第一話 (3)これがインスタグラムですよ

「突然、主人がごめんなさいね」


 毒物最終を邪魔してきた二人は七十代くらいの夫婦で、謝ってきたのは物腰の柔らかい奥さんの方だ。

 当のひったくり犯である旦那さんの方は、素知らぬ顔で軍手を履いている。


「いえ、大丈夫です。ただ、すごくびっくりして」

「それはこちらの方だ。狙ったようにトリカブトばかり探りおって。死にたいのか」


 あれ、トリカブトだったんだ。ならば、狙い通りだ。


「いやあ、あまりにも見分けがつかないから、持ち帰ってから仕方けしようと思って」

「ふん、素人が。できるわけがないだろう」


 いちいち刺のある言い方をする。無表情だし。ガタイもよくて怖い。


「ハイ、スイマセン」

「こっち来い」

「ハイッ?!」


 手招きされた方ヘ、条件反射で駆け寄ると、パーカーの裾を引っ張られて座らせられる。


「なんて格好をしているんだ。デートじゃないんだぞ」

「デート?」


 汚れてもいいように、ほぼ部屋着と化しているおんぼろのパーカーとスウェットを着て来たのだが。


「こんな格好じゃデートできないですよ」

「そういうことじゃない。まったく、これだから若いもんは」


 ぶつくさ言いながら、旦那さんは野草を日本刈りとって渡してきた。


「こっちがニリンソウ。こっちがトリカブトだ」

「えっ、同じじゃないんですか?」


 その二つは、よーーーーく見れば若干、ほんの少しだけ葉の形が違う。

 適当に採ったように見えたのに、瞬時に見分けてたっていうのか。


「全然わからない」

「葉だけの状態じゃ、素人にはわからん」

「えー、じゃあ、どうすれば」

「白い花があるだろ。それがニリンソウだ。トリカブトの花は秋に咲く」

「なるほど。それならわかりますね」


 僕は少し茂みの中に入って、花のない株を見つけだす。


「これですか?」

「そうだ。それから、ニリンソウと違ってトリカブトは茎が立ち上がっている」

「へー、すごい」


 感嘆して、採ったニリンソウをビニール袋に入れる。

 これが目的じゃないんだけどなあ。


「おい、なんてところに入れるんだ」

「だめなんですか?」

「そんな通気性のないところに入れたら、すぐに萎びてしまうだろう」

「これをどうぞ」


 ニコニコと眺めていた奥さんが、茶色の袋をくれた。ガサガサしている。麻だろうか。


「ありがとうございます。でも、いつお返しできるか……」

「差し上げますよ。もう使いませんから」


 お言葉に甘えて頂戴し、僕は茂みに再突入した。


「おい、あっちにヨモギもあるぞ」

「大丈夫です。知り合いがどうしてもニリンソウを大量に摂取したいって言うんで」


 もちろん、大嘘である。


 夫婦が離れていったのを見計らって、ご鞭撻いただいた通りにトリカブトを見つけだして、乱獲する。

 自然を破壊しているような罪悪感があるが、むしろこれはあとから来る人達が間違わないようにトリカブトを排除しているのだと自分に言い聞かせる。

 それにしても、先ほどの夫婦と接するのは大変にくたびれた。とくに旦那さん。

 僕は人見知りしないタイプなはずだった。

 高校時代は友人も多く、生徒会長を務めていたため、教師や後輩ともよく交流していた。

 どうやら、違う年代の人が相手となるとだめらしい。考えてみれば、祖父母とさえあまり喋った記憶がない。

 自分のちっぽけさを実感すると共に、麻袋は満杯になった。




 さて、と袋を担いで広場の方にでると、すぐにあの奥さんに再会した。


「あら、休憩?」

「いや、もう十分採れたんで、帰ろうかと」

「早いのねえ。若いわあ。主人ももうすぐ戻ってくると思うけれど、お昼一緒にいかが? 質素な弁当しかないのだけど」


 ブルーシートの上には、おにぎりに卵焼きにから揚げなんていう男の子の好きなものフルコースが並べられている。


「お漬け物とお味噌汁もあるのよ」

「いただきます」


 腹の虫が冬眠から目覚めるみたいに呻きだす。#質素とはってタグを付けたいぐらいの豪華なラインナップだ。


「っていうか、多くないですか? 四、五人分はありますよね」

「つい、作りすぎてしまって。足りるかしら?」

「足ります。足りまくってるし、映えまくってますよ」

「ばえ?」

「弁当にハエがたかってるって?」


 旦那様のご登場に、僕は「ぎゃあ」と声をあげた。




「はい、これがインスタグラムですよ」

「ありがとう。まあ、素敵なお弁当がたくさん」


 タカコさんが嬉しそうにスマホを握りしめるのを見て、ヤスシさんは太眉をだらしなく垂れ下げた。


 こちら、サトウ夫妻は毎年春になるとこのみなも公園に野草採りに来ているらしい。

 ヤスシさんの麻袋は、人のことを言えないくらい同じ型の葉があふれている。

 ただでさえ同じ袋を使っているのだから、間違えて持って帰らないように気をつけないと。


「去年までは息子たちもいて、にぎやかだったんだけどねえ」

「来られなくなっちゃったんですか?」

「ええ、まあ……」


 なんとなく、これ以上触れてはいけない気がして、漬け物をたくさんとって口に放り込んだ。


「あ、そんなに食べたら」

「これ、変わった味ですね」


 実家では漬け物を食べる習慣がなかったので、なんだか新鮮だ。


「それは奈良漬けよ。お口に合わなかったかしら」

「美味しいですよ。くせになりそう」

「嬉しいわ。これも息子が、好きだったのよ」


 だった?


