第二話 (2)僕は死体と会話していたっていうんですか?

「羽柴さん、亡くなったんですか……」


 あまりに唐突な訃報に、抑揚のない声が出た。

 これでは、まるで僕が冷静みたいじゃないか。


「冷静だな。やはり、君が犯人か!」

「やっぱりそう見えますよね。めちゃくちゃ驚いてるんですけど」


 瞳孔を開いて僕に飛びかかろうとしてくる片瀬さんだが、うしろに控えていた刑事さんに首根っこを掴まれ静止した。


「悪に制裁を‼︎」

「落ち着け」


 この人、やっぱり刑事に向いてない。血気盛んすぎるだろ。

 

 こんなところで謂れのない罪を着せられては困る。

 僕が殺したいのは新進気鋭の陶芸家ではなく、名探偵なのだから。


「冤罪ですよ」

「いいや、あの変態探偵・蓮水の下で働いていて、半月も保つなんて、同じくらいの変態か聖人しかありない!」

「半月じゃなくて、一ヶ月半です」

「ド変態だ!」

「変態だから犯人なんですか?」

「変態を殺すのは変態と相場は決まっている」

「あ、羽柴さんが変態ってところまでは調べがついてるんですね」

「人の家の玄関で変態を連呼しないで貰いたい」

「変態さん、あ、間違えた。蓮水さん」


 居間から顔を出した蓮水さんは、眉間にしわを寄せていて、珍しく嫌悪を露わにしている。


「騒がしいと思えば、お前か、凛太郎」

「よう、蓮水。相変わらず隠居生活か? たまには家に帰れ」

「うるさい」


 蓮水さんは騎士みたいに僕の前に歩み出て、腕を組んだ。


「うちの優秀な助手になんの用だろうか」

「英くんには殺人の嫌疑がかかっている」


 こちらを振り向いた蓮水さんは目を丸くしている。

 今日は表情豊かな蓮水さんが見れる日にようだ。


「実詞くん、浮気かい? 妬けるなあ」

「いやいや。僕は蓮水さん一筋ですよ」

「なんの茶番を見せられているんだ? そろそろ事情聴取をしたいんだが」


 片瀬さんは再び僕に激情を向けていて、それを蓮水さんは慣れた態度でいなす。


「任意だろう。ここでもいいじゃないか」




 渋々、刑事二人を居間に案内した。


「コーヒーお持ちしますね」

「お構いなく。昨晩からカフェインは過剰摂取しているんだ」

「じゃあ、紅茶お持ちしますね」

「蓮水。紅茶の方がカフェインが強いことぐらい教育しておけ」

「実詞くん、うちにティーセットなんてあったかい?」

「ガレージから発掘したんで、洗っておきました。片瀬さん、水道水と井戸水とミネラルウォーターどれがいいですか?」

「硬水か軟水かによるな」


 注文の多い片瀬さんに比べて、年配の方の刑事さんは必要以上のことを喋らない。

 ドラマなんかの刑事は二人一組で捜査しているが、現実でもそうなのだろうか。

バディというより、狂犬とお目付け役って感じだが。


 片瀬さんはグラスに並々に注いだ天然水を飲み干すと、居住まいを正して話し始めた。


「羽柴 司さんが遺体で発見されたのは昨日の午後十時ごろ。工房の外の石窯のすぐ横に倒れていた。石窯は稼働中で、作業に集中しているところを後ろから襲われたようだ。第一発見者は明智 朋彦さん」

「絶対、犯人その人ですよ! 仲悪かったし、明智さんが羽柴さんを敵対視してましたし」


 僕は思わず立ち上がって訴えるが、片瀬さんは無視して続ける。


「死因は後頭部の打僕による外傷性ショック。遺体のそばには凶器と見られる割た花瓶があった。それは羽柴さん自身の作品で、表面から羽柴さんの指紋と、他の人物一人分の指紋が検出された。工房の人間とは一致しなかった」

