わたしと、あなたのためのレクイエム

第11章 かみさまはわたしのことがおきらいなのです

「それで、この先の信号を左に曲がったところが、下宿先のアパートです」


 俺は米村と中原を、自宅へ案内している。カフェ・レストリアの前で、あれだけ揉めていた岬たちだったが、結局のところ警察官の二人に俺を委ねることにした、というわけだ。もちろん、俺はそうすべきだと思うし、正直なところ、胡桃とか岬があの女性に相対した時、きっと怯えるだけでむしろ俺を盾にしてきそうだ。宮尾は……気づきもしないかもしれない。


「しかし、随分と良いところに住んでいるな君は。家賃もかなり高いんだろう? 大学の寮ではないそうだが」


 米村は辺りを見渡しながら質問してきた。確かに、都心で新宿にも渋谷にも近い位置であるから、ワンルームだとしてもそれなりの相場だとは思う。しかし、あの大家がそんなことを気にするようには思えない。それに、俺を引き取ってくれた親戚夫婦が家賃を肩代わりしているので、実際にいくらかかっているのか、俺は全く知らなかった。


「うーん、どうなんでしょう。学生なので、その辺は割り引いてくれているのかもしれませんが……」

「キミくらいの子が住むところでしょ? 意外とそんなにしないんじゃないですかね。10万くらいとか……」


 中原は、あまり興味がなさそうに話している。今の話を聞く限り、彼女は金銭面で苦労したことはないのだろう。金銭に無頓着なものは、大体大雑把な金額を持ち出すものだ。


「ま、そんな話は置いといて……腹減っただろう? 何か食うか?」


 米村が提案してきた。考えてみれば、今日一日何も口にしていなかった。あの女性に襲われ、しかも大家の秘密を知った翌日だったのだから、食欲なんてあったものではない。

 しかし、確かに足取りは重いし、ふらふらしてきた感覚はあった。摂取エネルギーの不足、そう結論付けるのが普通だろう。気は進まないが、無理にでも何か食べた方がいいのだろう……。


「あまり重いものでなければ……」


 米村は俺の返答に満足した様で、少し待っていてくれ、と言い残し、コンビニへと入っていった。商品を物色する米村が、ガラス越しに見えている。


「意外と親切な人なんですねぇ、先輩って」


 ぼんやりと中原が呟いた。意外……確かに、あまり接点のない人からすれば、彼は無表情だし、言葉はぶっきらぼうだ。でも、米村は俺を助けてくれた人だ。性根しょうねはとても優しいということを、俺は全く疑っていない。


「中原さん、でしたか。米村さんと行動するのは初めてですか?」


 俺は中原に確認した。今の言葉を聞く限り、恐らくは面識は有れど、交流はなかったに違いない。


「私? うーん、職務上答える必要はないんだけど……先輩は、私が新人の時の教育係だった。ほんとに愛想がなくて、すぐ叱ってくるし、苦手だったな」

「そ、そうですか……」

「今回も、村田先輩に頼まれたから仕方なくペアになってるんだけど……あ、今の内緒にしてね、私怒られちゃうから」


 慌ててこちらに向き直り、唇に人差し指を当て、シー、と言った。年上なのだろうが、妙に可愛らしい、というか色々な意味で若いのだろう。こういう警察官もいるものなのだな。


「すまん、待たせたな」


 支払いを終えた米村がコンビニから出てきた。彼の右手にはコンビニ袋、その中にはおにぎりが数個入っていた。それを見るや否や、中原は米村を睨んだ。


「ちょっと先輩、もっと栄養バランスのいいものを選んでくださいよ! 夜遅くまで働くと肌が荒れるんですから!」


 中原は米村のチョイスに対し文句を言った。まるで思春期の娘の様な言い草だったが、米村は全くの無表情で言い放った。


「お前の分はないぞ? 何を言っている」

「えっ……」


 呆然とする中原。まさか後輩の分を購入していないとは俺も想定外だった。俺たちの様子を気にも留めず、そのまま米村は歩き出した。


「こっちだったな、あとどれくらいだ?」

「あ、えっと、あと五分くらいですかね……飲み物は買わなかったんですか?」

「いや、君のアパートには水道くらい引いてあるだろう?」


 えっと、こういう人、なのだろうか……レストリアでも地球環境がどうとか言っていたし、エコ思考……なのかな。そして、数メートル取り残されたままだった中原が、ふと我に返り小走りで追いかけてきた。

