第七話 刺殺

第七話 (1)それこそが、名探偵の殺し方の模範回答であるのだから。

「弟のお守りは大変だっただろう。迷惑かけたね」


 機能性のみを追求した巨大なデスクの片隅にティーセットを置くと、世間話のトーンで話しかけられた。


「いいえ、やってたことは今と変わらないですよ」


 大企業の社長室といえば、だだっ広くて高級な調度品が溢れているようなイメージだった。

 しかし、SATSUKI本社の社長室はというと、かなりこじんまりとしている。実家の自室の方が広いかもしれない。

 インテリアといえばデスクの前に鎮座する本革のソファぐらい。

 ドラマでよく見るような社訓がデカデカと掲げられているというようなこともなく、数台のコンピューターを使用するためだけの空間というのが所感だ。

 雑多に詰め込まれた本棚も、色彩豊かな植物も、ここにはありはしない。


 咲月さつき 維蔓いづる社長の下で働き始めて、早五日。慣れない紅茶のいれ方もすっかり習得してしまった。

 働き口も住処も失ってしまった僕に、維蔓さんはSATSUKIの社員寮と社長秘書という職務を与えてくれた。

 秘書と言っても、仕事はお茶汲みとか社長室の掃除のような雑用だ。

 維蔓さんは一人でなんでもこなしてしまうから、もともと秘書は雇っていないらしい。

 その方がいい。働き始めて数時間でそう思った。


 しかし、まったくどうして今まで気がつかなかったのだろう。

 蓮水さんと維蔓さんが兄弟であることに。

 考えるまでもなくそっくりなのに。

 蓮水さんは意図的に兄の存在を隠していた。それは僕に対してだけでなく、蓮水さんの生活環境のすべてから、兄の気配を徹底的に消していた。

 その証拠に、長い付き合いである片瀬さんは維蔓さんのことを知っていて、なんなら親交もあるようだが、蓮水さんの意志を汲んで僕には言わなかった。しかし、その理由までは理解していなかったので、僕を維蔓さんと接触してしまう可能性のあるジムを紹介してしまった。

 蓮水さんと維蔓さんの間には、なにかがある。

 親友にも言えないような、なにかが。

 そして恐らく、しばらく顔を合わせていなかった咲月兄弟は五日前に再会した。僕が名探偵の助手をクビになったあの日、維蔓さんは蓮水邸を訪れていたのだ。

 あれ、本当は咲月邸なのか? まあ、どっちでもいい。

 二人はいったいどんな話をしたのだろう。それがわかれば、蓮水さんの態度が急変した理由もわかる気がする。

 維蔓さんの存在が、蓮水さんの弱点なのだ。きっと。

 だから、僕は突き止めなくてはならない。蓮水さんの抱える傷を。

 その傷口を暴き出し、抉り抜く。

 それこそが、名探偵の殺し方の模範回答であるのだから。


 僕は維蔓さんの弟自慢を右から左へと聞き流しながら、ティータイムの準備をする。

 蓮水さんとは対照的に維蔓さんはこだわりが強い。それゆえに、この若さで大企業のトップを務められているのかもしれない。


「僕は弟の次に紅茶を愛しているのだが、なぜだかわかるかい?」

「えー、なんでですか。教えてください」

「蓮水が五歳のときに始めてご馳走してくれた手料理だからさ」


 社長秘書としての最も重要な任務は、社長の話し相手となることだ。

 最愛の弟の自慢話を受け流せる人間は社内にはいないのだろう。僕はある意味適任者と言える。


「貰い物の茶葉の香りが気になっていたのだが、我が家には紅茶を嗜む人間はいなくて、口にすることができずにいたんだ。そんな僕のために、蓮水が始めて台所に立ってくれたのさ。あのときの茶葉入りのお湯の味は忘れられない。天国が見えた。蓮水はまるで天使のようだった。ああ、違った。今も未来永劫天使だ。君もそう思うだろう」

「ソウデスネ」


 僕の知る名探偵・蓮水像と、維蔓さんの話すエンジェルはすみたん像はまったく結びつかない。

 立派なアラサー男性のことをショタのように語られても、反応に困る。


「維蔓さんって、蓮水さんとどんな話をするんですか?」

「知りたいかい?」


 先ほどまでの無邪気な顔とは一変して、人を喰ったような笑み。

 さりげなさを装ったつもりだったが、探りを入れていることが勘付かれたか?


「知りたければ、お遣いを頼まれてくれないだろうか」

「お遣いですか?」

「そう。もう少しで来客があるから、すぐそこのコンビニで適当なコーヒーを買ってきてほしいんだ」


 そうだ、今日は午後から子会社の社長が集まる会議があるんだっけ。

 僕は、昨日コピーを命じられた出席者名簿に連ねられた名前を思い出した。

 意外といえば意外。しかし、この上なく妥当であると思ったのだ。

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