第19章 これは誰のための復讐劇か

 9月4日。アパートの二階、自室に戻った俺は、昨日の出来事を思い返していた。あの後、大家が戻ってきたころには米村と胡桃の姿はなく、宮尾と俺だけが暗い部屋の中、取り残されていた。大家は、多くを聞こうとはせず、ただ、今夜も泊まっていきなさい、荷物運びは、明日でも十分でしょう、と言ってくれた。


 管理人室での生活は、不便なことも多かったことは事実だ。でも、常に誰かがいる、ということは、大きな安心に繋がるのだと感じた。10年以上も会っておらず、自分自身、彼女のことを全く覚えていなかった。それでも、俺のことをちゃんと心配してくれる人間がいるということに救われたのだ。


 少しこじれてしまっていた、俺を引き取ったあの親戚夫婦も、今回のようなことがあったら、俺のことを心配してくれただろうか。そう考えると、今まで他人のように接してきた俺が、なんだかとても恥ずかしく、みじめに思えた。自分で殻に閉じこもり、勝手に妄想をして、そしてまた自分を傷つけていた。


「……今度、久しぶりに家に帰ろう。そして、出来たらあの人たちに、ちゃんと謝ろう。今までのこと、それから、これからのことも、全部……」


 結果として、俺の巻き込まれた事件はあっけなく、そして違和感を残したまま終わりを迎えた。でも、俺はこの事件のお陰で、周りの人たちにどれだけ守られてきたのか、それが実感できた。それは、こんな言い方をしては被害者たちに申し訳ないが、俺の人生にとって大きな収穫だったと思う。


 さて、そうやって過去を振り返るのは今日までとしよう。まずは、この三日間ほど、急に空けてしまったこの部屋をどうにかしなければならない。


 普通に旅行に行く場合は、三日間などで部屋が汚れたりはしない。それに、ある程度は片付けてから出発するものだ。しかし今回は、アパートの二階から一階に移っただけとはいえ、着替え程度を持っていくだけで、あとは全てそのままの状態にしてあった。


 それの何が問題かというと、俺が一階に移る直前、米村たちが鈴石を警戒し、押入れなどを開け、危険物が仕込まれていないか全て確認した、ということがあった。もちろん、空き巣とは異なり、ある程度は元に戻してくれてはいたのだが……いやしかし、それはあまりにも粗雑そざつだった。何だったら、割れたコップなども放置されていたのだ。やはり米村は、詰めが甘いのだ。


「ああ、しかもカーペットにも血がついてるな。床には……付いていないか。染み抜きするには遅いだろうなぁ……買い替えるしかない、か」


 俺が鈴石に襲われた際の出血量は、思った以上に多かったようだ。あの時は、動揺してしまっており気づかなかったが、よく見ればバスタオルや玄関マットなどにも付着している。バスタオルは洗濯すればいいが、カーペットやマットは、もう買い替えた方がいいだろう。それに、せっかく嫌な事件が終わったのだ、模様替えでもして、気分を変えたかった。


「ひとまず、優先して買うものを決めておくか。ええと……そうだ、宮尾たちに声を掛けて、みんなで……」


 そこまで考え、スマホのグループチャットを起動した俺は、ふと、最後に会った時のことを思い出した。泣き崩れて、ぐちゃぐちゃの顔で帰ってしまった胡桃。暗い表情のまま、夕食まで共に居てくれた宮尾。彼女たちを、俺の部屋の模様替えのために呼ぶには、あまりにも無神経だと思った。

 岬は、事件の結末をまだ聞いていない。もしくは、宮尾たちから聞いているかもしれないが、二人で買い物、というのも気が引ける。それに、せっかくなら全員揃って、気分転換をしたい。


「……一人で行くか」


 俺は、開きかけたグループチャットを強制終了し、そのまま画面を閉じた。

 結論として、俺は一人で出かけることにした。鈴石という脅威がなくなったこともあるが、一人で買い物に出かける、という機会自体が、最近あまりなかったのだ。たまには、気ままに歩いてみるのも良いだろう。


「よし、と。それじゃ、また片付け再会か」


 そう言って俺は、汚れた服の仕分け作業に戻った。17時、もうそろそろ日が暮れてくる時間だった。









 9月5日、太陽が高くまで登りかけている時間帯の8時。代々木警察署の中原の元に、遺体の検死結果報告が届いていた。普段であれば、すぐに米村、もしくは村田へと提出するはずの書類だったが、彼女は自分の目で、全てチェックし始めていた。


