【修正中】CHAPTER/6

この世で信頼できるものをただ1つ挙げるとしたら、それは善悪でも金でもなく、時間だ。

大戦で街や国境を消し飛ばしても、発電に伴う酸性雨でたくさんの生き物が絶滅しても、時だけは太古の昔から今まで変わらずに流れ続けている。

今日も地球は文句ひとつ零さずに回るし、何も考えずとも日々は案外簡単に過ぎ去る。

頭をからっぽにして時の潮流に身を任せていれば、誰もが辿り着く最期の場所までは確実に連れて行ってくれる。

妥協と諦めを手に入れた者は退屈を知らない。

ただ流され運ばれる己を自覚していれば、その観測だけで1日が終わる。

しかし、日常に変化を求め続けることを選んだ者は、太陽が現れて沈むまでに起きる変化を貪らねば生きてはいけない。

底無しの好奇心を持つ彼らの辞書には、妥協や諦めなどは載っていなかった。


今日も今日とて、双子が見上げる談話室の窓は灰色だ。

外に出れば、もう1週間も続く湿気と錆だけを蓄積する小雨に濡れる以外にすることはない。

かといってエニグラドールの本拠地にいても、やり込み尽くした100%のクリアデータが並ぶテレビゲームのディスクが積まれているだけ。

ここひと月の間は派手な戦闘にまで及ぶ任務も無く、とにかくロックとジャックは退屈していた。

「暇過ギテ死ヌ」

「だな」

双子は居間のソファーの上で猫のようにだらだらと寝そべりながらぼやく。

「インフレイムハ何シテルンダロウナ」

「バカンスじゃね……ごだいこあたりで」

「仕事シロヨ……」

「あいつらのしごとってなんだ」

「侵略」

ジャックは兄の癖毛を大きな爪に器用に巻き付けて引っ張っては、間の抜けた顔でため息を吐いた。

バネのような硬い髪がびよんと元に戻る。

「もうおまえのパンチパーマをのばすくらいしかやることがない」

「ぱんちジャネエシ……テイウカ俺マデすとれーとニナッタラ見分ケ付カナイダロ」

ごろんと寝返りを打ち、ジャックと顔を見合わせたロックは両手で頬杖をついて欠伸を漏らす。

「退屈過ギテ死ヌ」

「だなぁ」

そのやりとりをソファーに座って聞いていたギガは、読んでいた古書の上から呆れた様子で顔を出した。

「ほんと暇暇うるせえな。どっか近くのストリートでゼウスが廃墟の解体工事やってただろ、アレでも行けよ。ぶっ壊して来いよ」

「行ケタラ行ッテルヨ」

「え」

そこへ丁度、フォックスが苦笑いを浮かべて談話室に現れた。

「この2人は『壊しすぎる』らしくてね。ゼウスの都市計画部の作業現場は全面出入り禁止にされたとか」

「自業自得じゃねえか」

それより、とフォックスは手に持っている筒状の物体を振った。

「お待ちかねの仕事だ。私に飛びつかなくて良いから、はい、そこへ座る」

元々くりくりと大きな目をさらに輝かせ、今にもフォックスへ体当たりをしかねない双子を牽制する。

双子は並んでソファーに座り直し、行儀よく足をそろえて畏まった。

「まずは、これを見て」

フォックスはテーブルの上に紙媒体のようにも見えるフレキシブル・タブレットを広げた。

ディスプレイに数枚の画像が現れる。

おそらくスラムには存在しない豪華な写真館で、プロのカメラマンによって撮られたと思われる家族写真だ。

そこに佇むのは無機質な白く丈の長い詰襟に身を包んだ老人がひとり、同様にフリルのないスマートな白いドレスを纏った母親らしき女性と少女。

「裕福層か。オリンポスの人間だな」

写真を覗き込んだギガが問うと、フォックスは頷いた。

「彼は六角重工の代表取締役……旧世界で名を馳せた大手鉄鋼業グループだ。今は規模を縮小してオリンポスに吸収されている。君の大鋸を製造したのもこの会社だったね」

「ロ、ッ、カ、ク。ドコノ国ノ企業ダッタンダ?」

英語圏のオリンポスでは聞きなれない単語に、ロックが首を傾げた。

「旧東亜連合。戦前までは素晴らしい技術力を持つ工業国家だった」

フォックスはタブレットを数回操作して世界地図を表示すると、ユーラシア大陸の極東に浮かぶ島国を指さした。

彼は画像を切り替え、元の写真の少女を指し示す。

「今回の任務はこの女の子の護衛だ」

少女の見た目はそれなりに整ってはいるが、東洋系の中でも薄い部類に入る特徴的な顔つき。

肩まで伸びた漆黒の髪には、洋風のドレスが少々不釣合いである。

家族写真を撮影するというのに、少女はどことなく不機嫌そうにも見えた。

「彼女は代表取締役・六角高琳の孫のアヤメ。日時は1週間後、彼女はオリンポスを出てスラムを回るそうだ」

ギガは呆れて素っ頓狂な声を上げた。

「何でまた余計なことを……」

「任務当日は彼女の12歳の誕生日で、そのプレゼントに『冒険したい』んだとか」

フォックスは肩をすくめた。

「冒険?」

「のんきだな」

「金持ちは危機感がねえよなあ」

批判的な3人をなだめつつ、フォックスは任務の詳細を話す。

「それで、来週空いている人」

「俺は、そうだな」

予定を思い出そうとするギガを押しのけ、双子が喚く。

「「はい!! はい!! やります!!」」

「なんか危なっかしいな………つっても俺はダメだ。他の任務が」

「ふむ……」

フォックスは顎を摩りながらどうしたものかと思案していたが、やがて口を開いた。

「よし、このミッションはやはり君たちに任せよう」

双子は歓声を上げ、ぴったり揃った動作で互いの拳を打ち合わせた。








1週間後。

珍しくからりと晴れた空から、強い日差しが大地に刺さる。

廃墟の合間から見える真っ青な空と赤茶けた地平線は、まるで絵画のように鮮やかなコントラストを描き出していた。

そのままでは目立ちすぎる姿を黒いコートで覆い、双子はオリンポスの城壁に等間隔で並ぶ巨大なシャッターの前で依頼主を待っていた。

マトリョーシカのように幾重にも重なるオリンポスの城壁には、オリンポス内部の居住区とスラムを繋ぐトンネル状の通路が設けられている。

許可を得た者の出入りや物資の運搬に使われる通路だが、シャッターからは敵の侵入を頑なに拒むための強固さが滲み出ている。

人の手の届く高さはグラフィティアートで埋め尽くされている城壁も、監視カメラがありゼウス兵が度々現れるシャッター周辺は雨の跡こそ残ってはいるものの、元の白さを保ち続けていた。