 追い付きざま、俺に聞こえるか聞こえないかくらいのボリュームで、ボソッと、あいつマジないわ、と言った。


(この人たちに任せてよかったのだろうか……)


 護衛されながらも、俺は少し後悔した。









「ええ、と、そこですね」


 俺と中原は嫌な空気のまま、そして米村はいつもの調子のまま、アパートの前に辿りついた。すると、大家がアパートの前をうろうろしていた。もしかして、俺がまだ帰ってこないので心配しているのだろうか……昨日のこともあったことだし、あのお節介焼きな大家のことだ、そうかもしれない。


「こんばんは、えっと……」


 俺は大家に話しかけた。心配しているようなら、声をかけて安心させようと思ったのだ。しかし、大家は俺を見た瞬間、予想もしなかった言葉を口にした。


「あ、ああ、おかえりなさい。ちょうど今ね、この辺りに不審者が出たって聞いたのよ。それで、ちょっとご近所さんと見回りでもしようかと思ってたのよ。何か見なかった? 高島くん」


 不審者、だって? それってまさか……。

 ドクン、と心臓が強く拍動した。


「あの、どんな人だったんですか?その、不審者って」

「どんな……私も聞いただけなのよ。でもね、下半身を露出したおじいさんだったらしいわ。ほんと、何を考えているのかしらね」


 下半身を露出したおじいさん? ロングコートの女性ではなく?

 一気に安堵し、変な笑いが出てしまった。不審者というか……変質者だなそれは。


「失礼、警察です。それはどの辺りだと聞きましたか? 念のため調べてきますが」


 米村が急に話に割り込んできた。何をそんな呑気なことを……一瞬、そう考えてしまったが、そういえばこの人は警察官だった。変質者も、あの女性と同じく秩序を乱す者ということには変わりない。それに、護衛中とはいえ彼一人ではなかったのだから、話を聞くくらいはして当然のことだ。。


「あら、あなた……ちょうどいいわね、お願いできるかしら」

「もちろん」


 そう言うと、くるりと振り返り中原を見た米村。


「え、私が、ですか……?」

「よろしく頼む」


 マジで……とまたボソッと話す声が聞こえた。この二人、とことんまで合わないな……それにしても、この中原という女性、警察官に向いてないと思うのだが……相手が殺人鬼でも、露出狂でも、事件は事件なのだから。


「俺たちは先に君の部屋に向かおう。中原が戻ってき次第、署に戻る。そういう流れでいいかな」


 米村はそう言い、アパートへ向かって歩き出した。いいかな、と聞いていた割には、許可を求めてはいないようだ。黙って俺は自分の部屋に案内した。背後で、中原が大家と話をしている。見方を変えれば、彼女も米村と一緒ではない方が気は楽だろう……そういう意味では正しい選択だったのかもしれない。しかし、さっきの彼の指示は、彼女の耳に届いたのだろうか……。


「下半身を露出した男性の対応を、女性に任せても大丈夫なんでしょうか?」


 何となく無言になるのが嫌で、米村に聞いてみた。


「何を言う、今はそんな性差別をする時代じゃないだろう。それに彼女も一応警察官だ。いざとなれば護身術の一つでも使えるだろう。そう教育したはずだからな」


 真顔で答える米村。まあ百点満点の切り返しだ。いて言えば、一応、という言葉が不要だったかもしれないが。

 そうこうしているうちに、自室の前へ着いた。


「鍵は、かかっていますね。大丈夫だと思うのですが……」

「いや、窓側から侵入していた場合は想定しておくべきだ。開けるときは俺が先に入る。いいな?」


 俺は無言で頷いた。中から物音はしないが、慎重にドアノブを握る俺。反対側に米村が立つ。


「三、二、一……」


ガチャ


 俺はドアノブを捻り、わずかにドアを開けた。その瞬間、米村はドアの隙間に指を突っ込みこじ開ける。そして銃を構え、即座に中へと入っていった。

 俺はそのスピードに全くついていけず、ドアが閉まりかけたころ、ようやく中に入った。


「……見たところ、異常はないようだが。君から見てどうだろうか、何か配置などが変わっていないか?」


 すでに窓際まで踏み込んでいる米村が、こちらに確認してきた。あまりの素早さ、しかも律儀りちぎに靴も脱いでいる。少々唖然あぜんとしながらも、言われた通り部屋を見渡した。


