02 そして目覚める


 はっとして顔を上げた。

 白く輝く石造りの部屋の中央あたり、唯一、原型を留めていた丸い石の一部が欠けて破片が転がり落ちている。気のせい……か?

 緊張しながら見つめる目の前でもう一度、パキリ、と乾いた音がして破片が落ちた。


「……なに?」


 反射的に天井を見上げた。が、何も変化はない。

 思わず立ち上がる。これ以上避けようもなく、壁に背をつける。

 天井の一部が剥がれ落ちて当たった様子はない。なのに欠けた石は更にパキパキと乾いた音を立てながら、亀裂きれつを深くしていく。


「な……」


 石だと思っていた。石のようにしか見えなかった。床に接する下の方まで亀裂の走った球の中に、動く白いモノがある。

 何かが、生まれようとしている。まさか、 卵……だったのか?


 身じろぎ一つできずに息を止めた。

 俺の知識の中に、こんな形の物から出て来る生物はない。

 子供の頃、動物園でダチョウの卵の抜け殻を見たことがあった。今、目の前にある球はその倍以上の大きさで、少なくとも表面が卵か石か見分けるくらいはできる。

 恐竜の卵ですら、これほど大きくないと図鑑で見た。

 少なくとも常識的で、見慣れた、対処可能な生き物だという自信がない。


「やめてくれよ……」


 石の中から生まれようとするものは徐々に膨らみ、亀裂を広げ、割り、欠片を落としながら出て来る。息を飲む。

 未知のものに対する恐怖は同時に、見極めなければという本能から、じりじりと窓の方に体をずらしながらも目を離せずに見つめ続ける。


 亀裂の端から伸びる、細い物……。

 それは、白く、微かに虹色にきらめく指だった。


 続く滑らかな腕。

 後頭部が現れ、細いうなじから背中と続く。

 ひらひらと淡い虹色に輝く、魚のヒレのような形の髪が横顔を覆っている。

 言葉を、失う。


 人だ。


 球形の白い石は粉々に砕け床の上に散らばり、そこから、細い四肢をもつ「少女」が身をもたげた。

 ゆっくりと、こちらの方を向く。ヒレのような髪がふわりと左右に流れる。

 視線が、合う。

 澄んだ湖の底のような、光を反射させる水色の瞳だ。

 人形のようにすっと伸びた鼻と、淡く艶やかな薄桃色の唇。白い肌。

 白……といっても青白く冷たい白磁はくじ色ではなく、むしろ貝の内側のような虹を帯びた乳白色という方が近いように思える。


 姿は人そのもの。むしろ人形に思えるぐらい整った顔立ちだというのに、異質な気配を感じる。彼女は人の皮をかぶった爬虫類――蛇だと言われたなら、そちらの言葉を信じてしまいそうなほど。


 白蛇の化身。


 と、思いついた言葉に俺は「いやいやいや」と首を振った。いったい俺のこの発想は、どこから湧いて出てくるんだ。理解できない状況だとしても発想が飛躍しすぎている。


 ゆっくりと立ち上がる少女は、長いヒレのような髪が体の大部分を隠していても、人と同じ胴からは二本の手足が伸びている。

 指の本数や形まで細かく見て取る余裕は無いけれど、異様に多かったり少なかったり、長い短いといった様子もない。骨格も、俺より五、六歳ほど幼いだけの普通の子供に見える。

 叫ぶでもなく、何らかの感情を表すでもなく、ただ……あどけない顔でまっすぐ俺を見つめて立ち尽くす。


 異なる世界の人。異世界人。

 青く透明な瞳は瞬きすることなくこちらを見つめ、首をかしげ、ゆっくりと小さな唇を動かした。

 声のようなものは聞こえない。

 ただ形のいい小さな唇だけを動かしている。声が小さすぎるのだろうか。そう思い、しんと静まり返ったこの場所でどれほど耳を澄ませても、声は聞こえない。

 声の出し方を知らないのか、声を出す機能がないのか。

 残念だが俺は唇の形や動きだけで、相手の意思を読み取る能力は無い。少女は無表情にも見えるあどけない顔つきのまま、何らかの意思を伝えようとしているように見えるのだけれど……。


 危害はないのだろうか。

 ないだろうと思うことにする。

 だからそろそろと近づいて、手が届きそうな距離で止まって声をかけた。


「お前は……何?」


 自分の声が強張っているのがわかった。

 言葉で尋ねたころで、今生まれたばかりの生き物に通じるとも思えない。それでもこうするほかに伝達の方法がわからなくて、もう一度繰り返した。


「お前は何だ?」


 細く白い腕が俺の方に向けられる。

 反射的に身を引こうとする警戒心を意志の力で押し留めて、異世界人に対峙する。細い指先はゆっくりと、それでも躊躇ちゅうちょすること無く伸び、俺の頬に触れて来た。


 チリ、と一瞬、電気が走ったかのような痺れ。

 わずかに冷たく、なめらかで、さらりとした指先。少女は不思議な物を触れるように撫で、そして声を上げた。


「……あ……」


 透き通った声だった。風に響く風鈴のように。

 どこか頭の中に直接伝わるような……奇妙な音の感覚。

 少女は真っ直ぐに見つめ、続ける。


「……あや、と」

「え?」

「……め、ざめ……」


 心臓がどくりと、強く、鳴った。

 目を覚ませと、声を上げた自分を思い出す。この夢みたいな、夢だと思う空間から目を覚まして現実に戻れと自分自身に言った言葉だったのに。

 俺が、目覚めさせてしまった、のか。この少女を。


「みち、びく……」

「導く?」

「……きりひら、く、うまれる……」


 言葉を繰り返し尋ねる俺に、少女は続ける。


「しこう……じょう、ほう、かぜ……」

「風?」

「こわす、つくる……けん」


 言葉の意味を図りかねる。けん……作る、製造といえば、建築の建か? いや文脈から不自然だ。壊すと言うなら爆弾、鈍器、刃物。


「剣……ソード?」


 少女が微笑んだ。


 瞬間、くらりと眩暈めまいが襲う。

 少女が続ける。


「あやと……めざめる……」

「俺が?」


 くらくらする頭を押さえながら聞き返す。

 白い霧が部屋の中まで入り込んできたかのか、少女の姿が掻き消えていく。ほんの数歩前のいるはずなのに、遠く離れていくかのように存在が希薄になっていく。

 少女だけでなく、この場所すらも。


 やっぱりこれは夢だったんだ。

 俺は今、目覚めようとしている。

 よくある夢物語にありそうな幻想を見て、この世界にのめり入り込み、現実だと思い込みそうになった。けれどすべてが夢なら――空想から生まれたゲームだと思えば、不思議な誘いに乗ってもいいじゃないか。

 冒険の始まり。剣と魔法の世界。

 世界を壊し創る、王になった気分で応えてみるのもいい。


「そうだ、俺は剣を得る。そして目覚める」


 呟き答えた。意識が途切れるその瞬間、激しく鼓動する心臓に胸を押さえる。

 何かが動き出す。

 始まる。

 満たす。

 光が溢れる。


「……何だ?」


 激しく全身を駆け巡るのは血潮か、それとも魔法の言葉か――。



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