第10章 罪を犯したことのない人は、罪を裁けない

 吉岡 拓馬、彼はそう言った。俺の父……それが、10年前の同時多発医療事故に関わっている。そして、彼の推論から言えば、俺の父は“クロ”ということになる。


「吉岡って……?」


 岬がこちらに尋ねた。そう、俺は彼女たちに旧姓のこと、つまりは自分の両親の事件について話したことがなかった。特に聞かれもしなかったし、こちらから話す必要もなかった……というのは建前だ。結局のところ、俺は彼女たちを信用しきれていなかったのかもしれない。


「吉岡……ああ、当時の治験に関する資料に、確か名前がありましたね……それが彼の父親、ということなんですか?」

「そうだ」


 森谷の質問に答え、米村はこちらをチラリと見た。その目が意味するもの、それは恐らく、両親の死について話そう、というものだろう。

 いいだろう、もうとっくに覚悟はできている。それに、自分で言うのも何だが、彼女たちはそんなことで俺の評価を変えることはない、そう信じていた。俺は、米村の視線に応えた。


「分かった。……その吉岡 拓馬は、新薬の製造販売承認をする機関に所属し、それなりの地位にいた。『エンドラーゼ』の主担当は彼で、当時の取り調べ情報を見た限りだが……彼は、15人の死を予見していたかのように、承認を渋っていたという」

「当時の治験記録を見る限りでは、被験者数はその15人を除いても65人はいた。第三相試験としては十分なくらいですよ。そして、その人たちはいずれも死亡に至っていないし、脳にも何も影響していなかったことが分かっています」


 米村と森谷の話と、その前までの推測を合わせると、こうなる。俺の父、吉岡 拓馬が新薬の承認を渋って時間を作り、その間に何かしらの方法で、霊身教れいしんきょうの信徒が渡辺に接触。そして、全員を同時に死亡させた……それにより、『エンドラーゼ』の承認は却下されることになった。

 辻褄は合う、しかし、これはどこまでも推論の域を出ないし、何より10年前の事件は警察も事故として処理しているもの。つまり、これ以上の深追いは難しい、ということになる。


「ま、当時の治験担当者とかの意見を尊重するのであれば、というか、医者としての立場からしても、そもそも『エンドラーゼ』が悪影響するのかどうか、ということについてはもうちょっと知りたいところなんですけどね……今回の被害者たちの血中から、『エンドラーゼ』は検出されたりしました?」


 森谷は米村に訊ねた。しかし彼は首を横に振り、こう答えた。


「さすがに、一刑事の推測で科捜研に依頼することはできないだろう。上司を通さないといけないが、そうなると俺の捜査方法に指摘が入りかねない。それは君たちにもよくないことだ」


 ははーん、と森谷は返す。そうか、彼は今ほとんど独断専行で、しかもかなり暴走している状態にある。それが指摘されることは避けるべきだと思うし、恐らく、全員の経歴に傷がつくことになる。


「じゃあ、ウチの研究室を使っていいですよ。一応、MASSやNMRは備えてますんで。治験の時のデータで、『エンドラーゼ』の分子量や構造は把握してますから」

「本当か? それは助かる。では、あとで持っていくとしよう。……しかし、『エンドラーゼ』が血液中から出てくることなんてあるのか? もう製造自体とっくに終了しているし、なにしろ会社自体がない。仮に、『エンドラーゼ』が被害者の血液中から検出された場合、10年前の事件が、やはり『エンドラーゼ』によるものだと証明できるということか?」


 米村は森谷に問いただした。


「……血中からそんなものが出てきたとしたら、それこそ大変なことになるんですよ。製造データの流出とか、奇跡堂の元研究員たちがひそかに製造し続けている、という可能性が浮かび上がるのですからね」


 なるほど、とメモを取る米村。彼らの会話にごうを煮やしたのか、岬が荒っぽく話した。


「それはいいとして……それで、吉岡 拓馬はどうなったの? 渡辺のように昇進したの? 霊身教れいしんきょうの信徒だったの?」


 妙に深く切り込む岬。親友の父の話だから、ということだけではないような、そんな印象さえ受ける。宮尾も、彼女の剣幕に驚き戸惑っている。しかし胡桃は、そんな彼女に気づいていない様子で、何か思案していた。