時間通りに現れない依頼主に待ちぼうけした双子が派手に欠伸をすると同時に、シャッターが微かに軋むような音を立てた。

シャッターにペイントされた番地が徐々に持ち上げられ、城壁の中にすっかり隠れてしまうころには、依頼主の姿がはっきりと確認できた。

通路内に吹き込む外気にはためく真っ白のワンピース、服に勝るとも劣らない儚く白い肌、体中の色素を全て奪ったかのような黒髪。

そして―――――


「………まっぶしい―――な!!! 最ッ高!!!」


「お嬢様」とは言い難い、じゃじゃ馬感あふれる大きな声。

外見以外の情報は一切予習なしの双子は、アヤメの想定外のキャラクターに困惑した。

「アレ、アレガアヤメ嬢? 『嬢』?」

「お、おう、たぶん」

アヤメは双子に気付くこともなくシャッターの外へ駆け出し、くるりと振り返ると大声で母を呼ぶ。

「お母様、お母様! これが外の太陽!? 中とは全然違う! すっごい!!」

お母様と呼ばれて現れたのは、ミーティングの段階で見た家族写真に映っていた女性だ。

日傘の下で人の良さそうな微笑みを浮かべている。

写真と唯一異なる点と言えば、純白ではない服を纏っていることか。

「おいで」

母の言葉にアヤメはとたとた駆けてくると、双子を興味津々に仰いだ。

「お母様、まだ子供だよ。この人本当に傭兵?」

「子供ッテ子供ニ言ワレタク……」

「どうどう」

疑わしげなアヤメに噛み付こうとするロックを、ジャックが小声で制する。

アヤメの母はほほ、と上品に笑うと娘を諭す。

「子ども扱いすると、あなたがいちばん嫌がるでしょう? 自分の嫌なことを誰かにするのはだめ」

「……はぁい」

「スラムでも特に有名な傭兵団を雇ったの。さあ、おふたりに挨拶しなさい」

アヤメは上目づかいで双子の顔を見たまま、すっと両手を突き出した。

「あたしは六角アヤメ。名前は?」

「ロック・ザ・オストリッチ」

「ジャック・ザ・スウィフト」

全く同時に名乗り左右の手を差し出した双子に、アヤメはワンテンポ置いてから吹き出した。

「なんていうか…………変なの! おもしろい!」

きょとんとしたままのロックの手とジャックの人差し指をそれぞれの手で握り、茶目っ気のある八重歯を見せて悪戯っぽく笑う。

「今日いちにち、よろしくね!」


アヤメの母は気を付けて、落し物しないように等々、どこの世界の母親もデフォルトで備え付けているような台詞をくどくどと何度も言い聞かせた。

「ねえあなた、どうしてもその白い服で行くの? 目立たないかしら」

「大丈夫だって、お母様は気にしすぎだよ」

「そう? ……とにかく、傭兵さんから離れたら駄目よ。万が一の時の為に護衛ロボットがあなたを追尾しているけれど……」

「えっ、やっぱり着いて来るの!? あたしあのロボット嫌いだって言ったのに……一番ちっちゃいロボットにしてくれたよね、街でも目立たないように」

「小型機のヒイラギを選びましたよ。あなたの誕生日だもの、できる限りはあなたの好きなようにするわ」

「ロボットは嫌いだけど、お母様は大好き!」

アヤメは両手を広げたり頭を抱えたりと、声もさることながら動作も大きい。

見事なまでのオーバーアクションをぼんやり眺めつつ、ロックは本部で待機しているフォックスを呼んだ。

「アーアー、聞イテルカ」

『聞いてるよ』

「『ヒイラギ』ってなに?」

『おそらく…七十九式装甲機兵・ヒイラギのことだろう。六角重工が製造している護衛用の人型兵器、いわゆるSP用のメカだ。戦後、大型兵器の需要が減って以来、六角重工は小型護衛機の開発に専念しているからね』

