第五話 轢殺

第五話 (1)お金ください。

 ドスン、バスン。


 僕はやり場のない苛立ちをつま先に乗せて、サンドバックヘぶつける。

 本当は声も出せればすっきりするのだけれど、二ヶ月前に殺人事件の現場となってしまったこのジムにうっかり物騒な言葉を響かせてしまいかねないので自粛する。

 苛立ちの原因は、未だに名探偵を殺せていないこと。

 今朝、いつも通りに蓮水さんを奇襲からの庭の水やりというルーティーンをこなしながら、ふと気づいてしまったのだ。

 庭の植物のラインナップが、いつの間にか秋仕様に変わっていることに。

 温室内に敷き詰められた謎の植物が、白い蕾をつけていることに。

 僕は、名探偵に傷一つつけることも叶わぬまま、二つの季節を慢然と過ごしてしまった。

 そして同時に、あの時の決意が薄らいできてしまっていることを自覚する。


 今一度、身を引き締めなくては。僕の生きる理由は一体なんだ?


 自問自答しながら、拳を叩きつける。殺意を研ぎ澄ます。


「気合い入ってるね」


 気分をガラッと変えてくれる、爽やかな声。

 手を止めて振り向くと、自動車会社社長・咲月さつき 維蔓いづるさんが近づいてきた。

 そのハンサムなスマイルを見て、思いつく。


 車。轢殺れきさつか……、確実でいいな。でも、まず免許取らなきゃ……。あ、お金ないな……。


「お金ください」

「急にどうしたのかな」


 つい、守銭奴のようなことを口走ってしまったが、まあ、いい。


 さすがの名探偵でも、鉄の塊に追突されれば、一溜まりもないはずだ。

 今回のミッションは轢殺。

 そのためにまずは、免許証を取得しよう。


 維蔓さんに、どうにか目的を濁しながら免許を取得したいという旨の相談をすると、知人の経営している自動車学校を紹介してくれた。


「さすが、大企業の社長。顔が広い! 顔小さいのに!」

「授業料を値引きするよう、掛け合ってあげよう」

「太っ腹! 体は引き締まってるのに! でも、本当にどうしてこんなに、僕に優しくしてくれるんですか?」

「弟と同じ匂いがするからさ」

「まだ同じですか? シャンプー変わったと思うんだけどな」


 蓮水さんは案外ミーハーで、ブランドは変わらないものの、季節ごとに発売される限定品のシャンプーに毎回手を出しているようだ。僕はとくにこだわりはないので、相変わらず勝手に拝借している。


 この日は、学校を紹介して頂いたお礼に維蔓さんのブラコンエピソードを傾聴しているうちに日が暮れてしまった。

 弟さんはもう少し維蔓さんに優しくしてあげてほしい。ニヶ月に久しぶりに会ったきり、音信不通らしい。

 まあ、一人っ子の僕には兄弟関係の機微は察することしかできないのだけど。


 そして、翌日から自動車学校に通い始めた。

 学校まではバスを乗り継いで通わなくてはならず不便だが、費用はどうにか貯金で賄えた。

 維蔓さんには足を向けて寝られない。なんだか安すぎる気がするのだけど、相場はいくらくらいなのだろう。わざわざ調べるのも気が引ける。


 通い始めて早一ヶ月。時間に制限のないフリーターの魔法で次々と単位を取った。

 今日の技能教習を終えれば、いよいよ仮免試験である。

 僕を担当してくれている教官は、五十嵐いがらし 雄二ゆうじさんという五十代のダンディなおじ様だ。

 こういう若い女性の集まる場所では、歳の近い男性教官の人気が高くなることが通念なので、正反対の教官を選んだ。

 もう色恋沙汰に巻き込まれるのは御免である。

 だが、世の中には枯れ専女子という種族がいる。完全に盲点だった。

 五十嵐さんは持ち前の優しさと、ハンドルを握る手がセクシーであると人気なのであった。

 もう、そういう情報はあらかじめ教えておいてほしい。予約が取りづらくてかなわない。

 僕の方から担当を変えることもできるのだけど、やはり評判が高いだけあって、五十嵐さんの指導はわかりやすいのだ。


 というわけで、今日も詰まりに詰まった五十嵐教官のスケジュールを眺めながら、ロビーの長椅子に腰掛けて順番を待つ。僕の番は午前の最後だ。

 ふと、背中に視線を感じた。

 振り向くと、僕と同年代くらいの女子が、僕を射殺さんばかりの目力でこちらを睨みつけている。

 たっぷりとフリルのあしらわれた純白のワンピースに、ツインテールというメルヘンな出で立ちは否応なく目立つはずなのに、なぜか周りはその存在が見えていないかのように避けている。

 ひょっとして、僕にしか見えてない? 教習所の幽霊? 肌も青白くて生気がないし。

 他の人が呼ばれて移動した隙に、柱のかげに移動してみる。こちらからは見えなくなったものの、まだ見られている気がする。


「あ、あの子、気にしない方がいいですよ」


 視線に気を取られて不躾に真横に座ってしまった女性が、笑いながら言う。


「僕にしか見えてない幽霊ってわけじゃないんですね」

「あはは。違う違う。でも、わかりますよ。私も最初そう思ったから」


 現世の人間であることは確認がとれたので、再び恐る恐るメルヘン女子の方を見てみる。


「ひいっ、まだ見てる! 鬼みたいな顔をして目を合わせてくる!」

「五十嵐先生の教習のキャンセル待ちをしているんですよ。五十嵐先生受け持ちの生徒は全員覚えてて、誰か帰らないか、ああやって監視してるの」

「え、他に空いてる教官がいるじゃないですか」

「五十嵐先生じゃなきゃだめみたい。二階堂にかいどう 恵理香えりかちゃんっていって、五十嵐先生のストーカーで有名なんですよ」

「そうなんですか。僕、初めて見ましたけど」

「そういえば、ここ最近、あまり来てなかったかも。私の友達が半年にここを卒業してるんですけど、そのときからいたんだって」

「それ、そろそろ卒業できなくなるんじゃ?」


 自動車学は最長で九ヶ月しか通えないんじゃなかったっけ。


「本人はそれでも満足みたい。五十嵐先生と付き合えないなら、五十嵐に先生に殺されたいみたいなことまで言ってるんだって」


 怖い。

 その、二階堂さんって人も、こんなことをわざわざ僕に教えてくるこの人も。

 また変なフラグが立ちそうな予感。


「私も最初の担当は五十嵐先生だったんだけど、いちいち二階堂さんに因縁つけられてめんどくさくなったから、三上先生に変えちゃった」


 三上みかみ 健斗けんと教官は、最年少にして、一番人気。


「やっぱり、教官は若いイケメンに限るわ」

「……、同感です」


 フラグがへし折られて安堵したのもつかの間。


「あー、でも一つムカつくのが、三上先生の本命が二階堂さんってところなのよね。あの女のどこがいいんだか」


 はい、デジャヴ。絶対にろくなことが起きない。


 この後、僕の予感は、最悪の形で的中するのであった。

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