第七話 (2)思い通りにならないのなら、もういらないんだよね。

 コンビニから戻ると、革張りのソファに踏ん反り返っていた蓮水さんが、鳩が豆鉄砲食ったような顔をした。


「なぜ、実詞くんがここにいるんだ」

「バイトですよ。前の職場をクビになったんで」


 ニタニタと目を細めている維蔓さんに向けて、蓮水さんは鋭い視線を飛ばす。


「大嘘つきめ」


 感情をさらけ出した蓮水さんは実年齢よりも幼く見えて、ようやく維蔓さんの弟であることに得心がいった。

 とはいえ、今まで見てきた名探偵の姿とは大きく異っていて、戸惑いしかない。

 だって、蓮水さんはこんなに行儀悪くソファの背もたれに体を預けたりしないし、一流企業に赴くのにセットされていないボサボサ頭のままにしたりなんかしない。ひげの剃り残しなんてありえない。


「いつ知り合ったんだ」

「六月くらいだったかな。偶然、同じジムに通っていたんだ」

「偶然ね……」


 何食わぬ顔の維蔓さんとは対照的に、蓮水さんは「凛太郎め。次会ったらスタイナースクリュードライバーの刑だ」とぼやいている。高級なお酒の名前だろうか。


「半年も共同生活をしておいて、同居人の交友関係一つ知らないなんて、探偵失格じゃないか」

「プライバシーは尊重する主義なんだ。それから、探偵じゃない。名探偵だ」

「どっちにしたって、一銭にもならないだろう」


 僕は目分量でコーヒーをいれながら、二人のやり取りを傍観する。


「いい歳して夢見がちな肩書きを名乗るのはやめたらどうだ。お前に任せたい仕事が山ほどあるんだ」


 流鏑馬やぶさめのように的確に撃ち抜くなあ、と思った。


「会社員は向いてないんだ」


 蓮水さんは、満員のバスに揺られているような顔をする。


「ただの会社員じゃない。今みたいな、子会社のお飾り社長でもない。本社のナンバー2の座だ。やりがいも保証する。逆らうやつは排除してやる。だから、なあ」

「そういうことじゃないんだ、兄さん。僕はただ、名探偵でいたいだけだ。役職なんてなにもいらない。今の肩書きだって、すぐに返上したいんだ」

「だれからも必要とされていないのに?」


 空気が軋んだ。


「今時、探偵だなんてうさんくさいやつに依頼するのは、よほど後ろめたいことがあるか、ひやかしが趣味な暇人だけだ。なあ、そんなことより、僕のもとに戻ってくるんだ。それが一番幸せだろう」


 まくし立てて喋る維蔓さんは、弟を見ているようで、蓮水さんを見ていない。


「断る」


 蓮水さんは立ち上がると、僕が今まさに配膳しようとしていたカップをひったくってぐびぐびと飲み干す。


「ありがとう、ごちそうさま」


 にこり、と。僕の知る紳士的な名探偵の顔でカップを戻し、その足で社長室を出ていった。


「それでは、またあとで。咲月社長」


 バタン。たいして重くないはずのドアの音がやけに響いた。


 そして次の瞬間、なにかが風を切って僕の鼻先を通過し、ドアに激突した。


 散乱した残骸から、それが来客用のソファであることがわかる。

 キックボクシングも極めるとあんなデカイ塊を蹴飛ばすことができるらしい。

 維蔓さんは癇癪かんしゃくを起こした子供みたいに叫びながら、デスクをひっくり返し、パソコンを床に叩きつける。

 この部屋に妙に物が少なくて最新機器が揃っているのはこういう理由か。

 僕は被害を受けないように壁際に立って時が経つのを待った。


 いったい、なにを見せられているのだろう。いったい、なぜ見せられているのだろう。


「思い通りにならないのなら、もういらないんだよね」


 急に冷静になって、維蔓さんは呟いた。息一つ切らしていない。

 そして、無事だった棚からなにかを取り出すと、床に散らばった破片をザクザクと踏みしめながらこちらに寄ってきた。

 有無を言わさず、そのなにかを握らされる。

 ナイフだ。

 手によく馴染む。しかし、ホームセンターで手に入るものとは比べものにならない重量感と輝きだ。


「殺せ」


 だれを、とは言われない。僕も聞かない。

 最初からそのつもりだったのだろう。

 この世の善意を集めたような顔をして、粛々と悪意を煮詰めていたのだ。

 きっと、僕が維蔓さんと出会うよりずっと前から。

 でも、僕と蓮水さんが出会った少し後から。


「もちろん、無理強いはしないよ。でも、契約不履行ってことになるから」


 また、どこからともなく紙を一枚出してきて、突きつけられた。

 請求書と書かれている。宛名は英実詞。社員寮の家賃光熱費。そして、自動車学校の学費の立て替え分。合計約三十万円。

 うん、そうだ。そんなうまい話があるわけがないんだよね、この世の中。

 三十万円なんて、人命と比べれば微々たる金額だ。

 しかし、僕にはその微々たる金額さえ支払う能力がない。


「やらない理由なんてないよね。君が半年間費やしてきた野望が叶うんだから」

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