双子は解説を聞きつつ、シャッターの奥からのしのしと足音を立てて姿を見せた3体のそれを仰いだ。

胸部は前に大きく突き出し、人間ならば頭がある位置にはおよそ頭部とは言い難い金属の塊が載っている。

単眼症の生物の頭骨を被せたかのような形状の頭部にはカメラアイがひとつ、黄色の光を発しながら辺りを見回す。

やけに細い腰と上半身を支える逆関節の脚、体長の割に長く地面すれすれの腕。

全体は黄土色のデザート迷彩で覆われ、肩に六角形を連ねたロゴが入っている。

「こがたき………」

「ジーザス………」

軍用機の製造を止め民間機製作に手を付けたとはいえ、その当時の癖はどうにも抜けきらないようだ。

この攻撃的な風貌では市街地の中でもとびきり奇抜な存在となるだろう。

これで小型機と呼ぶのなら他は一体どのような形態なのかと双子が唖然としていると、アヤメは母の背後に跪いたヒイラギを一瞥し、ぷいとそっぽを向いて腕を組んだ。

「ほんっと、こんなの可愛くもないしかっこよくもない!!! お爺様の作るロボットなんて大っ嫌い!!」

「アヤメ、わがまま言わないの……」

圧巻の人型兵器を眺める双子に、アヤメの母はこっそり耳打ちした。

「気まぐれで我が強くって。ご迷惑をおかけすると思います」

「え、ああ、はい!」

「了解デス」

アヤメの母は再度娘に注意を促し、双子にいくつか注意を言い残すとシャッターの向こう側へ消えた。

アヤメは無言で立ち尽くすヒイラギをびしりと指さした。

「あんたたち目立ちすぎ! なんとかしなさいよ、そのごっつい体!!」

「なんとか、と申しますと」

ヒイラギはその風貌に対して、至って紳士的かつ爽やかな男の合成音声で答える。

「んあ――――! もう! このわからずや! 姿消す方法とかないの!?」

「光学迷彩は搭載しておりません、お嬢様」

「それなら、あたしから見えないところにかくれてよ! こ、コウセイノウなんだからそのくらいできるでしょ!」

「了解です、お嬢様」

ヒイラギは淀みない仕草で微かな機械音と共に立ち上がると、ストリートの両側に立ち並ぶ廃墟の壁をフック状の腕で登り始めた。

「へぇ……おれたちひつようないんじゃね」

「ナ。メッチャ強ソウ」

ヒイラギが廃墟の屋上に登り切るところを確認するとやっと、アヤメは元の笑顔を取り戻した。

双子の手をそれぞれ取り、引っ張るように歩き出す。

「エット、ソレデ。冒険? スルンダッケ?」

「どこにいくとか、なにするとか、よていあるのか?」

「うーん……とくに考えてないの」

「「考えてないのか」」

アヤメの歩幅でゆっくりと流れて行く、普段通りのストリートの風景。

「あたし、とにかく『外』に出てみたかっただけなんだ」

オリンポス付近の大ストリートには所狭しに露店が立ち並び、物の流れも人の流れも盛んに賑わっている。

スラムしか知らない双子にとっては何の変哲もない日常風景だが、アヤメにとってはどれもこれも珍しいのか、話しながらも小動物のようにきょろきょろと辺りを見回している。


しばらくのんびり歩いていると、色とりどりの果実が山積みにされた露店が固まって連なるエリアに到達した。

「……きれい」

アヤメは宝石のような光沢を放つ林檎や鮮やかなオレンジをうっとりと眺めている。

その顔に気付いた双子は顔を見合わせると、露店のやや低めな屋根をくぐった。

2人は黒いコートのフードを少し持ち上げ、顔を露わにする。

「「よお、パドマ」」

「あらァ、双子ちゃんじゃない! 久しぶりだねェ!」

「最近コッチニ来ル用事ガナクテサ」

快活に笑う露天商はふくよかな中年の女である。

「りんごとオレンジ、それとそっちのベリーもほしい」

「はいよ」

彼女の髪は小奇麗にきっちりまとめられ、エプロンが母の貫録を醸し出している。

このストリートを通る時はパドマの果物商店にしばしば立ち寄るため、彼女と双子はすっかり顔見知りになっているのだ。

パドマは果物を紙袋に詰めつつ、アヤメを発見して目を丸くする。

「その女の子、どこから連れて来たんだい?」

「このこはいらいぬし」

「あたしはオリンポスから来たんだよ。今日は外を探検するんだ!」

にっこりと笑うアヤメの笑顔に釣られ、常に陽気なパドマも思わず顔が緩く綻ぶ。

「そうかいそうかい。それじゃあ、お土産にこれも持って行きな」

彼女はアヤメの掌にスラムでは見慣れない形の果物を手渡した。

その表面は赤く、神話やファンタジックな物語で語られる竜の鱗に似ている。

「「何だこれ」」

「ドラゴンフルーツさ。旧世界ではそれなりに手に入ったらしいんだけど、今は貴重なんだ。今回は運よくマリネリスから輸入されて、ここまで回って来たんだよ」

「わぁ…………!」

アヤメは両の掌で包み込むようにその手触りを感じ、瞼を閉じて香りを吸い込む。

基本的に食品はスラムを含む外界からオリンポスの中に運び込んでいるのだが、スラムで珍しい物はオリンポスでも稀なのだろう。

「ソンナ珍シイ物、良イノカ?」

ロックが薄型端末で代金を支払いながら問う。

「いいのいいの。子供が喜ぶ顔見るためにやってるような仕事だからね」

アヤメは目をきらきらと輝かせた。

「ありがとう、嬉しい!」

パドマはロックに紙袋を渡し、アヤメの頭を優しげな手つきで撫でた。

「どういたしまして。気を付けて行ってらっしゃい」

パドマに手を振りつつ食品が並ぶスペースを通りすぎると、次は籠に入れられた野鳥を売る露店の前でアヤメは立ち止った。

食用でない動物を売る露店は、スラムの中でもオリンポスの近くにしか分布しない種類の店である。

オリンポスから出てきた者やスラムでも金銭的余裕のある裕福な層だけが、娯楽で犬や猫、鳥などを飼う。

籠の中の鳥たちは、比較的地味な色合いで価格の低い種から、赤や緑、青色の混じりあった陽気で華やかな毛色の種まで様々だ。

アヤメは忙しなく動き回る鳥たちにくぎ付けになっている。

「……オリンポスの中は真っ白なんだ。この服みたいに」

彼女は鳥に目を奪われたまま、徐に口を開いた。

「ヘェ……想像ツカナイナ」

「壁も建物も、見えるところは一面真っ白。みんな肌は白いし、髪の色も薄いし」

「あんたのかみはくろいんだな」

ジャックはアヤメのつむじを見下ろして呟いた。

「ああ、これ。オリンポスだと目立つから、あんまり好きじゃないんだ……」

アヤメは前髪の先を指先で弄ぶ。

コーカソイド系の割合が圧倒的に多いこの新興国では、彼女のような東洋の顔つきは特に注目を浴びやすい。

ジャックはアヤメの黒髪を撫でようと腕を上げて、ハッと気づいて下した。

自分のこの爪では、パドマの柔らかい手のようには行かないのだ。

「………おれは、きらいじゃないけど」

「ん。ジャック、何か言った?」

「いや、なにも」

ぼそりと呟くだけになってしまった言葉を拾われかけ、心の中だけで止めようと思っていた訳でもないのになぜか少し慌てる。

動揺を悟られぬよう、食い気味でアヤメに問い掛けた。

「まっしろ、ってさ。オリンポスはじめんも、そらもしろいのか」

「そう、全部。学校で外のことは勉強したし、画像も端末でたくさん見たけど、本物の空は初めて」

顔を上げたアヤメの瞳には、高く遠い紺碧の空が鏡のように映り込む。

彼女の視線を追って空を見上げた双子は、廃墟と廃墟の屋上を音もなく飛び移るヒイラギの姿を捕えていた。

1体、2体――――だけではない。

廃墟の屋上には後続機の黒い影が何機も続くではないか。

「流石。VIPダナ」

のんきにぼやき、地上へ視線を戻そうとしたその時だ。


ヒイラギのうち1体が廃墟から廃墟へ飛び移る途中、突然爆発した。


ロックが反射的にコートでアヤメを庇い、降り注ぐ瓦礫から身を守る。

屋上からは黒煙がもうもうと登り、粉々に飛散したヒイラギの残骸が炎を引きながら地面に落下してくる。

双子はフードを取り、どよめきつつ呆然と天を仰ぐ人混みへ怒鳴った。

「何シテル!! 廃墟ニ入レ!!」

「はやくにげろ!!」

その声に我に返ったスラムの住人は、散り散りになって廃墟へ飛び込む。

ロックはアヤメを連れたまま、混乱で騒ぐ群衆を掻き分けながらスラムの住民を避難させる。

またもヒイラギの1体が、どこからともなく放たれる弾丸に肩を撃ち抜かれた。

ロック同様に避難を誘導していたジャックは、その射撃音に違和感を覚えた。

ライフルやサブマシンガンの音ではないし、ガトリング等の重機関銃でもない。

根本的に爆発音とは異なる、くぐもった様な電磁音。

そこへ、騒ぎを聞き付けたフォックスが無線に呼びかける。

『ロック、ジャック、何が起きている?』

「わかんないけど、とにかく、ヒイラギがなにかにおそわれてる」

「ソレニ、敵ノ姿ガ見当タラナイ」

弾丸1発すら貴重なスラムで、単にヒイラギを破壊することだけが目的とは考えづらい。

姿の見えない敵の目的がアヤメである可能性は高い。

立て続けにヒイラギが装甲を撃ち抜かれて爆発するが、どこに潜んでいたのかヒイラギは無尽蔵に湧いてくる。

『……音、その音、レールガンか! 一体どういうことだ』

「「れーるが……レールガン!?」」

フォックスが放ったSF系のテレビゲームでもお馴染みの単語に、双子は同時にその単語をオウム返しに叫んだ。

この「レールガン」、電磁誘導を用いて伝導体製の弾丸を驚異的な速度で射出するという現実離れした兵器である。

ヒイラギが次々に肩や脚に風穴を開けられていく中、アヤメが双子のコートの裾を掴み大声で訴えた。

「戦わないで!」

「何言ッテ……」

「ここはヒイラギがなんとかするから!!」

「えっ、いや……」

「良いから!!」

彼女は双子の手を無理やり引っ張って駆け出した。

「アヤメ、おい、アヤメ!!」

「ドコニ行クツモリダ!!」

あくまで双子は傭兵、アヤメは依頼主である。

双子は騒ぎながらも、少女に引きずられるがまま着いて行くしかなかった。

しかし、オリンポスの中では裕福層は過激な運動とは縁遠い暮らしをしているはずだ、アヤメはまともに走ったことなど無いのだろう。

彼女は頼り無い足取りで双子を引っ張り、時折後ろを振り返るしぐさを繰り返している。

『レールガンの弾速は少なくとも音速の数倍、射手の腕によるが狙われたら君達でも避けられないぞ』

「ダッタラコンナ余裕カマシテル場合ジャナイ」

ロックはアヤメを軽々と片腕で抱きかかえ、彼女の指し示す方向に駆け出した。

兄に少女を任せたジャックは素早く体を低く構えて地面を蹴り、爆風で隕石のように吹き飛んだヒイラギの上半身を空中で抱えると、振り回してストリートの人のいない場所に叩き付ける。

