第8話「バインダーブレス」

 鬼ヶ岬へ向かうのに裏道や舗装されてない道、畑や森や林の中を通る。追われる身なのだから当然といえば当然だ。

 追手を撹乱するように進まねばならん。

 早足で進む亜衣に対し、中年男に戻った治英はついていくのが大変で、その歩みの速さはまるで自分から逃げてるようにも思えて、精神的にもつらかった。


 治英の気持ちを知ってか知らずか、亜衣は急に振り向くと、持っているアルミケースからバインダーブレスと半透明のカードを取り出す。


「どうやら治英は生命の危機を感じると若起するみたいだけど、それだと不便でしょ。これを使えば自分のタイミングで若起できるようになるわ」


「だから電車に飛び込んで死のうとしたら若起したのか……」


 受け取った治英はバインダーブレスを左手首に着けてみた。


「これでいいかな」


「このカードはゲノムカードって言うんだけど、これに血を数滴垂らして」


 治英は軽く驚いたが、そのへんの木の枝を使って指を傷つけ、カードに血を垂らした。

 血はカードの中央で獣の頭部の形をした紋章のようになり、そこから電子基板の模様のように直線的に血がカードの縁に向かって流れ、カード自体の模様になった。


「これであなたの目覚めた能力がわかるわ。これは、トラとかライオンとかチーター、ジャガー、そういうタイプの猛獣みたいね」


 二人で話しながら歩く。放課後の帰り道で楽しそうな若者は、みんなこんな気持ちで女子と話してたんだろうか。治英は若い頃にそういう経験が無い。学校では同級生たちの楽しそうな姿を、気にしないふりをしながら羨んでいるだけだった。今、自分がそういう状態にあることが不思議に思えた。

 会社勤めをし始め、それなりに女性とつきあう機会はあっても、長続きしなかった。いつも途中から、相手が治英の好意をうっとおしがるようになるのだ。原因はわからない。治英のその鈍感さが女性を苛立たせていたのかもしれない。だから亜衣に対しては、極力、必要のない会話はしないよう気をつけてる。

 治英は亜衣にそういう気持ちを持ち始めている。自分を頼ってくれた女性を守りたい、大切にしたい、と。自殺するほど生活苦に追い詰められた中年男が女子高生にそのような気持ちを抱くこと自体、気味の悪い話なのだろう。しかし治英は、蜘蛛の糸をつかみたくなるようなチャンスに思えたのだ。


 亜衣が思い出したように話し出す。


「治英のパンチ、おそらく粉塵爆発を推力にしてあの驚異的な力になってるんじゃないかな。戦いで損傷した強装が粉状になって敵との間に浮いて、それがパンチと空気の摩擦で火が点いて爆発するんだと思う」


 粉塵爆発。粉塵が大気中に浮いてる状態で火花とかが引火すると爆発することだ。


「いやでも俺、そんな強いパンチ出せるとは思えないんだけど。ボクシングとか経験ないし」


「それが目覚めた遺伝子の力よ。トラとかの前脚つまり腕は強力なパンチ力があるから。若起したアウェイガーにはそういう力が備わるの。動物はジムや道場で訓練しなくても強いでしょ」


「若起すると若返るだけじゃなく、そんな力まで……」


「あのパンチ、あの技に名前をつけておくといいわ。名前がある方が体も覚えててくれる。アレ、アレ、じゃ戦いの中でいざという時すぐ使えないから。私がさっき使った羽根を無数に飛ばす技は『フライングフィン』ね」


「技の名前……じゃあ『ダイナマイトフィスト』とか……」


「そう……強そうでいいじゃない」


 そう言うと亜衣が少し微笑んだ。亜衣の笑顔がうれしくて治英も笑顔を見せると、それを拒否するようにすぐ真顔になり、治英から目をそらせた。やはり中年男に笑顔を向けられてもうれしくないのか。


 話はそこで途切れた。

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