「……血液型は、一致。DNAについては、鈴石のデータそもそもがないため照合不可。頭部は損傷が激しく、部位の判別もできない、か」


 やはり、遺体が鈴石ではない、と決めるには困難なようだ。何しろ、10年も前に死んでいる人間のデータなんて、そうそう保管しておかない。それに、通院歴を考えようにも、彼女は当時41歳。何かしらの持病が無い限り、病院には通うことなどない。医師免許は取得しているものの、彼女は一度も病院に勤務していなかった。


「といっても、元勤務先が、とっくに倒産した企業だし……健康診断がどこでやっていたか、なんて分かるはずないな。当時の奇跡堂の社長は服毒自殺、役員たちも揃って、もうこの世にいない、か。手詰まり感、半端じゃないなぁ」


 やはり、あの遺体は鈴石のもの、として追った方がよさそうだ。歯の治療痕……これも、鈴石が歯科治療を受けたかどうか、賭けに等しい材料だ。


「ま、それは一応、掛け合うとして……問題は、解剖結果、かぁ……うわぁ、見たくないなぁ……」


 解剖結果は、報告書と画像が用意されていた。まずは、報告書の方に目を通す中原。なるべく、嫌なものは見ないために。


「異常な所見……腸管内の粘膜が、びらん? ……びらんって、ただれていた、ってことか。筋組織への損傷、物理的な要因以外の可能性も高い……う、うわぁ……」


 中原の目には、とても口に出すにはおぞましい報告が記載されていた。これをリアルで見た医師は、恐らく今夜は食事ができないことだろう。


「……腸管内に、腸溶性ちょうようせいカプセルの残渣ざんさ……? た、多量の、蟻……腸管内全域にかけて……一部の生存!?」


 中原は目を疑った。その報告書には、腸管内の、あらゆるところから蟻が検出された、それも多量に、と記載されていたのだ。そして驚くことに、その中の一部は、生きて、動いていたのだという。


「ど、どういうことだろう……鈴石は、蟻を食べていた、ということ……? いや、おかしいでしょ、噛まないで生の蟻を飲み込んだっていうの?」


 冷静さを失った彼女は、すっかり頭を抱えてしまった。もう、この報告書だけで画像なんか見る余裕はなかった。それこそ、今日食べたもの全てを吐いてしまいそうだと思ったからだ。


「だ、ダメ。これは、ダメだ。村田先輩に、渡そう……」


 そう言って、彼女は立ち上がった。そして、ふらふらとした足取りで、村田のいる部屋へと向かった。初の単独捜査だ、気合を入れてのぞんでみたは良いが、その気合では乗り越えられなかったのだ。


 しばらくして、彼女は村田の元へ辿りついた。彼は、彼女の様子を見てピンと来た。しかし、彼の直感は外れることとなった。


「……言われなくても、お前のその顔を見たら何となく分かったよ。ヤバい事実を見つけたんだな?」

「す、すみません……そうではなく、あの、解剖結果が、ちょっと私には……」

「はぁ?」


 村田は、気の抜けたような返事をした。解剖の画像か何かを見て、気分が悪くなったなどと、あの彼女からは考えられない答えだったのだ。


「あんだけ一昨日は、しっかりと遺体の画像を見てたじゃねぇか。何をそんな……」


 不機嫌そうに呟く村田だったが、そんな彼の言葉を遮り、中原は解剖報告書を彼の前に突きつけた。何も言わず、顔面蒼白なままの彼女の様子を見て、彼はようやく気付いた。


「そういう意味の、ヤバい、か。なるほど、悪かった」


 そう言って報告書を受け取った村田も、あるページを見て、中原と同じように蒼白になった。多量の蟻が、腸管全域に……。


「……本当にすまなかった。画像は見たのか?」


 真摯しんしに謝罪をする村田。その様子を見て、少し冷静さを取り戻した中原は、小さく首を振った。彼女はまだ、あまり喋る気にはなれないようだった。


「じゃあ、ちょっと後ろ向いてろ。画像は俺が確認する」


 そう言って村田は、解剖の画像を確認した。しばらくの沈黙、そして、ふぅ、と小さくため息をいた村田。


「もういいぞ、中原。……この報告書通り、生きた蟻も何匹か確認できた。間違いない、あの女は、生きた蟻を飲んでいた」


 村田も、その画像にはさすがに気分を害したようだ。目頭を押さえながら、軽くうなっている。中原は、内心ほっとしつつも、自分が見たものに間違いは無かった、ということを考えると、改めて悪寒が走る思いだった。


