第40章 彼女の矜持

 2019年12月24日。世間はクリスマス一色であるのに対し、中原 智子は一人、無機質な部屋へ捜査資料を探しに来た。色とりどりに装飾された街並みなど目に留める様子もなく、むしろそのうきあし立った人々を嫌うかのように、彼女は会議室のブラインドを無言で下ろす。


「まったく、いいご身分だよな……」


 眼下に広がるきらびやかな世界を、若い二人の男女が身を寄せ合い歩いている。その一方で中原は、散乱する捜査資料を目の前にしている。そこには、まさに天と地ほどの差が存在していた。


「とはいえ、っと……」


 そんなことを考えているような暇は、彼女にはない。現実、こんな夜だというのに強盗殺人事件を起こした犯人が現在も逃走しているという情報が入っていた。

 その犯人は、監視カメラの映像や遺留品から、過去に犯罪歴のある人物であると特定された。だからこうして、警察官としてはしたである彼女は、捜査資料を漁る羽目はめになっている。


「少しは整理していけよ、って……はぁ、そう言っても、もう戻ってこない……か」


 中原が捜査資料を漁り始めたデスクは、米村のものだった。それというのも、彼が生前、熱心に捜査していた事件の犯人が、今回の容疑者として浮上した人物だったのだ。

 死してもなお、彼女は彼の世話になる。連綿れんめんと続く師弟してい関係……彼女はこの関係性から脱却できることはない。否、脱却しようとも考えないだろう。それほどまでに、絶対的な信頼があったのだ。


「あ、あった……ええと、衛藤えとう 三郎さぶろう……これこれ」


 目当てのものを見つけ、彼女は足早に彼のデスクから退散しようとした。あまり他の先輩たちを待たせるわけにはいかない。ただでさえ、例の事件の単独捜査のことがバレてしまい、署内では浮いた存在となっているのだ。それに加え……


「……あぁ、いけない……」


 パタリ、パタリと床に水滴が落ちていく。彼女の目から流されたその水滴は、止まることなく静かに溢れ出てくる。


 あの事件以来、彼女は油断をすると涙を流すようになっていた。無論、平時ではそんな異常など生じることはないが、村田や米村が絡んでいる場合は大きく異なる。言葉にはしていなかったが、強く尊敬していた二人の先輩の死……それが、彼女の心に大きな爪痕を残していた。


 あの事件が残したのは、これだけに留まらない。犯人である宮尾 藤花の逮捕は出来ず、その上、彼女の記憶すら取り戻すことは叶わなかった。いや、取り戻さないよう依頼されたのだ。それ故に、中原は大きな虚無感に苛まれるようになったのだ。


 宮尾が犯人であると自白をしたとき、その場に彼女はいた。右肩に銃弾を受け、その痛みに耐えながらであったため、記憶としては曖昧なものであったが……確かに彼女は言ったのだ。『』と。


 組織の人間を知る人物は他にも存在する。東京総合国際病院の医者である森谷 亨も、その内の一人……いや、それどころか彼は例の組織の一員でもあった。優秀な頭脳を持ち、将来を期待されていた脳科学者であったという。


 そんな彼らが、揃いも揃って例の組織に関する情報に対し、口を閉ざしている。その理由も、宮尾は口にしていた。あの組織に関わった人間は、全て盗聴されるのだ、と。


 実際にどのように盗聴が行なわれているのかは、全く分かっていない。それというのも、米村の死後、彼の自宅やデスク、衣服など考え得るあらゆる場所を念入りに捜索したのだが、盗聴器と思われるものは一切見当たらなかった。しかし、現実には盗聴されていた。いや、そうとしか思えないような出来事が多すぎたのだ。物的証拠は無いが、状況証拠として充分であったのだ。


 そのため、組織を知っていても語ることのできる人間はごく限られてしまう。だからこそ、過去に全てをうしない、生きる希望すらも失った宮尾……彼女の記憶だけが頼りであった。中原の兄、裕司の死を引き起こした人物の尻尾を、ようやく掴むことが出来る……そのはずだった。


