第二話 撲殺
第二話 (1)オリエンタルでファンタスティック
今日も、恒例である朝の奇襲は失敗した。
眠い目を擦りながら食卓に着いた蓮水さんに向けて、目玉焼きの乗った熱々のフライパンを投てきしたが、コントロールが素晴らしすぎて、蓮水さんの手元に着地し、そのまま食べられるオシャレなブレックファストみたいになってしまった。スマホがあれば、今ごろインスタでバズってた。
これだけ毎日失敗をくり返して、なにも学ばない僕ではない。
そもそも、僕は運動が得意なタイプではないのだ。5が並ぶ通知表の中で、体育と美術だけは3だった。
それに比べて、蓮水さんは相当に高い運動能力の持ち主だ。
おそらく、なにかしらの武道を嗜んでいるはずだし、きっと家庭科以外はすべて5だったに違いない。
そんな蓮水さんに対して、力技で挑んでも敵うはずがない。
そこで思いついたのは、不慮の事故を装うことである。
例えば、頭上から花瓶みたいな大きくて重いものが落ちてくるとか。
そうだ。それだ。ナイスアイディア。
というわけで、早速、館内の花瓶捜索に乗り出した。
アンティークなものなら、なんでも揃っているこの館だ。花瓶一つや二つすぐに見つかるだろうと踏んでいたのだが、甘い考えだった。
一ケ月半前に物置だと紹介されたガレージに、マスクと掃除用具一式を装備して乗り込むこと三時間。
目的のものは見つからず、むやみにガレージ内が綺麗になるだけ。
あるのは、本格的すぎる園芸用品と、意外なことに車の整備用品だ。
ガレージの用途としては大正解なラインナップだが、肝心な車がない。
一息つこうと、手近な台に腰かけて、気がついた。
これ、車のボンネットじゃん。
なんと、細かな雑貨を収納するスペースとして、オープンカーが用いられていたのだ。
さすが、日本を代表するSATSUKI製の高級車はオシャレな使い方が似合う。社長がイケメンで男性ファッション誌の表紙を飾ってるだけのことはあるなって、おいおい。
「ここはハイセンスな帽子屋か!!」
通じる人が限られそうなツッコミが、ガレージ内で反響し、三倍のボリュームで僕の耳を攻撃した。
結局、花瓶はなく、代用になりそうなものといっても、変わった形の七輪ぐらいだ。近くに炭もあったけど、これも変わってる。レンコンみたい。
これから気温は上がる一方だっていうのに、屋内に七輪があるのはおかしいだろう。僕も蓮水さんも焼き肉よりジンギスカン派だし。
「この館に、花瓶はないんですか?」
ケモミミ少女が微笑む表紙の新書に夢中になっている蓮水さんに、単刀直入に聞いてみた。
「あー、ないな」
ないんかい。本当にただカレージの大掃除をしただけではないか。
「どうしたんだい、実詞くん。急に花道に目覚めたのかい」
「そんなところですね。庭の花が綺麗なので、飾ろうかと」
「わかっていないな、実詞くん」
珍しく抑揚の激しい声を上げて、蓮水さんは語る。
「花は、自然界でのありのままの姿が一番美しいんだよ。それをねじ曲げるなんて、人間のエゴさ」
「えー、いいじゃないですか。僕、ブリザーブドフラワーとか好きですよ」
「ブリザッ……、ああ、なんてことだ、君は悪魔か」
けいれんし始めた雇い主を、僕は冷ややかに目つめる。
「まあ、私も興味がないわけではない」
あ、止まった。
「花瓶も欲しいと思ってはいるのだが、なかなか気に入るものが見つからなくてね」
「へえ。どんなのがいいんですか?」
「オリエンタルでファンタスティックなやつ」
「抽象的だな」
見つかるかよ。
だが、思いついた。
ないのなら、つくればいい。
人間はそうやって文明を築いてきたのだ。
善は急げ。(善じゃないけど)
午後、僕は近所の陶芸工房に足を向けた。
陶芸の世界では、『土練り三年、ろくろ六年』と言われているらしい。
つまり、それだけの修練を必要とする技術なのだ。
というわけで、自分で花瓶を作るのは早々に諦めた。
優しい先生に教わって小さな茶碗を二つつくり、あとは工房内の見学をさせていただく。
ここは市内で一番有名な工房で、それだけ生徒の数も多い。
たくさんの人がいっせいに土を練る光景は、陶芸工房というよりもパン工場のようで少し可笑しい。
壁沿いに、生徒さんの作品が並んでいる。
僕がつくったみたいな小さな茶碗がほとんどだが、奥へ進むと作品はどんどん大きくなり、絵柄も細かくなる。
「そこは、ウチに所属してるプロの作品ですよ」
先生が教えてくれる。
だが、その言葉を聞き流してしまうくらいに衝撃的な出会いをしてしまった。
高さ五十センチほどの巨大な花瓶。その表面にびっしりと描かれた紋様。桃色とも橙色とも違う、朝やけの空を思わせる色彩を持った花弁。これは、蓮か。
どこか異国へといざなわれてしまいそうな、そこから始まる壮大な物語を想起させるような、果てしない熱量を持った作品だ。
「こ、これ、買うとしたらいくらですか」
「う一ん。この大きさなら、十万くらいですかね」
「じ、十万?! 花瓶ってそんなに高いんですか」
十八年間溜めてきたお年玉貯金が、一瞬にして消えてしまうではないか。
「その人の作品はとくにね。一応、コンテストで準大賞をとってるし。あ、ちなみに大賞をとったのはこっちね」
横には、一回り大きな花瓶があるのが、円錐を逆さにしたような不安定な形状をしている。息を吹きかければ転がってしまいそうだ。表面は極彩色な幾何学模様で埋めつくされている。