「それって、ド派出で風が吹いたら転がり落ちそうな不安定な花瓶ですか?」

「そうだ。心当たりはあるよな?」

「そうですね。それは多分僕の指紋ですね」


 片瀬さんはギラッと目を光らせる。


「犯人はお前だ!!」

「蓮水さん、あんたの友達短絡的すぎますよ」

「昔からだ。バカは治らん」


 蓮水さんは席から離れて、壁の本棚を整理し始めてしまった。

 もう少しこの事件に興味を持ってほしいし、普段から整理しておいてほしい。


「それだけじゃ証拠になりませんよ。僕が花瓶に触ったのは昼間です。目撃者もいるはず」

「たくさんいたよ。その全員がこうも証言している。君が、『撲殺』を連呼していたと」

「それは蓮水さんを殺すためです! ねえ、蓮水さん」

「ああ。私を殺すためだな」


 遠くから同意してくれる。


「どんな関係性だよ!」


 漫才師のような華麗なツッコミだった。


「まあ、それはいいとして、死亡推定時刻である午後六時から八時ごろに君にアリバイはないだろう? なにせ、明智さんが午後六時ごろに出て十一時ごろに忘れ物をとりに戻ってくるまでの間、表玄関の防犯カメラに映っていたのは九時ごろに工房を出ていく君の姿だけだからな!」

「ちょ、ちょっと待ってください」


 一気に色んな時刻が出てきて聞き流してしまうところだったが、おかしなことを言ってたぞ。


「死亡推定時刻をもう一度お願いします」

「午後六時から八時ごろ」

「その時間は、羽柴さんは生きてましたよ!」


 バリバリ生きてて、花瓶のデザインを練っていた時間だ。


「僕が工房を出た九時ごろまでは生きてましたよ。間違いなく」

「発見時刻の二時間前には死んでいた。死体は嘘をつかない」

「じゃあ、僕は死体と会話していたっていうんですか?」

「君が死体にしたんだろう」


 ついに片瀬さんは手錠を持ち出した。


「んなわけあるかーい!!」


 ローテーブルをひっくり返したくなる衝動を声量に変換する。


「そうだ、僕が帰るとき、羽柴さんも裏口から出ていきましたよ。防犯カメラに映ってませんか」

「裏口に防犯カメラはない。あるのは表玄関に一台だけだ」

「なんてずさんなセキュリティ!!」


 ここでようやっと、名探偵が重い腰を上げた。


 蓮水さんは、ソファの方に戻ってくるなり、片瀬さんに向けてため息を飛ばす。


「おざなりな推理だ。仮に実詞くんが羽柴さん殺しの犯人であったとして、動機はなんだ」

「うっ」


 片瀬さんはヒキガエルみたいな声を出して逡巡する。


「そうですよ。どうして僕が、昨日会ったばかりの羽柴さんを殺すんですか」

「じ、実は初対面じゃなくて、彼に恨みがあるとか」

「それを疑うなら、いくらでも僕の身辺を調べていいですよ」

「無差別で、誰でもよかったとか」

「僕はサイコパスですか?!」

 