 しかし、宮尾はこともあろうに記憶喪失となってしまった。さらに、その記憶を取り戻すことは、もはや叶わない。自然と記憶が戻る可能性はあるにせよ、それを待っていては、例の組織による新たな被害者を生むだけなのだ。

 状況は、絶望的であった。


 それに加え中原は、宮尾の記憶を取り戻さない、という高島 春来の決意を承諾してしまったのだ。彼の想いに気圧されたことは確かである。しかしそれでも、自ら掴んだ尻尾しっぽを手放してしまったことに変わりはない。それを彼女は、ずっと後悔していたのだ。


 そんな想いを胸に抱きながら過ごしていたため、こうしてふと、村田や米村のことが脳裏によぎるだけで、涙が止まらくなってしまうのだった。


「……ああ、もう! 泣き止め、私!」


 自分に活を入れるように、軽く両頬を叩く。その拍子に、手に持っていた捜査資料は彼女から逃れた。はらりはらりと宙を舞い、やがてそれは米村のデスクの下に入り込んでいった。


「あ、もー! ……こういうの、一番イヤなのに……あれ?」


 自分自身に腹を立てながら、中原はデスクの下に潜り込む。すると、彼女の目に妙なものが映り込んできた。デスクの天板の裏に、何かが貼られているような違和感。同系色であったが故か、今まで全く気付かなかったものだ。


「これ、もしかして……」


 中原は思わず唾を飲み込む。この状況で最も想定し得るのは、盗聴器が仕掛けられているということだ。コードの類は見当たらないが、電池式の盗聴器など巨万と存在する上に、このデスクは電源と一体化している。そうとなれば、盗聴器がこの裏に貼られた紙の内側から出てきても、全く不思議ではない。


「……」


 その紙を剥がすことに、中原には一切の躊躇ためらいもなかった。指のおもむくまま、少しめくれ上がった部分から一気に剥がす。すると――――


「……え?」


 剥がした先には、また更に紙が……いや、封筒が貼られていた。僅かに膨らみがあり、紙以外の何かがその中に入っていることが窺える。その中身は、サイズとしてはほんの数センチ四方のものだと見受けられた。


「これ、は……っと」


 中原はまた、興味の示すままにその封筒を天板裏から剥がす。紙の感触、色合いからして長いこと張られていたものではない。貼っていたテープ自体にも変色はなく、恐らくはこれが設置されてから半年も経過していないのではないかと推測された。


 少なくとも盗聴器ではない、という安心感からか、中原は特に疑うことも無く、その封筒を手に取って眺め始める。そして、裏返した瞬間。そこに書かれていた文字に驚愕きょうがくした。


「えっ……」


 その衝撃に、彼女は思わず封筒を落としてしまった。カシャン、という音と同時に、その封筒からは一枚の紙と、USBメモリのようなものが飛び出した。一般的な家電量販店に大量に陳列されているような、ごく普通のUSBメモリ。そしてまた、何の変哲もない紙切れが、封筒から顔を出している。



 その封筒には、『中原へ』と書かれていた。字体から察するに、明らかに米村直筆のものであった。



「これ、どういうこと……?」


 急な出来事に恐怖を感じ、中原はその封筒を拾うことを躊躇ためらう。それに、USB……あれは、井上 由貴子……鈴石の身代わりとされ、不条理にも殺されてしまった不運な女性の、あの凄惨な遺体画像が保存されているものだ。中原には、その確信があった。


「……まてよ? ということは、つまり……」


 このUSBメモリは、いや、この封筒はあの事件の真っ只中、あそこに貼り付けられていた、ということになる。それは、妙だ。

 高島たちの話によれば、井上の遺体が見つかった頃にはもう、米村の精神は崩壊していた可能性が高いという。実際、その頃から彼と同行しなくなっていたため、中原には彼の精神が保たれていたかどうか、確証を得られないのだ。


 となると、この封筒の真意がまるで不明だ。日々、記憶も精神も削がれ、結局自らの腕を削いでしまった彼が、こんなに手の込んだことを……しかも中原のために行ったというのだ。それは、余程重要な事実が、これに隠されているということに相違ない。