「遊びに来ると、いつも必ず帰りに持たせてたんだけど」

「えっと、息子さんって」

「やめろ」


 低い声に手がふるえて、味噌汁をこぼすところだった。


「すいません……」

「あ、いや、……」

「ごめんなさいね、変なこと言っちゃって……」

「……」

「……………」

「…………………」


 おかしな空気になってしまったので、話題を変えることにする。


「タカコさん、お料理上手ですけど、ニリンソウの天ぷらって作れますか?」

「ええ。天ぷらが一番美味しいもの」

「よかったら、作り方教えてもらえませんか? 知り合いがどうしてもニリンソウの天ぷらを大量摂取したいらしくて」

「ええ、もちろん。天ぷらはお嫁さんが気に入ってくれていて……」

「……」

「……………」

「…………………」


 空気変わんないんかい。

 なんだか体が熱くなってきた。


 帰り道はサトウ夫妻と共に歩いた。

 バス停一区間分だ。たいした距離じゃない。

 足元がフワフワして、なんだか愉快だ。

 サトウ家は蓮水邸から近く、というか、多分同じ町内会だ。


「今日はとても楽しかったわ。また、孫と遊べたみたいで……」

「……」


 ヤスシさんの眉も下がりまくってたので、タカコさんと同じ気持ちなのだろう。


 館に戻ると、蓮水さんに「へべれけだな」と言われた。なんだそれ。

 館内で食事をした形跡はあったが電子レンジは無事だったので、蓮水さんの頭をポンポンしておいた。




「これは、葉っぱと揚げ玉の和え物かい?」


 夜。なぜか病む頭を押さえながら作った品を食卓に並べると、ひどい隠喩を喰らった。


「ニリンソウの天ぷらですよ。リクエストに答えたっていうのに、文句を言うんですか」

「そんなまさか。ジョークだよ」


 タカコさんの教え通りに作ったはずなのに、どうしてこうなった。

 まあ、見た目はどうだっていいのだ。毒を口腔内に運べさえすれば。

 なんだかんだ言って、蓮水さんは出されたものはすべて食べるのだ。きっと、皿の上に皿を乗せて、『さあ、どうぞ』と言ったら皿を食べる。

 ほら、白米と味噌汁を経由しつつも、天ぷらの皿に箸が延びた。


「苦いなあ」

「それ、揚げ玉の方じゃないですか。葉っぱの方を早く」

「どうして別れてしまったんだ。ニコイチじゃなかったのか」

「離れてもぉ、ズッ友だょ」


 観念して、葉を口に運んだ。

 咀嚼し、飲み込む。二枚、三枚と。喉仏が上下し、食物が胃袋へ送られる。

 いつの間にか、僕は汗だくになっていた。ドーパミン大量放出大セールだ。

 なにせ、あと数分で念願が叶うのだから。

 名探偵を殺す、という。

 しかし、その後どんなに待っても、名探偵は顔色一つ変わらない。

 おかしい。そんなずがない。

 トリカブトは毒の回りが速い。それなのに、十分経過しても、蓮水さんの様子に変化はない。皿の中の容量にも変化はないが。

 ひょっとして、食べた量の問題か?


「蓮水さん。箸が進んでませんよ」

「そうだな」


 なんだよ、その冷たい態度。もう食べたくないという意思表示か? あの味オンチな蓮水さんが拒絶するほど不味いのか?!

 当然だが、味見はしていない。いったいどんな食物兵器を生成してしまったのか。

 湧き出た好奇心に勝てず、一口だけと心に決めて、僕はカモフラージュのために少量だけ盛っておいた皿に手を付けた。


「残念。それは大当たりだ」

「へっ? あっ」


 止められた。箸を持った手を、向かい側からぐっと掴まれる。


「君が料理初心者であるおかげで、命拾いしたよ」


 天ぷらと称しながら、剥がれてしまった衣。剥き出しになった葉。


「まさか、気づいていたんですか? これがニリンソウじゃなくて、トリカブトであることに」


 あれ? だったら、なぜ食べたんだ?


「本当によく似ているが、見分けられないことはないな」

「全部トリカブトだったんですけど」

「いいや。半分ほどだな。こっちがハズレだ」


 蓮水さんは僕の皿からひと塊取って、唇に押しつけてきた。

 素直に口を開けて、咀嚼する。


「くそまず」


 その後十分待っても、二十分待っても、体に不調は訪れなかった。

 おかしいな。採るときに間違えてしまったのだろうか。

 やはり、野草採りは初心者には難しい娯楽のようだ。




 翌朝。急に悲しみに暮れだした蓮水さんの背中越しに新聞を盗み見て、目を疑った。


『5日午後11時40分ごろ、南野区遠川3条13丁目の住宅で、その家に住む佐藤康さん(76)と妻の隆子さん(75)が意識不明の状態で発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。

 台所のゴミからは多量のトリカブトの茎が見つかっており、夫妻の趣味が野草採りであったことから、警察は誤食による食中毒事故であるとみて捜査を進めている。』





注)トリカブトに関する知識はネットで調べた程度です。つっこみどころがあるとは思いますが、ご容赦ください。

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