ヒイラギの集団はあくまでアヤメを追尾するよう設定されているのか、双子の移動速度に並走して着いてくる。

そしてそのヒイラギ軍団を追いかけてレールガンが発射されるのだから、的を連れて移動しているようなものだ。

状況はこの上なく厄介だった。

「れーるがん相手ジャ、着イテ来テモ役ニ立タナインダケド……」

「あれじゃかえってじゃまだ、かたづけたほうがいい」

レールガンから逃れるためにストリートを疾走していた双子は土煙を巻き上げて急ターンし、アヤメを割れた窓から最寄りの廃墟に隠れさせ、果物の紙袋をそっと渡す。

「ここでおとなしくしてるんだ」

「わ、わかった」

ヒイラギはアヤメの存在を追尾し、3人を取り囲むように集まり始めた。

黒いコートが荒野の風にはためく。

「良イトコ見セルゼ」

「おうよ」

双子は金色の鋭い眼光で護衛ロボを睨み付けた。


周囲に集まったヒイラギはざっと20体弱。

人気のない廃墟であれば、身を潜めておけなくもない数だ。

周りを確認するその瞬間にも、1体のヒイラギがレールガンを喰らって弾け飛ぶ。

双子は爆発音に怯むことなく地面を蹴り、廃墟の屋上に軽々と飛び乗る。

着地地点の目の前に立っていたヒイラギの胸に鋭い爪を突き刺し、内蔵機器を握りしめ引きずり出す。

ジャックが機能停止したヒイラギの巨体を蹴って飛び退くと、レールガンの射手を探していたカメラアイがそろって双子を捉えた。

「アラ」

「やっべ」

危険度の高いレールガンの射手を先に狙うと踏んでいたが、最優先される破壊目標が変わったようだ。

ヒイラギはいかにもプログラミングされた揺るぎない動作で、長い腕を振りかぶっては双子に襲いかかる。

背後に控えていたヒイラギの腕を危うい所で避け、空中に散った自らの髪を掻き分けるように繰り出したロックの跳び蹴りがカメラアイに直撃。

だが仰向けに倒れた胴体の上に着地した彼を、他のヒイラギが押しつぶそうとのしかかる。

ロックは恐ろしく柔軟な足でその巨体を真上に蹴り上げた。

空中に浮いたヒイラギをどこからともなく射出されたレールガンの弾丸が射抜き、爆発する。

姿の見えない敵はまだ攻撃を続けている、ここで手間取ってはいられない。

双子はすれ違い様に目配せして頷いた。

2人を取り囲むように集まったヒイラギの輪をすり抜けて一瞬集団の外に抜け、獣が獲物を狙うように体勢を低く構える。

そして双子は同時に金属の群れへ突っ込んだ。

双子はごく狭い範囲に追いやられていくヒイラギの群れの中でも衝突することなく、必殺の弾丸攻撃を目にも止まらぬスピードで繰り返す。




オレンジの影が目視できるほどの速度に収まるころには、ヒイラギの集団は装甲を裂かれ全てが沈黙していた。

音もなく頭を垂れるヒイラギの残骸が、レールガンに撃ち抜かれて吹き飛ぶ。

双子は邪魔なSP軍団がいなくなったことを素早く確かめ、レールガンに狙われないよう廃墟を降りた。

ヒイラギを沈黙させた後は、レールガンの雨は何事も無かったかのように止んだ。

敵の目的は不明だがやはりヒイラギを指標に狙っていたのだろう。

彼女のSPが襲われるということは、敵の目的がアヤメであることはほぼ間違いない。

貿易や調査目的で下手にオリンポスから出て、裕福層がスラムで人質に取られる事例も多くはないが確かに存在する。

双子はストリートで待っていたアヤメを呼んだ。

「アンタハ誰カニ狙ワレテルカモシレナイ」

「これいじょう、このあたりをうろつくのはやばい。きょうはかえろう」

「…………」

アヤメは年齢不相応に知的さを感じさせる瞳で双子を見上げ、首を横に振った。

「……ヒイラギをやっつけたでしょ」

「ソレガ」

「ヒイラギは壊れるときに、敵の姿を『カンセイトウ』に送るんだ」

話の意図を理解した双子は、驚きで元々大きい目をさらに丸くした。

「「フォックス!!」」

『何だ―――――――』

微かに緊迫したフォックスの言葉は途中で断ち切られ、ひどいノイズが耳に突き刺さる。

エニグラドールは元々スラム発祥の傭兵団に過ぎず、ゼウスからの信頼が厚いとはいえ、一般から依頼された任務の場合依頼主が全面的に彼らを信用しているとは限らないのだ。

つまり双子がヒイラギをやむなく破壊した際に他の機体が襲いかかってきた時点で、双子はアヤメの敵として認識されているという訳である。

「おい、フォックス! おうとうしてくれ!」

「……クソッ、駄目ダ!」

双子はノイズの鳴り止まない小型のヘッドセットを耳から外した。

「六角重工の妨害電波だよ。もうこのあたりで無線は使えないと思う」

俯き加減で言うアヤメの口元が、今にも笑い出しそうになるのを押し殺しているように見えたが、ジャックがそれを確かめるように見直したときには、その表情は既に跡形もなく消えていた。

完全に本部との連絡が絶たれた今、フォックスと連絡が取れなければ事態の真実を説明することもできない。

「敵ダト認識シタラ、六角重工ハドウ出ル」

「……私を取り戻しに来る」

アヤメを取り戻しに来る分には構わないが、双子は六角重工が派遣した兵器に総攻撃を喰らうだろう。

保身の事だけを考えるなら、六角重工の機兵団がここにたどり着くより先にアヤメを置き去りにして逃げる手もあるが、それではどこに隠れているとも知れぬレールガンの主に彼女が連れ去られてしまう危険性がある。

