第三話 (3)こんな僕でも、成長する。

 走りながら、民家の影に人がいる気配は感じていた。

 その人影の身長は僕と同じくらい。全身黒づくめで、マスクをしている。


 怪しい。けれども、僕はその前を走り抜けた。だって、男である僕が警戒を要する案件があるなんて、考えたこともなかった。


 突然、ジャージの裾を引っ張られて、バランスを崩す。

 そうしている間に足をとられて地面に転がった。

 打撃が、降ってくる。

 顔に。胴体に。全身に浴びる、容赦ない暴力。

 うめき声さえ出せず、ただただ衝撃を受け止めて、歯をくいしばる。

 不思議と痛みは感じない。


 どのくらいそうしていただろう。不意に暴力が止んだ。

 逃げるのなら今がチャンスなのに、指一本たりとも言うことを聞かない。

 キックボクシングなんかやっていても、こんなときには無意味なんだな。

 ボロ雑巾のようになった僕をあざける息。そして、足音。気配が遠ざかっていく。

 脅威が去ったとわかった途端、激痛が襲ってきた。

 こんな暴行を受けたのは、人生で二度目だ。

 やっとの思いで立ち上がる。どうにか歩ける。骨折はしてなさそうだ。毎日のトレーニングのおかげで受け身が上手くなったのだろうか。

 いや、違うな。これは一度目から得た経験則だ。


 こんな僕でも、成長する。もっと別のかたちで知りたかったな。




 肌を赤と青に染めた僕を出向かえた蓮水さんは、口をあんぐりと開けた。


「なんだ、その格好は……。なにがあった?」

「名探偵なのに、聞かなきゃわからないんですか」


 いつにない蓮水さんの狼狽ぶりを見られたおかげで、口の動きは元の精彩を取り戻したようだ。


「わかるわけがない。……、いや、わかった。通り魔に会ったな」

「大正解です。ご褒美に、痣を一つわけてあげましょう」

「もらえるのであれば、いくらでも」


 言いながら、蓮水さんはジャケットを羽織る。


「お出かけですか?」

「実詞くんを病院に連れて行くんだよ。骨折しているかもしれない」

「ただの打撲ですよ。第一、保険証持ってないです」

「あるさ」


 蓮水さんの財布からなぜか、『はなぶさ 実詞みこと』と書かれた保険証が姿を現した。

 どうして。家に置いてきたはずなのに。

 呆気に取られている問に、ガレージまでエスコートされて、高級スポーツカーの助手席に乗せられていた。

 夜道へ向けて発進する。


「運転できるじゃないですか」

「だが、ペーパードライバーだ」


 その運転はペーパードライバーとは思えないほどなめらかで、スポーツカーの持ち主とは思えないほど慎重だ。


「蓮水さんって、運転してても蓮水さんなんですね」


 我ながら、言ってる意味がわからない。

 口を引き結んだ蓮水さんは、怒ったような、泣いているような顔をしているのだが、まぶたが重くてよく見えない。

 なんだかあたたかくて、心地よくて、僕はまどろみに身をまかせた。




 赤い光がまぶたの裏で瞬いて、目が覚めた。


「事故でもあったか……」


 運転席の蓮水さんがいぶかしさと苛立ちをフロントガラスの向こうにぶつけていて、僕も少し身を乗り出して外を見る。


「救急車? いたたっ」

「無理をするな」


 シートベルトに圧迫されて骨が軋む。

 やはり、早く医師に診てもらった方がいいかもしれない。

 しかし、すでに最寄りの救急病院に到着しているのだが、人の出入りが激しくて駐車場に入れないのだ。


 やっとのことで院内に入り受け付けを済ませる。

 よく周りを見渡してみると、患者よりもスーツ姿の男たちの方が目立っていて、まるで刑事ドラマのワンシーンのようだ。


「おい、凛太郎!」


 さすが、目敏い蓮水さんは量産型の集団の中に見つけた一人に向けて的確に声をかける。

 すると、お馴染みの熊のような刑事・片瀬さんが飛んで来た。


「蓮水! それに、実詞くん?!  どうしたんだ、その怪我」

「貴様が職務を怠ったおかげで、私の可愛い助手が通り魔の被害にあったのさ」

「通り魔に……!」


 詳細を話すように促がされ、僕は当時の状況や犯人の特徴の覚えている限りをつまびらかに話した。

 片瀬さんは「そうか、まだあのジムに行っていたのか」と、さりげなく失礼なことをつぶやいて納得の顔。

 一方で、蓮水さんは「最近、昼間どこかに行っていると思えば、ジムなんかに行っていたのか」と残念そうに眉を下げる。そういえば、言ってなかったな。


「また君か……」


 しばらく考えこんでいた片瀬さんが、ため息混じりにつぶやく。

 そして、低い、まっすぐな声で告げた。


「ジムに所属するプロキックボクサーの黒岩健二郎さん、トレーナーの白川俊介さん、そして、一般会員の赤崎恵理さんが殺された」


「はっ?」


 自分の声の大きさに耐えきれず痛みを訴える身体。

 片瀬さんは、身体と同じぐらいズタボロになった、僕の黒いジャージに向けて言う。


「白川さんはジムのそばの路地で発見された。第一発見者によると、白川さんは亡くなる直前に『通り魔に襲われた』と言っていたらしい」


 通り魔の特徴は全身黒づくめで、身長は僕と同じくらい。


「残り二人はジムの中で発見された。表口と裏口に設置された防犯カメラには部外者の姿は映っていなかった」


 室内にもカメラを付けておかないと。まあ、某陶芸工房よりはマシな警備と言える。


「内部の者による犯行であると思われる。そこに、同じく通り魔に襲われたと言う人物が現れた。さて、誰があやしいと思う?」

「えっ、僕?」


 聞かれたから答えただけだと言うのに。


「犯人はお前だ!!」

「やっぱり、あんた刑事やめた方がいいですよ」


 蓮水さんも、無表情でうなづいていた。

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