第三話 撲殺リベンジ
第三話 (1)良い情報を手に入れた。ヤッタネ!
僕に足りないもの。それは身体の強さだ。
いつものごとく容易くかわされてしまったフライパンをいたわりながら、僕はそう確信した。
身体を鍛えなくては。
そう決めてから早三日。とくになにもしていない。
人間とはそういう生き物である。蓮水さんならこう言いそうだ。
脳内に勝手に住んでいる空想上の蓮水さんにさえ、僕はなにも言い返せない。
だって、名探偵殺しを固く誓ったあの日から、もうニヶ月も経ってしまっているのだから。
世の中は大型連休の真最中である。
毎日がホリデーな僕には関係のない話で、せいぜいスーパーがこれでもかと大安売りしてくれるのが嬉しいってくらいだ。
「あ、お米が安い。しょうゆも」
例のごとく五つある新聞から、チラシを抜き取ってチェックする。新聞の種類によって入っているチラシの量が違うことも、この館に来てから得た知見だ。
「でも、このスーパー遠いんだよなあ。蓮水さん、一緒に行きませんか?」
お気に入りのカウチソファで、芸人の自伝本を読んでいる蓮水さんに話しかけると、「デートのお誘いは嬉しいが、今日は苗植えをしなくてはならないんだ」と素気ない返事をいただいた。
本業はどうした。
「えー、車出してくださいよ。そしたら、数十分で終わりますから」
「車? なんのことだね。我が家にはそんなものはない」
「ガレージにあるでしょ。SATSUKI製の高級車が」
「あれは小物入れだよ。エンジンがついているタイプのね」
「宝の持ち腐れですね。じゃあ、レンタカーで行きましょう。免許は持ってますね?」
「ん? 身分証明書のことかい?」
「そうです、それです。見せてください」
「なぜ、私が君に身分を証明しなくてはならないんだ」
どさくさに紛れて名前を見てやろうと思ったが、失敗に終った。
ニケ月も一緒に暮らしていて、未だにフルネームがわからないってことどういうことだよ。
「もー、そしたら、タクシーで行きましょうよ!」
「本末転倒だな」
この人、絶対に外に出たくないだけだ。
「いいですよ、今日から蓮水さんの茶碗の中身は全部玄米ですから」
「コシヒカリがいいな」
「味音痴のくせに文句言うな!」
もういい。スーパーが混雑する前に、とっとと買い出しに行こう。
外出の準備を始めた僕に対して、蓮水さんは「出かけるなら、気をつけたまえ」と新聞の記事を指し示してきた。
それは、近頃頻発している通り魔事件を取り扱ったものだ。被害者は十代から三十代の男性で、死者も出ている。
「いや、被害者が襲われてるのって、だいたいが夜ですよね。さすがにそんなに遅くはならないですよ」
「そう言って、夕飯のお預けを何度喰らったことか」
うーん。名探偵に入った依頼の数より少し多いくらいだと思う。
なぜ、たかだか数十円の節約のために、僕はこんな苦労をしているのだろう。身を切る思いならぬ、腕がちぎれる思いだ。
やはり、体力をつけるべきか。
十キロのコシヒカリと、醤油のボトルと、その他こまごまとしたセール品をぱんぱんに詰め込んだエコバックを両手にぶら下げて、えっちらおっちらと歩いていると、お馴染みの刑事に遭遇した。
「あ、片瀬さん。暇そうですね。荷物持ってください」
「君の目はどこについてるんだ?」
片瀬さんは大粒の汗を額に光らせながら、早足で僕の前を横切ろうとしていた。プライベートではなさそうだ。
「あ、片瀬さん。暇そうですね。荷物持ってください」
「あれ、耳もなくしたのかな? 聞き込み捜査中なんだが」
「また、だれかに冤罪吹っかけようとしてるんですか?」
「いやな言い方するな!」
周りをキョロキョロと見回したかと思うと、慣れた仕草でエコバックを二つとも持ってくれた。
「まあ、そろそろ休憩しようと思っていたからいいさ。蓮水の家まで運べばいいのか?」
「はい。……、休憩と言って力仕事をするなんて、片瀬さんってドMですか?」
「君が蓮水の下で二ケ月も働けている理由がよくわかった」
大きな歩幅で、片瀬さんは進んでいく。
「世の中はゴールデンウィークの真っ只中だが、君は家に帰らなくていいのか?」
唐突に爆弾みたいな質問を投げかけられて、僕の足は止まった。
三歩先を行っていた片瀬さんが、振り返る。
「いつかの工房で見せてもらった書類に書かれていた住所が、蓮水の家になっていたから驚いたよ。今まで雇った助手は何人か見ているが、住み込みなんて人はいなかったからな」
「そうなんですか。初耳です。今までの助手の人はどんな感じだったんですか?」
話を逸らそうとしているのなんかバレバレのようで、片瀬さんは僕の質問には答えない。