「やっかいなことになってきたな」

「ナァニ、コンナノモ悪クナイ」

ロックは妨害電波で役に立たない無線を取り出し、アヤメの周りにかざす。

「ついびようのはっしんきをさがしてるんだ」

不安げなアヤメにジャックが解説をしていると、彼女の白いワンピースのボタン部分で無線が一層大きなノイズ音を響かせた。

「アッタ。オ気ニ入リノ服ダッタラゴメン」

ロックは服からボタンを毟り、ポケットに押し込む。

直後、ジャックがロックとアヤメを抱えるようにしてストリートの中央へ転がり出すと、今まで3人が立っていた場所の地面が凄まじい音と共に粉々に砕けた。

「音ガ違ウ、今ノハれーるがんジャナイ」

「ろっかくじゅうこうだ」

ジャックが指さしたその先では、ヒイラギの大きさの倍はあろうかという人型兵器が廃墟の間から半身を見せ腕の機関銃を構えていた。

続々と現れる六角重工の人型兵器はアヤメを確実に避け、計算し尽くされた弾道で双子だけを襲う。

彼女を抱えているからこの程度の攻撃で済んでいるが、アヤメを手渡したが最後、空爆でこの一帯を双子ごと吹き飛ばされてもおかしくない。

ジャックとアヤメを抱きかかえたロックは、追撃から逃げるべくそれぞれ真逆の方向の廃墟街へ駆け込んだ。

人型兵器はロックの方を追って、狭い廃墟の路地を容赦なく突き崩しながら追う。

双子は互いの姿が見えなくとも、人型兵器に追いつかれる寸前の速度で廃墟の迷路を駆け、腕が届くか届かないかの瀬戸際で真上へ跳び上がった。

ロックが廃墟の屋上へ着地すると、丁度ストリートを挟んで反対側の屋上にジャックが着地した所である。

一瞬遅れて双子を追い建物の壁を登る人型兵器が来る前に、ロックはアヤメに自らのコートを着せる。

彼と少女の身長差のせいで足先が僅かに見える程度、まるでマントのようだ。

「声、出スナヨ。バレタラ俺ガ死ヌカラナ」

「わかった」

アヤメの瞳がきらりと理性的に光る。

彼女自身に危険はないとはいえ、恐ろしく度胸の据わった少女である。

彼女にしっかりとフードをかぶせ、ロックは向かいのジャックの方向に向かって飛んだ。

同様に自身のコートを抱えたジャックも屋上から跳び、空中ですれ違う。

人型兵器のほとんどは巨体に見合わないジャンプ力でロックを追って消えたが、数体はジャックを狙い廃墟の屋上で急ターンした。

ジャックは敵の頭を踏み台にして駆け上がり屋上から降りた。

抱えていたコートの塊をガラスが割れて無くなった窓から廃墟に放り込み、人型兵器の落下攻撃をすれすれで避けると反撃に出る。

しかしヒイラギを破壊する勢いで繰り出した右ストレートは、敵の装甲に弾かれた。

この狭い路地ではこれ以上の助走をつける余裕はない、ならば弱点をピンポイントで。

彼は振り下ろされた敵の腕を登り、頭部を鷲掴みにして敵の肩を蹴ってバック宙の要領で頭を引き抜いた。

華麗に着地すると続けて跳び上がり、人型兵器の頭を無骨な片手で掴むと空中で前方に回転、力任せに振り回した人型兵器の巨体をもう1体に叩き付けた。

胸部が大きく凹んだ人型兵器は、何やら人工音声で叫んだのち仰向けに倒れて爆発した。


ひとまず静けさが戻った廃墟をぐるりと確認すると、ジャックは先程投げたコートの様子を見るべく窓から顔を突っ込んだ。

空のはずのジャックのコートがもぞもぞと動き、フードから目をぱちくりさせるアヤメが顔を出した。

「なげてごめん。けがはないか」

「大丈夫!」

アヤメは果物の紙袋を抱え直し、どこか楽しげに頷いた。

先程空中で双子がすれ違った際、アヤメの服に仕込まれていた発信機と彼女自身をすり替えたのだ。

コートで姿は確認できないため、人型兵器は発信機だけを持ったロックを追う仕組みである。

そこへ、コートを脱ぎ捨てたダークスーツ姿のロックが合流する。

「発信機捨テテキタ。アイツラ発信機ニ集マッテえらー起コシテンノ」

得意げににやりと笑ったロックは、その場に散らばる人型兵器の残骸に気付き真顔に戻った。

「ココモスグニ探知サレルナ、場所ヲ変エヨウ」

六角重工の追っ手から逃げ惑っているうちに、青く晴れ渡っていた空は太陽が沈み夕焼けが青を浸食し始めた。

昼間歩いていた地区はエニグラドール本部からかなり離れた場所だ。

双子だけであれば数十分もあれば本部から辿り着けるが、アヤメを連れていては軽く2日はかかる。

その上足跡や弾痕など人型兵器の痕跡をできる限り避けて大回りしているため、実質無傷で本部へ辿り着くのは至難の業と言えた。

さらに濃い紫が漆黒に塗りつぶされ完全に日が暮れてしまうと、昼間に引き続き雲の無い空は恐ろしいほどの密度の星々で埋め尽くされる。

しかし空がいくら賑やかでも、人工的な明かりの無いスラムを進むのは危険が多い。

一行は通りすがりの教会へ立ち寄り休憩を取ることにした。

この一帯はスラムの中でも住人の多い地区であり、この教会も窓や装飾が寂れてはいるが廃墟とまでは劣化せず、今も時折使われているのが見て取れる。

誰に対してもオープンな教会の扉を押し開け、整然とベンチが並ぶ合間を進む。

救世主はセオリー通り磔にされて教会の中央に立っているが、その手先や荊の冠は過去に熱で溶けた様子だった。

どうやら元々はこの教会の物ではないらしく、おそらく過去に空爆を受けた場所から拾って来たのだろう。

表面を覆う素材が破れて綿の出たベンチに腰掛け、ジャックは昼間買った林檎を齧るアヤメに声をかけた。

「……ねえ。おれ、きになってたんだけど」

「何?」

アヤメの座る席の隣の背もたれに腕を組み、顎を載せる。

「なんかさ。ひるまからずっとたのしそうだよな、あんた」

アヤメは微かに目を細め、ジャックの懐疑的な視線から目を逸らした。

「たのしくてしかたないのを、むりやりおさえてるかんじがしてた」

突然の弟の詮索に戸惑いつつ、ロックが口を挟む。

「確カニ、言ワレテミルト……」

「それに、おちつきすぎてる。まるでこうなることがわかってたみたいだ」

一向に口を開こうとしないアヤメに、普段より低いトーンでジャックが問い詰める。

「なにかかくしてるだろ。あんた」

矢のように鋭く脳裏を射抜いているかのような彼の眼差しに、アヤメはしぶしぶ答えた。

「…………ちょっと、期待しただけ。面白いこと、起きないかなって」

「おもしろいこと? じょうだんじゃない。ヒイラギをこわしたやつらはあんたをねらって―――」

「マア、マズハ話ヲ聞コウゼ。ナ?」

きつい口調になりかけた弟を、ロックが両手を広げて諭す。

「あたしは……あたしは、1度で良いから、自由になってみたかった」

アヤメはぽつりぽつりと語り出した。


「昼間、言ったでしょ。オリンポスの中は一面真っ白だ、って。何かあったら異変がすぐに見つけられるように、建物も服も全部白。天井しかないから月も太陽も見えない。雨も風も雲もない、毎日毎日同じ風景」

アヤメは教会の抜け落ちた天井の穴から満点の星空を見上げた。

破れた窓から吹き込む夜風が黒髪を揺らす。

「それがいちばん安全だから冒険なんて必要ないって、お爺様はいつも言うんだ。お父様がスラムでのお仕事の時に死んじゃってから………」

しばらく話を聞いていると、どうやら彼女の父はアヤメの祖父―――つまり父に反発し、六角重工を継ぐことなくゼウス直下の外交官として働き、隣国のアマゾニスと貿易を行っていたとのこと。

彼は職務の途中で盗賊に襲われ、命を落としたという。

当時の彼らの仲がどのような状況だったのかは想像できないが、息子を失った悲しみは大きかったのだろう。

孫であるアヤメに対し、高琳が度を過ぎた過保護で接するのも仕方がないと言える。

彼女はさらに声を荒げた。

「壁の中にいるだけでうんざりなのに、オリンポスの壁みたいなロボットがどこへ行っても着いて来て、そんなの楽しいと思う?」

背もたれに手をかけ身を乗り出して訴えるアヤメに、双子は少したじろいだ。

オリンポスに1歩たりとも踏み込んだことのない2人には、あの巨大な白い箱は最強の要塞であり、安全で完璧な空間だというイメージしか無かった。

「いつまでもあんな所にいたら、あたしの心が死んじゃうよ。一生退屈したままあたしが終わっちゃうんだよ。そんなの嫌。絶対に嫌だ」

アヤメは一息にまくしたてた。

「………それで、何か起きたら良いなって。あたしがオリンポスの人だって分かるようにわざと白い服着たり、護衛ロボットのなかでも一番弱いやつを選んだりしたんだ………でも、こんなことになるとは思ってなかった」