「おお、これまたオリエンタルでファンタスティックって感じ」
「そうだろう!!」
突然、大声の相槌を打たれて、驚きのあまり棚に突っ込みそうになる。
追い討ちをかけるように、男性の強い力で肩をガシッと掴まれた。
「君、わかってるじゃないか! だれだ? いや、だれでもいいさ、ブラザー」
「だ、だれですか。この人」
先生が優しく引き剥がしながら教えてくれる。
「その作品をつくった
引き剥がされてもなお肩を叩いてくる羽柴さんは、二十代半ばくらいだろうか。髪型、眼鏡、服装すべてが個性的。
「それ気に入った? 売ってあげちゃう! 一万円で!」
ひょい、と軽々しく渡されて、思わず受けとる。
「安っ! こっちの十分の一じゃないですか。いいんですか?!」
「材料費それくらいだし。本当はタダであげたいけど、怒られるからさー」
「儲けがないじゃないですか。もっとブランド料とかとらないと。大賞なんでしょ?」
「魂のブラザーのためならオールオッケー」
「いつの間にそんな深い関係に?」
僕もなんだかそんな気がしてきたのだから、不思議なものだ。
「ふん、ばかばかしい」
またも新たな登場人物の追加だ。
三十代くらいの男性が、少し離れた作業台から羽柴さんを睨みつけている。
「芸術家なら、自分の作品を安売りするな」
「価値を決めるのは僕じゃない。お客さんさ」
雰囲気はまさに、一触即発。
先生がこっそりと「準大賞の
なるほど、この神経質そうな人なら、あの繊細な絵を描いたことに納得できる。
「明智先輩はお高くとまりすぎ。花瓶一つに十万って。家で使えないっすよ」
「気安い使い方をするやつには売らんという意志表示だ」
「花瓶は花を飾るものでしょ」
議論は平行線。明智さんは舌打ちをした後、作業に戻っていった。
「んじゃ、これは一万円で君に」
「いやいや、だめだよ、羽柴くん。それ、来月から始まる展覧会の目玉なんだから」
「あ、そうだった」
残念。あえなく僕の手から花瓶は離れていった。
まあ、将来国宝となるかもしれないものを安々と譲り受けることにならずに済んで安心したが。
「ああ、なんてことだ! 盃を交わした兄弟を裏切るわけにはいかないのに!!」
「交わしてないですし、そんなに思い詰めないでくださいよ」
「かくなる上は、展覧会をぶち壊すしかない!!」
「やめてください!!」
なんでこんなに気に入られたんだ。褒めたからか? チョロイな。
「うぅっ、ならば、お詫びに君のために一つつくろう」
「いいんですか!!」
「もちろん、タダで」
「材料費払わせてください」
棚からぼた餅。願ってもない話だ。
僕は遠慮なく要望を口にした。
「オリエンタルでファンタスティックで、でかくて重くて少しの振動で落ちてしまうほどバランスが悪くて殺傷能力が高いやつをお願いします」
製作はすぐに開始された。
力強く粘土をこねる羽柴さんの真横に特等席を設けてもらって、その工程をじっくりと見させてもらう。
「飲み物でも飲みながら、待っていてくれ。ワインからビールに、ウイスキーまで、なんでもあるぞ」
「選択肢が全部アルコールなんですけど」
「大丈夫。ジュースもあるよ」
先生が、よっこらよっこらと大きなクーラーボックスを運んでくる。
「冷蔵庫が壊れててね。さあ、お好きなのをどうぞ」
蓋が開いた瞬間、玉手箱のような白い煙に包まれた。閉ざされた視界の中で、二つの大きなドライアイスの間に手を入れて、恐る恐る一番上のペットボトルを取って蓋を閉めた。
お爺さんになるかと恩った。
凍傷の恐怖と引き換えに手に入れたのは、禍々しい色をした炭酸ドリンク。久しぶりに飲む分にはいいか。
しかし、なんでドライアイスをむき出しでクーラーボックスに入れているんだろう。なにかに包んで使うものじゃないのか、普通。
いよいよ粘土を成形する段階になると、僕の出番だ。
「すごい」「天才」「撲殺しやすそう」などと囃したてる。
芸術に必要なのは、テンションとうぬぼれらしい。
そこから僕と羽柴さんはは、時間を忘れるほど熱中した。
先生は生まれたばかりの娘さんの写真を見せびらかしながら早々に帰った。明智さんも、著明な陶芸家のパーティーに呼ばれたのだと言って、午後六時くらいに出ていった。
ここは自慢話が帰りの挨拶の代わりなのか?
気がつけばもうすぐ午後九時。
やっとのことで晩ごはんをつくるという自分の職務を思い出して、脱兎のごとく帰投した。
羽柴さんはもう少し残るらしく、裏口から、焼成のための石窯がある外へ向かっていった。
館までは、長距離走の自己ベストなんじゃないかってくらいの全力疾走。体感時間は三十秒だったが、現実では十分経っていた。
餓死寸前みたいな顔をした蓮水さんに遠回しに怒られたので、いい齢した大人なんだから、一食くらい自分でどうにかしろと怒り返しておいた。
翌朝。日課を一通り終えたころ。
ドアノッカーが執拗に打ち鳴らされているのを聞きつけて、玄関に飛んで行くと、見覚えのある自称蓮水さんの親友が、刑事みたいな真面目な顔をして立っていた。あ、本職か。
ななめうしろに恐い顔をした年配の男性をたずさえている。
「あれ、片瀬さん。蓮水さんにご用ですか?」
片瀬さんは顔をしかめて言った。
「
どうやら僕は名探偵を殺す前に、殺人を犯してしまったらしい。
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