冬の星座

山間滝行

キラキラと




 冬の夜って、どうしてこんなに静かなんだろうか。


 終業式が終わった後、僕はそのまま友達の家に行って遊び、夕飯をご馳走になった。

 友達と玄関先で別れ、僕は通学用のリュックを背負って一人で駅までの道を歩いていた。家がぽつぽつとまばらに建つ田舎の道だ。後は全部畑。

 等間隔に並ぶ街灯を一つひとつ越えていく。時折吹いてくる風が冷たい。


 呼吸をするたびに視界の下方が白く染まり、冬の空気に消えていく。手袋をしていても寒いので、そのまま手をコートのポケットに突っ込んだ。

 思ってたより冷え込むなぁ。マフラーしてくればよかった。


 空は雲が多く、星に疎い僕でも知っているあの有名な星座が見えない。

 オリエン座。いや、オリアン座だっけ? 別にどうでもいいけど。


 明日から高校生活二回目の冬休みだ。

 クリスマス前からソシャゲもネット番組もイベント続きで、それが年明けまで続くと思うと嬉しい限りだけど、課題の憂鬱がその気持ちを強制的に打ち消してくる。

 今年こそさっさと終わらせてしまおうと決意を新たにしていると、後ろから誰かが駆け寄ってくるのに気付いた。街灯の下、立ち止まって振り返る。


 ブレザーの上にコートを羽織った可愛い女の子。肩にはリュックの紐が見え、背中まで伸びた黒髪が揺れている。首元は赤いチェックのマフラー。手にはニットの白い手袋をしていた。

 彼女は僕の前で止まると、少しの間息を整えてから僕の目を見た。女子と目を合わせるのが恥ずかしくて、思わず逸らしてしまった。


「はぁっ、はぁっ……。敷島君、こんばんは」


「こ、こんばんは、相沢さん」


 違うクラスの女の子だ。この子、僕の苗字知ってたのか。目がなるべく合わないように、彼女の顔全体を見る。

 彼女は僕の顔を見て、にっこりと笑った。花が咲くように笑うって、こういうのを言うんだろうか。


「敷島君、私の苗字知ってたんだ」


 街灯の光に照らされた彼女の笑顔が、キラキラとした輝きに縁どられているように見えた。

 暗い寒空に咲いた花に見とれてしまい、返事が遅れてしまう。


「……あ、うん。たまたまね」


 二年で誰が一番可愛いか、なんてよくある話になった時、彼女の名前は必ずと言っていいほど上がった。そんな高嶺の花の彼女こそ、どうして僕なんかの苗字を。


「そっか。ねぇ、駅まで一緒に行こう?」


 僕の脳が断る理由を全力で探し始める。少し考えてから、別に断る必要はないのだと気付く。


「いいよ。行こう」


 夜の道を、二人で並んで歩き出す。僕が左で彼女が右。まさか僕が女の子と二人っきりで歩く日が来るなんて。しかもあの相沢さんと。

 彼女の吐く白い息が僕の方に流れてきて、ちょっとドキッとしてしまう。


「敷島君はさ、どうしてこの道歩いてたの? 私は友達の家から帰るとこだけど」


「同じ。僕も友達の家から帰るとこだ」


「そうなんだ」


 彼女がふふっと笑うのが隣から聞こえた。なぜ笑ったのかは分からないけど、彼女を笑わせられたのが妙に嬉しい。


「私さ、前から君と話してみたかったんだ。ねぇ、この人となら絶対気が合うだろうなって感覚、分かる?」


「分からない」


「そっか。私は分かるんだ。ちっちゃい頃から得意でさ。小学校から今でも付き合いのある友達、他の人より多い自信あるよ」


 それは彼女の社交性が成しているのでは。やっぱり僕とは住む世界が違う人だ。


「凄いね。僕も相沢さんみたいな人と気が合えば、もっと楽しい人生を送れただろうに」


 思わず自虐的な言葉が出てしまった後、彼女の視線を顔に感じた。今相沢さんの方を見たら目が合ってしまいそうで、僕は前を見て歩き続ける。


「だから、そう言ってるでしょ? 敷島君と私、絶対気が合うって」


「なんだって?」


 思わず足を止めて彼女を見る。しっかりと目が合う。少しむくれていて、そんな表情も可愛い。

 僕は速まる胸の鼓動を抑えようと相沢さんから目を離そうとするが、僕の視線は彼女の瞳に絡めとられたかのように動かない。


「やっとこっち見た。ご褒美に私の秘密、教えてあげようか」


 寒空の静寂の中、いたずらそうに笑う彼女がとても綺麗で。

 僕は今までで一番深く、女の子に恋をした。


 だけどそれが叶わぬ恋だと、僕自身嫌でも理解している。彼女が求めているであろう気の合う友人を演じるべきだ。頑張って演じてもその内化けの皮が剥がれて愛想を尽かされてしまうだろう。それでもいい。