どんな環境においても、実際の状況は体験してみなければ理解できない。

要塞の内部はスラムの住人が想像しているような素晴らしいものとも言い切れないようだった。

しかし、それは望まずとも命を保証された空間で生きてきたアヤメのような者が、野心を抱き憧れるスラム像についても同様のことが言えるのだ。

双子はアヤメに気圧されて黙っていたが、やがてロックが頭を左右に振り口を開いた。

「すらむハ楽シイ所ナンカジャナイ。一見賑ワッテルヨウニ見エルケド、イツダッテ誰カガ誰カヲ殺ソウト狙ッテル。デモ、」

「あんたのきもちも……すこし、わかった」

双子は自らが任務依頼が無く退屈だとごねていたことを思い出していた。

この殺伐としたスラムで、何事もなく平和に過ぎて行く日々は貴重なはず。

しかし任務と称しながらも実際の所、彼らは戦いを、変化を望んでいた。

刺激のない日常には味気も意味も無いことを、自分たちはよく知っていた。

「………ほんと?」

唇を噛み締めて俯いていたアヤメが顔を上げた。

双子はこくりと頷くと、急に少年味の増した悪戯っ気たっぷりの表情を浮かべる。

「『冒険』、付キ合ウヨ」

「それがもくてきで、スラムにきたんだろ」

「………うん、うん!!」

予想以上の大事になってしまったことに対し、実は泣きかけていたアヤメは歯を見せて笑った。





いつの間にかジャックの隣の席に来て寝転がり、頭を彼の太腿の上に載せて眠ってしまったアヤメの黒髪を何の気なしに眺める。

走るための筋繊維と骨しかない自分の脚では、枕にするにはいささか硬すぎやしないだろうか。

おそらく追加でスラムに出撃した六角重工の人型兵器を破壊するレールガンの音が遠雷のように響いているが、アヤメはまるでお構いなしだ。

これだけの長時間にわたって攻撃を続けられるということは、明らかに個人ではなく民間の組織の仕業ということになるか。

つらつらと取り留めもないことを考えていると、外を警戒して見回りに出ていたロックが教会の天井の穴から降りてきた。

「マズイナ、敵ガカナリ近イ。夜ガ開ケル前ニココヲ出ヨウ。彼女を起コセ」

本部と全く連絡が取れない上に、本部へ帰れそうにもないのが現状だ。

双子の冤罪を晴らすためにはレールガンの射手を捕え、六角重工の人型兵器を通してスラムを見ているだろう管制塔に真実を伝える必要がある。

人型兵器はアヤメと双子を探して夜通しスラムを徘徊しているが、それを狙うレールガンの射手を見つけるためには、1度遠ざかった人型兵器の群れの中に再度飛び込まなければならない。

