第9話「蜘蛛と狼」

 治英は何か申し訳ない気持ちになり、亜衣から少し距離をとり、後ろをついていくように歩く。

 日はだいぶ高くなっていたが、木々に阻まれ周りは薄暗い。

 二人の歩みが少し遅くなる。足にまとわりつくような、歩きにくい地面になったからだ。

 亜衣が何かに気づいたように叫ぶ。


「治英、若起だ!」


 突然だったので治英は驚きつつ、ゲノムカードをバインダーブレスに挟む。

 二人同時に叫ぶ。


「若起!」


 二人の体が強装に覆われた。だが亜衣はあきらめのため息をつく。


「遅かった……蜘蛛の巣だ」


「えっ?」


 治英が亜衣に近づこうとするも、体が動かない。

 ほとんど見えない極めて細い粘着性の糸が二人の体に何本も絡みついてた。さっきから歩きにくかったのはこれが張りめぐらされていたからだ。亜衣がそれに気づいた時には遅かった。


「蜘蛛の糸……弓宇キュウか!」


 木の上から高笑いが聞こえる。


「ヒャハハハハ!覚えていたかい俺のこと」


 弓宇は若起しており、強装の一部であろう八本の脚が背中から生えていた。その脚の先から無数の糸が出て二人の動きを止めている。


「言っとくがな、蜘蛛の糸は鋼鉄より強く、防弾チョッキとかに使われるケブラー繊維より丈夫なんだ。俺の糸に捕まったら、まあ逃れられないぜ」


 弓宇の声はカン高くまた話し方は下品で、治英をイラつかせた。同時に、亜衣を守るために動けない今の状態がもどかしかった。


「ったく、捕まえる仕事ならドクターホワイトも最初から俺に頼めばいいものを。絵須が暴走すると悪いから見張ってろとか、かったるいこと言いやがって」


「なんだって?それじゃ……!」


「ああ、さっきからずっと見てたぜ。絵須が負けてどっかいっちまったから、お前らの動きを追いながら先回りして、文字通り網を張ってたわけだ」

 亜衣は、弓宇の暴意に気づけなかったことに臍を噛んだ。

「さて、あとはお前らを白の館へ連れてけば……」


 その時、風のような速さで現れた何かが、弓宇の背中にある脚のひとつを叩き斬り、その分蜘蛛の糸がゆるんだ。


「なっ?!」


 弓宇が戸惑っていると、その何者かは次々と背中の脚を砕いていった。

 ハッとして亜衣がつぶやく。


「このスピード、この切れ味……ケイ?慧なの?」


 慧は弓宇の背中の脚八本を全て切断した。蜘蛛の糸はゆるみ、治英と亜衣は自由を取り戻す。さらに慧は弓宇の背中から蹴りを入れ地面に叩き落とした。

 さっそうと地面に降り、弓宇の前に立ちはだかる慧。


「蜘蛛の糸が切れないなら、元から斬ればいい……」


「コッ、コノヤロ〜〜〜!」


 へっぴり腰で慧に攻撃しようとした弓宇だが、慧の回し蹴り一発でぶっ倒れる。弓宇は血を吐きながら這いつくばって逃げた。

 慧の強装は狼を思わせる形状だ。その慧に亜衣が抱きつく。


「慧!」


「鬼ヶ岬で待ってたが、遅いから心配になって迎えに来たんだ。間に合ってよかった」


 慧と亜衣はバインダーブレスからゲノムカードを抜いて若起を解いた。慧は亜衣より少しだけ年上の凛々しい青年。彼が亜衣と絵須を翻弄した男か。

 治英もまた若起を解く。今まで治英が見たことない亜衣のはつらつとした表情に、自分が何の力もない中年男であることを実感させられ、惨めな気持ちになった。


 慧がことさら真面目に言う。

 

「鬼ヶ岬へ急ごう。協力者が待ってる」


 二人並んで歩きはじめる。その後ろからトボトボついていく治英。


「あ、こいつ誰?」


 後ろを指差し、わざとらしく亜衣に訊く慧。


「私を助けてくれたアウェイガーよ。戦力としては頼りになると思う」


 戦力としては、という言葉が、治英に冷たかった。

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