「……異常は、無いようです」


 俺は少しホッとし、そのまま部屋に入ろうとした。しかし、米村が制止をする。


「待て。……押入れを開けてもいいか? いいな?」


 許可を得ることなく、勢いよく押入れを開ける米村。そして、押し入れにひと睨み向けたのち、ふぅ、と息をいた。恐らく、少なくとも俺の脅威になるようなものは何もなかったのだろう。


「はぁ、杞憂きゆうでしたかね。すみませんでした、わざわざこんなところまで」

「いや、安全ということが分かれば、それが一番だからな。ああ、入ってもらって大丈夫だ、むしろ早く入りなさい」


 むしろ彼がここの住人であるかのような態度だったが、確かにこの瞬間を襲われては意味がない。背後を見、誰もいないことを確認した後、すぐに部屋に入り、鍵を閉めた。


「ああ、鍵は開けておいてくれ、チェーンロックだけでいい。彼女が来た時に確認できないからな」

「す、すみません」


 慌ててチェーンロックをかけ、鍵を開けた。……色々とあったが、これで恐らくは一安心だ。しかし、こんな日々が毎日続くことになるのだろうかと、別の不安が頭をよぎった。


「……いつまでも護衛していただくわけには、いきませんよね。明日以降、俺はどうしたら……痛っ!?」


 俺は、いつもの調子で郵便受けに手を突っ込んでいた。手紙など来ることはほとんど無い郵便受けだったが、大学の重要な連絡などが入ることがあったため、帰宅後は毎回確認していたのだ。

 しかし、指先にいつもは感じない電撃が走った。その痛みに、俺は思わず手を引っ込める。この時期に静電気か……? しかし、それにしてはやけに痛みが強い。


「……おいどうした、その指は!?」

「え?」


 米村が血相けっそうを変えてこちらに向かってくる。俺は訳も分からず、痛みを発する指先を見た。血が出ている。少量だが、しかし先ほどまで明らかに、そこになかった緋色ひいろ


「っ……まさか、おい、そこから離れろ!」


 米村は、困惑する俺を強引にドアから引きはがし、レトロな郵便受けを慎重に開けた。そして、自分のカバンから小さな懐中電灯を取り出し、手袋をはめ、中を覗いた。


「こ、これは!」


 恐る恐る、米村の背後から中を覗いた。何かが銀色に光っている……あれは、針だ。無数の針が、何かにくっつけられているかのように、先を上に向けている。


「何をしている、早く洗い流せ! そして出来る限り絞り出せ、針に毒物が付着している可能性がある!」

「は、はいっ!」


 米村の迫力に気圧けおされ、洗面所で指先を洗う。指が紫色になるくらいまで強く、絞るように血を出した。


「……指先の、刺さった場所以外に何か変化はあるか?」

「……いえ、特に変化はありません……あの、いつまで絞ればいいんですか?」


 すでに針の刺さった部分よりも痛くなってきている俺の指を見て、少し考えた後、米村は少し緩んだ表情になった。


「……いや、もう大丈夫だろう。しかし、一応病院に行く必要があるか……毒物が無いにしても、かなり深くまで刺さったようだからな、周囲に熱を持ったりするようなら、すぐに病院へ行こう」


 そして、慣れた手つきで米村は俺の指にガーゼを巻き付けた。血はもう出ていないようだが、ジンジンとした痛みが残った。右腕の痛みもえていない中、新たに傷を増やす羽目になるとは予想できなかった。


「……申し訳ない、俺たちが護衛をしておきながら、こんなことになってしまった。しかし……こうなると、この部屋に居続けることは難しいな……」

「え、ど、どういうことですか?」


 先ほどの騒動のせいで、全く思考が追い付かない俺だった。米村は俺の心が乱れていることを察し、深呼吸を促す。少しの間が空き、状況を整理できた俺は、米村の言葉の意味を理解した。しかし、理解したと同時に、とんでもない恐怖感が襲ってきた。


「つ、つまり……あの女性は、この部屋に、俺がいる……ということを、もう知っている、ということです、か……?」


 言葉が途切れ途切れになる。脚は振動を始めた。途端に、俺がどこかから監視されているような、そんな気分になった。


「いいか、落ち着いてくれ。……こうなった以上は仕方がない。申し訳ないが、一旦うちの署に来てもらおう。一晩くらいなら泊っても問題はないはずだ。先に連絡を――――」


 ガチャ


 ドアの開く音が響いた。鈍い金属音、そしてそのすぐあと、チェーンロックの音が鳴る。誰かが、この部屋に来た。


「っ……!」


 後退あとずさりをしようとして、震えた脚がもつれる。そのまま背後に倒れた俺と、緊張感のある表情に変わった米村。ドクン、ドクンと心臓の音が脳内に響き渡る。そして、微かに声が聞こえた。


