第三話 (4)この名探偵に解けない謎なんてないのさ
診察の結果、骨に異常はなかった。
全身を包帯と湿布に覆われ、大量の鎮痛剤を処方されて診察終了。
さて、蓮水邸に戻ろうか、とはいかない。
院内の会議室のような場所に、蓮水さんと共に隔離される。
狭い室内で、ここぞとばかりに片瀬さんが威圧感を放つ。お目付け役の無口な刑事さんが同席してくれていることが救いだ。
「ケガ人に対してなんて仕打ちだ」
若干落ち着きを取り戻したものの、蓮水さんはまだ不機嫌を顔に出している。
隣にそんな人がいるおかげで、僕は冷静になれるのだから不思議だ。
「カツ丼でも出せば満足か?」
「いいですね。そういえば僕、午後からなにも食べていないんですよ」
食欲もわかないんだけど。
片瀬さんは部屋の片隅にあったホワイトボードをガラガラと引っ張ってきて、そこに豪快な文字を書き始めた。
「まずは三人が殺された午後八時ごろ、どこでなにをしていたのか聞かせてもらおう」
「ジムを出た直後ですね。通り魔に襲われる直前」
「それを証明できる人は?」
「通り魔を捕まえてもらえれば、すぐにでも」
ぐぬぬと刑事の言葉が詰まる。
「他には」
「トレーニング場で、黒岩さんと赤崎さんが喋ってるのを見かけました。玄関で白川さんに挨拶もしました。本人たちに聞いてみてください」
「死人に口があればな」
二人同時に嘆息。このままでは話は平行線のままで進まない。
ここで登場するのが、さすが名探偵。話を進めてくれる。
「ジムの中に、他に人はいなかったのか?」
「いたさ。事務室にスタッフが二人。それと、女性更衣室に客が二人」
「そんなにいたんですね。会わなかったな。でも、それだけ人がいたなら、誰か一人ぐらい、犯人の手がかりを目撃してないんですか?」
「だれもなにも」
片瀬さんは白紙のメモ帳をペラペラとめくって見せてくる。聞き込みの結果、収穫はゼロであったらしい。
「事務室から、黒岩さんと赤崎さんが言い争う声が聞こえていたが、いつものことなので気に止めていなかったそうだ」
「三人はそんなに殺伐とした関係だったのか?」
蓮水さんの指摘には僕が答える。
「三角関係ですよ。黒岩さんは赤崎さんが好きで、赤崎さんは白川さんが好き。なのに、真面目な白川さんが黒岩さんに構うから、嫉妬のスパイラルで泥沼状態。僕は勝手に巻き込まれて迷惑してたんですよ」
「それが、三人を殺した動機だな!」
「こんなことで人を殺していたら、今ごろ僕は大量殺人犯ですよ」
呆れてため息しか出ない。
そんな短慮な刑事の手から、蓮水さんはペンを奪い取り、三人の関係性をボードに書き加える。
片瀬さんは「勝手なことをするな」とご立腹だ。
「実詞くん、巻き込まれたとは、具体的にどのように?」
「白川さん、いつも僕に対してとりわけ丁寧に教えてくれてたんですよ。それが、赤崎さんは気にくわなかったみたいで。睨まれたり、会話を遮られたり」
「ほう」
名探偵の眉が動く。
「なぜ、白川さんは実詞くんに優しかったんだい?」
「さあ。男性の初心者が珍しかったんじゃないですかね」
「なるほど。白川さんと黒岩さんの関係は?」
「トレーナーと所属選手」
「それだけか?」
「それ以上は知りませんよ」
僕が首を捻っていると、片瀬さんが代わりに答える。
「高校時代からライバル関係だったらしい。選手としてだけでなく、恋愛面でも。黒岩さんが女性を好きになる度に白川さんにとられて嫉妬心を剥き出しにしていたのだそうだ」
ずっとこんな関係だったのか。一方的に妬まれて、白川さんはよく黒岩さんと縁を切らなかったものだ。
「三人の関係性は理解した。次は発見時の状況を教えてくれ」
先ほどまでの不機嫌さはどこへやら。蓮水さんは全身からやる気を放出させてホワイトボードの前に立つ。