 強い緊張感が、中原を襲う。


「……漆原うるしばら先輩、すみません。ちょっと寄り道します」


 結果、彼女はその誘惑に打ち克つことは出来なかった。身をかがませ、落とした封筒を拾う。そして、身を隠すかのように、そのままの姿勢でその封筒を開けた。


 中身は、先ほどから顔を出しているUSBメモリ、そして紙切れが一枚あるだけで、あとは何もない。封筒を逆さまにし、何も出てこないことを確認した彼女は、紙きれの方から確認しようと手を伸ばす。


 A4サイズの、恐らくコピー用紙だ。きっと会議室にあった備品を持ちだしたのであろう、彼の無粋ぶすいさが際立つ。しかし問題なのは紙質でも、備品を私用したことでもない。その中身だ。


 意を決し、ぺら、とその紙きれを広げる。そこには、やはり米村の書体で、こう書かれていた。


『これを見られたということは、全て終わった後なのだろう。君が生きているかどうか、もう俺には分かることではないが……もし君が生きていて、それでいてまだ警察官を続けようというのであれば、同封のUSBメモリに保存されたデータを見たまえ。そこには、君の知らなかった事実が入っている。帝都大学で起きたあの事件の、真実が隠されている。

 重ねて言うが、今後も警察官として生きていくのであれば、だ。はっきり言っておくが、生半可な気持ちで見るものではない。覚悟はしておくように』


「……なん、ですって……!?」


 中原は戦慄した。こうなることを予見した米村に対してもそうだが、帝都大学での事件……つまり、あの感覚遮断実験中に起きた、兄である裕司、そして井上 翔也が死んだ、いや、殺された事件の真実が、このUSBメモリにあるのだという。


 紙に書かれた内容に、思わず身を震わせる。口は開き、刮目かつもくする。


「どういう、こと……? あの事件に、何が隠されているっていうの……?」


 そして、目線を下へと移す。そこには、小さく追伸、と記載されていた。無論、米村の字だ。


『追伸

 もしUSBメモリの中身が信じられなければ、村田先輩と同期の、箱崎はこざき先輩か、漆原うるしばら先輩に尋ねるといい。健闘を祈る。

                  米村 奎吾』


「漆原、先輩って……」


 漆原 うるしばら隆道たかみち。ちょうど、この部屋に入り、米村のデスクを探してくるよう中原に命令した人間が、彼であった。村田より判断力は数段劣るが、熱血派の人間として人望は厚い。また彼も村田と同じく、霊身教れいしんきょう信徒たちの立てこもり事件により、意識不明になるほどの重傷を負った人物でもある。


 そんな彼が、帝都大学での、あの事件の真実を知っている。もう、中原の頭は混乱していた。信じがたい情報が次々と押し寄せ、もはやパニック寸前であった。


「ええい、もういい!」


 ふと一息吐いたところで、気合を入れ直すかのように、両頬を掌で軽く叩く。二回、三回と叩き、その痛みにより現実が戻ってくる。頬は赤く染め上がっていくが、彼女の頭はそれと反対に、冷静になっていく。


「見てみれば、分かること。……今さら警察官を辞めようなんて思わないよ、先輩」


 一言、自分に言い聞かせるかのような言葉を吐き、同封のUSBメモリに手を伸ばす。そして、手近にあったPC端末へと、それを繋いだ。ウイルス感染の可能性も考慮し、雑務用にしか使用しないPCを選択するくらいに、彼女の頭は冷静だった。


「……これ、ね……確かに、あの時にはなかったファイル……」


 USBメモリのデータを確認する。無防備に、というよりは、もう見つかることを前提としているかのように、そのトップ画面に『帝都大学』と書かれたフォルダが存在した。

 迷うことなく、中原はそのフォルダを開ける。中には、画像と、報告書が入っていた。画像にはいい思い出のない彼女は、まず報告書の方から開ける。ページ数にして、数十ページにも及んでいるが、そのほとんどがこの事件を隠蔽いんぺいするように指示された内容が記載されているだけであった。


