第一話 (4)死にませんよ。名探偵を殺すまでは。
「僕のせいだ」
ふるえる僕の声に対して、
僕は、昨日佐藤夫妻と出会いレクチャーを受けたこと、昼食をご馳走になったことをつまびらかに話した。
「実を言うと、お弁当を食べたあとの記憶が曖昧なんです。だからきっと、袋を取り違えてしまったんです。なにせ、同じ麻袋を使用していたから」
そして、夫妻は猛毒を大量摂取し、死に至った。
これは誤食事故なんかじゃない。他殺だ。犯人は僕。
一通り話すと、名探偵は長考の姿勢をとった。かと思えば、すぐに顔を上げて微笑んだ。
微笑んだのだ。あの名探偵が。
「君は善良だな」
見とれる僕に、温かな言葉をかけてくる。今日は妙に優しいな。どうした?
「この件に関して、君は無関係だ」
「どうしてそんなことが言えるんですか」
「名探偵だからさ」
説明になっていない。だが、説得力は確か。
それでも腑に落ちなさが顔に出ていたようだ。
「気になるのなら、確かめに行けばいい。近所なのだから。今ならまだ、その辺りに刑事がゴロゴロいるだろう」
そうか、事故と確定していても、捜査はするのか。しかし。
「行ったところで、なにもできないですよ。僕には名探偵の肩書きはないんですから」
「名探偵の助手っていう、立派な肩書きがあるだろう」
「それをどう活用しろと。あまり深入りして、警察に身分を追求されても困るし」
「声も図体もデカイ、私と同い年の刑事を見つけるんだ。そいつに、『蓮水が気になって夜も眠れないから調べてこい』と遣わされたと言うんだ。あほだがきっと役に立つよ」
蓮水さんのジェスチャーから推察するに、熊のような大男なのだろう。
それにしても、いつも紳士な蓮水さんにしては随分と雑な扱いだ。
「その人、蓮水の友達ですか?」
「腐れ縁だよ。高校からの付き合いになる」
制服姿の蓮水さん。想像してみるとしっくりきすぎる。なんなら、いつものスーツより似合うくらいだ。外見年齢が若すぎるのだ。
「蓮水さんと同い年って、そもそも蓮水はいくつなんですか?」
鳩が豆鉄砲喰らったみたいな顔で、蓮水さんは「にじゅうきゅう」と言った。
マジかよ。
昨日、ちらりと見た佐藤邸。そこが今は黄色いテープに囲まれている。
周囲には少数の野次馬がいて、その間を安っぽいスーツの男性たちが行き来する。
人混みというほどではないが、一人の人間を探し出すには難儀だ。
やっとのことで、それらしき大柄な若い刑事を見つけたが、取りこみ中のようだ。隣には顔を真っ赤に腫らした男子高校生がいる。
「俺がばあちゃんのせいだなんて言ったから……!」
男子高校生がそう叫んだように聞こえた。
そして、大粒の涙を流して、走り去る。刑事さんは切なげな眼差しをその背中に向けていた。
嫌でも聞こえてくる野次馬の声が、「あの子、佐藤さんのお孫さんよね」「一ヶ月の間に四人も身内を亡くすなんて、可哀想に」「あら、でも、昨日はどこに?」「お友達の家に泊っていたらしいわ」と情報を与えてくれる。
僕は恐る恐る刑事さんに話しかけた。
「すいません、こちらで起きた事件についてお伺いしたいんですが」
「ん、ああ。……事件?」
刑事さんの顔つきが急に険しくなって、大きな体が詰め寄ってくる。
「なぜ、事件という言葉を使うんだ? 報道では、事故となっているはずだ」
言い間違えた。ただそれだけなのに、圧迫感が僕の口を封じる。
「さては、お前が佐藤夫妻を殺した犯人だな!!」
「なんでそうなる?!」
着眼点が細かすぎるし、発想が飛躍しすぎている。
「間違いない。あんた、蓮水さんの友達ですね」
「ん? 蓮水を知っているのか」
