい」

苛立ちを隠そうともしないラロックスは、やはり舌打ちをしつつジャックの片腕を掴み上げた。

髪と同じ色の皮膚にはうっすらと六角形の溝が連なり、サバイバルナイフのような爪が伸びている。

鱗に似た光沢を眺めながら、ラロックスは親指の爪に手をかけ、なんの躊躇いもなく指先から引き抜いた。

指の骨格と直結する大爪が第一関節で折れ、指先の皮膚を突き破って骨が抜けた。

「い”っ!!!!……ぁ”、ひ、うぅ………」

叫びかけたジャックは、血が滲むほど唇を噛んで耐えた。

「片手につき、指は4本」

体の割に巨大なジャックの掌に自身の青い手を重ね、手首に浮いた骨を指でなぞりながら、ラロックスは呟いた。

「全部終わる頃には、腕なんか無けりゃ良かったと思うだろうな」

「頼ム、ヤメロ、ジャックダケハ……」

ロックの悲痛な声には耳を貸さず、ラロックスは人差し指、中指と関節でへし折っては爪を引き千切った。

爪のつけ根には半透明の関節が残り、血にまみれた合間からゆるやかな曲面が覗いている。

針葉樹の合間から射す日光に間接部分を透かし、興味を失った途端に放り捨てる。

身を捩って悲鳴を飲み込むジャックの顔を気まぐれに殴ると、ラロックスはもう一方の爪を折った。

無残に穴の開いた指先から鮮血が落ち、森の湿った地面に次々に吸い込まれていく。

骨が抜けて中央に空洞ができ、筒状の筋肉だけになった指先を、ラロックスの手が勿体ぶった仕草で押し潰す。

理性が飛びかけた絶叫を抑えようとジャックが口を閉ざすも、口の端から流れ出る血を見たラロックスが無理矢理にこじ開けた。

口腔を掻き回して舌を抓み、噛み切っていないことを確かめる。

封じていた高い悲鳴が、堰を切ったように溢れた。

「その声だ、兄貴にもっと聞かせてやれ」

「何ガ目的ダ、何ダッテシテヤル!! 触ンナ、ジャックニ触ルナ!!」

気が狂ったように怒鳴りながら、使い物にならない下半身を引きずって這うロックに、カスケードが冷めた表情で雷撃を浴びせた。

スタンガンをはるかに超える効果の電流に、彼は土を握る手を震わせながらも顔を上げて怒鳴った。

「俺デ良イダロ!!! 俺ヲ!!! 殺サレテモ構ワナイ、拷問デモ良イ何ダッテ良イ!!!! 俺ヲヤレ!!!!!! 頼ムカラ!!!!!!!」

「ダメ、ダメ。それじゃ意味ないんだよね」

カスケードは猫を構うような音を口で鳴らし、薄ら笑いと共に人差し指らしき指を振った。

鼻歌混じりにロックに歩み寄り、這ってでも弟に近付こうと突き出した華奢な腕を踏みにじる。

「でも、1度くらいなら良いかな」

耳をつんざく鋭い破裂音が一帯を走り、間近で閃光弾が炸裂したかのような光が辺りを突き刺した。

木の根に似た焦げあとが全身の皮膚に残り、ロックは無言で地面に突っ伏したままがくがくと震えている。

「やべ」

カスケードは彼の胴を蹴って仰向けにし、焼け焦げた服を手早く引きちぎると、白眼を剥いて泡を吹くロックを押さえ付けた。

カスケードが胸と脇腹に手を当てた瞬間、ロックの体が跳ねる。

「っ、う"ぅーーーーッ、ん"う"、ぅ!!!」

電流で全身の筋肉が硬直し、口すら満足に開けられないまま、意識を引きずり戻されたロックが獣のように唸った。

「お。さすがエニグラドール、頑丈だよねえ」

「バカ!!! 殺すんじゃねえぞ!」

「大丈夫だよ~~、もー」

鼻面に皺を寄せて怒鳴り付けたラロックスは、自身の脚の下で力なく呼吸するジャックに向き直り、耳元に口を寄せた。

「…………兄貴のためだ、いいから鳴けって」

ラロックスは言葉とは裏腹に爪のない腕を掴み、とどめと言わんばかりに肘と手首の間で骨を折った。

折れた尺骨が皮膚を突き破り、ジャックは身体を仰け反らせて暴れた。

吹き出した体液が顔や野戦服に飛び散り赤く染めるが、ラロックスはどこかもどかしいような顔のまま、太股に携えたサバイバルナイフを引き抜いた。

折れた腕の表面を升目状に裂き、その1升の端からセレーション側を割り込ませる。

刃が筋繊維に引っ掛かっては裂き、その度にジャックがわずかに悲鳴を漏らす。

鋭さに欠けるブレードバックで表皮と筋肉の間をめちゃくちゃに断ち切ると、ラロックスはむしり取った皮膚を次々に放り捨てた。

