第一話 毒殺

第一話 (1)すべての思考は名探偵殺害計画に通じる

 名探偵の朝は八時から始まる。意外と早くない。

 僕はそれまでに朝食の準備を済ませ、寝室に蓮水はすみさんを起こしに行く。

 多少遅くなっても怒られたりはしない。むしろ、早い方が大問題だ。きっと、夜の間は別人と入れ替っているのだ。そうに違いない。


 今日も気づけば八時二分。

 音を立てずに扉を開けることにはもう慣れた。足音もなくベッドサイドに立つことにも。

 純白のリネンに包まれた寝顔は少しあどけなく見える。いったい何歳なのだろう。

 僕はこの人の下の名前さえ知らないのだ。

 規則正しく紡がれる寝息。安眠している証拠だ。

 僕はその天使の寝床めがけて、急いよく包丁を振り下ろした。


 手ごたえはない。

 すんでのところで避けられてしまったからだ。

 相変わらずアクションスターのような身のこなしだ。


「おはよう。実詞みことくん」


 いつから起きていたのだろう。

 寝顔を観察されていても平然としていられるなんて、いい趣味をしている。


「さっそくだが、ベッドの無事を確認してもよろしいかな」

「僕は同じ失敗を四度も繰り返したりしないですよ」


 憤慨していることを見せつけながら、掛け布団を持ち上げる。

 敷き布団は無傷だ。館の格式に見合ったベッドを愛用していることは重々承知しているのだ。


「これは失礼」


 蓮水さんはバスローブの乱れを直しながら、申し訳なさを微塵も出さずに言った。


「ところで、掛け布団の方はこれから来るであろう熱帯夜に向けて軽量化してくれているのかな」




 朝食を終えると、蓮水さんは館中に咲き乱れる植物たちの手入れを始めるので、僕も片づけが済み次第手伝う。

 できることは水やりぐらいだが。


 なみなみに水をくんだじょうろを抱えて庭に出ると、春の訪れを感じさせる暖かな光が降り注いでいた。

 この天気なら、今日中に根雪はなくなるかもしれない。

 庭に大きな木はないものの、レンガ造りの壁や館を取り囲む背の高い鉄柵が、生い茂った蔦にもれなく包まれていて、小さな森のような様相を呈している。

 今日のような好天であれば、カフェやレストランではないかと勘違いさせるような趣があるが、曇天の雪景色の中で初めて訪れた時には幽霊屋敷のようで大変に不安を掻き立てられたものだ。


 屋外の花壇では、蓮水さんがまだ出てきたばかりの新芽をプチプチと抜いていた。


「なにやってるんですか!!」


 かけがえのない命を摘みとる愚者に向かって、僕は手に持つものをじょうろからその辺にあった鉄製のスコップに交換してフルスイング。

 しかし、スコップの重量は想像以上で、狙いが定まらず簡単に避けられたあげく、ぼくの方が振り回わされて、茂みへとダイブした。

 蓮水さんはこちらを見てもいなかった。


「間引きだよ。小学校の授業でやらなかったかい」

「そういえばやったかもしれないですね」


 悔しいが、振り向きざまに紳士的に差し出された手を素直にとって、新芽みたいに引っこ抜かれてやる。


「……、なんですか」

「いや、なにも」


 そう言いつつ肩が震えている。これは蓮水さんなりの大爆笑だ。

 腹いせに小石を投げつけるが蓮水さんは片手で見事にキャッチ。

 同時に、「バシャーン」と、僕が地面に置いておいた水が満杯のじょうろに脚を絡ませてすっ転んだ。


「なんで後ろからの攻撃が避けられて、目の前のじょうろは避けられないんですか」

「背中に目がついてるんだよ」

「つべこべ言ってないで、着替えて来てください。風邪ひきますよ」


 おずおずと館へ戻っていくフォーマルな後姿を見送って、僕はもう一度水をくみに行く。


 そもそも、なぜ自宅でもスーツを着ているのだろう。

 ジャケットを羽織っていないぐらいで、あとは式典かよってくらいかっちりと着こなしている。ソックスガーターまでつけてるんだぜ? 

 せめて土いじりの時ぐらい適当な服装をすればいいのに。


 僕は開花の時を待っているつぼみたちに恵のシャワーを与えていく。

 水滴が日光にきらめいて、まるで宝石だ。

 庭の面積はさほど広大ではないので、与えられた職務はすぐに終了する。

 それにしても、蓮水さんは若いくせになぜこんな庭付き一戸建てに一人で住んでいるのだろう。

 ここら一帯の地価は決して安くはないはずだ。昔から住んでいるのだろうか。

 それにしては、家と人との歴史がまるでない。

 人が住んでいた面影はあるが、ごく短期間だろう。

 ひょっとすると、僕より以前に人を雇っていたのかもしれない。

 これだけ好き勝手に植物を栽培しているということは借家ではないだろうが、探偵業の稼ぎだけでは到底足りないだろう。


 蓮水という人物は、非常に謎に包まれている。どうせ僕が殺すのだから、知る必要もないのだが。


 謎といえば、この庭にもある。

 ど真ん中に鎮座している、空気みたいに透明なガラスに囲まれた空間。

 広さは四畳半ほど。

 中はおそらく温室になっていて、細長い葉が折り重なるように生云た株が所狭しと植えられている。

 それがなんの植物かはわからないが、僕にはすべて同じ種類に見える。


 一ケ月前、まだ深く雪が残っていたころ。つまり、僕がこの館に住み始めてすぐのときに、業者がやって来て温室を建てるのを見た。

 そしてその翌日に蓮水さんはなにかを植えた。

 僕はそれがなんの植物なのかを尋ねなかった。

 興味もなかったし、その植物の成長を見届けるまで共同生活が続くことになるなんて思っていなかった。

 それになにより、小綺麗な格好で苗植えに熱中する姿に触れてはならない狂気を感じたのだ。

 同じ体勢で、同じ作業を数時間ぶっ通し。休憩もなし。終えたところで報酬はなにもなし。

 まともな神経をしているとだれが言えようか。


 そもそも、あんな密室に同じ種類の植物を集めていいのだろうか。

 だめな植物があった気がする。たしか花だ。よく見る有名な花。

 喉元まで出てきているのだけど、思い出せない。もどかしい。

 スマホで検索すれば三秒でわかることなのに、今の僕にはその手段がないのだ。

 絶対に聞いたことがあるはずなのに。暗記は苦手だ。理系だからだろうか。

 たしか、アンドロイドとか、アルカディアみたいな名前の毒を出すのだ。


 そして、天啓が降りる。


 そうだ、毒殺しよう。


 すべての道がローマに通じるように、すべての思考は名探偵殺害計画に通じるのである。

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