第29章 彼の思い、彼女の想い
東京総合国際病院、六階――――『内科病棟』とは記載されてるが、特殊な内科……主に、神経内科や精神内科をメインとした患者の集う病棟に、岬は運ばれていた。
精神科病棟……その言葉に、俺たちは思わず身構えてしまったのだが、精神科は階層として六階に位置しているだけで、当の精神疾患のある患者たちは隔離されているのだという。
「まぁ、余程のことはない限り、岬さんと彼らが交流することは無いと思っていいよ。年に数回、一部の患者が脱走したり、自殺したりするくらいだからね」
森谷は、あっけらかんとした態度で俺たちに説明している。一部、聞き捨てならない言葉も聞こえたが……それだけ、この病院の管理状況は信頼における、そう思っていいのだろう。そうでなければ、こうして俺たちを
「……それ、喜んでいいことなんですか……?」
それでも不安そうに、中原は表情を曇らせている。彼女の兄の事件を考えると、精神疾患のある患者に対して、彼女が恐怖心を抱くということは理解できる。しかし、そう言ったところで岬を他の病棟に移すわけにもいかないのだ。
「……彼らだって、好きであそこにいるわけじゃないよ。俺が中原さんにこんなことを言う資格はないけど、信じてくれないかな」
「……」
森谷の
俺や中原、胡桃は心的外傷後ストレス障害……PTSDを患っていたことがある。急性ストレス障害、という分類ではあるが、PTSDも立派な精神疾患の一つだ。そういう意味では、あの閉鎖病棟にいる人間たちは、森谷よりも俺たちの方が近いのかもしれない。
精神疾患を持っている、という括りだけで、凶暴だ、理解が及ばない連中だ、と断じてしまうこと。それは結果として、俺たち自身をも異常だと決めつけることになるのだ。それは、明らかにナンセンスなことだ。
「すぐに理解しろ、だなんて言うつもりもないけど……患者にだって、もちろんその家族にだって、それぞれの人生がある。俺にも、中原さんにも。そこはほら、否定しちゃうとさ……可哀そうだから」
「……そう、ですね……人生、か……」
森谷の言葉は、決して
「おっと……そんなことを言っていたら、危うく通り過ぎてしまうところだったよ。ここが岬さんの病室だ、先に入って様子を見てくるから、少しここで待っていてくれ」
六〇三号室。無機質なドアと、消毒用アルコールが設置されただけの簡素な外観。そこに、彼女の名前……岬 千弦、それが間違いなく記載してあった。
「目を覚ましたのに会えないなんて、ちょっともどかしいなぁ……」
「いや、さすがにすぐに会うのは岬の負担になるだろ。もし可能だとしても、面会時間は数分くらいじゃないか」
宮尾の呟きに、俺は少し呆れたように返した。
「それは分かるけどさぁ……ねぇ?」
「え、ええ? むしろよくここまで通してくれたなぁ、って逆に驚いてるよ、私は」
そう胡桃にも
子どもかよ、とツッコみたい気持ちを抑えつつ、森谷が病室から出てくるのを待ち続けた。
そしてしばらくの間、バタバタと走り回る看護師の足音や、バイタルサインの変化を告げる機械音が俺たちを包む。それは心地のよい音ではなかったのだが、無音よりもずっと良い。何も音が無いということは、やはりそれだけ恐怖なのだ。
森谷が病室に入ってから十数分くらい経った頃。不意に、六〇三号室のドアが開いた。今まで聞こえていたものとは異なる音に、俺たちは少しビクッと反応する。
「はぁー、お待たせしました。今のところ問題はないんですけどね、面会は二名か三名でお願いしたいです。できれば、そうだなぁ……高杉くんと宮野さんは分かれて」
「誰ですかそれ。高島ですよ、高島。それと宮野じゃなくて宮尾です。……興味がないにも程がありますよ」
「あ……失敬」
絶対にこの男はまた、同じように名前を間違えるだろう。今はこうして反省したような態度を見せているが、すぐに忘れるに違いない。それこそ、中原のように因縁がある相手であれば記憶するのだろうけれど。
「もう……それは良いんですけど、何で分かれるんですか? ハルと私がずっと居たら良くないんですか?」
「ああ、それだとここにいる全員は面会できない。彼女の様子だと、恐らくは持って20分くらいだね。それ以上は、薬の影響で覚醒が保てないだろうから。それに……」
そう言うと森谷は、中原、そして一雪の方へ目を向けた。