それでもいいんだ。


 僕は意味深な笑みを浮かべ、彼女の全身をぼんやりと眺める。直視は恥ずかしくてできない。


「秘密って?」


 彼女がぷっと噴き出した。良かった、笑ってくれた。


「えっちなこと考えてる? もう、違うからね」


 再び歩き出した彼女の横を、僕は澄ました微笑を作って歩く。頑張って彼女に顔を向けて喋る。


「なら、なんなのさ。相沢さんの秘密、僕に教えてよ。凄く気になるんだ」


 嬉しそうに僕を見返してくる相沢さん。寒さのせいか、少し頬が赤くなっている。それもまた可愛い。


「おお。敷島君、分かってきたね。相手に興味を持つのが仲良くなる近道だよ。……絶対に誰にも言わないでくれる?」


「もちろん。約束するよ」


 空を見上げた彼女の横顔を見る。視線の先を追うと、いつの間にか空から雲は無くなり、満天の星空が広がっていた。


「私ね。……お星さまの子供なんだ」


 うん、意味が分からない。だが全力で話を合わせないといけない。彼女と二人で歩くこの時間は、もしかしたらもう二度と無いかもしれないんだ。


「ほう。秘密を打ち明けてもらっておいて悪いけど、とても面白そうな話だね」


「そう言ってくれるの嬉しいよ。それでね、あそこにある星座、知ってるでしょ?」


 彼女が指差す先を見る。三つ並んだ星と、その周囲に浮かぶ四つの明るい星。オリなんとか座だ。

 絶対に間違えられない。ボケで誤魔化す選択肢は無い。馬鹿だと思われたくない。

 消去法でオリエン座とオリオン座が残った。オリウン座は何となく違う気がするし、オリアン座とオリイン座は語感が大きく違うと感じた。


「……オリオン座、だね」


「そう、オリオン座」


 当たった。危ないところだった。


「一番右下にリゲルがあるでしょ? あれが私を産んだ星。ごく短期間で地球に爆発的に増えた知的生命体、つまり人間に興味を持って、私を産んだんだって」


 星が人間を産むってどういうことなんだろう。赤ん坊が母親からどうやって産まれてくるかはさすがに知っているけど、彼女の場合はどうだったんだろうか。あのリゲルは光輝いている。それなら確か、太陽と同じ恒星のはずだ。星の表面に産まれ落ちることは難しそうだ。

 いや、そもそも。


「相沢さん、ご両親いるでしょ?」


「うん。私のお母さん、もともとすっごく子供が出来にくい体質でね。リゲルが手助けして私をお腹に宿したんだって。その後に弟と妹が出来たから、体質はちゃんと治ったみたい」


 それは良かった。相沢さんがこの世に存在するのはリゲルのお陰か。作り話とは言え、彼女の親であるリゲルにとても興味が湧いてくる。僕は無数の星の中でもしっかりと存在感を放つあの星に、ありがとうと心の底から感謝を捧げた。


「どういたしまして、って言ってるよ」


「……誰が?」


「リゲルが。君のこと、気に入ってくれたみたい」


 どうしてリゲルに感謝したことが彼女に伝わっているのか。僕、そんなに分かりやすい男だったのか。考えが顔に出る方ではないと思ってたんだけど。

 悩んでいると、彼女が僕の顔を覗き込んで笑った。愛らしい顔が今日一番に近づき、僕は自分の頬が熱くなるのを感じる。


「ふふっ。敷島君、困惑してるねぇ。私の秘密、信じなくてもいいよ? 人間からしたら荒唐無稽な話だって分かってるから」


 離れていった彼女の微笑みは、ほんの僅かに寂しさを含んでいた。ああ、ダメだ。彼女にそんな顔はさせたくない。心が張り裂けそうになる。

 相沢さんはリゲルの子供で、リゲルと会話ができる。それでいいじゃないか。それで全て丸く収まる。僕は歩きながら自分に言い聞かせる。相沢さんを信じろ。彼女の言っていることは真実だ。

 僕はもう一度オリオン座の右下に輝く星を見る。疑ってすまなかったと、想いを飛ばす。彼女の話を信じると心から念じる。


 いつの間にか相沢さんが立ち止まっていることに気が付いた。僕の数歩後ろにたたずむ彼女の表情が、驚きに満ちていた。


「うそ……。信じてくれるの……?」


「うん。信じることにした」


 あの星から僕の想いを聞いたんだろう。彼女は少しの間驚きの顔で僕を見つめてから、一転して嬉しそうに笑顔を浮かべた。彼女の眼の端に涙が光る。嬉し涙であって欲しい。


「……敷島君。実はね、リゲルからそろそろ戻って来いって言われてるんだ。もう人間のことは十分知れたし、その残虐性も理解したって。これ以上私を地球に居させたくないって。私が望むなら地球に干渉して、星になった私をオリオン座に加えてくれるとも言ってくれてる」