単調な作業と化した拷問を眺めて、カスケードが突然声を上げた。

「あっ、ねえラロちゃん。アレやってよ、アレ」

「なんで俺が。お前やれよ」

ラロックスはカスケードの顔すら見ず、露骨に拒否の意を表した。

「オレ不器用だから、この子殺しちゃうかもしれないし。それに時間もないし、巻きで、巻き」

ラロックスは何度目かも分からない舌打ちと共にカスケードを睨みつけたが、やがて息も絶え絶えのジャックに向き直り、そして低く囁いた。


「       」


その言葉はジャックだけが聞き取れたようで、激痛と恐怖でごちゃ混ぜのブレインサーキットを、いやに澄んで響いた。


ジャックの困惑に気づいたカスケードは、にやにやとした笑いを消し去り、ラロックスの隣に膝をついた。

「ねえねえねえねえねえ。ねえ、さっきから何を喋ってんの」

頬から下顎にかけての外骨格が左右に開き、怪物じみたどす黒い筋肉と歯茎が不安を煽る。

カスケードはうつ向くラロックスの顔を下から見上げた。

「…………うるせえなぁ。お前の悪口を言ってたんだよ」

節々にトゲがある昆虫さながらの腕を背中に回し、ラロックスの顔を自身の方へと無理矢理に向ける。

「本当に?」

「…………………………俺を疑う権利が、お前にあるとでも?」

ラロックスは鮮血にまみれた手でカスケードの手首を握り締め、一句ごとを区切って低く囁いた。

「いいか、この手を、放せ。殺すぞ」


先に硬直状態を破ったのはカスケードだった。

軽く鼻で笑い、普段通りの怪しい笑みを顔に貼りつける。

「わかったよ、この話は帰ってからね」

カスケードは立ち上がって元の場所へ戻り、地面に倒れ伏すロックの片腕を掴んだ。

雷撃で焼けただれた皮膚が剥がれることにも気を留めず、子供がテディベアでも扱うように彼を引きずり、ジャックの側に放った。

ロックが精一杯に伸ばした腕は、やはりカスケードの脚に踏みしだかれる。

ラロックスはジャックのパーカーを切り裂き、肋骨がはっきりと浮いた薄い胸板を露わにした。

そこかしこに痣が現れた浅黒い肌は、乱れた呼吸で激しく上下している。

「………あ"ぅ………ぁ…………あ"あ………………!」

雷撃で傷付いた鼻や耳、眼から血液を流しながら、ロックは声にならない声で叫んだ。

カスケードは地面に這いつくばった彼のうなじを掴み、弟の姿を見せつけるように上半身を持ち上げる。

ラロックスは深いため息の後、ジャックの胸の中央にナイフを沿わせた。

ナイフの後を追うように傷から血が溢れ、時には噴き出し、彼の細いあばらを伝って真っ赤な線を作る。

ジャックは力なく抵抗するが、ラロックスは臍の上辺りまでナイフを引き、ようやく切先を引き抜いた。

ナイフを脇の地面に突き刺し、柔らかい腹の裂傷に爪を潜り込ませる。

傷口から血の泡が溢れ、青い手が臓器の合間に埋もれていく。

本来は細い胴に詰めるべきでない体積に内側から圧迫され、腕が沈み込む度にジャックは苦しげに喘ぎ、空の胃から体液を吐いた。

「……………………あった」

ジャックの体に覆い被さり、ラロックスは囁いた。

爪の先に速く規則的な鼓動が伝わる。

太い血管を避けるように指を通し、子供の拳ほどの塊を手に感じる。


ラロックスは彼の心臓をゆっくりと握った。


「…………………………………ぃ"ッ、い”ぁぁ、ぁ”あ”あ”あ、あッ、あっ……ひ、あっ!!!! があ”ああああああ!!!!!!!!!」




嗄れた絶叫を残し、ジャックは意識を失った。

歯の根の合わない口元を微かに震わせ、いつでも驚いたような眼を更に大きく開いて、ロックはただ呆然とその光景を見ていた。

無表情のラロックスが腹から手を引き抜き、血まみれの掌でロックの頬を撫でた。








一瞬。

一瞬のこと。







皮膚、筋肉、肋骨に守られたその奥深く、早鐘の如く鼓動を刻む唯一の器官。

弟の痛みを受け、それは融けた金属塊のように熱く、内部から彼をどろどろに融かし浸食していた。

胸から首、太腿、腕、指先に至る毛細血管の全てに灼熱が駆け巡る感覚。

全身が炎を上げて燃え上がりそうなほどの衝動だった。

思考回路がある1つのベクトルに集結し、他に処理能力を回している余裕がない。