「警察関係者、それに……ええと、人の家庭に口出しするのは良くないんだけど……あまり関係の良くない父親が来たら、恐らくだけど警戒するんじゃないかな。少なくとも、彼女は米村さんに拘束されていた訳だし」
確かに、米村と同じ警察官である中原と、岬に対して愛情を注いでいるように見えない一雪は、単独、もしくは彼ら二人だけで会わせることは避けたいところだ。かと言って、胡桃も出会ったばかりだし、そう考えるのであれば、親友である俺と宮尾がいることで安心感を与えられる。
「なるほど……意外とよく考えてるんですね」
「意外とは失礼ですね。患者さんのことは第一に考えるのが医者ですよ? まぁ、それは良いとして……早く入らないと、彼女はまたすぐに眠ってしまいますから、ペアを組んでください」
そして少し話し合った結果、俺たちは男性と女性に分かれて面会することにした。俺と一雪、宮尾と胡桃、中原の組み合わせだ。
本当は、俺は一雪と面会するのは嫌だった。彼は、心無い言葉を岬に向けて言うかもしれない。そんな時に、俺は怒りを抑えられる自信がないのだ。もしかしたら、彼女の目の前で父親を殴ってしまうかもしれない。それだけは絶対に避けたかった。
「……男性と女性、か。分かりやすいけどなぁ、男性である米村に捕らわれていたことを考えると……」
そう森谷が苦い表情を浮かべ、ブツブツと何か呟く中、しびれを切らしたように発言したのは、意外なことに一雪だった。彼の表情は、今までの
「何をうだうだと……私はあの子の父親です。であれば、私が先に会うのが道理でしょう。ということで、私は入りますから。……止められても入りますから、そのつもりで」
そう言って、一雪はドアに手を掛けた。思いがけない行動に、その場にいる全員が戸惑い、硬直する。
そして、そんな空気を感じていないかのように、彼は森谷と同じく何一つ臆する様子もなく、病室へと入っていく。
「……え、あの、ちょっと!」
一雪とペアを組むはずだった俺は、慌てて彼の後を追って病室へと入っていった。
「失礼するよ」
俺が病室に入った時、一雪はまるで赤の他人を見舞うかのような言葉を、岬へと投げかけていた。
当の岬はと言うと、少しだけ目を丸くしながらも、特に驚いたような声を上げることも無く、ただ黙って一雪を目で追っている。
「ちょっと、そんな急に……ああ、岬……大丈夫、か……」
一雪の身勝手な振る舞いに、少し腹を立てつつあった俺だったが、岬の様子を見た瞬間、頭の中が真っ白になった。
岬って、こんなに小さかったっけ。
俺の頭の中に浮かんだ言葉は、気の利いたものでも何でもない、ただ見たままの感想だった。
もちろん、日本人の平均身長と比べれば岬は小さかったが、そういう意味ではない。いつも元気で、たまに俺にちょっかいを出してきた彼女は、こんなにも小さく、儚げな存在だっただろうか。
「あ……ハル……」
岬は、先に訪れた父親には何も言わず、俺に声をかけてきた。しかし、その目には光が
あの実験……感覚
現に、岬はスマホのスピーカーですら壊れそうなくらいに大きな声を、断続的に上げていた。あれは、音が聞こえない恐怖と、何も感じないことへの不安から来る行動なのだろう。その結果、彼女は喉が潰れてしまったのだろう。
改めて、あの実験の恐ろしさを感じた。そして、そんな実験を岬に対して行なった米村への怒りも、沸々と湧いてくるのだった。
「……あ、お父さんも……ダメでしょ、まだ仕事の時間なのに……」
「……そんなことはいい。それより、もう大学生だというのに、警察ごっこをしていたんだそうだな。その結果が、これか」
一雪は、冷たく、そして怒りに燃えるような目で岬を睨んだ。先ほどまでの
「そう……ごめんなさい」
「お前だけがこうなるならば、自業自得だ。しかし、結果としてお前は、警察、病院、それに友人を巻き込んだ。これがどういうことなのか、理解できないとは言わせん」
わなわなと、一雪は怒りで体を震わせている。一部の情報しか知らない人からすれば、岬の行動はそうして理解されるのかもしれない。しかし、それは事実ではないし、岬はむしろ巻き込まれた側の人間だ。そんな彼女に、彼の言い方はあまりにも厳しすぎる。
「ちょ、ちょっと待ってください。岬……千弦が捜査をしようと言ったわけじゃ……」
「部外者は黙れ。私は千弦に聞いている」