「……ここは俺が話しても?」


 俺は米村に確認する。いいのか? という表情を浮かべたが、こちらの顔を見て、小さく頷いた。


「ただし、私見が過ぎる話はやめてくれ。感情論は捜査の役に立たない」

「……ありがとうございます」


 それから俺は、10年前の事件……天井から吊るされ、変わり果てた姿となった両親の話をした。鉄の杭を何本も打たれていた、という場面では、岬が軽く嘔吐えづいていた。そして、現場に残された社員証……そのおかげで犯人が特定され、その後、その犯人……鈴石 初穂は遺体となって発見された。


「それから俺は、高島家に引き取られて養子になった。今の両親からも、別にネグレクトされたりはしなかったし、むしろ初めての子どもだったからかな、いろんなことをさせてくれたよ。……でも、すみません、少し感情が出てしまいますが……仮初かりそめの両親、という事実がどうしても拭えないまま、今に至っています」


 シン、と静まり返る店内。もう既に陽は落ちて、街にLEDライトの冷たい光が点り始めていた。


「……俺の理論上は」


 米村が静寂を破った。


「吉岡……いや、高島くんが狙われる要因は、彼の父親、拓馬を断罪するためだと考えている。霊身教れいしんきょうのCMに出ていた、というだけで殺された安藤 理佐の事件をかんがみても、そういう結論に至ったわけだが」

「それは……やけに春来くんにだけ、執拗しつような気がします。両親はもう、他人の手でとはいえ、殺されている。それなのに、その息子にまで手を掛けようとするのは、少し不自然じゃないかなって、そう思います」


 胡桃は静かに反論した。そう、俺は安藤とは異なり霊身教れいしんきょうとは関わりがない。それに、両親が殺害されて、それなりに苦労をしてきた経験があった。今でも、時折夢に出てきたりするくらいだから。

 一度、病院で診察されたときには、心的外傷後ストレス障害……PTSDと診断されたことがある。そんな俺を、まだ追おうというのは確かに、何か他の要因がある、そう考えてもおかしくなかった。


「そうだな。それに一連の事件で必ず脳の萎縮いしゅくが起こるということ、これが『エンドラーゼ』によるものなのか、それとも別の要因でそうなるのか、その辺りは捜査していかないとどうにもならない」

「正確には、萎縮いしゅくするのは頭頂葉とうちょうよう付近の脳細胞で、前帯状皮質ぜんたいじょうひしつに関してはむしろ増大傾向にあります。感覚器の異常と感情の異常が同時並行で発生し、しかもこれくらいの極端な変化が短い時間であったのなら、おそらく彼らは発狂したのでしょうね」


 ズズッと、とっくに氷のけたコーヒーをすする森谷。平然とコーヒーを口にできる精神が、俺には理解できなかった。今は、水ですら胃が受け付けないというのに。


「……ああそうだ、頼まれていた脳細胞の結果、何となく見えてきましたよ」


 森谷は、思い出したように米村に語りだした。米村は、チラッと森谷を見る。


「何か分かりましたか?」

「ええ、確信を得るまでには至っていませんけどね。毒物とかそういう場合は、基本的に殺細胞性、つまり細胞を片っ端からぶっ壊すものなんですよ。でも、今回いただいた細胞には、そういう傾向がなかったですね。むしろ、これはアポトーシスに近い」

「アポトーシス?」


 俺たちは聞き返した。全くなじみのない単語だったからだ。


「ああそうか、ええと……初めからプログラムされた細胞の死、それがアポトーシスというんだよ。まあ、言わば細胞の自殺ですかね」


 細胞の自殺? それが被害者たちに共通する症状の一つだっていうのか?


「データは持ってきていまして……これなんですがね、えーと」

「すまん、そういう話は後でいい。何せこちらも、もちろん彼らも生物学に関しては全くの素人だ。結論だけ聞かせてくれると助かるのだが」


 森谷の説明を途中で遮る米村。良かった、ただでさえ寝不足の俺に、そんな話は到底ついていけそうになかった。そもそも既についてきていないのが二名ほどいるのだ。今、その話をしても徒労に終わることだろう。


「……勉強は大事ですよ? まったく……。要するに、彼ら……といっても頂いたのは二検体ですから、一概には言えませんがね、彼らの脳の一部の細胞が、自殺するように誘導され、かつ他の脳細胞、前帯状皮質ぜんたいじょうひしつのことですけど、これが増加していた、ということです。この増加に関しても、ええと簡単に言うと……赤ちゃん細胞の集まりなので、機能としてはほとんど未成熟でしょうけど。あ、それと他の脳細胞についてはこれといった特徴はなかったですね」


