第六話 (5)なんのために生きてて、なんのために死ぬんだい。

 おはようか、こんにちはか、どちらが適しているのか迷うブランチな時間帯。

 数時間遅れでやっと、学校まで戻ってきた。

 校舎からは物音一つ漏れてこないのに、活気が感じられるのはなぜだろう。

 すれ違ったおばあちゃんは、まさか校門前に佇む男子高校生のかばんの中に包丁が何本も仕込まれているだなんて、想像もしていないだろう。

 目を閉じて夢想するのは、明日の朝刊の一面記事。見出しには、誇り高き我が校の名と共に、史上最悪の数字が踊る。

 闇に葬られてしまった被疑者の動機は、捜査の進展と共につまびらかになっていく。最終的に浮かび上がるのは、SNSイジメ。

 たくさんの憶測に彩られて、この事件は幕を閉じる。

 実に滑稽で、胸が踊る。

 僕という人間は、実は貪欲で完璧主義。やるなら、一番でなくては気が済まない。

 ああ、いったいどのように、事を成そうか。

 登場はやはり派手にいきたい。

 卒業間近のセンチメンタルに染まった体育館に突撃しようか。

 それとも、無関係な一年生の教室に忍び込んでなぶっていこうか。

 正面玄関から堂々と入ろうか。

 それとも、裏口から静かに侵入しようか。

 湯水のように溢れてくるアイディアから、最適解を導き出すために熟考を重ね、校舎の周りを観察する。


 そして、気づけば日が暮れていた。


 かばんの中の凶器は一ミリも血を吸うことなく眠ったまま。

 下校していく同級生に遭遇しては、事情をでっち上げて、上辺の心配を受け取った。

 不思議なことに、陽佑にもアミにも会うことはなかった。

 次第に人通りがなくなっていき、底冷えする星空の下、僕は校門の前にうずくまった。


「つまらないなあ」


 朝から調子の変わらぬ蓮水さんの登場には、もううんざりしてしまった。


「こんな時間になっても現れるなんて、暇なんですね」

「ああ、暇さ。時間を持て余してしたから人間観察に興じていたのたが、骨折り損だったな。すべて予想通りでつまらなかったよ」


 視界が真っ赤になる。

 しわ一つないスーツに飛び掛かると、ふわりと体が宙に浮いて、次の瞬間には背中と地面が衝突していた。

 肺が体が飛び出してしまったかのように呼吸する手段を失ってもがいていると、追い討ちをかけるように横っ面を踏まれる。

 血の味よりも、新品の革靴の匂いが不快だ。


「気づいたかい。君は、君が思うよりもずっとつまらなくて普通の人間だよ」


 そんなこと、わかってる。

 口から出せない反論をせめて目力に込めて睨みつけてみたけれども、蓮水さんは無表情で跳ね返す。


「そんなことわかってるって言いたそうだな。だが、わかってないな。全くね」


 ようやく痛みが和らいできて、僕は空気の多く混じった声で異を唱える。


「あんたに、なにがわかるっていうんだ」

「そうだな。私にわかっていることは、君が大学受験に失敗したことと、同級生からSNSで中傷を受けたことだけだ」


 蓮水さんは、すべて知っているかのような口ぶりで言う。


「その他は推測することしかできない。だが、推測は時に真実を言い当ててしまう」

「当ててみてくださいよ」


 やめればいいのに、僕はなぜか続きを催促してしまう。


「君はセンター試験の当日、人を助けた。目撃情報から察するに、美しい女性だ。だが、下心からではない。人命が関わっていた。違うかい?」


 無反応の僕を満足げに眺めて、蓮水さんは続ける。


「君の機転のおかげで、その人は助かった。しかし、君はセンター試験を受けることができなかった。問題はその後。周りは君の勇士を称えるどころか、罵倒し認めなかった。君に愚か者の烙印を押した。君の感じた絶望は、死を選ぶには十分だった」