ギロリ、と俺を一睨みした後、また岬の方へ向き直る一雪。
「仮に、捜査をしようと言い出したのがお前ではなかったとしても……お前は止める立場であるはずだ。それを、どうせお前は面白がったのだろう? いつまで子どものつもりでいるんだ」
「……」
こんな状態の岬に対し、容赦なく怒りをぶつける一雪。そんな彼の姿に、俺は我慢が出来なくなっていた。
「今はそんなことを言うときじゃないだろ! 岬は死にかけたんだぞ!!」
「黙れと言っている!!」
俺と一雪、二人の怒号が病室内に響き渡る。このままでは、岬の精神に影響が出てしまうかもしれない。しかし、彼をあのまま喋らせるわけにもいかなかった。
「……元はと言えば、岬にあの毒物の話をしたのは、この俺だ。だったら、こうして岬が人質になってしまったのは、辿って行けば俺の責任だ! 岬のせいじゃない!」
岬が、母親の研究について調べることになった原因。それは、俺が森谷から得た『エンドラーゼ』の副産物の話……それを、グループチャット内で話したことだ。そんな情報を、堂々と流してしまった俺にこそ、責任はある。
「はっ、何を言うか。そんな毒物の話をしたところで、普通の人間には何も分からないだろう。このバカ娘は、勝手に妻の研究を探し出して、勝手に事件と結び付けたに過ぎない。それが……」
怒りを通り越して、呆れたような顔で俺を見下す一雪。
しかし、彼の言葉は、岬の行動によって途絶えることとなった。岬は、まだ自由に動かせないはずの腕を、少しだけ挙げたのだ。
そして、か細い声で、彼女は言い放った。
「……ちが、う。……ハルから聞く前……もっと前、から……知ってた……」
「……え?」
岬の言葉に取り乱した様子の一雪は、しばらく口を開けたまま、じっと彼女の方を見ていた。彼女を見ているというよりも、見る対象物などなく、ただ彼女の方に目を向けているだけ、と言うべきだろう。
「……ど、どうして……」
ポツリと、一雪が岬に話しかけ始める。
「なんで、母さんの研究のことを……あれは、お前に一言も……」
ベッド柵に、一雪は震える手を掛ける。それでも彼の手の震えは止まることなく、むしろベッド柵をも、カタカタと震わせていた。
そんな一雪の問いかけに、岬は小さく
「隠しても、分かるよ……バレバレだもん……」
「う、嘘だ……そんな……」
一雪は、そのままベッド脇の床に座り込んでしまった。その姿は、先ほどまで怒鳴っていた彼とはまるで別人のようだった。
「お葬式の日……だったかな……お母さんの、机の引き出し……あそこに、全部書いてあった……研究のこと……誰かに、脅されていること……」
「……机の……そんなところに……」
そんな単純な隠し場所にすら気づかないとは、一雪も当時は相当に焦っていたのだろう。しかし皮肉なことに、そのちょっとした詰めの甘さが、今回の岬の被害に繋がってしまったのだ。
「隠してる、のは……理由があるからだって、そう思って……言わなかった……でも、そっか……相談、すれば良かった、のかな……」
そう言って、岬はまた小さく
「お父さん……無理して、そんな態度……本当は、すっごく優しいお父さん……」
「あ、ああ……ああああ……」
さめざめと泣き崩れる一雪、そして岬はそれ以降、言葉を発することはなかった。思ったよりも早く、森谷の言っていた薬の作用……それが訪れたのだろう。
岬が寝息を立てるのを確認した俺は、彼女の涙を拭った。そして、床に座り込んだまま泣き続ける一雪に問いかけた。
「……一体、何の話だったんですか。脅されている、というのは、岬の……」
「……」
「……どこで、間違ってしまったんだろう。どこで……」
そう言って天を仰いだ一雪。また一筋、頬を涙が伝っていく。
「……聞いてもらっていいかな、私の最大にして最悪の失敗の話を」
東京総合国際病院の地下……森谷の研究室に、俺たちはまた集まっていた。面会が出来なくなったということもあったが、病室の外まで聞こえるくらいの大声と、泣き崩れた一雪。それらの理由について、詳しく説明する必要があったからだ。
「あの子に精神的な負担を与えたらいけない、そう考えなかったんですかね?」
苛立ちを隠せない様子の森谷は、トントン、と机を指で叩きながら静かに一雪に問い
「……全くもってその通りです。私は、やはり悪い父親でした」