この殺風景な会議室が蓮水さんの存在感によって、ショーのステージに早変わりするのだ。
「今回は蓮水の推理ショーじゃなくて、取り調べのはずだつたんだがな」
渋々と片瀬さんは立ち位置を譲り、淡々とメモを読み上げる。
「最初に発見されたのは、白川俊介さん。ジムのすぐ裏の路地に倒れていたところを通行人により発見。午後八時二十二分、110番通報される」
監視カメラにも、僕がジムを出た少し後に白川さんが外に出ていく姿が映っていたらしい。
「そのときにはまだ、白川さんの息はあったんだな」
「そう。第一発見者によると、通り魔に襲われたという趣旨の発言をしていたらしい。だが、救急隊が到着し、午後八時三十五分、死亡が確認された」
あの白川トレーナーが襲われるなんて、改めて信じられない。
確かに、通り魔の苛烈な暴力には人を死に至らしめるだけの力があった。
しかし、よっぽどの不意につかれない限り、白川さんが易々と殺されるとは思えない。
「遺体に争った形跡はなく、背後から一方的に暴行を受けたと思われる。顔見知りによる犯行ではないかと俺は踏んでいるんだが……」
なんで僕を睨むんだ。
「いくら武芸を嗜んでいても、暗闇で突然襲われて反撃できる人間がどれだけいるだろうか。私にはできない」
「蓮水さんにできないなら、全人類無理です!」
「俺はできる」
「片瀬さんはゴリラじゃないですか」
仮定の話は置いておいて。
片瀬さんは、めきょっと握り潰してしまったメモを再び読む。
「ほぼ同時刻、ジムのスタッフによって、黒岩健二郎さんと赤崎恵理さんの遺体が発見される。二人共トレーニング場に倒れていた。黒岩さんは恐らく犯人と争った末に床に倒れて後頭部を強打。一方で、赤崎さんは背後から一撃で殺されている」
ううん? 三人共殺され方が違うぞ?
「それって、全部通り魔の仕業なんですかね?」
「違うだろうな。だから、実詞くんを疑っている」
「僕はその頃通り魔にボコボコにされてたんですって」
「それは、アリバイ工作のための自作自演なんじゃないのか」
「器用なドMか、僕は」
どうやれば、セルフでリンチにあえるんだ。やってみてほしい。あ、やっぱいい。片瀬さんならできてしまいそう。
「何度も言いますけど、僕は動機もなく殺人を犯すようなサイコパスではないんですって」
「蓮水を殺したい動機は?」
「ただ殺したいからです」
「ほら、サイコパスの言い分だよ」
蓮水さんからも何とか言ってほしい。
そう思って見回したが、なんと、蓮水さんの姿が見えない。
そして、ホワイトボードがガタガタと音を立てて揺れている。
「えっ、地震?!」
慌てて机の下に身を隠すと、目の前には信じられない光景が広がっていた。
なんと、蓮水さんがホワイトボードの足元にうずくまって振るえているではないか。
「もしかして、大爆笑ですか、それ」
「えっ? ああ、うん、ふははっ」
「声まで出すなんて!!」
蓮水さんのもとに駆け寄って体を揺すり起こすと、その目蓋には水滴がついている。
「泣くほどの笑い?!」
「ははっ。ああ。久しぶりに面白い事件だったよ」
「こういうのが好きなんですか?!」
いつも「つまらないなあ」と言って、スマートに事件を解決してしまう蓮水さんが、我を忘れるほど爆笑するなんて。この事件のどこが名探偵のツボにハマったのだろうか。
「というか、この事件の真相がわかったんですか?」
「もちろんさ」
どうにか息を整えて、いつもの格好いい名探偵に戻って言う。
「この名探偵に解けない謎なんてないのさ」
これが小説だったら挿し絵に採用されそうな、見事なキメ顔に、キャッチコピーにうってつけなキメゼリフ。
僕による拍手喝采が巻き起こる中、片瀬さんがボソリと呟いた。
「なんの茶番だ、これ」
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