今度はフレンドリーに肩を叩いてくる。
感情の緩急が激しい。ちゃんと刑事が務まっているのか、この人。
「えっと、僕は蓮水さんの助手をしている、
「俺は
なぜか警察手帳を聞いて押しつけてくる。近すぎてなにも見えない。
「蓮水さんから、こちらで起きた食中毒事故について調べるように遣わされて来たんです」
「そういうことか。なら、入っていいぞ」
片瀬さんは、立ち入り禁止のテープを持ち上げて、中へ誘導してくれる。
「えっ、いいんですか? 部外者を入れたりして」
「ここで君を追い返したりなんかしたら、後から蓮水になんて言われるかわからんからな。家の中、見るか?」
「いえ、結構です。僕はただ、佐藤夫妻の食中毒死が本当に事故だったのか、確認したいだけで」
「ああ、それは間違いない」
神妙な刑事の顔で、片瀬さんは言う。
「報道されている通り、家のゴミ箱や排水溝から大量のトリカブトが見つかった。この時期によくある、採り間違いによる不幸な事故だよ」
「見つかったのは、トリカブトだけですか?」
「そうだ」
やはり。昨日、昼食をいただいたときに、僕の袋と入れ変わってしまったんだ。
「旦那の
すいません。僕のせいなんです。
いっそ白状してしまおうかと思ったが、ここで疑問が一つ。
では、なぜ、元は佐藤さんのものであったはずの袋にも、トリカブトが入っていたんだ?
それも、一本、二本ではない。約半分。
これでは、もし袋が入れ変わっていなくても、同じ結果になっていたのではないか。
「まあ、最近の二人を取り巻く状況から鑑みると、間違えるのも仕方がない精神状態だったんだろうとは思うがな」
「状況って?」
「一ヶ月前にな、息子夫婦がトラックとの衝突事故で亡くなっているんだよ。それも、原因は息子さんの飲酒運転。一緒に乗ってた、高校生の孫は生き残ったんだが、トラック運転手側への賠償金を背負うことになっちまった。当然、飲酒運転じゃ死亡保険も降りないしな。孫は大学進学を諦めざるを得ない」
五種類の新聞記事が脳裏に広がる。
「で、一昨日の夜、孫は夫妻に八つ当たりして家出しちまったらしい。さっき泣いてたよ。ひどいことを言ったって」
思い出すのは、『俺がばあちゃんのせいだなんて言ったから……!』と叫ぶ後悔の詰まった泣き顔。
「夫妻は相当堪えたんだろうな。気晴らしに久々の趣味を満喫しようとしたが、それが裏目に出た。皮肉なもんだが、おかげで死亡保険が降りて、孫は大学進学を諦めなくていいってわけだ」
昨日の夫妻の様子。袋に半分のトリカブト。
「そういうこと、だったんですね」
すべての辻褄が合って、一つの結論が浮かび上がった。
今にも口から出てこようとするそいつをどうにか飲み込んで、僕は片瀬さんに礼を言って現場を去った。
走った。走って走って、蓮水邸に戻り、庭いじりをしている蓮水さんを取っ捕まえて、抑えていたそいつを解放した。
「事故死じゃない。他殺でもない。……、自殺、なんですよね」
「事の始まりは一ケ月前にさかのぼる」
来客用のソファに腰かけて、気分が落ち着くようにと蓮水さんがいれてくれたコーヒーをすする。
うん、美味しくない。
「ある晩、佐藤夫妻宅に息子夫婦、そして孫が遊びに来た」
蓮水さんはソファの周りをぐるぐると歩き回りながら、朗々と語る。
「そして、帰り際。妻・隆子さんは息子の大好物を彼らに渡した」
「奈良漬け……」
僕は知らなかったが、奈良漬けには3.5%以上のアルコールが含まれている。
それは缶チューハイと同じくらいになる。
「そして、不幸な事故が起きる。原因はトラック運転手の脇見運転。これは間違いない。監視カメラは嘘をつかないからな」
