第四話 焼殺
第四話 (1)この館、よく燃えそうだな。
そうだ。焼殺しよう。
例のごとく、僕は職務を果たす傍ら唐突に思いついた。
我ながら素晴らしくクリエイティブな発想だ。イグノーベル賞を進呈したい。
いつの間にか七タは過ぎ去り、夏本番を迎えつつある今日というこの日。
珍しく、蓮水さんは不在だ。
外せない用事があるらしく、明日の朝まで帰らない。
家を出るときの蓮水さんは、いつも通りの澄まし顔に見えて、ほんの少しだけ憂鬱そうだった。
僕はというと、主のいぬ間を見計らって、館を隅々まで清掃する。
もちろん、一番の目的は蓮水さんの弱点を見つけ出すことだ。
蔵書を一冊一冊吟味しているのはそのためで、断じて、図書委員の真似事が楽しくなったのではない。
そして、ふと思った。
この館、よく燃えそうだな、と。
いや、建物自体はレンガ造りで防火措置も適切に行われている。
だが、屋内は紙だの植物だの、可燃性のものが溢れかえっているのだ。
蒸焼きにはもってこい。
明日の朝、蓮水さんが疲れて帰って来たところを業火で迎え入れてやろう。
この館が名探偵の棺となるのだ。ふはははは。
さて、問題はどのように火をつけるか、である。
アンティークな外観とは裏腹に、この館はオール電化なのだ。暖房はすべて床暖房。ライターもマッチもない。七輪はあったのに。どうなっているんだ。
火って、どうやってつけるんだっけ。
アウトドアとは無縁な人生を送ってきたことが悔やまれる。唯一の記憶は、小学校の炊事遠足で火打ち石を使用して火起こしをしたことだけだ。
とりあえず、庭で丁度よさそうな石を探して擦ってみる。
うん、全然手ごたえがない。思わず天を仰ぐ。
火を発見した人ってすごいな。今からでもノーベル賞を進呈したい。
そんなわけのわからないことを考えてしまうぐらい、まったく火が出る気配がない。心が折れそう。
いや、何事も続けることが大切だ。継続は力なり。今年の書き初めで書いた言葉。
めげない。負けない。石を打ち続ける。
シュッシュッ、カンカン、シュッ、カンカンカンカン……。
「なにをやっているんだ?」
「うわーっ!!」
驚きのあまり、手から石がすっぽ抜ける。
勢いよく襲い掛かった石つぶてをひょいと軽く避けてみせたのは、お馴染みの刑事・片瀬さん。
「どうしてここに。まだ、死人は出ていませんよ」
「事件がないと、俺は友人の家を訪ねてはならないのか?」
ようやく視界に収めた片瀬さんは、珍らしくスーツではないラフな格好をしている。
「あれ、今日はお仕事じゃないんですね。蓮水さんは外出中ですよ」
というか、慣れた様子で庭に入ってきたが、立派な不法侵入である。
警察手帳を持ってるタイプの侵入者は「そうか」と頷いて、後手に持っていた紙袋を突きつけてきた。
「なんですか、これ」
「あれだ……、お詫びの品。迷惑掛けたからな」
そっぽを向いて言う。しおらしいところあるじゃないか。
「それが謝るときの態度ですか?」
「蓮水のやつ、とんでもない助手を雇ったもんだ」
紙袋はありがたく頂く。中身は実家近くの和菓子屋さんのもの。大きさからして、どら焼きかな。
「ありがとうございます。僕、ここのどら焼き好きなんですよ。蓮水さんにはもったいないから、全部食べちゃおうかな」
「それを食べるのは久しぶりだろう」
なにを言っているんだ。
片瀬さんはとてもプライベートとは思えない、敏腕刑事の目をしていた。
立話もなんだから、と居間に移動してコーヒーをいれる。どら焼きにコーヒーという組み合わせもなかなか悪くないと思う。
「驚いたぜ。あのH大医学部教授の息子だったとは」
カップを二つテーブルに置き、ベルベットのソファに体を沈める。勝手に包みを開けて、どら焼きをむさぼり食う。やっぱり美味しい。
「この間の通り魔事件のとき、病院に行っただろ。あそこの医師が教えてくれたよ。恩師なんだと」
だから、病院には行きたくなかったんだ。
「どこの医大に通っているのか聞かれたから、個人情報保護法について語っておいた。これでよかっただろ?」
悪い笑み。まるでヤクザだ。
「そうですね。たまには良い仕事するじゃないですか。褒美にこのどら焼きを差し上げましょう」
丁寧に包装を剥いてあげると、僕がまだ持っているのにかじりつかれた。手まで食べそうな勢い。
「旨いな。高級住宅街の味がする」
「行儀悪いですよ」
「そりゃ、君よりはな」
ビーフジャーキーみたいにどら焼きを食べないでほしい。
なんだろう。いつにも増して、片瀬さんの態度が悪い。金持ちに恨みでもあるのだろうか。
「ったく、なんだって医者一族の嫡男がこんなところでバイトしてるんだよ」
「個人情報保護法についてお話しましょうか」
「いや、いい。あと、そんな万能な法律じゃないからな」
これ以降、本当にこの話題に触れてこなくなった。空気の読める良い刑事だ。
世間話(主に蓮水さんの悪口)で盛り上がったので、ついでに聞いてみる。
「片瀬さん、火の起こし方ってわかります? 館に火をつけて、名探偵の丸焼きをつくりたいんですけど」
「火災は周りの家にも被害が及ぶからだめだ」
「殺すのは止めないんですね」
「あいつ、クズだからな。動機の百や二百ぐらい俺でも思いつく。それに最近、たいした事件もなくて暇なんだよ」
なんというドクズの言い分。
「さすが、蓮水さんの親友ですね。なるべくして親友になったって感じ」
「そうだろ」
照れるな。褒めてないから。
「なんで仲良くなったんですか? 高校の同級生とは聞きましたけど、所属するグループがまったく違う感じがするんですけど」
「高三のときに同じクラスだったんだよ。確かに、最初は絶対に仲良くなれなさそうって思ってたな。今だって、別に性格が合ってるわけじゃない」
感慨深げに話す片瀬さんの口から出てきた高校名は、僕がつい四ヶ月前まで通っていた学校のもの。
「えっ、先輩じゃないですか」
「知らなかったのか?」
知らない。
僕は蓮水さんのことをなにも知らない。
「聞きたいか? 俺たちの青春のメモリー」
「はい。ぜひ」
なんだか、声が震える。
「僕、あの人のこと、まったく知らないんです」
「俺が話せるのは、俺のことだけだぜ」
片瀬さんは残りのどら焼きを丸飲みにして、話しはじめた。
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