AIの回路が次々に焼き切れ、ロックは自分はすでに壊れているんじゃないかとも考えたが、その発想すらいつの間にか燃え滾る熱に呑まれて消えた。


背骨が折れようとどうだっていい。

全身の筋肉が焼き切れていたって関係ない。

今は痛みすら感じない。


折れた骨の辺りに血が集まり、それを支えるように新たな筋肉が自身の胴体を覆って行くのを感じる。

腕や足の表面を妙な違和感が這う。

手の甲に棘のような羽が波となって走り、違和感が首から顔を覆ったその瞬間、確信した。





俺は、目の前に立つこの怪物たちを、この手で、この脚で、俺の全身全霊を懸けて、可能な限り無残に残酷に、殺さなければならない。






すでに全身を雷撃で焼き尽くされ、動きを封じられていたはずのロックは、カスケードの腕に手をかけて力任せに引き剥がした。


褐色だった肌は今やその面積を奪い合うように、オレンジの鮮やかな羽根が密集している。

ヒトと変わりない形状をしていた指は節くれ立って変形し、六角形の模様に合わせて鱗が浮き始めている。

カスケードは得意の怪しい笑みこそ崩しはしないものの、わずかに顔を引き攣らせた。


「…………来たね、『コールドハート』」


這いつくばっていたロックは手首を掴んだまま振り返り、その勢いでカスケード目掛けて殴り掛かった。

カスケードは空いていた腕でその拳を止める。

ロックは拳を振り被り、何度も何度もカスケードを執拗に殴りつける。

捕食動物さながらに爛々と光る瞳孔は、目の前の敵だけを見据えて離さない。

カスケードは腕を重ねて拳を受けるが、すでに外骨格にはヒビが入り、骨格に合わせて裂けた筋肉から黒い血が溢れた。

盾代わりの腕が破裂音と共に青白く光り、殴り付けた瞬間にロックへと感電する。

だがロックは体表を紫電が走ることにも構わず、腕を振りほどいてカスケードの顔面を殴った。

吹っ飛んだカスケードは更に追われ、体勢を立て直す前に叩き付けるような追撃が襲う。

腹を殴り付けられたカスケードは顔を歪め、背から翅を広げた勢いで空中へ飛び出した。

カスケードの後を追って飛びかかったロックを、青い翼の塊が横からタックルで阻止する。

ラロックスは蹴爪の餌食になる直前に飛び退き、頬から滲み出る血を拭って呟く。

「脊髄は……再生できるはずが……!?」

重量のないロックは軽々と吹っ飛ばされ、四つん這いで木に着地した。

標的を切り替えた彼は唸り声を上げ、飛び立とうとするラロックスを空中で捕らえ、地面へ叩きつける。

ロックはまるで弟の敵討ちのように目の前の顔を執拗に殴り、拳を止められた途端に頭突きを食らわせた。

あまりの衝撃でラロックスが気を失いかけた隙に、ロックは相手の二の腕に食らい付き一気に肉を引きちぎった。

その真横からカスケードが表れ、雷を帯びた脚でロックを蹴り飛ばす。

引き剥がされたロックにつられ、薄い青色の羽があたりに飛び散り、割れたバイザーを投げ捨てながらラロックスが吼えた。

黒土を削って地面を転がったロックは、呼応して喉が裂けるほど絶叫する。

刹那の助走すらなく、ラロックス目掛けて弾丸のように飛び出したロックの目の前にカスケードが割り込む。

ロックの体当たりに胸の外骨格が軋み、カスケードは血を吐きながら叫んだ。

「ラロックス!!」

「手加減ッ、できねえぞ!!!」

ふたりの上を前転で飛び越えたラロックスは、ロックの片脚を狙って空間を圧縮――――爆破した。

太腿の一部を抉り取られ、ロックはバランスを崩して地面に膝をついた。

ラロックスは彼を背後から羽交い締めにし、暴れ狂う彼の首へと自身の手首を押し付ける。

「もう十分だ…………………脈拍を聞け…………俺と、同調しろ」

体表を覆うオレンジの硬い羽が、一定感覚で振動している。

ラロックスは荒い呼吸を抑えつつ、身を屈めて自身の胸を彼の背に合わせた。


たった数秒のことだった。

気が触れたように暴れていたロックの姿は、もうどこにもなかった。

全身に浮いた羽は消え去り、変形した骨格は人の形を取り戻していく。

ラロックスは小柄な彼の身体を地に寝かせ、眠ったように穏やかな横顔を見下ろした。

「いてえ~~、これ絶対に中身やられてるよ……………う"っ」

カスケードは咳と共に血を吐き捨て、間抜けな口調でぼやく。