「……しかし、あり得るのでしょうか……」


 ようやく、口を開けるまでに回復した中原は。村田に問いかけた。


「生きたまま、腸の中に蟻がいる。……つまりは、それだけ生命力の強い蟻だった、と?」

「いや……そうじゃない」


 村田は、傍にあったコーヒーを一気にあおり、込み上げてくるものを抑え込んだ。


「いいか、答えはここに書いてある。腸溶性ちょうようせいのカプセル。これを使えば、生きた蟻を腸に届けることができる。……それに、この蟻……検死した奴らは、こいつらを普通の蟻だと思ったんだろうが、違う。この種類の蟻は、日本各地にいるが、毒性が強い」

「蟻の……毒、ですか? 蟻って、毒があるんですね……そう言えば、ギ酸……あれは、蟻の酸って書きますね。あれでしょうか」


 中原は、おぼろげな記憶を頼りに言った。ギ酸……カルボン酸の一種で、腐食性の高い酸。蟻だけでなく、蜂も体内に蓄えている、迎撃以外にもフェロモンとして使用することもある酸だ。しかし、村田はそれを否定した。


「日本の蟻が作るギ酸なんて、たかが知れてる。この蟻の問題は、タンパク質を溶かす成分の毒だ。これは、普通の人間でも手に触れれば、強い痛みを感じるものだ。それが、胃酸だとかにも触れられずに、そのまま腸に届いた……そうなると」


 村田はそう言って身をひるがえし、中原に顔を向けた。


「腸の粘膜や、その組織はただれる。ここに書いてある通り、びらんになるんだよ」


 報告書に記載のあった内容、それが全て、理論的に成立した。通常の精神ではあり得ない、蟻をカプセルに詰めて、飲み込むという手法。それが、最もこの報告と合致するものだった。だとすれば、だ。


「……それが、本当だとしたら……彼女は、まともな精神状態ではない、と判断できる。蟻を飲むなんて、普通は考えられない。……それも、あの副産物の影響と考えれば、全て解決する……」


 そうであれば、今回の事件の被害者……鈴石と断定されている彼女は、自分の作りだした毒物を、自らに投与したことになる。それは、いくら何でもおかしい。今までの事件と、鈴石の死を一連のものと関連付ける理由が、鈴石にはないのだ。そこで、中原は気づいた。この被害者は、鈴石である可能性は、極めて低いのだ、と。


「せ、先輩……これは、今までの猟奇事件と全く同じ……彼女は、意図的に殺されたのではないでしょうか」


 その答えを待っていたかのように、村田は静かに頷いた。


「そういうことになる、な。……あの事件は、まだ終わっちゃいない。鈴石の遺体、それに飛びついて油断している俺たちを、真犯人は、ほくそ笑んで見ているんだろう」


 そう言うと彼は、中原に向かって命令した。それは、いつもよりも強く、意図のはっきりした命令だった。


「高島 春来を追え。米村辺りが、すでに鈴石の死を告げているはずだ。であれば、彼はすっかり油断しているに違いない。……これは、彼にとって非常に危険な状況だ。出来る限り早く、彼を探し出せ」

「は、はい!」


 即座に敬礼した中原は、その勢いのままに部屋を出ていった。その目は、先ほどこの部屋に入ってきた時とは全く異なる。使命を帯びた、強い目つきだった。

 残った村田は、再び頭を抱えだした。……状況的に、最も狙われるのは、高島。しかし、犯人の目的が、ある一つに絞られていたとすれば……。


「……俺も、腹を括る時が来たってことか、フン、面白い……」


 そう言って彼は、空になった紙コップを、グシャリと握りつぶした。わずかに残っていたコーヒーが、彼の手を、どす黒く染めていった。









 同日、9時過ぎ。代々木駅付近の交差点に、俺は立っていた。この辺りに、玄関マットなどの雑貨が売っている店があるのか、全く記憶になかった俺だが、さすがに都心の、しかも渋谷界隈かいわいだ。何かしら、オシャレなものがあるだろう……そんな適当な判断で、手近な代々木駅に来ていた。


