果敢に咲かす信頼の白花
霧の帝都から一度学園都市の階層へと戻されたのは、一度全ての仮面の騎士を召集しようとした総帥の意思があっての事だった。そこから己の力を揮うのに最も適した世界に送られる仕組みらしい。
集合場所に立ち、今だ姿を現さない千鳥を待ちながら、辰哉は掌に乗せたモノクルを見詰める。
一見すれば仮面には見えない意匠のそれは、嘗て犯した失態を受け入れられない弱さを表しているように辰哉には思えた。だから。彼は戦場で名乗る時に『誓約生徒会の一員だ』と明言する。一度は道を誤ったという失態から目を逸らさないでいるために。犯した行為の償いという訳ではないが、世界を守る力を正しく揮う、その誓いのようなものだった。
――あれは仮面を手にした直後のステラバトルの直前だっただろうか。同じように仮面から目を逸らせずにいた辰哉に千鳥は尋ねた。
『本当によかったのか?』
『不服か?』
顰め面の問いを返せば『いいや』と緩やかに首を横に振った。
『お前がそれでいいって言うなら、いいよ。何があったって、ずっとオレはお前の味方でいてやるから、さ』
それだけは覚えていてほしい、と彼は穏やかに微笑んで言った。
その言葉を疑ったことは一度もなかった。バカ正直な男だというのは長い付き合いで分かっていた。彼の言葉も、行動も、演奏も。何一つ、辰哉を裏切るものは無かった。
「おーい!」
聞きなれた声が小走りに此方にやって来る。片手に愛用のバイオリンケースを持ち、空いた片手で大きく手を振るその様子は、およそ目前に迫った世界の危機に立ち向かう緊張感とはかけ離れたものだった。
「遅い」
待ち合わせの時刻から5分を少し回った所だった。彼にしては比較的早く着いた方だが、生憎とそこで甘やかす辰哉ではなかった。顰め面を向けるも、それに慣れ切っている千鳥からすれば痛くも痒くもないのだろうが。
寒風吹き荒ぶ中の割に薄着でやって来た千鳥は己の肩を抱きつつ手を合わせるという器用な事をしてみせた。
「ゴメンゴメン。アンコール頼まれちゃったら断われないし……て言うか、めっちゃ寒いんですけど」
「そんな襟の開いた服を着ているのだから当然だろう」
「だってさっきまでは暑いくらいだったからさぁ……」
数時間で季節が巡るようなこの気候では、服装による温度調節は難しいものがある。しかし、それを見越した備えをする事自体は出来る筈だと辰哉の言葉としての返事はにべもない。
けれど。巻いていたマフラーを雑に外して、赤くなった鼻頭を擦る千鳥へ投げつける。
「え、マジでくれるの? タツヤやっさしい……え、マジで天変地異の前触れとか?」
「感謝をするつもりがあるならそれで鼻を啜ろうとするな」
返せと言わんばかりにマフラーを引けば、苦し気な呻き声と共に「ごめんなざいありがどうございます」と千鳥は首元の温もりを死守した。
呼称が変わった、もとい戻ったのは少し前の事だった。しかし、苗字で呼び合っていた年月を感じさせないほどに、その音の羅列は互いの耳に馴染んでいた。
「変身しちゃえば寒いとか関係なくなるんだろうけどさぁ。つーか、今回オレ達ってまた別の世界に飛ばされるんだっけ?」
「第4096階層。物質が消滅し、書き綴ることで存在を繋ぐ場所。……らしい」
二人がこれから向かう所は、この学園都市の階層でも、少し前まで常駐していた霧と桜の帝都でもない。
そこは総帥曰く「本の中の世界になってしまったような階層」との事だが、今一つどういったものか辰哉も理解しきれていなかった。
物質というものが消失し、言葉と意思だけが残された。そんな階層でも人々は生きていた。そこでは文字に書き記す事が、唯一の生存の手段なのだという。
即ち。今から自分達が遣わされるのは、滅びの寸前で人々の想いが留まる世界だという。
「……要はそこって、滅んじゃった世界からあふれた人たちが生きてる世界なんだろ? タツヤが守るのにピッタリな所だよな。もしかしたらそこに、お前の生き別れた兄ちゃんも居るかもだし」
うんうんと、羽根を模した仮面を手に一人に納得した様子の千鳥に、辰哉は呆れを滲ませる。
「何処だろうと、滅びを許容できる世界など無い」
己の手に在るモノクル仕立ての仮面を握る。今度は千鳥が辰哉に向けて肩を竦めてみせた。
「タツヤ。お前、そういうトコだぞ」
「何の話だ。文句があろうがお前が喚いて逃げ出そうが俺の意思は変わらん」
「逃げ出せるんなら逃げたいけど。でも、オレが逃げたらタツヤ一人になるだろ? そっちのがオレはイヤだから」
軽やかな声に、辰哉は一瞬言葉を詰まらせる。その僅かな間に気付いた幼馴染が受容を湛えた微笑を向けた。
それならば、と。辰哉の眉間の皺が一層深いものになる。
「一蓮托生の覚悟があるのなら――俺に、ついて来い」
真っ直ぐに向けた言葉に「行く!」と間髪入れずに千鳥は胸を張って宣言する。
「覚悟ってお前と一緒にいるってことだろ? なら、ずーっと前にすんでるぜ!」
彼が姿を変えた白い羽根のような光に包まれて、辰哉は裾が長い黒の軍警服を身に纏う。左目を仮面で覆い右手に銃剣を持った騎士は、守るべき世界へと足を踏み出した。
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