第一話 (2)そうだ、毒殺しよう。

 そうだ、毒殺しよう。


 筋肉は鍛えられても、内臓を鍛えることはできない。

 いくら名探偵といえども、それは同じだ。(というより、頭脳労働主体の人間にしては、蓮水さんは反射神経と身のこなしが常人離れしているのだが、なにか格闘技でもやっていたのだろうか)

 もちろん、数日前に殺虫剤入りコーヒーでの毒殺が失敗したことを忘れたわけではない。

 あの時は、そもそも毒を口に入れることすらできなかった。それはコーヒーに毒を盛ったことを気づかれてしまったからだ。

 蓮水さんに悟られることなく、毒物を摂取させる。このハードルさえクリアしてしまえば、あとは待つだけ。名探偵は確実に絶命する。

 そのハードルが高層ビル並みに高いことが、彼が名探偵たる由縁なのだけど、それを超える方法を思いついた。

 混入させるのではなく、毒物そのものを食べさせればいい。

 なにを? 

 この時期頻発するではないか。

 有毒植物の誤食。

 非常に痛ましい事故である。かつて医療従事者を目指していた身としては胸が痛む。

 痛むだけだけど。存分に利用させていただきますけど。

 なぜ、誤食事故が起きるのか。それは、有毒植物が食用植物とよく似た姿形をしているからである。

 自然界に存在している姿でさえそうなのだから、調理してしまえばまったく見分けがつかないはずだ。

 蓮水さんは、いつも僕のへたくそな料理を美味しそうに食べる。

 あの油断しきった幸せそうな頬が苦しみにゆがむ光景を思い浮かべるだけで、心拍数が上がる。

 ああ、今日というこの日が名探偵の命日となるのだ!!




 蓮水邸には植物の他にもう一つ、潤沢なものがある。

 それは本だ。

 風呂場と台所以外のすべての部屋の壁が本棚と化している。今は僕が私室として利用させてもらっている客間も例外ではない。

 和書と洋書の割合は7:3くらいで、ジャンルは多岐にわたる。

 読むと筋肉痛になりそうなラテン語の書籍から、吐息でページがめくれそうなライトノベルまで。数は少ないが、漫画や絵本もある。

 蔵書はある程度ジャンル分けして並べられていて、僕が目当てとする植物関連の本は、やはり使用頻度が高いのか居間の大部分を占拠している。一人がけのカウチソファと古めかしくも可愛らしい読書灯が配置されていることによって、そこは立派な読書スペースだ。

 しかし、水気を嫌う紙と水気を必要とする草花を同居させていて問題ないのだろうか。単に、蓮水さんが気にしていないだけなのか。


 そんなことを考えながら背表紙のタイトルを物色していると、すっかり身なりを整え直した蓮水さんが、両手に新聞を抱えてやって来た。


「コーヒーいれましょうか」

「ああ。わるいね。取りこみ中のところ」

「どうせ、インスタントですから」


 なんだか切なげな表情をしている蓮水さんを置いて台所に向かい、三分ほどして戻ると、床いっぱいに新聞が敷き詰められていた。

 蓮水さんは四つん這いになって文章と格闘している。


「行儀わるいですよ」

「記事と誠心誠意向き合うには、これが最適なのさ」


 この館のポストには、毎朝五紙の新聞が配達される。スポーツ新聞や経済新聞ではなく、すべて一般紙だ。

 なぜ、同じような内容の新聞を五紙もとっているのか。これが一ヶ月前に僕が初めて尋ねたことだった。

 蓮水さんは淀みなく答えた。『情報を吟味するためさ。読んでごらん。同じ交通事故でも、文章に込められた見解がまったく違う』

 さして興味があって尋ねたわけではなかったが、なるほどなと思った。

 例として見せられたのは、この近所で発生した交通死亡事故の記事。

 大手運送会社のトラックと乗用車が正面衝突し、乗用車に乗っていた一家の両親が死亡、高校生の息子のみが生き残ったという事故だ。

 防犯カメラの映像からトラックの運転手の脇見運転を指摘する記事が一紙。残る四紙は、トラック運転手が救助に入った際に車内から酒の匂いがしたという証言から、乗用車側の飲酒運転を原因に挙げている。


『どっちが正しいんですかね』

『さあな。立場が違えば真実も異なるのさ』

『いやいや、真実はいつもひとつでしょ』


 思わず敬愛する少年探偵のセリフで反論したことをきっかけに、その日は一日黒幕考察討論に費やされたのであった。

 暇かよ。

 それにしても、蓮水さんは『人間は嫌いだ』なんて厭世家のふりをして、案外世間を気にしてる。

 不治の中二病だろうか。



「君が小説以外の本に手を伸ばすなんて、珍しいな」

「そうですか?」


 とぼけてみせたが、蓮水さんのいうことは事実だ。

 料理、洗濯、掃除。定められた業務をこなしてしまえば、あとは自由時間となるが、今の僕にはとくに用事がない。

 名探偵のもとに依頼が舞い込めば同行するが、現実世界において、『名探偵』だなんて胡散臭い標榜を頼る人間は非常に稀有なので、今日までで片手で数えられるぐらいしか経験していない。