 リゲルには僕たち人間が残虐に見えているのか。分からなくもない。干渉して星座を変えられるなら、残虐性もどうにかしてくれないだろうか。まあ、今はそれより彼女が居なくなることの方が大問題だけど。


「戻るって、友達や家族はいいの?」


「よくないけどね。リゲルの言うことも無碍にはできないし」


 困り眉で微笑む相澤さんが、僕の目を改めて見た。


「信じてくれたお礼に、ちょっとだけ見せてあげる」


 なにを、と言おうとした瞬間、彼女の体がふわっと浮かんだ。なんじゃこりゃ。

 彼女の周りに強風が吹いて渦巻き、彼女のコートやスカートを音を立ててはためかせる。彼女はするすると一メートルほど浮かぶと、白く発光し始めた。徐々に光は強さを増し、辺りを煌々と照らす。

 不思議と眩しくはなかった。光の中に浮かぶ彼女は幻想的で、なんだか儚くて。目を離したらいなくなってしまいそうで、僕は優しく微笑む彼女を見つめ続ける。


「敷島君、お願いがあるんだ。私と一緒に行ってくれないかな。一緒に冬の星座になって、オリオン座の横に並ぶの。二人の距離は今よりずっと離れるけど、心は強く強く結ばれる。君と一緒なら、数億年の寿命だってきっと楽しく過ごしていける」


 相沢さんは僕も星にしたいらしい。

 僕にはそれが強烈なプロポーズに聞こえた。僕なんかでいいんだろうかとは、なぜか思わなかった。

 僕は相沢さんと生涯を共にするんだと、彼女のプロポーズを聞いて妙に納得してしまった。例えそれが星になってだとしても構わない。むしろ彼女と過ごす時間が物凄く長くなりそうで、嬉しいくらいだ。


 でも。


「寒そうだから嫌だよ。せめて夏の星座だったらよかったのに」


 きょとんとした顔になった彼女が、地面にすとんと降りた。風も発光もすっと収まった。静寂の夜が戻る。


「……あのね、敷島君。冬の星座だって南半球なら夏だし。宇宙って日が当たらなければとっても温度が低いけど、星はそもそも暑さも寒さも感じないからね?」


 そうなのか。そこまで考えてなかった。

 相沢さんがぷっと吹き出し、腹を抱えて笑い出した。こんな笑い方もするんだ。彼女の新たな一面を見られて嬉しい。


「あははっ、ははっ。ひー、勘弁してよ敷島君。君、私を笑わせる才能あるよ。あー面白い」


「それは良かった。さ、行こう?」


 僕は彼女の左手を手袋の上から握り、軽く引っ張って歩き出す。


「ちょ、ちょっと敷島君!?」


「相沢さん、冬休み忙しい?」


 彼女が僕の隣に並んで歩く。彼女の方を見ると困ったような顔をしていた。そりゃ困るよね。いきなり手を握られたんだもの。


「忙しくは、ないけど。いくつか友達と遊びに行く予定があるくらい」


「そうなんだ。近いうちにどこかで一緒に課題やろうよ。相沢さんがいればサボらずにやれそうだ」


 彼女がくすっと笑った。ああ、可愛い。もっともっと彼女を笑顔にさせたい。


「何よそれ。まあ良いけど? 私も敷島君とお喋りしたいし」


「ありがとう。手、ごめんね。勝手に握って」


「それも、別に良いけど。でも突然どうしたの。びっくりしちゃった」


「……星になったらさ、手は握れないでしょ?」


 彼女がぽかんとした顔で僕を見る。その顔も良いね。


「そう、だね。……私こそごめんね。気持ちが先走り過ぎてたみたい」


 それがどんな気持ちなのかとても気になるけど、星になれる彼女に聞きたいことは山ほどある。


「そうだ。相沢さんってさ、子供作れるの?」


 返事がないので彼女を見ると、顔を真っ赤にしていた。しまった、デリカシーがなさ過ぎたか。


「作れる、けど。基本的には人間と同じだから。でも、なんで?」


「そりゃあ、将来のことを考えるとそういう話になるでしょ? 僕、相沢さんとの子供欲しいし」


 僕の右手が、彼女の左手でぎゅっと握られた。少しして、彼女の手が離れて行った。ああ、嫌われちゃったかな。怖くて彼女を見られない。


 僕の右手が持ち上げられたかと思ったら、手袋を外されてしまった。そのまま彼女に手を握られる。冷たいけど柔らかい手だ。見ると、彼女も手袋を外していた。


 手を繋いで無言で歩く。手の甲は寒いけど、彼女に触れている手のひらがぽかぽか温かい。


 ふと、オリオン座が目に入った。右下で輝くリゲルが、キラキラと瞬いていた。




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冬の星座 山間滝行 @yamama_takiyuki

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