『やはり』――――その言葉を使うということは、彼は自分の行いが、父親として失格であると理解している、ということになる。
「自覚していた……というよりは、自らそういう風に立ち回っていた……そう言いたいんですか?」
「ええ……しかし結果として、それは意味を
そう言って一雪は、一つ大きなため息を
「私は……いえ、私の妻は、ご存知の通り『エンドラーゼ』の研究に携わってきました。妻は鈴石さんと同じ大学の出身で、研究室も同じだったようで……その縁もあってか、共同研究の話が飛び込んできたのだと、そう聞いています」
胡桃から『エンドラーゼ』の共同研究を行なっていた、という事実は確認している。しかし、同じ大学で同じ研究室に所属していたことまでは、その情報にはなかった。そうだとすれば、彼女たちはそれなりに仲の良かったことだろう。
「妻は、千弦を身籠った際に研究から離れたのですが……お恥ずかしい話ですが、妻は研究データを家に持ち帰ってくることが多くて。個人情報のこともあるので、何度か注意したのですが……」
「……それで、例の副産物のデータが、彼女の手に渡っていた、と」
中原の問いかけに、一雪は小さく頷いた。当時のデータ管理の甘さについては、今さら議論の余地もないことだ。しかし、それがきっかけで彼女は廃人になってしまった。そう考えると、後味の悪い話である。
「五年……いえ、正確にはもう少し前から、だったと思います。妻は、ある人物から頻繁に電話を受けていました。毎回、妻は怒鳴って電話を切っていたのですが、恐らくそれが、例の組織の人物からの電話だったのでしょう」
「データを渡すように、という電話が頻繁にあった……そういう理解でよろしいですか?」
「ええ、話の内容からはそう聞こえました」
これにより、『エンドラーゼ』の開発データが岬の母親から例の組織へ渡った、という胡桃の推測は正しいことが証明された。鈴石の生死については、まだはっきりとしないものの、出産により休職した人物にわざわざアプローチしたことを考えると、恐らく鈴石は、すでに死んでいるのだろう。
「例の組織の話については、電話の内容が脅迫めいてきたころ、妻からの相談で知りました。最初は半信半疑、と言いますか、むしろ疑いしか持っていませんでしたが……」
「事件が起き、そして、奥様はそれに……」
「……今でも、あの光景は夢に見るんです。久しぶりに妻とデートだなんて、年甲斐もなくはしゃいでいた私の目の前で、妻は……」
また少し、一雪は目に涙を浮かべた。彼の頭の中で、事件当時の記憶がフラッシュバックされているのだろう。
岬の母親は、聞くところでは交通事故により廃人となったという。彼の話からしても、恐らくはそういう状況だったと考えて良い。しかし実際には、その事故も仕組まれていた可能性が高いのだ。そう考えると、悲しくて胸が苦しくなる。
「……すみません、少し取り乱してしまいました。そんな経緯もあり、千弦だけは守らないといけない……そんな思いで、私は彼にデータを渡してしまったんです」
「そう、でしたか……えっと、ちなみに彼、とは?」
中原は、間髪入れずに質問をした。
一雪は、確かに『彼』、と言った。『男』、ではなく、『彼』……そう表現する場合は、彼が名前を知っている人物である可能性が高い。それは、この事件において大きな情報となり得るのだ。
「え? えっと……ほら、どこかの駅前のビルで変死体となって発見されたと、最近ニュースになっていた……」
「ビルで変死体……それって、まさか奥村ですか!?」
「そう、そうです。ニュースであの顔写真を見て、ああ、コイツは、って思ったので、それはよく覚えています」
奥村が、『エンドラーゼ』のデータを回収した人物……
「なる、ほど……奥様と電話のやり取りをしたのも、奥村だったんですか?」
「そう、です。私の記憶が正しければ、の話ですが……」
そうだとすれば、奥村は随分とおしゃべりが過ぎる。幹部候補だというのに、その口の軽さは問題だっただろう。
「ですので、今回の事件の話を聞いてゾッとしました。妻をあんな風にした組織が関与している事件に、千弦が巻き込まれているだなんて。それで、ついカッとなってしまい……本当は、もっと早くに、ちゃんと話をしておくべきでした。でも……」
苦笑いを浮かべ少し俯いた一雪は、さらに話を続けた。