 では、持て余した時間はなにをしているのかというと、小説を読んでいる。

 この館には本以外の娯楽が存在しないのだから仕方がない。テレビがないってどういうことだ。

 デスクトップパソコンが置かれている部屋が一室あるが、かなり型が古いうえに埃を被ってしまっているので、まともに起動するかは怪しい。

 こんな生活を始めるまでは、教科書以外の文学に触れてこなかった。せいぜい、気に入ったWeb小説の更新を追いかけてたくらいだ。

 僕の知っている『こゝろ』が第三章にあたることを知ったときには驚いたものだ。クライマックスじゃないか。抜粋するにしても、せめて最初から読ませてくれよ。

 あ、今読めばいいのか。……、読めなかったけど。

 何度ページをめくろうとしても、睡魔が邪魔をするのである。

 そもそも、現代を生きる同い年の友人のツイートでさえも真意を読みあぐねているのだから、明治の文豪の意図なんてわかるはずがないのだ。

 問)筆者の意図を答えよ。答)知らんがな。本人に聞け。である。

 というわけで、僕が読むのはもっぱら大衆小説かライトノベルである。ベストセラーでメディアミックスされているやつ。推理小説がお気に入り。

 蓮水さんはなんでも読む。だからこそ、この蔵書のラインナップであるのだろうが、太宰でケタケタと笑い、異世界転生モノで涙するのである。どんな感性だ。


 そんなイカれた感性を持つ家主は、いつもと異なる行動をする僕にどうやら興味津々らしい。


「実詞くんも、ついに植物の素晴らしさに目覚めたか」

「いいえ。まったく」

「植物はいいぞ。人間と違って嘘をつかない。それでいて、適応力がある」


 きっぱりと断わったつもりだが、通じてない。言ってることも意味がわからない。


「僕はただ、暇だし雪も溶けてきたから、野草でも採りに行こうかなと思って調べたいだけです」

「なんだ、そんなことか。勉強したまえ、浪人生」

「だから、フリーターですってば」


 すっかり肩を落とした雇い主は「君に野草を調理する技術があるのかな」なんて悪態をついてくる。

 うるせえ。一ヶ月前まで料理末経験だったわりにはよくやってる方だろ。


「まあ、そういうことなら、良い資料があるぞ」


 そう言って、蓮水さんが本棚の片隅から引っ張り出してきたのは、毎月発行されている区の広報誌だ。実家とは区が違うので初めて見た。


「毎年恒例の読者投稿記事があってな。今年の分はまだなので去年のものになるが、非常に参考になるぞ」


 記事のタイトルは『みなも公園における野草自生分布図』という、カッチカチにお堅いもので、本文も医学書かよってくらいカッチカチ。

 個人の趣味でやっていることなんだろうけど、投稿者の調味料セールみたいな名を持つ七十代男性は随分と融通がきかなそうだ。身内を連想させられてげんなりする。

 内容は求めていたものと合致しているので、礼讃する他ないが。


「みなも公園って、あの公園のことですよね」

「そうさ。懐かしいな。もう、一ケ月も経ったのか」


 僕らの脳裏に共通して浮かんでいるのは、溶けかけの雪で湿った泥だらけの道。カフェオレみたいな色をした濁流。

 蓮水さんはノスタルジーに浸っているが、僕は違う。

 未来しか見ていない。

 未来のありかが前方とは限らないが。

 現に、僕は見つけた。名探偵を殺すための最良の方法を。過去の記録の中に。

『ニリンソウと猛毒を持つトリカブトの新芽は酷似しているため、採取の際には注意を要する』

 これだ。

 トリカブト。

 その全身に最強の神経毒を有し、数多の人間を葬ってきた最恐の植物。多く小説でも殺人のトリックとして用いられている。

 そんな恐怖の殺戮兵器が、近所の公園に自生しているというのだ。利用しない手はない。


「今日の夕飯はニリンソウのおひたしです」

「天ぷらがいいな」

「僕にそんな高度な料理が作れると思いますか」


 正直、おひたしも怪しい。茹でればいいんだよな?


「夕飯はいいんだが、君が出掛けてしまうと、私の昼食はどうなる?」

「外食でもすればいいのでは。デリバリーもありますし、あ、昨日の残りものなら、冷凍庫にあるので、チンして食べていいですよ」

「チン?」

「チン。電子レンジで」


 蓮水さんはしばらく頭を捻ったあと、口を尖らせて言った。


「仕方があるまい。外へ出るとしよう。電子レンジは私が嫌いなようで、爆発するからな」


 この人、僕が来るまでどうやって生活していたのだろう。

 僕のような助手が他にもいたのだろうか。




 一ヶ月ぶりに訪れたみなも公園は、すっかり雪解けを迎えて、緑に支配されつつあった。

 ここは公園とくくるには規模が大きい。敷地内には川が流れ、野球場からキャンプ場まで併設されている。

 入り口からすぐのアスレチック広場は、休日であれば活発な子供たちであふれるのだろうが、今日は閑古鳥が鳴いている。


 僕の装備は完璧だ。

 長時間活動できるように厚着をしすぎて暑いくらいだし、長靴に軍手や剪定鋏などは勝手に拝借した。採取した野草を入れるためにスーパーのビニール袋も多めに持ってきた。

 ニリンソウとトリカブトの好む環境は同じで、水辺や湿地に群生している。見た目が似ているうえに、混在して生えているために、経験者でも間違いやすいらしい。

 思い出の川沿いを歩いていると、すぐに見つかった。

 細かいヒダのある特徴的な形をした葉が辺り一面を埋め尽くしていて、可愛いらしい白いつぼみがちらほらと見える。

 しかし、困った。本当に見分けがつかない。これでは間違えてニリンソウを食べてしまうではないか。

 仕方がないが、多めに持ち帰って、あとからゆっくり図鑑と見比べて仕分けしようと、手近なところから刈りとりビニール袋に詰め込むことにした。


 集中し続けて、十分ぐらい経った頃。人が来た気配を感じた。

 二人いる。服装からして、向こうも野草を採りに来たのだろう。

 とくに気にかけることなく作業を続行していたのだが、突然、半分ほどまで中身の溜まったビニール袋を奪われて、ひっくり返された。


「死ぬぞ!!」

「ええええ?!」

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