「しかし、今日は随分と暑いな……」


 もう9月に入り、こよみで言えば秋めいてもいい頃であった。しかし、夏の忘れ物というのは、なかなかにしぶといものだ。予想最高気温は、東京で35℃と、真夏とさして変わりなかった。


「仕方ない、早めに買うものだけ買って、さっさとアパートに……」


 そう独り言を呟いた時だった。見覚えのある、小柄で奇抜な服装の女性が、交差点を歩いていた。帽子とマスクを着用してはいるが、あの服装は、恐らく彼女だ。思わず俺は、彼女の後を追った。


「ま、待って!」


 人通りの少なくなった路上で、俺は彼女に声を掛けた。ピクッと、彼女の肩が反応した。……やはり、彼女だ。


「胡桃……こんなところで会うなんて、奇遇だね……」


 思わず声を掛けたは良いが、声を掛けた理由を考えていなかった俺は、挙動不審になってしまった。はたから見れば、小さな女の子に声を掛ける怪しい青年にしか見えない。……変な汗が、じわじわと額に溢れてくるのを感じた。


「あ、春来くん……久しぶり、じゃない、か。この前ぶり、だね」


 胡桃は、少し驚きつつも、笑顔で答えた。その目には、ほとんど寝ていないのであろう、くっきりとクマが出来ていた。あのアパートでの出来事以来、彼女は恐らく、一人で事件を追っていたのだろう。それが、痛いほどに伝わってしまった。


「……あ、あのさ、元気……?」


 俺は気が動転して、またおかしなことを聞いてしまった。手紙の冒頭でもあるまいし、まるで意味のない会話だ。しかし、そんな俺を理解した様子の胡桃は、あっさりと言った


「もう、そんなに気を使わなくてもいいのに。……あの時は、取り乱しちゃってごめんなさい。あれ以来、ずっとみんなに謝りたかったから。特に、米村さんには」


 そう言うと胡桃は、少しだけ俯いた。やり切れない感情を抱えたまま、彼女は俺たちや、米村にも謝罪しようとしていた。彼女は、見た目以上に大人だった。今まで、胡桃と下の名前で呼んでいたことすら、恥ずかしくなるような思いだった。


「春来くんは、どうしてここに? あ、外出OKだからって、はしゃいだらダメだよ?」


 胡桃は、いたずらっぽく笑った。はしゃぐ予定は無かったが、少しだけ羽を伸ばそうか、なんて思っていた、とは言いにくかった。……特に、事件をまだ追っている、彼女に対しては。


「い、いやあの後、二階の部屋に戻ったんだ。でも、色々とバタバタしてたせいか、ぐちゃぐちゃで。もう思い切って、模様替えでもしようかと思って、雑貨を見に来たんだ」


 そう言って、笑って見せた俺だったが、乾いた笑いになってしまった。平常心を保てていない恥ずかしさが込み上げる。そんな俺に、胡桃は、一瞬悩んだような姿を見せた。躊躇ためらう、とはまた別の、信頼していいか、というような、そんな様子だった。そして、意を決したように、胡桃は言った。


「あの、春来くん……大事な、話があるの。今から時間、良いかな」









 10時過ぎ、カフェ・レストリア。マスターの大野は、こちらの姿を見てにこやかに笑った。相変わらず、店内には誰の姿もいない。商売をしようという姿勢が見られないことは、彼の特長でもあり、短所でもあった。


「いらっしゃいませ、いつもありがとうございます。お席は……どこでもどうぞ」


 やや自虐じぎゃく気味に言い放った大野に、俺は苦笑いで返すしかなかった。それよりも、俺には気になることがあった。胡桃が、大事な話があると言ったこと……展開的に、告白のような雰囲気は無いと思うのだが……しかし、この胡桃のことだ、多少の予想外は想定すべきだろう。