 森谷は説明を終えると、こんなもんで良いです? と訊ねるように俺たちを見た。まあ……言わんとしていることは、おおむね理解できたように思うのだが……。


「そんなすごいことを起こせるものがあるんですか? これ、何か病気とかでも同じように起こる、という可能性は?」


 必死に頭を回転させようやく絞り出した質問に、森谷は即答した。


「彼らの脳では、恐らく急激にこの変化が生じています。その場合、まず何かしらの疾患という可能性はほぼゼロですね。あと、薬物によってアポトーシスを誘導できるものは多くありますが、意図的に、しかも頭頂葉とうちょうよう付近の脳細胞のみを、しかも無秩序に、となるとこれは奇跡の産物でしょうね。それこそ『エンドラーゼ』級の」


 『エンドラーゼ』級の物質による、急激な脳の異常……それがもし、彼らの異常な死と関連するのなら、思いのほか、この事件は大ごとになるのではないだろうか?


「その物質が……例えば、何かに混入させられていたら……」


 言いよどむ俺、それに対し、米村が制した。


「今はまだ可能性の話をしている、君がそう気に病むことはないよ。それに、そうさせないためにも、今は些細な情報でもいいから、少しでも調べていく。それが俺たち、警察の役割だ」


 そこまで言うと、不意に米村は、誰もいない方向へ声を掛けた。


「そうだろう? 中原なかはら 智子ともこくん」


「っ……!!」


 俺たちは、その声の投げられた方向へ視線を移した。少しの沈黙のあと、テーブルの影からゆっくりと、バツの悪そうな顔をした女性が出てきた。スラッとしているが、日々鍛えていそうな雰囲気。ショートボブで、いかにも今風な女性。

 しかし、その目つきは米村や、他の刑事と同じだった。中原なかはら 智子ともこ、と呼ばれたその女性は、ええと、と呟き、説明を始めた。


「す、すみません……捜査が難航していて……偶然ここを通ったら米村先輩がいたので、それで……」


 頬を掻き、視線を泳がせる中原。捜査、ということは彼女も警察官なのだろう。そういえば、奥村の事件の際に、中年男性と一緒に俺を取り調べていた、あの女性警察官に似ている。中原というのは彼女だったのか。しかし、俺でも分かるくらいに下手な嘘をいている。それに、かなり若そうだ。23~4歳くらいに見える。


「捜査が難航しているから、例の15人の遺族の調査を、君に依頼したはずなんだがな。それに、君は恐らく、俺たちが来店したときから、そこにいたのだろう?」

「ええっ! な、なぜそれを……あっ」

「アタリ、か。全く……」


 そう、俺たちが来店した時から考えても、このカフェ・レストリアに入ってきた者は一人もいない。入り口にはベルがあるし、どの席からでも入り口は見通せるからだ。マスターの大野が出たときに入れ違いで入ってきた、ということはないだろう。

 つまり、最初からこの中原はここにいたのだ。米村は、それを承知であえてカマを掛けたようだった。そして、それは見事に当たった。


「すみません……でも、何か大事な話があるからって言っていたので、気になってしまい……」


 大柄な女性、しかも警察官がシュンとしている姿というのは、なかなか見る機会がなく新鮮だった。


「分かったよ、俺にも落ち度はある。最初から一緒に席に着かせても良かったんだからな……それで、おおむね話は聞いたな? 君はどう思った?」


 米村は、中原に名誉挽回のチャンスを与えたようだ。彼は無表情だが、結構甘いところがある。今回、俺たちへ情報提供したのも、恐らく彼の甘さから来るものだと思うのだ。性格まで鉄面皮てつめんぴだったのなら、俺たちはとっくの昔に、少なくとも事件現場に勝手に入った時点で処罰されていただろう。


「ええ!? えっと、ですね……私、先輩と同行するのが昨日決まったばかりでしたから……その……」

「それは知っている。それでも、今の今まで、俺たちの話を聞いていただろう?」


 中原は、うう、とうめいている。少し可哀そうになってきたところで、岬が口を挟んだ。


「お姉さん、身長大きいですね! いくつくらいあるんですか?」

「え、私? ええと、171cmだったかな……でも、それが何か?」


 岬の急な質問に、しどろもどろになりながらも答える中原。米村はその質問の意図を測りかねた様子で、岬を見ている。ただ、俺は何となく察しがついた。岬の勘、というやつだ。


「すごい、トーカよりおっきいじゃん!」

「ほんと、スタイルもいいし……いいなぁ、カッコよくて」


 そして、二人で女子トークを始めだした。警察官っていうのがいいよね、とか、姿勢がいい、とか全く関係のない話で盛り上がっている。米村は呆れた顔をしているが、中原は緊張の糸が解けたようで、顔の硬さが抜けていた。そう、俺の思い込みかもしれないが、岬はこれを狙って、わざと空気の読めない質問をしたのだ。緊張した状態で話をしても、頭が回転せず余計に相手を怒らせてしまうから。

 ……そう、なんだよな? そういう意図なんだよな?


