第五話 (2)なんだか空回り。

「え、教習車使えないんですか?!」


 妙に早く呼び出されて五十嵐教官のもとに向かうと、車が不調で教習を始められないと告げられた。


「すまないね。後日、優先的に振り替えするから」


 美しい九十度のお辞儀。そんな腰低く謝られてしまっては、なにも言えない。

 仕方がない。今日はもう大人しく帰ろうかと、肩を落としてロビーに戻る。

 

 僕の順番が午前中最後だったので、もう、ロビーにはだれも残っていなかった。

 さて、帰ろうかとろうかを歩いていると、再びダンディな声に呼び止められる。

 なんでも、三上先生が早めに終わって、教習車が空いたので、今からでよければ教習を始められるとのこと。

 少し時間は遅れてしまったものの、これで予定通りに教習を受けられる。

 これ以上、名探偵殺害に時間をかけたくないのだ。意志が鈍ってしまうから。

 僕は喜び勇んで舞い戻り、教習車に乗り込んだ。

 こういう、一度だめだったことが再び可能になったときって、なぜだか最初よりもモチベーションが上がるもので。


「いやー、五十嵐先生の予約ってなかなか取れないから、次はいつになるのかってやきもきしましたよ」


 しまった。テンションが上がったあまりに嫌味っぽいことを言ってしまった。

 教官は苦笑いしている。


「あ、いや、五十嵐先生って、格好良くて人気だから、常にキャンセル待ちの人がいるじゃないですか」


 更なる苦笑。なんだか空回り。

 やっぱり、僕の年上への苦手意識は改善できてないようだ。


 場の雰囲気を変えるため、アクセルを踏んでコースへ踊り出る。


「若いお嬢さん方にちやほやされるのは、どうにも慣れませんがね」


 教官は、たどたどしい僕のハンドル捌きを眺めながら良い声でぼやく。

 ふと、あのメルヘンなワンピース姿が頭をよぎる。

 同時に思い出すのは、イケメン教官による横恋慕。

 完成しかけている三角形の最後の一辺はどこへ向いているのか。

 あくまで自己防衛として確認しようと口を開きかけたのだが、


「しかし、うちの娘もいずれ同じようにうつつを抜かすのかと思うと、気が重いですね」


 と、高校生の愛娘と、いくつになっても初々しい奥様の自慢話が始まった。

 正直気が散るが、無事にフラグがへし折られたので良しとしよう。

 助手席に小煩い人を乗せたときの予行演習だと思って、目の前のコースに集中する。


 手こずりながらも関門を突破し、残すは直進のみ。

 完全に油断していた。


 見通しの良い、障害物なんてあるはずのない視界に突如、白い影が現れた。


 そこからは、ハイスピードカメラで撮影したかのようなスローモーションの世界。

 それが、白いワンピースにツインテールの女の子だということはすぐにわかったが、体が言うことを聞かない。

 左隣の教官は、適切な対処をしていたと思う。

 それでも、間に合わない。

 穏やかな笑顔がこちらを向いていて、口が動くのをただただ眺める。


 さようなら。


 たぶん、そう言ったんだろうな。

 精神と肉体が切り離されたみたいに、五感が効かなくなって、気づいたときにはエアバッグに身を預けていた。

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