第六話 (2)【悲報】

 彼女はミサキと名乗った。

 ミサキさんには、遠距離恋愛中のコウタという彼氏がいる。

 大学三年生であるミサキさんよりも二歳年上のコウタさんは、去年の春から社会人となり、離れて暮らすようになった。

 住む土地は離れていても、二人の交際は順調そのものであった。

 ところが、ここ数日、コウタさんの様子がおかしい。

 電気系エンジニアとして働くコウタさんは年末進行に忙殺され、かといって正月もまともに休めず、ミサキは会うことができなかった。

 せめて声だけでも聞きたいと電話をしてみても、よっぽど疲労が溜まっているのかまともな会話にならない。それどころか、コウタさんはささいな言葉の行き違いで怒り出してしまう始末。

 やるせなさを抱えたミサキさんのもとに、昨晩、衝撃の知らせが届く。


『やらかした。もうだめだ』


 スマホ画面に表示されたのは、たったそれだけの言葉。

 ミサキさんが何度メッセージを送っても、電話をかけても、返事はない。既読すら付かない。

 彼の勤め先に電話をかけてみると、あらゆる部署をたらい回しにされたあげく、得られた回答は『最近目に見えてやる気がなくなり、ついに、してはならないミスをしでかしたので暇を出した』というものだった。

 怒りのままに電話を切り、ミサキさんは空港へ向かう電車に飛び乗った。

 昨晩、日本列島は寒波に包まれ、とくに関東では記録的な大雪に見舞われた。

 当然、交通網は大いに乱れ、空港に辿り着いても全便欠航の画面を眺めるだけ。

 結局、空港内で夜を明かし、朝一の便をもぎ取ってようやくこの北の大地に降り立ったのであった。


「昨日の夜も、こっちに着いてからも、ずっとコウタに電話してるんだけど、全然出てくれなくて。心配で、心配で……」


 その声、その表情から察せられる心労は計り知れない。

 ふと、気になったことを尋ねてみた。


「コウタさんがやらかしたミスって、どんなものだったんですか?」

「詳しくはわからないけど、初歩的なミスみたいで。会社の人は、居眠りでもしてなきゃやるようなミスじゃないって。最近見るからに手が動いていなかったらしくて」


 嫌な予感がする。あくまで、まだ大学にも行っていない医者志望者の当てずっぽうな勘だけど。


「急いだ方がいいかもしれない」

「えっ?」


 僕は相当青い顔をしていたに違いない。

 ミサキさんは、立ち上がった僕を見てぎょっと目をむいた。


「タクシー捕まえておきますから、ミサキさんはゆっくり外に出てきてください」


 先ほどと同じ道のりを再び駆け上る。

 このところ勉強漬けで運動とは無縁だったから、筋肉痛が訪れるのは明日になるかもしれない。


 タクシーを捕まえてミサキさんを待っていると、よく見知った人影が近付いてきた。


「実詞! なんだよ、お前。センター試験にタクシーでご登場か?」


 陽佑だ。いつも通りの軽薄な笑みを浮かべているが、そのまぶたの下には濃いくまが刻まれている。


「いや……」


 どう説明したものか答えあぐねていると、調度いいタイミングでミサキさんが到着。

 僕は彼女と共にタクシーに乗り、陽佑には「試験開始までには必ず戻るから!」と残してドアを閉めた。

 運転手さんにとにかく急ぐように伝えると、心なしかいつもよりも外の景色が早く動いているような気がした。


「急にどうしちゃったの?」


 ミサキさんは事態が飲み込めずに混乱しているようだ。


「これはあくまで僕の推測なんですけど、ひょっとすると、彼氏さんは脳梗塞かもしれない」


 手足のしびれ、倦怠感、言葉が出てこず人が変わったように感情のコントロールができない。

 判断材料が少なすぎるが、最悪の事態を想定するには十分だ。


「脳梗塞って、コウタはまだ二十三歳だし。スポーツもやるから太ってないし」

「若くてもなることがあるんですよ。先天性のものもありますし」


 杞憂であってくれ。今はそう願うしかない。




 結果として、コウタさんは自宅の玄関で倒れていた。

 アパートの管理人さんにお願いして開けてもらった扉の向こう。そこに広がっていた衝撃光景。

 僕はすぐに救急車を呼び、彼の容態を確認する。意識は混濁しているものの、受け答えはできる。

 狼狽しているミサキさんを救急車に押し込み、病院へと搬送されるのを見送った。


 事態が落ち着いたころには、センター試験の開始時刻を過ぎていた。

 それはつまり、第一志望校への現役合格の切符を失ったことを意味するが、後悔はない。

 もしも、駅でミサキさんを見捨てて試験会場へ向かっていたらと思うと、ゾッとする。

 一人の男性の命が救えたのであれば、僕の夢が一年先延ばしになったことなんて安いものだ。


 胸を張って言える。

 これが僕、英実詞という人間だ。


 アパートを出ると冷えた空気に刺激されて、急激に腹が減ってきた。

 近くの公園のベンチに腰掛けて、母お手製の必勝弁当を広げる。

 そろそろ、試験会場も昼休みに入っているだろう。僕の姿がないことにみんな心配しているかもしれない。

 大げさだけど生存報告をしておこうかとスマホでTwitterのアプリを開く。

 そして、飛び込んできた文字列に目を疑った。


 よーすけ@センター無事死亡

 【悲報】元生徒会長英氏、センター試験ボイコット。美女をお持ち帰り。タクシーで繁華街に消える。

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