「……私は、皆さんの意見を聞いて大体理解しました。先輩の意見、ほとんどが推論でしたが、的は外れていないと思います。でも……」

「でも?」


 米村は聞き返した。また少し、静寂が辺りを包む。


「あの監視カメラの女性、わざと映り、こちらを挑発するかのような言葉……あれを、15人の遺族が意図的に行う意味が、私には分からないです」


 あの女性……ロングコートの、俺を殺そうとした不気味な人。米村は、今は推測の域を出ない、と言って明言しなかったが、中原はそこが引っかかっているようだった。もちろん、俺もそこは疑問に思っていたが、あの時は捜査協力の話より前だった。今は、事件に対する推測を全て話している。ということは、もう米村の推測を聞かせてもらってもいいんじゃないだろうか。


「そうですね、さっきは推測だからと言っていませんでしたが……あの女性に検討が付いているのですか?」


 俺よりも先に胡桃が質問をした。彼女がさっきから思案していたのは、もしかしたらこのことだったのかもしれない。


「……」


 無言になる米村。その表情からは何も読み取れないが、必死に思い返そうとしている、そんな気がした。そして、おもむろに口を開いた。


「それが、思い出せないんだ。何か見たことがある顔だな、とは思ったんだが……過去の事件で見たのか、はたまた自分の知り合いだったのか……検討が付かないんだ」


 苦しそうに言葉を発する米村。彼のこれまでの話しぶりからして、過去自分が関わった事件については忘れていないような、そんな雰囲気があった。それに、10年も前に助けた、しかも苗字が変わっていたにも関わらず、俺のことを覚えていたのだ。決して記憶力が悪い人じゃない。

 そんな人が思い出せないとなると、彼は大きく関わっておらず、かつ写真などはあまり公開されなかったのかもしれない。もしくは、意図的に隠している、か。


「申し訳ない、でも、確かに何かで一度見たんだ。そんなことを言っても、余計混乱するだろうからと、あえて言わなかったが……すまない」


 頭を下げる米村。その様子に慌てた中原は、勢い余ってテーブルの角に腿をぶつけたようだった。ガチャン、と大きな音が店内に響いた。すると――――


 カランコロン


「大丈夫ですか? 今、大きな音が聞こえたのですが」


 大野が大きな袋……恐らくコーヒー豆の入った袋を手に戻ってきていた。あれだけ重そうな荷物を持っていたというのに、汗一つない顔。恐らく、どこかしらで店内の様子を窺っていたのだろう。そして、大きな音に敏感な彼のことだ、急いでこちらに来たに違いない。


「ああ、戻られましたか。すみません、営業妨害してしまいまして」


 米村が陳謝する。一方の大野も、いやいや留守番をしていただいたのですから、と軽く頭を下げた。


「さてと、皆様、もうそろそろ閉店の時間になってしまうのですが……何か頼まれますか?」


 大野の一言に、全員が示し合わせたかのように時計を見た。20時半を過ぎたところだった。


「ああ、もうこんな時間になっていたか。申し訳ない、すぐに帰ります」


 全員、慌てた様子で身支度を済ませる。カップに残ったコーヒーを、一気にあおった森谷は、思い出したように米村に伝えた。


「そうそう、血液の件は早急にお願いします。それと、15人の事件の捜査資料とかいただけますか? 参考にしたいので」

「血液は了解している。しかし捜査資料を渡したら、それこそ俺が無職になる。それどころか逮捕されるからな。遠慮させてもらう。何か知りたいことでもあるのか?」


 突然の質問の意図を測りかねた様子で、米村は聞き返した。森谷は、うーん、と少し悩んだ様子で答えた。


「いや、さすがに分子量や構造が分かっているとはいえ、血液を分析するのでね、時間がかかるかなと。前に分析した資料があれば、それとの相同性を確認すればいい話になるので、それで」

「ああ、それで……」


 米村は少し悩み、答えた。


「その部分だけであれば、匿名化した上での譲渡は検討しよう。正式な証拠能力としての機能は損なわれるものの、まあ分析するだけだからな、なんとかなるだろう」

「雑過ぎませんか!? 先輩、今日の話を聞いていたら随分と綱渡りしてますよね……怖くないんですか?」


 中原が慌てた様子で米村に質問した。


「私も、なんでそんなに危ないことを平気でできるのか、知りたいです」


 胡桃も、中原に同調した。俺もずっと気になっていた。この無表情で無感情そうな米村が、なりふり構わず、法すらも無視している。それだけの事件、という意味なのか、それ以外に、彼を突き動かす何かがあるのか……?