「ところが、息子さんからアルコールが検出されて、状況が変わった。そのアルコールの元が奈良漬だったんですね」
「その通り」
パチン、と鳴らした指で僕をさしてくる。
「おおかた、待ちきれなくて車内で奈良漬の入った容器を開けてしまったのだろう」
「でも、奈良漬程度で、酔っぱらったりしますか?」
「実詞くんは酔っぱらっていたがな。新入生歓迎会に参加する際は、気をつけたまえ」
「そんな予定ありませんけどね」
「まあ、大抵の人間はその程度では酔わない。運転中に口にしたのなんて、せいぜい一、二切れだろうしな。だが、匂いはどうだ?」
事故を起こしたトラック運転手は、すぐに救助に入った。逃げたりなんかせずに。そして、車内に漂うアルコール臭を感知した。
「いやいや、でも、そんなの解剖でわかるでしょ。飲酒してないって。それに、同乗していたお孫さんは生きているんだから、証言もできる」
「確かにな。しかし、そもそもアルコールの含まれる飲食物を運転時に摂取した時点で、飲酒運転は成立する。それに、今回は相手が悪かった」
「相手?」
トラックの所有者は、名高い大手運送会社だ。
「まさか、捏造された?」
「捏造ではないな。事実は事実。脚色と言うべきだ」
「同じでしょ」
「まったく違う。もっと言葉を大切に扱いたまえ」
ともあれ、報道という名の真実は運送会社によって書き換えられ、罪は死人になすりつけられた。
「ここまでが、一ヶ月前の出来事。そして、一昨日、事態が動く」
「お孫さんが、限界を迎えてしまった……」
一度に両親を失い、飲酒運転だなんて誇張された誹謗中傷を受け、財産すら遺されず、夢も手放し。
「人に当たりたくなるのも無理はないな。それが人間という生き物だ」
『俺がばあちゃんのせいだなんて言ったから……!』
あの言葉からだけでも、察するに余りある。
本心なんかじゃない。それでも、出した言葉を引っ込めることなんてできなくて、家から逃げた。
隆子さんは、その言葉を真正面から受けとめてしまった。だって、あんなに愛情のこもったお弁当を作れる人なのだから。
康さんも同じだ。だって、見ず知らずの若造にお節介をやいてしまうような人なのだから。
失われた命は戻ってこない。ない金はつくれない。未来のために、愛する孫の夢のために、夫妻は決断した。
「どうして……」
目頭が熱い。体に力が入らなくて、上半身を伏せた。
「君は善良だな」
甘い言葉が降ってくる。その甘美さに溺れてしまいたい。
「僕、気づいたけど、片瀬さんに言えなかった」
「言う必要ないだろう」
「そんなわけないでしょ。真実が闇に葬られたままでいいはずがない」
「真実を明らかにして、どうなる」
骨ばった手にぐいと体を起こされ、黒真珠の瞳とかち合う。
「ご夫婦の死が自殺であることが認められれば、お孫さんに保険金はおりないが、君は自分を罪悪感から解放するためだけに、彼らを犬死にさせるのかい」
反論できない。する余地がない。
ただ、このやるせなさを受けとめて、噛み砕いて、見えないくらい、すくい取れないくらいに粉々にして、心の隙間に埋め込んだ。
ただ、名も知らぬ少年の未来の平穏を願って。
「生きるって、大変ですね。蓮水さん」
「ああ。死ぬより、ずっと重労働だ。また、やめたくなったかい?」
「まさか」
僕は笑う。生にしがみつくみたいに、執念を込めて。
「死にませんよ。名探偵を殺すまでは」
「だから、早く僕に殺されてください」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます