クラゲ虫が湧く、十二月

詩一

第1話 風はクラゲのように張り付いて

 その日は冬がバカになっていた。


 頭とは言えもう十二月で、暦の上では冬だというのに、頬を撫ぜる風はクラゲのように張り付いては剥がれてを繰り返している。


 僕はコンビニに出かけるために外に出て、アパートの鍵を閉めて、二度ほど施錠確認のためにドアを開けようとしてみた。


 本来の今日の目的はコンビニなどではなかった。ちょっと都会にお出かけしようと思っていた。しかし事情が変わった。同棲している彼女の美羽花みうかのバッテリーが切れた。バッテリーとは本人が比喩的に言いまわしていたことで、彼女は別にアンドロイドではない。彼女はとても準備に時間が掛かる。そして時間が掛かった分だけ疲れる。疲労困憊になった彼女は布団の中に逃げ込み、暗闇の中ですべてを無にする。時間ばかりが過ぎていく極めて非生産的な行動を、僕は嫌うが仕方のないことだ。人にはペースというものがあって、それは固有のもので、同一化することはできない。できたら楽なのだけれども。


 で、なぜコンビニなのか。


 それは彼女のバッテリーを回復させるためだ。回復させて布団から出させるためだ。そのために今の彼女にはなめらかプリンが必要なのだ。あの1カップ100円の白いプルンとした物体が。牛乳とカスタードの甘い匂いがとろりと香るあの物体が。

 たいていこれでなんとかなる。不機嫌なときも、不貞腐ふてくされたときも、喧嘩のときも……ってだいたい同じか。

 彼女は「私が安い女で良かったね」と、僕がプリンを献上するたびに言っていた。いやいや全然安くない。このコンビニまで行く労力と、気遣いを計算に入れてほしい。決して100円程度では収まらないはずだ。


 優しい緑と青のボーダーが目印のコンビニでプリンとお菓子を買って帰る。コーヒーは家に帰ってから作ればいい。


 軽量鉄骨のアパートの階段を上がる。そういえばさっきコンビニ店員にお礼を言われたけれど、最近彼女からお礼を言われたことが無い気がするな。プリンを差し出したらありがとうと言ってくれるだろうか。


 二階の部屋に戻ると、テーブルの上にコンビニ袋を置いた。そのまま奥の部屋に向かう。彼女はまだ布団を被っていた。いい加減出かける準備を始めてほしい。ミュシャの絵を見に行きたいと言ったのは美羽花なのだから。


「プリン買ってきたよ」


 そう言って布団を引き剥がすと、そこには美羽花だったものが存在していた。

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