これには名探偵も頼もしい援護射撃をくれる。


「実詞くんは理由なく人の命を狙うようなサイコパスではないよ」


 僕はちぎれるほど激しく首を縦に振った。


「明智さんは、君が羽柴さんの才能に嫉妬したんじゃないかと言っていたが……」


 どんどん口調から力が失われていく。


「素人の僕には、羽柴さんの才能とやらはわからないんですが、片瀬さんにはわかるんですか?」

「……まったくわからん。奇抜でアンバランスだとしか思わん」


 そりゃそうだ。正直、作品としては明智さんのものの方が素晴らしいと思う。


「恐らく、羽柴さんの言葉が、そのまま彼の動機なのだろう」

「んなこと、わかってるよ」


 名探偵が突いた核心をあっさりと認めて、片瀬さんはうな垂れた。


「だが、やつにはアリバイがあるんだよ。犯行時刻には陶芸家のパーティーに参加してた。目撃者も多数。これが崩せないんだよ」


 頭を抱えた刑事をあざ笑うように、蓮水さんは肩を震わす。これは内心で大爆笑のサイン。


「こんなつまらない事件のために、この名探偵の手を煩わせないでいただきたいな」


 言葉とは裏腹に、瞳は爛々と輝いているのである。


「ここで、情報を整理しよう」


 コピー用紙とボールペンを手渡すと、蓮水さんは達筆ながら読みやすい文字をそこに記していく。


「殺されたのは、新進気鋭の陶芸家・羽柴 司さん。容疑者は二人。羽柴とライバル関係にあった明智 朋彦さん。そして、我が助手・英 実詞くん」


 明智さんの名の横には動機あり・アリバイあり、僕の名の横には動機なし・アリバイなしとそれぞれ付け加える。


「羽柴さんの死因は撲殺。凶器とみられる花瓶には羽柴さんと実詞の指紋のみがついていた。私からしてみると、他の人の指紋がなかったことが大変不自然に思えるのだが、理由はあるのかね」

「ああ、それなら」片瀬さんが答える。「壊れやすそうな見た目をしているうえに、賞をとった作品ってことで、だれも触りたがらなかったんだとよ。うっかり落したりでもしたらかなわないからな」

「なるほど。では、この指紋は当てにならんな。工房であれば、カモフラージュするための軍手なんかはそこら中に転がっていそうだ」

「そうですよ!」


 僕は『凶器・花瓶』の横に『指紋は当てにならない!』と書き足す。


「これは僕が羽柴さんを殺したという根拠にはならない!」

「殺してないという根拠にもならないだろ。昼間一度指紋を付けてしまっているから、あとからもう一度触ったってわからない」


 片瀬さんは僕の字に力強く取り消し線を引き、「それに」と『アリバイなし』の部分を丸で囲む。


「死亡推定時刻の午後六時から八時ごろのアリバイがないのは君だけだ」

「だから、その時間はまだ、羽柴さんは生きてたんですって」

「そんなわけがあるか」

「いや、生きていたな」


 蓮水さんは『死亡推定時刻』に大きくバツをつける。


「ですよね!」

「なんだと⁈」


 刑事とタイミングが合ってしまって、なんとなくにらみ合う。


「実詞くん、死亡推定時刻はどうやって割り出すか知っているかい」

「えーっと、直腸温の低下?」


 僕は少ない知識から絞り出して答える。


「そう。さすがだな。今回事件でもそのように割り出されたはずだ。そしてこれから、いや、早ければ今頃から、司法解剖が行われ、正確な死因や死亡時刻が割り出される」


 片瀬さんはコクコクとうなづいている。


「人間が死亡すると、直腸温は下がっていくが、その程度は外気温に左右される。寒ければ低下は早く、暖かければ遅くなる。遺体は外で発見されたと聞いたが、石窯の側とも言っていたな。それなりに気温は高かったのでは?」

「もちろん、それらはすべて折り込み済みだ。まさか、警察の割り出した死亡推定時刻を疑うのか?」

「いいや。疑うことは警察の仕事さ。探偵の仕事場は仮説を立てること。例えば、死亡推定時刻が意図的に早められていたと仮定する」

「それは真先に俺たちがやった」


 憮然と、片瀬さんは抗議する。


「そのような形跡はなにも出てこなかった」

「残さなかったのだろう」


 うーんと? 話についていけない。

 死亡推定時刻を早めるって、体温の低下を早めるってことだろう?

 体温を早く下げるには、冷やせばいい。


「あ、ドライアイスがありました」


 そうだ。工房の冷蔵庫が壊れてしまっていて、代用していたクーラーボックスには、大きなドライアイスの塊が二つ入っていた。


「ドライアイスなら、すぐに融けてなくなって、証拠は残らない!」

「その通り。冴えているな、実詞くん」


 名探偵に褒められるのは、悪い気がしない。

 だが、片瀬さんが水をさす。


「その可能性ももちろん調べた。工房の人間たちの証言どおり、クーラーボックスにはドライアイスが二つとも入っていた。減っていないし、移動させてあとから元の場所に戻したにしても、体温を下げるほどの時間外に置いていたのであれば、目に見えて体積が減っているはずだ」