双子は、人型兵器が暗視カメラを使用していて、こちらを判別しづらい夜間を狙う計画を立てた。

居住区で運用するタイプの護衛機は、対象が敵か一般人かを判別する必要がある特性を利用したものだ。

夜が明ける前までにレールガンの射手を見つけ、夜が明けてこちらが戦いやすくなった時に一気に畳み掛ける作戦だ。

失敗は許されない。

ジャックに軽く揺さぶられて目を覚ましたアヤメは、目を擦りながら上半身を起こすと、まだ暗闇の中に沈んでいる教会を眺め回した。

「おはようございます、おじょうさま」

ジャックがしきりに瞼を瞬かせるアヤメの頭から黒いコートをすっぽりと被せると、例によってロックがアヤメを抱きかかえた。

見晴らしの良い教会の屋根に上るべく、双子は壁に爪を突き立ててよじ登る。

深夜は眠っていた大気が、明けの気配を孕んで風となり移動している。

一行は教会を離れ、レールガンの特徴的な音が響く方角へと廃墟を飛び移り始めた。




教会から西に数kmほど離れた地点に辿り着くと、一時的に紛争区域に指定されており既に住民は退避済みだった。

その代わりに暗闇のエリアを駆けまわるのは、レールガンの射手と六角重工の大型護衛メカとの争いを鎮静化しようとする一般傭兵団である。

争いを聞き付け、六角重工からの報酬目当てで集まったのだろう。

それぞれが仲間を認識するための腕章やバンダナを巻き、姿の見えない射手を探しているようだ。

「レールガンのほうもそうだけど」

「俺タチノ情報モ回サレテルカモナ」

誤解とはいえ、今は双子も敵サイドだ。

六角重工が一般傭兵団にどのような情報を流しているのか分からない以上、下手な手には出られない。

目立つ屋上を避け、崩れた壁や窓から廃墟に侵入しつつ進む。

廃墟やストリートを走る傭兵団の間では、時折人型兵器が歩き回っている。

廃墟の影に伏せて身を潜めしばらく様子を窺っていると、近場の屋上でレールガンを喰らった人型兵器から爆発音が辺りに響き渡った。

ヒイラギよりも体格が良く、頑丈なタイプを追加投入したに違いない。

人型兵器の装甲板は大きくひしゃげているが動作に支障はなく、レールガン1発ではもう破壊することはできないらしい。

冒険者気分ではあるが、いたって真剣な眼差しで中空を見据え、アヤメが小声でレールガンの音の方角を示す。

それと同時に双子はアヤメを抱きかかえ、廃墟の窓から外に躍り出ると屋上へと登った。

やや肌寒い大気が一行の間を駆け抜け、耳元で風の音が唸る。

双子はアヤメに問う。


「「飛んだことはある?」」

「飛ぶ!?」


ロックとジャックは屋上の柵に背中が付くほど下がり、鏡に映したように同じ動作で上半身を低く構える。

コンクリートがひび割れて凹むほど床を蹴り、数歩で景色が歪むスピードに達する。

助走を付けて脚で屋上の縁を一層強く抉り、双子とアヤメは朝焼けの空に飛んだ。

その姿に気付いた六角重工の人型兵器がカメラアイで影を追うが、跳躍スピードに加えアヤメを同伴している危険性から攻撃はできない。

走り幅跳びを数百mに引き伸ばしたような軌道を描き、大気を切り裂いて文字通り『飛ぶ』。

コートとワンピースが千切れそうなほどはためき、呼吸が苦しく思えるほどの空気抵抗の中。

アヤメは黄土色の乾いた大地から闇を塗り替える神々しいほどの太陽が昇る瞬間を見た。

オリンポスのような無機質な白ではなく、七色の光の粒子が集まり重なって創り上げる、深い深い白の光。


双子は陸上選手が砂場に着地する時に似た動作で、数mに渡って土煙を巻き上げながら停止した。

人型兵器がここに追い付く前に、レールガンの主を探さねばならない。

ロックは地面に膝を付き、アヤメの肩に両手を載せて顔を見上げた。

「時間ガ無イ。強硬手段ニ出ルシカナサソウダ」

彼女は一度だけ深呼吸をし、唇を結んで深く頷いた。

「アンタヲ囮ニシテ、敵ヲ誘キ出ス」

「できるだけめだつんだ。たすけをよぶふりをしてもいい」

「敵ハれーるがんデ随分自信ヲ持ッテルダロウカラ、堂々ト出テクルハズダ」

「分かった、やってみる」

ロックがアヤメのコートを取り去ると、白いワンピースが日光に照らされて輝く。

双子がストリートの両脇に並ぶ廃墟に隠れると、アヤメは胸いっぱいに息を吸い込み、大声で叫んだ。

「助けて―――――――っ!!! 誰か――――――――!!」

廃墟街からの反応はない。

アヤメは意を決してもう一度叫んだ。

するとストリートの左右に広がる細い路地から、土埃や黒い油にまみれた布を幾重にも重ね着して顔を隠した数人の人影が顔を覗かせる。

布に隠れて見えづらいが、自動小銃を構えている者に加え、持ち主の身長の半分ほどもありそうな黒い物体を構えている者が数名いるようだ。

薄い直方体に近い形状の黒い物体は先端に等幅の切れ込みが入っており、時折その切れ込みの間で紫電が火花を散らしている。

歩兵用のレールガンを抱えた男たちはアヤメ以外の者の姿が無いことを確認し、警戒しながらストリートの中央で掌を握りしめて立ち尽くす彼女を取り囲んだ。

「何でこんなところに、突然……」

「見つかったんだからどうでも良いだろ! さっさと連れて撤退するぞ」

「いや、変だって! 絶対おかしいだろ、都合が良すぎ―――」

仲間同士で口論する男たちの上空から、廃墟の上階でタイミングを見計らっていた双子がその頭頂部を狙って落下してきた。

「ソノ通リ」

「もうおそいけどね」

殺傷能力の高いレールガンを持つ男を瞬時に2人昏倒させ、武器を拾おうとする者を次々に特殊強化した手足で薙ぎ倒す。

バックヤードに控えていた者が小銃を構え、廃墟の影から双子を狙い撃ってくる。

アヤメは反射的にしゃがみこんだが、彼女に流れ弾が当たることだけは避けなければならない。

双子は弾丸を避けることなく盾となり、ストリートを駆け抜けると、路地の入口に隠れる男を背後から蹴り飛ばして突き倒す。

数発の弾丸が頬や肩をかすめて皮膚を抉り、人工血液の赤が大気に飛沫となって飛散する。

周囲360度に散らばる敵を1人ずつ倒さねばならない状況では、十分に助走もつけられない。

スピードがあるからこそ敵を穿つ破壊力を持ち得る双子は、人間よりずっと強いとはいえ決して頑丈な方ではない。

敵を蹴り倒し移動速度が落ちた瞬間を狙われ、ジャックの片脚に弾丸が命中した。

「ぐうッ!!!!!」

方向転換し次の敵を片付けようとしていたジャックは、自身の加速力に弾き飛ばされるように地面を前転した。

その勢いが収まる前に上体を起こし、血液が噴き出す片脚を庇いもせず次の敵へ向かおうとする弟にロックが怒鳴る。

「ジャック!! 無理スルナ!!」

ジャックは痛覚への強い刺激と悔しさに顔を歪めながら、周りを取り囲む敵がいなくなったアヤメを抱えて安全な廃墟の内部へと退避した。

先にロックを片付けようという目論みか、彼に向けて小銃が集中放火される。

しかしアヤメが危険な場所から避難した今、ロックはストリートを駆け時折急ターンしては弾丸を避ける。

スピードが落ちたその瞬間も、ブレイクダンスのような軽快な身のこなしで逆立ちし敵を翻弄する。

弾丸が命中しないことばかりに囚われ弾切れになった敵のひとりを彼は見逃さず、突如四足歩行に切り替えると獣の如く飛び掛かった。

地面に突き倒されただけの男は、ロックの残像を追って放たれる弾丸が当たり霧状の血を辺りにまき散らしてこと切れた。

それを確認する間もなく、人間の反応速度では到底捉えられないスピードで残った敵に突っ込む。

ロックは数人に体当たりして吹き飛ばすと、ひとりの胸倉をつかんでやっと止まった。

小銃を取り落としロックの腕を掴んで暴れる男の顔面に拳を叩きつけようと腕を振りかぶったその時、背後で低い電気的な作動音と強い熱源を感じ、彼は動きを止めた。

猛禽類のように爛々と光る金色の瞳で左右を見回すと、作動音の音源が足音も無く彼の目の前に回り込んで姿を見せた。

六角重工の人型護衛ロボットだ。

腕に備え付けられた火炎放射器の銃口が青白く揺らめき、ロックの頭をぴたりと狙う。

廃墟に隠れていたジャックも護衛ロボットに拘束され、無理やり引きずられるように現れる。

一見アヤメだけは紳士的に手を取られているようにも見えるが、彼女が必死で身を引き逃げ出そうとしている様子からすると拘束されているに近いのだろう。

護衛ロボットは腕を鷲掴みにしていたジャックをロックの隣に投げ、2人の頭に火炎放射器を突きつける。

自身の背中にもたれかかる弟の呼吸が、ひどく浅いことを感じる。

ジャックの脚の銃創からは血液が溢れ、体が微かに動くことすら傷に響くらしい。

「離せっ!! 離せよ!!! これはっ……命令だっ!!!」

「了解です、お嬢様」

護衛ロボットが突然手を離したせいで、暴れていたアヤメが前のめりに転びそうになったが、彼女はどうにか双子に飛びついた。

ロックは胸倉を掴んだままの男に囁いた。

「オ前ガアノ子ヲ攫オウトシタッテ吐カナイト、オ前モロトモ焼キ殺サレルゾ。アリノママヲ話セ」

しかし男は頑なに口を閉ざし、話そうとしない。

しぶといことに、まだこの状況から逃げ出す方法を考えているようだ。

ロックは仕方なく、カメラアイの向こう側でこの現状を観察している六角重工に向かって言う。

「……アンタタチノ脆イろぼっとジャ、れーるがん手前ニ役ニモ立タナイドコロカ、俺タチノ居場所ヲ敵ニ知ラセテルヨウナ物ダッタ。俺タチハ依頼通リ、依頼主ヲ守ルタメニ最善ヲ尽クシタダケダ」

ロックがずらりと並ぶカメラアイを睨みつけるが、ロボットは沈黙したまま返答はない。

拮抗する睨み合いに、痺れを切らしたアヤメが叫んだ。

「お爺様、見てるんでしょ! 2人は悪くない! ずっとこいつからあたしを守って戦ってくれたんだ!」

カメラアイがぎょろりとアヤメを見据え、マイク越しに劣化しているが年老いた老人と分かるしわがれた声が響く。

「―――――――――その薄汚い傭兵と男が、手を組んでいるのだろう。脅されているのなら怖がらなくて良い、正直に言いなさい。八十五式が、一瞬で焼き尽くす」

老人―――六角重工の代表取締役、六角高琳の声は、容赦なく恐ろしい言動とは釣り合わず、やつれて疲弊しているように感じられた。

「どうしてっ……どうして分かってくれないんだ!! いつもいつも!! お爺様はあたしの話を聞いてる振りをしてるだけ!! 本当はっ! 一言も聞いてくれちゃいないんだ!!!」

アヤメはカメラアイに向かって絶叫した。

そして細く白い腕で、背中合わせに硬直する双子をまとめて思い切り抱きしめる。

驚きに揃ってアヤメの方を振り向いた双子の額に、ほんの一瞬だけ彼女の唇が触れる。

背中側にいるジャックの呼吸が止まった理由は分かっている。

おそらく自分の呼吸も止まっているんだろうと、ロックはAIの隅で考えた。

「……ジャック、生キテル?」

「……いちおう、まだいきてる」

額にキスしてからすぐにその場を立ち去ったアヤメは、華奢な体格には異色過ぎるほど頑強な黒い塊を引きずって戻ってきた。

レールガンの重さにふらつきながらも護衛ロボットの間をすり抜けて輪に入ると、一向に真実を吐こうとしない男の頭に帯電する銃口を突き付け、目いっぱいの怒りを込めて怒鳴る。