「また、愛する人を守れなかったら。また、目の前で悲惨なことが起きてしまったら。そう考えると、仕事もまともに出来なくなって。……それで、不器用な私の講じた策は、千弦を愛さず、仕事だけに集中することだった……」
彼の、最大にして、最悪の失敗……仕事人間となり、岬への愛情を封印することで、失う怖さを克服しようとしたこと。それが結果としてコミュニケーション不足を生み、岬は一人で捜査をして、米村に捕らわれてしまった。
「私が愚かでした。千弦を守れなかったうえに、信頼も損なわれてしまった。私は、もう父親として存在する価値は……」
「……いえ、それは違います」
一雪の言葉をかき消すように、俺は強く、はっきりと言った。
「岬は、本当はすごく優しいお父さん、と、確かに言いました。全部、岬は分かっていたんだと思います。それでも黙っていたのは、いつか理由を話してくれる、そう信じて……信頼していたんだと、俺は思います」
「そう、なのかな。そうだと、いいな……」
一雪は、そのまま目を閉じて黙り込んだ。
「やり直す機会はあるんです。まだ、二人とも生きているんですから。これから、少しずつ関係を取り戻していってください。いなくなってからでは、遅いんです……」
俺の言葉に、小さく、何度も頷いた一雪。
「……うーん、主治医の俺としては、あんな騒動を起こした人を病室に入れたくはないんですけどね。まぁ、特別に許しましょう。ただし、次はありませんからね」
「はい……」
そう言うと、森谷は軽く笑って席を立った。
「それで、ちょっと俺は他の患者家族と会う約束なので……岬さんもあの様子ですから、また明日にでも見舞いに来てください。今日はこんなところで良いですか?」
森谷の言葉に、思わず時計を見る中原。針は、すでに15時を回ろうとしていた。
「うわ、もうこんな時間……ごめんね、これから村田先輩の件の話があるから、私はここで!」
「え、わ、私はどうすれば……?」
ここで解散してしまうと、必然的に胡桃は自宅に帰ることになる。しかし、彼女にはまだ別の問題が残っていた。例の週刊誌の記者……彼が、まだ胡桃の自宅付近を張っているかもしれないのだ。
「あ、ああそうか……えっと、二人ぐらい誰か寄こすから、そいつらに送ってもらって。私が話をつけておくから!」
そう言って、中原は足早に研究室を去っていた。
「いいんですかね、本当に……」
「まぁ、良いんじゃないのかな……? 危ないことは確かだし、ここにいてもどうにもならないし……」
田中と言う記者が、果たして胡桃にまで暴力をふるうかどうかは問題ではない。彼の言葉の暴力の方が、よっぽど危険なのだ。とはいえ、森谷の研究室に長居するわけにもいかないのも事実であった。
「うーん、俺は別に、ここを使うのは構わないけど? とりあえず、ちょっとまた病棟に行ってくるから、ゆっくりしてもらっていいからね」
森谷は、そう言うや否や、中原と同じく足早に部屋を出ていった。
「……それでは、私もここで。今日は本当に済まなかった。特に高島くん、大人げなくて申し訳ない」
「あ、いいえ……俺も、親子の話に口を出してしまって。これから、またやり直せるように頑張ってください」
その言葉を受け、一雪は小さく
最終的に、残されたのは俺と宮尾、そして胡桃の三人となった。
「二人とも、帰ってもいいと思うんだけど……春来くんは、もう狙われることはないし、藤花ちゃんも、弟さんが心配するでしょ?」
「いや、どっちかというとここに胡桃を残しておく方が不安だよ……」
胡桃と二人きりになったら、森谷はどういう反応をするのだろう。まさか襲うとは思えないが、放っておいていいとは思えないのだ。
「うん、私もそう思う……う?」
ヴーン、ヴーン
どこかから、スマホのバイブ音が聞こえてくる。焦るように宮尾がポケットからスマホを取り出した。どうやら、宮尾に着信があったようだ。
「やっぱり、弟が心配して掛けてきたんじゃないのか?」
「……」
俺の言葉が耳に入っていないように、宮尾は全く反応を示さない。スマホの画面を見たまま、固まってしまっている。
「……? おい、一体何が……え……!?」
宮尾の異常な様子が気になり、俺は振動を続ける彼女のスマホをのぞき込んだ。そこに表示されていたのは――――
『着信 米村さん』
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