 思っていたより、片瀬さんって有能な刑事なのかもしれない。

 僕は感嘆の声をあげたが、蓮水さんから出たのは呆れのため息だった。


「やはり、想像力が足りないな、凛太郎」

「なに言ってんだ。お前、高校のころ書いてたリレー小説を忘れたのかよ。前衛的だっただろ」

「前時代的だったよ」


 リレー小説とかやってたんだ。意外と隠キャだったんだな。

 蓮水さんの書いた文章はちょっと読んでみたい気がする。


「ドライアイスの体積の比較は正確か? 目に見えないぐらいの体積の変化に、誰が気づく?」

「目に見えないぐらい?」

「例えば、表面を一層削ったとか」


 そうか、塊ではなく、薄く削りとったものであれば、すぐに融ける。


「犯人は、午後十一時ごろ羽柴さんを殺害し、遺体の周りにドライアイスを置いて偽装工作をした上で、すぐに警察に通報した」

「いや、だがそんな少量で体温は下がらんだろ」

「犯人に、死亡推定時刻の予測に使われる基準が直腸温であるという知識があったとしたら、置く場所の工夫ぐらいはするだろうな。さらに、首筋や脇の下などの皮膚の薄い部位を冷やすという知識があれば、なおさら」


 少量のドライアイスでも、体温を下げることができる。

 ちょっと下げすぎて、生きていたはずの時間に被ってしまったようだけど。

 ずっと存在感を消していた方の刑事さんのスマホが振動した。二言返事をして電話をきると、のっそりと立ち上がった。


「司法解剖の結果が出たんですか」

「死亡推定時刻が変わった。署に戻るぞ」

「なっ、……」


 しばらく呆けていた片瀬さんだったが、やがて気の魂の抜けたカカシみたいに立ち上がった。


「邪魔したな」

「あらぬ嫌疑をかけられた善良な市民に対して、コメントは?」

「大変申し訳ございませんでした!」


 勝手知ったる様子で館から出ていく後姿を見つめる蓮水さんの肩は、外れてしまうのではないかというぐらいに震えていた。




 翌朝の朝刊の一面には、明智さんの顔写真が掲載されていた。

 何年前のものだかわからない、卒業アルバムのものだ。卒アルの写真って、絶対にこういうときのために人相悪く撮っていると思う。


「作品はすごく好きだったんだけどなあ。どうしてこんなことを」


 記事に記載された動機は、『彼の才能に嫉妬した』であった。


「それを本人に伝えたかい?」

「いえ」

「だからだろうな」


 蓮水さんはすでに二面に移動してしまっている。


「百人の無口な大ファンより、一人のオーバーリアクションなにわかの方が重要なのさ。とくに、自尊心ってやつにはね」

「それってつまり、僕が素直に良いものに良いって言わなかったから、羽柴さんは殺されたってことですか?」

「そんなまさか」


 黒真珠の瞳が、まっすぐにこちらを見ている。


「悪いのは罪を犯した本人だけさ。たとえどんな背景があったとしても、それとこれとは別問題だ」

「ですよね。僕もそう思います」


 同意しながら、僕は名探偵の背中に向けて包丁を振り下ろす。


「でも残念だな。せっかく羽柴さんに花瓶を作ってもらってたのに」


 あっさりと避けられたせいで、勢い余って床に刺さった包丁を引っこ抜きながら、昨日の夜の電話を思い出す。

 それは工房の先生からで、くしくも羽柴さんの遺作となってしまったので、寄贈してもらえないかというもので、少し悩んだが承諾した。


「きっと蓮水さんも気に入りましたよ。オリエンタルでファンタスティックで、でかくて重くて少しの振動で落ちてしまうほどバランスが悪くて殺傷能力が高いやつだったんです」

「それは悔やまれるな。だが、私は安心したよ」

 

「もしなにかの手違いで、巨大な花瓶が頭上から落下してきたときに、剣道初段の私は瞬発的に避けることができるだろうが、君にも同じことができるとは思えないからね」

 

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