「……これ? これのどこに、真実が……え」


 画面をスクロールする中原の指が止まる。ある一つの項目を、身じろぐことも無く、ただ一心に見つめている。

 彼女が見つめている先は、『』の項。大量の生徒を殺傷した、精神を侵されたその人間の名前が示されていたのだ。


 その名は―――――





 中原の兄、裕司は、あの事件の被害者ではなかった。実験中に発狂し、次々と刃物で切り付けていった……そして、23名もの犠牲を出したのが、彼女の兄だった。


 そして、その兄はその場で刺殺された……止めに入った彼の友人、井上 翔也によって、刺し違えるように。


「そんな、そんな……嘘、嘘に決まってる……」


 マウスを操作する手も覚束なくなるほど、彼女は冷静さを失っていた。指も震え、あちこちをクリックしてしまっている。その異常な行動に、PCは悲鳴を上げ、やがて動かなくなった。処理が追い付かなくなったのだ。


「ちょ、ちょっと! 動いて! 動いてよ!」


 固まってしまった画面に、ただ泣き叫ぶような声をぶつける。ガン、とマウスを机に叩きつけ、やがて彼女は、頭を抱え込んでしまった。


 すると、彼女の叫び声が聞こえたのか、ある男性が部屋の中へと入ってくる。怪訝な面持ちで、PCの前で頭を抱え込む彼女を見つけた彼は、軽い口調で言った。


「おうおう、なかなか戻らないと思ったら……何してんだ? 悲鳴なんか上げて、ゴキブリでも出……」


 そして、ふと彼の目にもPCの画面が映り込む。帝都大学の事件の詳細を記した、報告書。彼は、それを目にしたことがあった。いや、これを作成したのは、他の誰でもない、彼……。


「漆原、先輩……」


 死んだような目つきで、中原は漆原を見上げる。

 この報告書を作成したのは、漆原だった。彼は……いや、村田も、米村も知っていた。中原の兄は、単にあの事件に巻き込まれたのではない、と。そして、それを今の今までずっと隠し通してきたのだ。


 無論、彼女が例の組織について知る必要性も無かったし、警察官になったそもそもの動機が、この事件……正確に言えば、彼女の兄が殺された真実を追究するためだった。そんな彼女には、この真実はあまりにも重すぎたのだ。


「お前……どこでそれを? それを知っているのは、ここだと村田か……米村くらいだろう。……まさか、米村か?」


 ハッとした様子で、漆原は米村のデスク周りを見渡す。相変わらず雑然としているが、その手前に、見覚えのない茶封筒と、紙が落ちていた。遠目ではあるが、そこにははっきりと、『中原へ』と記載されているのも確認できる。


「……なる、ほどな……アイツなりの気遣い、ってヤツかな……」

「気遣い……?」


 彼の言っている意味が分からず、ただ呆然ぼうぜんと聞き返すことしかできない中原。そんな彼女の様子に、漆原は少し驚いたような表情で見つめ返す。


「ん? もっと、こう……取り乱すかと思ったんだが……気づいていたのか?」

「え、えっと……それは、全く知りませんでした……でも、どうしてですか」


 まだ震えの止まらない彼女は、今まで彼らがこの真実を隠していた……そのことを問いただす。自身の大切な兄が、そんなことをしていた……それを隠されていたのだ。中原の心中は穏やかではない。殺意にも似た、鋭い視線を返す。


「どうして、黙っていたんですか! こんな大切なこと……私に、どうして!」

「……」


 漆原は、そっと近くにある椅子へと腰かける。中原の剣幕に怖気付おじけづいた……という訳ではない。柔和にゅうわだが、憂いを帯びたような優しい目で、中原の問いへと返答する。


「……守りたかったのさ」

「守り……?」


 突拍子もないその言葉に、中原はあの時の様子を思い出す。高島の、宮尾を救うための決断……。


「そう。深く傷ついてしまった女の子を、真実なんていうクソの役にも立たないもので殴りつけたらいけない、って思ったのさ。君の兄、裕司が死んでから君は、PTSDになっただろう? そんな繊細な子に、こんな真実を教えたところで、悲劇しか待っていないからね」