「正直に!!!!! 話せぇぇぇッッ!!!!!!」

レールガンの威力を最も知っている男は、怯えた様子できょろきょろと護衛ロボットの巨大な図体を見回し、どもりながら口を開いた。

「じ、情報が洩れてたんだよ、六角重工の最高責任者の孫がオリンポスから出てくるって情報が!! そッ、それを狙って、人質にすりゃぁ金になるだろうと……遠距離から襲ったんだよ!! 頼む、殺すのだけは勘弁……」

「聞イタカ、六角重工サン」

護衛ロボットはまたも沈黙したが、たっぷり数分の後、火炎放射器を下げるとロックの手から奪い去るように男の首根っこを掴み上げた。

護衛ロボットたちは気を失ってストリートに散らばる敵を次々と抱え、どこへともなく姿を消した。

ポケットに突っ込んだきり、忘れかけていた無線がノイズを立てる。

六角重工が無線を止めるために使っていた妨害電波が解除されたようだ。

『―――――――やっと直った! ロック、ジャック、無事か?』

『2人とも、現在地は?』

立て続けにフォックスとシアンの切羽詰まった声が飛び込んでくる。

「32番げーと近クノすとりーとカラ、南ニモウ3本越エタ地点ダ。ジャックガ怪我シテル。急イデクレ」

『オーケイ、すぐ行く!』

シアンの到着を待つ間、ロックが弟の傷の様子を確認していると、アヤメがそれを覗き込むとすぐに自身の白いワンピースの裾を「冒険」の過程でほつれた所から引き裂き始めた。

薄い布地がびりびりと分かれ、ワンピースの白に勝るとも劣らす色白な脚が見え隠れする。

「オ、オイ、チョット」

「良いの良いの」

「アンタガ良クテモナ……」

アヤメは裂いた布の帯をジャックの太腿に巻き付けた。

「うっ……ぐ……」

「ごめん、ちょっとだけ我慢して」

苦しげに呻くジャックの傷口を帯できつく締め、手早く結んで止血する。

「ドコデ覚エタンダ、コンナノ」

普段はほとんどをシアンの特殊な治癒方法に頼っているため、その手際の良さに驚きを隠せないロックは思わず問うた。

「学校でこういうことも教わるんだ。けっこう、オリンポスでの勉強も悪くないかも」

へへ、とアヤメは照れ臭そうに微笑んだ。




数時間後ストリートに到着したシアンの応急処置を受けると、シアンを含めた一行はアヤメがスラムに出る時に通ったゲートまで移動した。

もしも適切な止血処置が取られていなければ、出血多量で危険な状態に陥る可能性も決して低くはなかったと、シアンから説教を喰らいつつ双子は歩く。

耳にタコが出来る限界で、ロックが何かに気付いたような声を上げる。

彼は元来た方向をくるりと振り返ると、ストリートを走り始めた。

「あっ、にげんのかよ!」

「悪イナ! 急用ヲ思イ出シタ」

道すがらもうしばらくは説教を聞かされることを予想し、恨めしそうなジャックにも構わず、ロックは四足歩行に切り替えるとすぐに姿を消した。

「何をあんなに急いで……」

シアンとアヤメも思わず首を傾げる。


その後数10分で32番ゲートに辿り着いたが、一向にロックが戻ってくる気配はない。

3人はオリンポスの高く白い城壁を前に、重厚なシャッターが壁の中に消えて行くのを仰いでいた。

シャッターが半分ほど開くと、完全に開くのを待ちきれずにオリンポス内の通路からアヤメの母が飛び出してきた。

「アヤメ!!」

同様に駆け寄る娘の目線まで中腰になり、丸1日ぶりに再会した娘を思いきり抱きしめる。

「心配したわ、ずっと探していたのよ……怖かったでしょう、どこも怪我は無い?」

「大丈夫。それに、2人がいてくれたから全然怖くなかったんだ」

安堵で零れた涙を指先で拭い、アヤメの母は娘の肩越しにロックとシアンを見た。

「一部始終は六角重工の管制塔で聞きました。あなた方のおかげで……あら?」

出発した時はロックとジャックだったが、メンバーが変わっていることに気付いたようだ。

「ああ、どうも初めまして、ウチはシアンと言います。エニグラドールのメンバーで、コイツの仲間です」

シアンがジャックを指しながら快活に自己紹介をし、追い付かないロックを探す風に振り返る。

「あいつ、どこまでいったんや……」

ジャックが怪訝そうに目を細め、砂埃で霞むストリートのはるか遠くを見据える。

すると突然、ストリートではなく近隣の廃墟の屋上辺りから、ロックが地上に落下してきた。

彼の手には、すっかり存在を忘れかけていた紙袋が抱えられていた。

「間ニ合ッタ」

母に微笑みかけ、アヤメは双子に歩み寄った。

「教会ニ忘レ物ガアッタゼ」

ロックがアヤメに紙袋を差し出すと、彼女はそれを大切そうに受け取り中身を確かめた。

紙袋の中には、龍の背に似た表皮を持つ果実が。

「わぁ、いつの間にか失くしちゃったと思ってた……ありがとう!!」

彼女の嬉しそうな顔に表情を緩ませつつ、ジャックはまるで兄のような口ぶりで問う。

「もう『ぼうけん』にはこりただろ?」

「懲りたと言えば、嘘になる、かな」

「さすがおじょうさまだ……」

アヤメは悪戯っ気を隠そうともせずに軽口を叩く。

「でも、お爺様はもっと心配性になると思う。多分もうここには来られない。元々は、あたしが悪いんだけど……」

やはり感情の現れやすい彼女は、自身の言葉で再確認してしまった事実にしゅんと俯いた。

「アンタガ退屈ナ大人ニナラナケレバ、キット自分ノ力デ出ラレル時ガ来ルサ」

「それまではれんらくでもよこせよ、たいくつならあいてしてやるから」

「うん。いっぱい迷惑かけて、ごめんなさい。それから、ありがとう」

「きにすんなって」

「良イッテコトヨ」

双子はスラムで始めて彼女に出会ったときと同じように、怪獣のような右手と骨ばった左手を差し出した。

アヤメもそれに答えるかと思いきや、双子に飛びつくと力いっぱい抱き寄せる。

「それじゃ、『またね』」

双子の胸に額を当てて小さく言い残すと、彼女はくるりと踵を返した。

アヤメの母は何度も頭を下げて感謝の意を述べていたようだ。

しかし、2人はアヤメと彼女の母のがシャッターの向こうに小さく遠ざかって行く背中を見て、やっと我に返ったのだった。




「しかしエライ目に遭ったな。おい、ロック、ジャック。人の話聞いてる?」

「……ソレガ、案外」

「そうでもないんだ」

「何や、変なやっちゃな……」

すまし顔でそう答える双子に、シアンは首を傾げた。


無機質な真白い壁の向こう、外界を遮断した空間。

スラムとは全く次元の違う完璧主義的なもの達が、己の生物の一切を捨てて格納されていたはずの要塞。

その箱庭の中にはまだ、凍り付くことを拒む情熱が潜んでいる。




CHAPTER/6 THE TOMBOYISH GIRL'S MELANCHOLY

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