「先輩、ここですよねー? 開けてくださーい!」


 ……中原の声だった。そういえば、この部屋で落ち合う約束をしていたのだった。彼女に対し、米村の話が聞こえていたかどうか心配していた俺の方が、その話を忘れてしまっていた。少し恥ずかしくなる俺とは対照的に、米村はまだ警戒を解いていない。


「……中原か?」

「いや、声で分かってくださいよ……それより、何かありましたか? 随分、バタバタと物音がしていましたけど」

「……」


 米村は静かにチェーンロックを外し、ドアを開けた。ドアの前には、やはり中原と、それに大家が立っていた。それを見てやっと、気の抜けたような表情へ変化する米村。


「……慎重になりすぎるのもどうかと思うんですけど、この感じ、やっぱり何かありましたね? 聞いてもいいですか?」

「な、なにがあったっていうのかしら? まさか泥棒が?」


 中原の後ろで、大家が狼狽うろたえている。青ざめた表情……他人のことだというのに、まるで自分のことのように。もちろん、大家なのだから心配するのは当然なのだが……人のさが滲み出ているのがよくわかる。


「そう、ですね……捜査上の都合もありますので、詳細は伏せさせていただきます。ただ、彼をしばらくこの部屋から離したいと思うのですが、宜しいですか?」

「ええと、それはどういうことなのかしら。彼が何かした……のではないのですね、この部屋から離したい、ということは、この部屋に何か問題があった……そういうことなんでしょう」


 理解が早い大家。確かに、連行するために付いてきた、にしては呑気であったし、荷物の整理をしている様子がない。そして、米村の言葉、そこから判断したのだと思った。


「でも、この部屋の問題なら、大家である私に理由を説明してくださいな。対処が可能なことなら、すぐにでも改善しますが」

「……話の呑み込みが早くて助かります。しかし、この部屋自体には問題はありませんが……そうですね、念のため確認しますが……他言は無用です。宜しいですね?」


 頷く大家。一方で、中原は俺の方へ駆け寄り、体を起こしてくれた。


「大丈夫? ……ああ、そういうことか。処置は先輩が教えてくれたんでしょ?」


 俺の指を見て、瞬時に事態を把握した様子の中原。彼女の言葉に、コクリと頷く。


「なら大丈夫ね、署にはまだ連絡してない?」

「ええ、ちょうど連絡しようとしたとき、お二人がいらっしゃったので……」

「そ。じゃあ私が連絡入れておくわ。先輩にはそう伝えて」


 そう言って中原はスマホを取り出し、部屋の奥で連絡を取り始めた。その間、米村は大家に説明をしていたようだ。大家の顔色は、青から白に変わっていた。


「そ……そうですね、それは、この部屋では無理ね……」

「ご理解いただけたようで。今日は一旦、うちの署で預かります。彼のご家族にも、こちらから説明しますのでご心配なく」


 説明を終えた米村は、部屋の奥で電話をする中原を見て、俺を呼び寄せた。


「高島くん、そういうことだから、悪いけど準備してもらえるか。替えの服くらいで大丈夫だとは思うが……枕が変わると眠れない人かな?」


 ……枕って、この緊張を和ませるためのギャグか何かだろうか……それはさておき、恐らく彼は、電話をする中原をみて、署に連絡を入れていると察したのだろう。意外と、よくできた師弟関係だと感心した。


「いえ、大丈夫です。すぐに用意します」

「ちょっと、提案したいのだけど、宜しいかしら」


 着替えを取ろうと、押入れに手をかけたとき、大家は言った。


「何でしょう、同行は許可できますが……」


 米村は、大家の提案を聞かずに返答した。しかし、同行の許可を提案しているわけではないと、すぐに彼は気づいた。


「失礼、明日以降の話ですね? 彼のご実家に戻ることが、今のところは最善だと考えます。いつまでも署にいるわけにはいきません。拘留こうりゅうするわけではないので。ビジネスホテルの一室を抑えることは可能ですが、それを行うにはハードルが高い。そして、この部屋も戻れない。そうすれば、おのずと彼のご実家に、そう思うのですが」

