第五話 (3)人を殺すって、こんな感覚なんだ。

「亡くなったのは、二階堂恵理香さん。十九歳、女性」


 即死だった。

 足元に広がっていた真っ赤な血溜まりが、目に焼きついて離れない。


 気がつけば、事故後すぐに駆けつけた警察によって、僕は事情聴取を受けていた。


「また君か……」


 お約束である、刑事・片瀬さんの登場にも、言葉を発する気力が湧かない。

 これまで、数々の事件に巻き込まれてきたが、実際に死体を見るのは初めてだった。

 しかも、今回の犯人は間違いなく僕。

 人を殺すって、こんな感覚なんだ。

 片瀬さんも、いつものように『犯人はお前だ!』って罵ってくれればいいものを。


「そんな、大罪を犯かしたみたいな顔をするな」


 優しく、静かに、片瀬さんは一枚の紙切れを差し出してきた。


「二階堂さんの服のポケットに入ってたものだ」

「読んでいいんですか?」


 ぐしゃぐしゃになったファンシーなメモ用紙。その中心に小さな丸い文字で、こう書かれていた。


『雄二が乗っている車に轢かれて死ぬのが、私の幸せ。

 雄二にも、運転席の人にも、罪はありません。

 二階堂恵理香』


「本人の筆跡で間違いない」

「ということは、自殺なんですか?」

「そうなる。つまり、今回のケースだと、君に過失は認められないから、不起訴処分となるだろうな。安心していい。ただ、君の乗っていた教習車のブレーキに不備が見つかったから、学校側には業務上過失致死傷罪が」

「どうして……」

「うん?」


 掠れた声を絞り出す。


「どうして、二階堂さんは、自ら命を投げ出したりなんかしたんでしょうか」


 十九歳の女性が、愛する人に殺されたいと願う理由って、なんだろう。


「まだ捜査中だが、彼女は余命宣告を受けていたらしい。両親も早くに亡くしていて、支えとなるものがなかったんだろうな」





 今までと比べものにならないくらい早く、警察から解放された。

 だというのに、


「蓮水さんはなにしに来たんですか?」


 名探偵が、ここは自動車学校ではなくて中世のお城なのではないかと見紛うほどのエレガントさを撒き散らして、待ち構えていた。


「君の保護者として呼び出されたんだよ」


 クールに言うその額には、宝石の欠片みたいな汗が浮かんでいて、この人にも代謝機能が備わっていたんだな、としみじみ思う。真夏でも涼しい顔をしていたのに、珍しい。

 勝手に僕の保護者を名乗っている点には強く意義を申し立てたかったが、僕が未成年であることは揺るぎない事実なので押し黙る。


「事件と聞いて飛んできたのだが、どうやら名探偵の出番はなさそうだ」


 蓮水さんのことだ、もうすでに事の顛末を把握しているのだろう。

 関係者から言葉巧みに情報を引き出す姿が目に浮かぶ。


「つまらないですか?」

「そうだな。今回は自殺以外に疑う余地がない。決められた役割以上のことはできそうにないな」

「本当に? まったくありませんか?」


 名探偵は片眉を上げる。


「君の推理とは違うと言うのかい?」

「推理っていうか、引っかかっていることがあるんです」


 本当は、今すぐ帰りたかった。

 洗いたてのシーツにダイブしたかったのだが、このままでは安眠できそうにない。


 僕の口から、形の定まらないパズルのピースが次々とこぼれていく。

 多分、完成させるには全然足りないし、余分なピースの方が多いだろう。

 蓮水さんはそれを丁寧に並べ変えて、空白を埋めて、やがて目を丸くした。


「蓮水さんでも驚くことがあるんですね」

「君は私をなんだと思っているんだ。これでも、ドッキリには引っかかりやすい人間だ」

「あー、っぽい」


 すごくバレバレの落とし穴に向かって一直線に突き進んでいきそうなイメージ。


「バカにしている場合ではないぞ」

「そうですね」


 出来上がった図柄が正しいのであれば、急がなくてはならない。




 薄闇の広がる廊下に、ポツリと佇む人影。


「三上先生」


 僕の呼び掛けに反応し、振り返る。表情は見えない。


「ああ、英くんか。大変な目に会ったね。そちらは?」


 疑問符を向けられた蓮水さんは、「彼の保護者です」と言って会釈する。

 聞いているんだか聞いていないんだかわからない曖昧な返事が返ってくる。


「三上先生はもう事情聴取終わったんですか?」

「いや、まだ。さっき五十嵐先生が終わって、上の先生方が入れ替わりで始まったところ。二階堂さんと関係性の薄い僕なんて、一番最後だよ」

「でも、付き合ってましたよね」


 空気が凍る。


「まさか。ただの噂だよ」

「あ、そっか。二階堂さんが好きだったのは、五十嵐先生でしたもんね。三上先生は片想いかー」


 影が濃くて、相変わらず表情をうかがうことはできない。


「なにが言いたい」

「知ってたんですよね。二階堂さんの病気のこと。家庭環境も、全部」


 右手がズボンのポケットに吸いこまれていく様子を目で追いながら、僕は名探偵になった気分で揚々と語る。

 本物の名探偵は、僕の後ろで息を殺している。


「それで、協力してあげたんですよね? 彼女の自殺に」

「……」

「彼女が五十嵐先生に轢かれて死にたいなんて言うから、五十嵐先生の車と自分の車に細工をした」

「……、黙れ」

「良いことをしたつもりかもしれないですけど、これって立派な自殺幇助じさつほうじょなんですよ」

「黙れ」

 ゆらりと影が揺れて、こちらに向かってくる。

「黙れ、黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!」


 狂い叫びながら振り上げた右手が、銀色の光線を描く。


 それが折りたたみ式のナイフであると気づいたときにはすでに、切っ先が喉元に届こうとしていた。

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