「ん? そんなの、村田先輩に聞いてくれ。あの人は、これくらいの綱渡りなら平気でしてきたぞ。俺は、その真似をしているだけだ」

「村田先輩が!?」


 驚く中原。その村田先輩を知らない俺たちは、ただ何となく、危ない警察官が先輩にいたんだな、くらいにしか感じなかった。


「村田さん、ね」


 奥からクスッとした笑い声が聞こえた。見ると、大野がこちらを見てニコニコと微笑ほほえんでいる。


「え、マスターは村田先輩をご存知なんですか?」


 中原が大野に質問した。それに対し、フッと米村が笑ったような気がした。


「ええ、数年くらい前まででしたが……大きな事件があると、何度もこちらで村田さんと、そこの米村さんは話し込んでいましたね。それこそ、今日みたくいろいろな人を巻き込んでいるところもね」


 いたずらっぽく、大野は米村にウインクした。米村は苦笑いしながら、欧米人のように両手を小さく横に広げた。


「そうだったんですか……あの村田先輩が」

「ま、君もそのうち、こうなるかもしれないけどな。今は真面目に仕事をしてくれ、それが一応、警察官としての基本だからな」


 そう言って中原の肩に手を置く米村。少しはにかんだ様子の中原だったが、15人の遺族の件は忘れるなよ、と耳元で言われ、みるみる顔色が悪くなっていった。


「それじゃ、ありがとうございました」

「すみませんでした」


 カランコロン


 全員が店を出る。外は既に真っ暗、特にこのレストリアの周辺は、街灯も少なく、俺にとっては昨日の映像をフラッシュバックするのに充分な状況だった。


「大分、暗い、ですね……」


 呟く俺、そして脚が震え、顔面は蒼白になっていく。そんな俺の異変に気付いた宮尾が、大丈夫? と声を掛けてくる。それに呼応こおうするかのように、岬もこちらを見て言った。


「そうか、ハルは……みんなでハルを自宅まで送った方がいいかな」

「ああ、すまない、しかし……」


 時間を気にする米村。もう21時を過ぎたころであり、彼を家まで送ったとして、その後彼女たちが帰るとなると、かなり遅くなってしまう。成人しているとはいえ、それを容認することは本来の警察官として、あってはならないことだ。


「俺たちが送ろう。その方が安全だし、君たちも危ない目に合わないとは言い切れないからな」

「うーん、そうですけど……刑事さんに囲まれて帰るのって、多分落ち着かないですよ?」


 そして、震える俺を後にして、少し離れたところでディスカッションを繰り広げる岬たち。宮尾は、そのまま俺の肩を抱きかかえている。


「ご、ごめんな。情けない、こんなことで……」


 宮尾は、ううん、と首を横に振った。


「いいんだよ、こういう時くらいは私を頼ってくれて。いつも守ってくれてるから、少しは返さないとね。それに……だし……」

「え? ごめん、聞き取れなくて。何か言った?」


 最後の方の言葉が聞こえず、思わず聞き返してしまった。宮尾は、少し慌てたように返した。


「あ、あのね、別に、ただの独り言、だから……その……もー! 気にしなくていいの!」


 赤くなったかと思えば、急に怒り出す宮尾。そしてバシン、と背中を叩いてきた。

 痛ってぇ! な、なんなんだ一体!?


「あ、ごめんねハル、送る人決めたから……って、どしたの?」


 岬が、俺と宮尾の様子を見て首を傾げている。赤い顔のままむくれる宮尾と、爺さんのように背中を丸める俺。


「ハルってば、何をやらかしたんだか。……とにかく、もう時間だから帰るよ」

「お、おう……」


 釈然としない俺と、無言のままの宮尾は、岬の後についてみんなの元へ戻った。


「そうだ、何も怖がることはない……みんながいるんだ。むしろ、俺があの女性の正体を突き止めてやる……」


 俺は、あえてみんなに聞こえない程度に小さく言葉に出し、自分を鼓舞した。そう、俺を襲った犯人……今度会ったら、その時は。


 俺はこの時、その覚悟が一瞬にして崩されるとは夢にも思っていなかった。そして、事件はゆっくりと、真綿まわたで首を絞めるかのように、俺をむしばんでいくのだった。

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