「そう、普通はそう考えるでしょうね。でもね、あなたはご存知、のようですけれども……高島くん、いえ、は、彼らの家に帰ることを望むのか、それを聞きたかったの」


 嫌な汗がしたたる。吉岡くん、確かにこの大家は、俺の旧姓を口にした。疑いたくなかった推測……両親が霊身教れいしんきょうに関わっていた、その可能性を、確信へと至らせるような発言だった。米村はそれを察したのか、あえて吉岡くん、と呼びかけたことを無視し、俺に確認した。


「高島くん、ご親戚の家に帰ることは可能か?」

「……」


 正直なところ、俺はあの人たちがあまり好きではない。自意識過剰、と言われてしまえばそれまでなのだが、どうしても、彼らは俺の家族ではない……その意識が強い。彼らも、愛情をもって育てているようで、実は距離感が分からず、ただ与えるだけの存在でいる、そんな関係だった。そう俺は感じていた。その家に戻る、それは例え短期間でも嫌だと思った。


「俺は、出来る限りあそこへ帰りたくないです。でも、行く当てがないよりはマシなのかな、と思います」

「そうか……」


 米村はうなった。いつの間にか警察署へ連絡し終えた中原も、どうすべきか悩んでいるようだった。


「ですので」


 大家が、この場に似つかわしくない明るい声を出した。まるで、初孫を迎えるような、そんな声色。米村は、いぶかししむように大家を見た。


「私の部屋に来ればいいのでは? 私の部屋、管理人室はこのアパートの一階にありますし、いざとなれば窓から逃げられます。それに私は大抵、部屋にいるので」


 大家と同居? それこそ意味の分からない提案だと思った。親戚の家の空気とはまた違うのだろうけど……場所が変わっていないのなら、それは何の意味もないだろうに。


「ええと、この部屋がダメ、つまり部屋を変えて、彼を外に出さなければ問題ない、そう言いたいのですか?」


 米村は困惑気味に確認した。それに対し頷く大家。


「ええ、それに一晩そちらに泊まるのでしょう? であれば、犯人はもうここには戻らないと考えるはずです。それを逆手さかてに取って考えってみたのですが……いかがかしら?」


 俺は、この大家は別に嫌いでも何でもない。むしろ、かなり可愛がってくれていたので抵抗感はそこまでではない。それに、少なくとも俺の両親のことを知っているようだ。霊身教れいしんきょうの信徒という点はあるが、彼らが全員狂信的ではないということは明白で、そんなことで差別する意味も見いだせない。彼女の案も、一理あった。


「……とりあえず、今日はこちらで預かります。彼には一晩考えてもらって、明日にでも返答させていただこうかと思いますが、どうでしょうか」

「……分かりました。本音を言うと、こんな若くして夫に先立たれちゃったから、話し相手が欲しかったのよ。つまんないこといってごめんなさいね」


 そう言うと、大家は部屋を立ち去ろうとした。しかし、俺はまだ肝心のことを聞いていなかった。


「す、すみません、大家さん」


 こんなこと、明日でもゆっくり聞けばよかったのに、咄嗟とっさに呼び止めてしまった。大家の足が止まる。そしてこちらに向き直った。


「俺の両親のこと、知っているんですか? どうして?」


 ダメだった、この気持ちのまま一晩、警察署で過ごすことはできない。そう思い、自分が事件に巻き込まれている可能性の一つ……吉岡 拓馬、聡美の二人が、霊身教れいしんきょうに関わりがあるのかどうか、確認したかった。そんな俺に、大家は静かに微笑ほほえんだ。


「どうしても何も、春来くんも、私と会ったことがあるのよ。拓馬さんの家で、みんなと一緒に。あれは、15年くらい前だったかしら」


 俺も会ったことがある、しかも自分の家で。あの、血にまみれてしまった家で。


「あんな事件があって、あれからどうしているかなって心配していたの。でも、こうやって会えたことは、私にとって大きな喜びだった。春来くんは覚えていないのね。無理もないでしょうけど……」

「えっと、すみません、話が見えてこないんですが……その、高島くんのご両親と、あなたはどういう関係だったんですか?」


 今までの経緯を知らない中原は、大家に質問をした。米村は、彼女の質問を遮らなかった。恐らく、彼の中ではもう結論づいているのだろう。そして、大家はその質問に答えた。


「どういうって、同じ霊身教れいしんきょうの信徒、ですよ。それも、彼らは幹部候補でしたから」

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