「覚醒してたら、オレたち死んでたよねぇ」

「だろうな」

ラロックスは腫れた頬と瞼に触り、遅れて流れ出した鼻血を乱暴にすすった。


『――――全兵、帰投せよ。カスケードとラロックスは後始末を怠るな』

タイミングを計ったかのようなラクーンドッグからの指令は、無線機のノイズを差し引いても明らかに消耗した様子だった。

「おい…………あんた怪我してるのか」

『大したことはない』

ラロックスはジャックの「後始末」をしながら、無線機を一対一モードに設定して問うてみるが、ラクーンドッグは頑なに答えた。

『私は大丈夫だ。お前たちは』

「ハゲの野郎が内臓やられたらしい。俺はピンピンしてるよ」

『そうか。万一の時はカスケードを頼む』

「了解」

ラクーンドッグからの無線が途切れ、ラロックスはしばらく作業をしていたが、彼は顎を爪で掻きながらおもむろに無線へ囁いた。

「アンティニーか。ラクーンドッグの現在地を………おう、頼む」

















シアンと共に本部を離れ、双子の座標へ向かっていたナナシは、ポケットに突っ込んだままの携帯端末が騒ぎ立てる音に気付いた。

目覚めてから妙に巨大化した翼で、広野に点在する高層ビルの廃虚を飛び移っていた彼は、目前に迫った廃墟の屋上に着地した。

翼と入れ替わるように現れた手で端末を引っ張り出すと、その表面には2つの数値が並んでいた。

「おい、フォックス」

『ん』

「これ送ったの、あんたか」

『何の話だい』

「いや、この数字だよ。座標みたいな」

無線越しのフォックスはまるで知らないという様子で、ナナシは首を傾げた。

『それは私じゃない。送信元は』

「送信元というか、多分メッセージでもないし……なんか、何だ?」

『遠隔で原因を検出する。ギガ、その数字を調べてくれ』

端末の解析を待ちつつ、ナナシは時間を無駄にはできないと廃墟から跳んだ。

『一時的に乗っ取られていたのかもしれない。極めて短時間だが、こちらの定期リクエストがタイムアウトしたログが残っている』

空気抵抗にたなびく髪の音の合間で、フォックスが怪訝そうに呟く。

『我々の通信は暗号化されているから、盗聴したところで無意味だが…………外部から一方的に送ることはできる』

問題は送り手の意図、と続けるフォックスに、ギガとシアンの声が混じる。

『やっぱり座標らしい。お前のいる所から300mくらい先、古いモーテルがある位置だよ』

『うん? でも双子の座標ちゃうやん。かなり近いで』

「あー…………一応、一応な。俺様が寄るから、シアンは先に行け」

『お、了解』




間もなく砂埃に霞む廃モーテルを発見し、ナナシは荒野に降り立った。

錆びきって重力に負けた車、ガソリンスタンドの看板と割れたネオン管、被弾した跡が残る建物の壁。

ナナシが辺りを見回しながら廃車の隣を過ぎたとき、彼の視界の端に見慣れた色が過った。


陽気な花に似た色だ。

例えば、ガーベラの鮮やかなオレンジ。


ナナシは力なく地面にくずおれた。

地面に膝をつき、荒野の砂を探るように手を伸ばして、廃車の影に寄り添うふたりににじり寄る。

髪と同じ色の睫毛は眠たげに伏せられ、本来は金に輝く鋭い眼がその奥に沈んでいる。

開ききった瞳孔は、奈落の底のようだった。

爪が全て引き抜かれたジャック、そして全身の皮膚が焼けただれたロックに、ナナシは彼らが拷問されたことを悟った。

夥しい血液が流れた跡が、乾いた色の薄い地面に残っている。

ジャックの胸から腹にかけては切り開かれた跡が残り、スキンステープラーで強引に縫い合わされていた。

ジャックにもたれかかっていたロックが、ごと、と地面に倒れた。

胴と脚は車に轢かれた猫のようで、折れた背骨からあらぬ方向へ曲がっている。

血液が口の端から流れ出し、ロックの頬あたりに小さな血溜りを作った。



呼吸を忘れるような光景。

どこに触れても死を否定できなかったら。






ナナシはロックの首に手を遣った。








CHAPTER/13 HE IS FULL OF SECRET

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