 チープな小説のようだ。急に自分が読者になったかのように、客観的にそう思った。

 つまらない。これは打ち切り確実だ。


「つまらないなあ。なぜだと思う。それは君がちっぽけなプライドに固執する、普通の人間だからさ」


 だが、こうもありありと否定されると腹が立つのが人の性だ。


「別に僕はあなたの娯楽のために死ぬわけじゃない」

「そうだろうか。今日、君は私の思惑通りに動いただろう。私の視点に切り替えてみてくれ。どう考えても、都合よく動いてくれるおもちゃだろう」


 衝動的に、再び飛び掛かっていて、今度は胸ぐらを掴むことに成功した。

 しかし、その体はびくともしない。


「なんなんだ。なにがしたいんだ」


 誰への問い掛けなのか。


「言っただろう。苦しいよりは、楽しい方がいいと」

「これが楽しいことなんですか」

「また言わせるのかい? つまらなかったよ」


 万力を込めた僕の手は、いとも簡単に外されて宙を泳ぐはめになった。


「これでも期待していたんだ。君なら、私をあっと驚かせてくれるのではないかってね。けれども、蓋を開けてみれば量産型の死ぬ死ぬ詐欺。肩透かしもいい所だ」


 首を振って、肩を竦めて。街灯に照らされたその姿はまるでミュージカルのワンシーン。

 そして、決定的なセリフを吐いた。


「君って、なんのために生きてて、なんのために死ぬんだい」


 舞台を下ろされてしまった。そんな気持ちだった。

 そして、なぜだかそれがたまらなく悔しい。


 蓮水さんはバレエのピルエットを想起させる華麗な動きで振り返り、歩き出した。


「ああ、誰かこの名探偵を抱腹絶倒させるような、奇想天外な出来事をもたらしてくれないだろうか!!」


 天を仰ぎながら、彼は闇に消えていった。

 僕は冷たい地面に崩れ落ちた。

 自分を取り巻く状況はなにも変わっていない。むしろ、悪化する一方だ。

 だが、この時、僕の中の選択肢から『死』は消えた。とりあえず保留だ。


 僕は善良を絵に描いたような人間だった。

 嘘だ。大嘘だ。

 僕はプライドが高くて矮小な、ごく普通のつまらない人間だ。

 これまでも、これからも。

 だが、負けず嫌いだ。認められないのが、我慢ならない。

 認めさせたい。とくに、あの蓮水という男にだけは。絶対に。

 あとはどうなってもいいから、形振り構わずあの男に一泡吹かせたい。

 だから、それまでは生きよう。なにがなんでも生きてやろう。

 踏み出した一歩は、足に羽が生えたみたいに軽かった。




 翌日、卒業式にて僕は元生徒会長として最後の仕事を全うした。

 クラスメイトと当たり障りなく話して、上辺で別れを惜しんでみせた。もちろん、陽佑とも。ただ、目線は交わらないような気がした。

 アミとは会わなかった。クラスが違うので、自発的に出向かわなくては、会うことはない。

 式はつつがなく終わり、誰もいなくなった教室から、玄関で行われれている第二ボタン争奪戦を眺めていた。

 スマホを見れば、アミからメッセージが届いていた。陽佑からも。その他大勢からも。

 僕はそれを隅々までチェックして、しかしだれにもなにも返信せずに、窓からスマホを投げ捨てた。

 祭りのような喧騒の中で、だれも落下物に気づくことはなく、僕だけが、脆く粉々になる機体の最後を見届けた。

 家に帰り、私服に着替え、用意されていたスーツケースに必要なものを詰めた。一番大事なものは、コートのポケットに突っ込む。

 家には、仕事に行っている父はもちろん、母も不在であった。

 せめてなにか書き置きを残すべきか悩んで、結局なにも書かずに家を出た。どう足掻いても、捜索願いの提出は避けられないだろうから。

 再びバスに乗った。

 昨日もらった名刺に書かれている住所から割り出した最寄りのバス停は、昨日降りた場所よりも更に一つ先だった。

 その地区は山のふもとに位置しており、道中はほとんど登山をしているような心持ちだった。

 途中で道に迷ってしまい、植物園の周りをぐるぐると徘徊。その場所こそが目的地であることに気づくまで、三十分を要した。

 家屋の壁を隙間なく埋め尽くすつたの中に見つけた表札には、『名探偵・蓮水』と標榜されている。

 徹底されているな、と思った。

 かなり古風な洋館で、入口には呼び鈴が見当たらない。

 もしやと思い扉に付いている繊細な馬の装飾の下に吊るされた輪を三回打ち付けてみた。

 音は壁伝いによく反響し、数秒もしないうちに扉が開いて家主が現れた。


「やあ、待っていたよ」


 蓮水さんは、まるで三年前から予見していたかのようにスマートに僕を迎え入れた。

 歓迎された。

 なので、僕はなんのためらいもなくポケットに忍ばせていた包丁を彼の脇腹にめがけて突き出した。

 刺されば致命傷になっただろうが、やはり蓮水さんは優雅にかわす。


「不意打ちでもだめかあ」


 猫撫で声で言ってみせると、蓮水さんの肩がくくくっと動いて、


「このくらいでは不意打ちに入らないね」


 と、余裕綽々に家の中へ入っていった。僕も後に続く。


「僕、褒められたことしかないんですよ」


 極彩色の花々に彩られた廊下に響き渡るように、声を出す。


「あんなにけなされたのは初めてで、とても傷つきました」

「それは悪いことをした。いったい私はどんな報復を受けるんだい」


 振り返った蓮水さんは、まるでトレンディードラマのワンシーンみたいにスラックスのポケットに両手を突っ込んでいる。ニヒルという言葉がこの上なく似合う。

 この人は家の中でもスーツを着る主義なのだろうか。流石にジャケットは脱いでいるが、ストライプのシャツにサスペンダーがアクセントになっている。

 僕は決まりきっている答えをさも今捻り出そうとしているポーズを取ってから、言った。


「報復だなんてとんでもない。ただ、あなたに認めて欲しくて」

「ほう?」


 片眉が上がる。初めて疑問形のセリフを引き出せた気がする。この人は、応答がわかりきっているような話し方をするから。


「僕、考えたんですよ。名探偵を出し抜くような、奇想天外なこと。あなたに認めてもらうには、それしかないでしょう?」


 首が縦に振られるのを見届けて、僕は決意を吐き出した。


「僕が名探偵を殺します」


 言いながら、自然と笑みがこぼれる。


「すべての謎を解き明かす名探偵が殺されてしまうだなんて、これ以上に奇想天外なことはないでしょう?」


 生まれて初めて笑ったような気分だ。十八年も生きてきたというのに。

 蓮水さんは、無表情みたいな笑顔で、


「それは楽しみだ」


 と言った。

 悔しいなあ。悔しくて、死んでる場合なんかじゃない。


 こうして、蓮水邸に居候しながら名探偵の命を狙う生活が始まった。

 ここからが、英実詞の現在進行形の話。

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