第六話 (3)僕はいったい、なにをしたかったんだっけ。

 その発信元は間違いなく、僕の親友・陽佑のアカウント。

 文章の下には、一介の高校生の投稿が短時間に稼いだとは思えない数のリツイート数とコメント数を示す数字が踊っている。

 やらなければいいのに、吹き出しのアイコンをタップしてしまう。

 表示されたコメントは、『こんな日になにやってんだよ』『信頼してたのにがっかり』『彼女いるんじゃなかったの?』などと、その投稿内容自体疑うものはない。

 どれも、ハンドルネームから投稿者を推察できるが、普段は陽佑との親交がないであろう人牛りまで、十年来の友人みたいに、根も葉もない話に花を咲かせている。

 親指を滑らせる度に、僕の知らない僕の悪事が暴かれていく。受験なんかしなくても、すでに裏口入学が決っているらしい。

 面白いな、それ。

 そして、見つけてしまった。


 りさ@勉強垢

 彼ぴっぴなんか色々言われてるよ


 あみたそ

 彼ぴっぴじゃねーし


 りさ@勉強垢

 まじでwwセフレ???


 あみたそ

 そんなとこ


 この小さな端末の中でなにが起きているんだ。これは現実か。

 慣れ親しんできた情報ツールが、まるで親のかたきかのように僕を攻撃してくる。

 僕がなにをしたっていうんだ。ああ、そうか。みんなが必死に試験を受けている間、綺麗なお姉さんとふしだらなことをしていたのか。

 大学教授の息子はセンター試験なんか受けなくても、裏口入学できるのか。

 そんなわけがあるか。ドラマの見すぎだ。

 今すぐに反論したい。簡単だ。僕も思ったことをそのまま打ち込めばいい。

 だけど、こんな震える指じゃ、まともな日本語を紡げない。


 この後、どうやって家に帰ったのか覚えていない。

 とても歩いて帰れる距離ではなかったはずだが、交通機関を利用した形跡はなかった。

 なにより、脚が棒のようだ。

 そうして、辺りが薄暗くなった頃、ようやく家の敷居を跨いだ。


 なんの不安もない顔で待っていた両親に、事の顛末を話した。

 血相を変えた父が、僕の左頬をしたたかに打った。


「そんなことのために、自分の人生を棒に振ったのか!!」


 そんなこと? 僕のしたことって、瑣末なことだったのか?


「お前が着いて行こうが、行くまいが、その男性の容態は変わらないだろう」


 人生を棒に振った? もう取り返しが付かないのか?


「息子が浪人したなど、どの面下げて言えるんだ」


 父さんって、こんな人間だっけ。血の通っていない怪物と入れ替わってしまったのではなかろうか。

 味方だと思っていた母も、ただ曖昧に笑っているだけで、存在価値は観葉植物とさして変わりない。

 この日一日で、僕の信じるものが崩れてしまった。

 僕はいったい、なにをしたかったんだっけ。




 それから約ニヶ月。その間の僕の様子は茫然自失以外に表現のしようがないだろう。

 学校が自由登校期間だったのは幸か不幸か。一日の大半を部屋の中で過ごし、家族とまともな会話をすることはなく、ましてや学校の人間と連絡をとるはずもなく。

 けれども、SNSから離れることもできず、無言を肯定と受け取ったように肥大化していく淫らな『英実詞』像をただ眺めていた。


 用意された私大の試験すべてで芳しい結果は残せず、一年の浪人が決定したとき、部屋に入ってきた母親が一冊のパンフレットを渡してきた。

 そこには東京の芸能系の専門学校の名がポップに描かれている。ネットの広告でよく見るやつだ。


「なに、これ」


 久々に聞いた自分の声は、かすれて聞くに耐えない。


「あなた、昔、テレビ観るの好きだったでしょ? アニメとか」


 そりゃあ、小さい頃は娯楽の選択肢は少なかったから、テレビばかり観ていたけど、昔の話だ。今は動画サイトやWeb小説の方が手軽で面白い。


「俳優と声優? そういうのになれる学校みたいなの。東京なんだけど、寮があって、素敵じゃない?」


 その素敵なパンフレットを受け取って、僕はプログラムされてたみたいににっこりと口角を上げた。


「僕はこの学校に行けばいいの?」

「ええ、社会勉強だと思って。ちょっと試してみて、嫌だったらいつでも戻ってきていいのよ」

「うん、わかったよ」


 物わかりの良い息子は、母が部屋が出ていくと同時に、パンフレットをゴミ箱に投げ捨てた。

 間違いなく父さんの差し金だ。なにが社会勉強だ。

 浪人生として予備校に行ったのでは体裁が悪いから、あたかも自分の意志で大学進学以外の道を選んだかのように見せかけたいわけだ。

 そして、すぐに夢破れて戻ってきた息子を受け入れて再びチャンスを与える良い父親の完成。

 さすが、頭良いなー。

 いつの間にやら部屋の片隅には海外旅行用のスーツケースが準備されていて、その用意周到さには舌を巻く。今の今まで気づかなかった自分には呆れる。

 体をベッドに放り投げてしまえば、もはや指一本動かす力も湧かず、思考の海にダイブする。


 善良に生きてきたつもりだ。

 恥じることのない選択をしたはずだ。

 ならば、なんだ。この現状は。

 自分のせいなのか。他のだれかのせいなのか。

 一体この先どうすればいいのか。

 五里霧中とはこのことか。


 とりあえず目下の悩みは、三日後には敵だらけの学校に登校しなくてはならないことだ。

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