 つまりは、全て中原を、その未来を守るために、全会一致で秘匿するようにしたのだ。確かに、当時の彼女はボロボロだった。そんな彼女が、もしこの真実を聞かされていたら、警察官になるどころか、もうこの世にいなかった可能性すら有り得るのだ。


「私を、守るために……みんなで……」

「うん、だからさ、警察官になったって聞いたときは驚いたもんだ。あの儚げだった子が、俺たちと肩を並べようとしてるんだからね。そんな子の想いを、絶対に壊しちゃいけない。それで、しばらくまた隠しておくことにしたんだが……米村め」


 恨めしそうに、漆原は米村のデスクを睨む。まるでそこに仏頂面ぶっちょうづらの彼がいて、少しは人の気持ちも理解しろ、とでも言うかのように。


「……それでは、どうして米村先輩は……私に、これを……偶然でしたが、見つかってしまうことは確実だったでしょうに……」


 真実を隠し通すことを、彼は放棄した。それも彼の死後、それが判明するように、周到に工夫されて。漆原は気遣い、と言っていた。一体、何がどうして気遣いとなるのか。


「……この前の事件のこと、聞いたよ。君の最終的な判断についてもね。犯人を隠避する行為……それは確かに、警察官としては言語道断だ。しかし……」


 彼は椅子から立ち上がり、まだ小さく身を震わす中原の肩に手を置く。


「それでも、君は警察官として生きていく……そう決めたんだろう? 自分の中の正義ってものが固まったんじゃないかな?」

「正、義……」

「そう、正義だ。法や倫理を度外視した、また別のものだ……それを自分の中に見出しても、こうして警察官として生きている。そんな強い心を育んだ君になら、もう心配はいらない……そういうことじゃないかな?」


 単純明快だ。

 真実を伝えることが、本当の正義ではない。それが正義だというのであれば、宮尾も、そして中原も、ここに存在しえなかっただろう。それを、あの事件を通して中原は理解したのだ。その上で、こうして警察官として生きている。

 だからこそ、米村は残していったのだ。禍根かこんとならないよう、隠した者の一人としての責任を果たすために。


「……ふふ、卑怯ですね、米村先輩。それって、ただの言い逃げじゃないですか」

「ははは、違いないね! ……さて、そろそろ捜査に戻らないとな。資料は見つかったか?」


 そう言って立ち上がった漆原のスマホが鳴動する。黙ったままスマホを耳に翳す彼に、中原は素早く捜査資料を手渡す。


「……おう、何があった……は? 自首? どこに……はぁ、なるほど、わからんなそれは……おう、すぐ行く」

「何かあったんですか?」


 奇妙な漆原のやり取りに、中原は目を丸くし尋ねる。自首、という言葉まで聞こえてきたのだ。つまり、犯人は今警察署内にいるのだと考えられる。強盗殺人まで起こした犯人が、そんなにあっさりと自首するというのは、確かにおかしいのだ。


「さぁな……よく分からないけど、『やり直せるかな』とか言ってるらしい。とりあえず、これ資料は貰ってくとして……中原はここで上がって良いぞ。クリスマスなんだし、誰か誘って食事にでも行ってこい」

「誰かって、そんな」


 反論も言わせぬまま、彼は颯爽さっそうと部屋を後にした。

 残された中原は、少しの間呆気あっけに取られたものの、先ほどまでの話を思い返していた。真実を話さないという正義。そして、真実を受け入れる心。


「……うん、私の決断は正しかったんだ。もし記憶を取り戻したとしても……それまでに、あの子の心が強く育ってくれていればいい。もう、あんな思いをさせないように……」


 徐にPCの電源を落とし、USBメモリを引き抜く。そして米村のデスク前に置かれたままの手紙を拾い上げ、大事そうにカバンへとしまい込む。


「ありがとうございました、先輩……」


 米村のデスクへと敬礼し、部屋を後にする。


 彼女はきっと、優秀な警察官となるであろう。数々の事件を思慮深く観察し、迅速に行動して解決へと導く、誰もが憧れる人間に。それは、尊敬する二人の遺志を継ぐように。

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