「じゃあ、この辺で。私はコーヒーフロートにしようかな。春来くんは?」

「え、あ、あの、あ、アメリカン、で……」


 告白、そう意識した瞬間、まともに言葉が出てこなくなってしまった。普段から、宮尾や岬とは接しているが、俺はあまり女性に免疫がなかった。改めて考えれば、胡桃は元アイドルで、実際今でも驚くほど可愛いのだ。服装はともかく、そんな彼女に、一対一で話したいことがある、なんて言われたのだ。意識しない方が難しい。


「なに、なんでそんなに緊張して……もしかして、バレてた、のかな。だとしたら、ちょっと恥ずかしいかも」

「えっ!?」


 そう言って少し赤くなる胡桃。注文を受けた大野も、やや気まずそうに奥の方へ消えていった。空気的には、明らかに、その、告白、というやつだ。しかし、彼女にそんな気があったなんて、全く気が付かなかったが……。


「い、いや、そんなこと、気にしなくても」


 思わず俺は、彼女のフォローをした。そう言うしかできなかった、とも言えるが、少なくとも優しい言葉をかけることが出来た俺を、褒めて欲しかった。そんな俺の気分をよそに、胡桃はいつになく、真剣な表情で言った。


「ううん、探偵として、探っていることがバレるのは良くないから。仕事としては、最悪」


 ……探偵の、仕事として? 俺は、彼女の言っている意味が分からなかった。てっきりここから、何か甘い展開が待っている、そんな妄想をしていたからだ。不意を突かれ、俺は言葉を失った。


「でも、そうだよね。春来くんにとっては、一番身近な存在だったもんね。藤花ちゃんと、岬ちゃん。……私ね、彼女たちのこと、こっそり調べたの」

「……え……?」


 空気が止まった。俺の思考も、動きも、全て凍り付いた。彼女、今、何て言った? 宮尾と岬を、調べた? 何でそんなことを?

 理解のできない俺に、彼女は畳みかけるように言った。


「岬ちゃん、お兄さんのように慕っていた人がいたって言ってたよね。それ、春来くんの知っている人なのかな?」

「い、いや。多分だけど、俺と仲良くなる前の話だと思う……」


 急に振られた話に、戸惑いながら答える俺。胡桃は一体、何を言い出しているのか。冗談のつもりなのだろうか。


「そう、だよね。そのお兄さん、翔也さんって、藤花ちゃんは言ってたけど……その彼、六年前に亡くなっているの。しかも、調べた限りでは、明らかに不自然に」

「不自然……というのは、つまり……?」


 彼女が、あえて不自然と言った。それは、明らかに意図があった。彼女が独自に調べても出てこなかった不審死。つまり、普通に調べても発見できないほどに隠された事件だということ。そして、六年前という数字は、重要な意味をはらんでいることを、俺は知っていた。


「春来くん、聞いたことはない? 帝都大学での大量不審死事件。あの時、マスコミは少しだけ騒いだのだけど、いつの間にか、報道すらされなくなった事件」


 ……そうだ、中原の兄が死んだ事件……六年前、名前のない組織により引き起こされた事故。その後は、米村や森谷たちにより隠蔽いんぺいされた、あの事件。


「ああ、知っている。……しかし、それがなんだって言うんだ?」


 俺は、彼女にあの組織のことは言っていない。言ってはならないと思ったからだ。探偵でもあり、好奇心の強い彼女に、そんな組織の話を出すわけにはいかなかった。もちろん、荒唐無稽こうとうむけいだと一蹴いっしゅうされる可能性も考えた上で、言わなかったのだが。とぼけて見せた俺に、胡桃は、品定めするような視線を向けた。

そして―――――


「春来くん、あなたは知ってるの? あの組織のこと」


 心臓が、一瞬止まったような気がした。胡桃は、今、はっきりと口にした。あの組織、と。彼女は、明らかにあの組織の存在を知っている。

 嫌な汗が噴き出す俺。その様子を見て、軽く笑みを浮かべた胡桃。


「……春来くん、分かりやすいよね。うん、知ってたんだろうなって思った。私も、あの組織については、米村さんから聞いたんだもの」


 心臓が早鐘を打つ。彼女は、何の意図をもって、あの組織の話を始めた? 帝都大学での事件、あれについての話だったはずだ。そして、その話は、岬の親しかった翔也と言う男性の話から繋がった……まさか。


「ま、まさか、その翔也っていう人……」

「そう、井上 翔也。彼は、帝都大学での殺人事件の被害者だったの」

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