「まさか家出少年なのではないかと思って調べてみたが、捜索願は出ていないようだな。だが、どうにもあやしい」
「高卒のフリーターが住み込みでバイトすることの、なにがあやしいって言うんですか」
軽口を叩いて、大股歩きで片瀬さんを追い越す。
本当は動機が激しくて、冷や汗が止まらない。
片瀬さんめ。なかなか良い勘をしている。やはり、本物の刑事なんだな。
まだ腑に落ちない顔をしているので、だめ押しするように言う。
「僕を探さなきゃいけない人なんて、いないですよ」
自分で言いながら、心がえぐられる。目を背け続けている現実が、そんなの無駄だって追いすがってくるのだ。
だめだ。この話はいやだ。
再度、話題を変えようと試みる。
「片瀬さんって力持ちですよね。なにかスポーツやってたんですか?」
「ん、ああ。中・高は柔道部だったんだ」
今度は話に乗ってくれたので安心した。
「似合いますね。蓮水さんはなにか部活やってましたか?」
「あいつは万年帰宅部だったよ。というか蓮水が授業以外で体を動かしてるところを見たことがないな。想像すらつかない」
片瀬さんは首をひねってうなる。本当に想像つかないらしい。
「蓮水さん本人は剣道初段って言ってましたけど」
「知ってる。だが、俺は嘘なんじゃないかと思ってる。とにかく、アクティブさとは無縁だからな。兄さんと大違いだ」
「兄弟がいるんですか?!」
思いがけず、良い情報を手に入れた。ヤッタネ!
「何歳? どんな人ですか? 蓮水さんに似てますか?」
「グイグイくるなあ。なんか蓮水に怒られそうだから教えない」
押しが強すぎたようだ。反省。
「ちぇっ、蓮水さんの弱みを握れると思ったのに」
「それならば、余計に言えない」
「じゃあ、片瀬さんはどうやったら蓮水さんを殺せると思いますか?」
「警官になんてことを聞くんだ!」
「まあまあ、例えばの話ですよ」
それならば、と片瀬さんは太い両腕をクロスさせるジェスチャーをする。
「絞め技で一発。関節は鍛えられないからな」
「やっぱり、そうなりますよね」
このムキムキの刑事さんならば可能であろうが、こちらのガリガリのフリーターには不可能だ。
「体鍛えようかなあ。この辺に、柔道道場とかありますか?」
「あるにはあるが……」まるで骨董品を鑑定するみたいに、僕の肉体を観察して、「君には向いてなさそうだ」
「えー、じゃあ、なにかいいスポーツはありませんか?」
「うーむ」
腕を組み、真剣に考えてくれる。
鍛える目的が名探偵殺しであることを忘れてしまっているのか。それとも、ただのいい人なのか。
「あ、キックボクシングはどうだ? 知り合いが通ってるジムが近くにあるんだが」
「殺傷能力高そうで良いですけど、女性がやってるイメージなんですよね」
よくお昼のワイドショーで、ヨガと並んで紹介されている気がする。さすがに女性たちに混ざるのは気まずいお年頃なのだ。
「まあ、女性も多いが、プロも所属している本格的なジムだぞ。その知り合いは通い始めて一ヶ月でプロにならないかとスカウトされたらしい」
「それは期待値高いですね」
うん。キックボクシングか。いいな。やはり、名探偵を殺すには武器を使用せずに己の肉体のみで成し遂げるのが一番の理想型だ。
「キックボクシングやってみます」
「決断が早いな」
ジムの電話番号を教えてくてようとしたが、スマホを所持していないことを伝えると、メモに住所を記してくれた。
「あ、鍛えるのはいいが、夜のジョギングは控えるんだぞ。最近通り魔が出てるからな」
「蓮水さんもそんなようなこと言ってましたけど、普通、狙われるのは女性なんじゃないですか?」
「どういうわけか、今回の通り魔のターゲットは全員男性なんだよ。それも、ジャージやトレーニングウエアを着ている、いかにも運動初心者という人ばかり」
妙な趣味の犯人だ。
片瀬さんが聞き込みをしていたのって、ひょっとしてその事件の捜査のためだったのだろうか。
「わかりました。気をつけます」
「うん。ジムの見学はいつでも受け付けているはずだから」
「はい、早速行ってきます」
「早速?」
ちょうど、この道を右に曲がれば蓮水邸、左に曲がればキックボクシングジムのある住所という交差点に差しかかっていた。僕は迷わず左に曲がる。
「荷物、お願いします!」
片瀬さんのツッコミをBGMに、僕は目的地へまっしぐらに向かった。
見学をして、契約を結んで、満足して帰った頃には日が暮れていて、「だから言ったじゃないか」と蓮水さんからお小言をいただくはめになったのであった。
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