第247話 微熱がさめないまま(後編)


「さみしい、時代ですわね……」


 ふたりがいなくなり、しばらく無言が続いたあとでぽつりとミーナが言葉を漏らした。

 暗闇の中でもすぐそばだからわかる。俯いているのだと。


 もう隠れる必要もないのに、俺もミーナも動かないままだった。

 そんな気分じゃなかった。結果的にショウジとイリア――ふたりの会話を聞いてしまったバツの悪さもあるが、それ以外にも各々感じるところがあったからだ。


「そうだな……。こんな形でなきゃ、結ばれることもできないんじゃ救いがない」


 背中からそっとミーナの肩に手を回して、俺は溜め息にも似た同意の言葉を返す。


「前は「もっと勝手に恋したりすればいい」なんて思ってた。でも、ふたりを見てたらとても言えなかったよ」


「仕方ありません。忘れそうな……いえ、忘れたかった思い出が不意に姿を見せただけでなく、新たな記憶として刻まれてしまったのですから」


 運命に翻弄されながらも、無理矢理動き出すことでしか前に進めない。そんな男女の心の揺らめきを目の当たりにした俺たちはそれ以上何も言えなかった。


 何度目かの沈黙が訪れる。

 空気をどうにかしようと口を開きかけるが断念した。いくらなんでも、真っ暗な中で喋っていては気が滅入ってしまう。


「……灯りをつけよう。ソファに移るか」


「……はい」


 腹の中に溜まった言葉に表せない感情を追い出すように、ゆっくりと息を吐き出しながら俺は床に置いたLEDランタンの灯りをつける。

 照明の優しい色に照らし出され、暗闇の中にミーナのほっそりとした顔が浮かび上がる。


 それから厨房を出て食堂へと移動し、暖炉の前に据えつけてあったソファに腰をおろす。


「悪いな、今はこれくらいしかできないが」


 続いてホットのミルクティーをふたつ『お取り寄せ』。プルトップを開けて中身をカップへ移し、まず先にミーナへ渡す。

 電灯はつけないままだ。今はこれくらいの暗さがちょうどよかった。


「ありがとうございます」


 わずかに立ち上る湯気越しに小さく微笑んで、ミーナはカップを受け取って口に運ぶ。

 ひとくち飲んでから息を吐き出し、それからミーナはゆっくりと口を開く。


「どのような時代に生まれるか選ぶことはできません」


 言うまでもない純然たる事実だ。俺は続きを促す。


「ですが、そうだとしてもこのような悲劇が続くのは悲しすぎます。きっと、これからもわたくしたちは時代に運命を翻弄される人たちと出会うのでしょうね……」


 ミーナの言葉が白い吐息とともに暗闇の中に消えていく。

 きっと兄リクハルドを思い出しているのだろう。彼もまたこの時代に翻弄された犠牲者のひとりだった。


 同時に、ミーナの言葉は新たな戦いの予感を告げていた。

 彼女もわかっているのだ。今回の一件もまた、やがて来ようとしている未来に繋がるひとつの出来事でしかないと。


「あぁ、ラヴァナメルが言っていた通りになるだろうな。どこまでも目に見えない何かの掌で踊らされている気分だが――今はそういう時代だ」


 ハインドの中でティアと話したことと同じだが、まさしく俺たちは今時代の転換点にいる。

 それでも俺はそんなものに翻弄されるだけで終わるつもりはない。


「流れない水はよどむ。もし目には見えなかったとしても、水底みなそこにはそれが沈殿している。ひとたび水が流れ込めば、沈んでいたヘドロは表層まで舞い上がってくる。今、世界はそんな状態だ」


 動き出そうとする時代の流れが、それまで堆積していたものを表面化させつつある。

 それによって生み出された者が、リクハルドであり、ラヴァナメルであり、そして白虎なのだろう。

 おそらくは彼らでさえも未だ表面化した一部にすぎないと思う。


「だけど、“新たな水”は呼び込まなきゃならない。そうしなければ、いつまで経っても世界はいびつなままだ。迫る危機を前に種族同士や身内同士で殺し合う修羅の道から抜け出せない」


 ある意味、今回の一件がショウジとイリアの背中を押した部分もある。代償は決して小さなものではなかったが、そのような切っ掛けがなければ変われないこともあるのだろう。


 本来であればそんなものは必要ないのだ。俺はそう思う。


 争いが世界からなくなることはない。

 世界が俺の思い描く方向に進んだとしても、また新たな想い同士がぶつかり合う。


 それでも続けていくしかない。


「その役目はとても辛い道です」


 ミーナの瞳には不安が浮かび上がっていた。


「わたくしは、クリス様は帝国貴族としてもう十分な功績を上げられたと思います。このまま領地を発展させ、いずれはエンツェンスベルガー公爵家を継がれる形でもよいのではないでしょうか」


「ミーナ……」


「誰もそれを責めることなんてできないでしょう。ショウジ様以外の『勇者』がいずれやって来るのであれば、その者に任せてしまえばいいのです」


 そうしてくれと懇願しているわけではなかった。現にこちらへ向けられるミーナの目は優しかった。

 彼女は俺の内心を理解してくれている。事情があったとはいえ、自身の肉親を殺した相手にもかかわらず。

 だから、甘い言葉を望んでいないと知りながらも、彼女なりに精一杯の気持ちで俺の身を案じてくれている。


「気持ちは嬉しいよ。だけど、それはできない。今立ち止まってしまえば、俺はきっと動けなくなる。そうだな……このまま領主をやるとしてもそんなに悪くない生活だってできるとも思う。だけど、それではきっとどこかのタイミングで後悔する」


 動き出したものは止まらない。

 “新たな水”は少しずつ流し入れていかねば、洪水となってすべてを飲み込んでいってしまう。

 いずれそうなることはわかっている。だからこそ、少しでも備えをしておかねばならない。でなければみんなを守れない。


 思い返せば、すべてはイゾルデを救うと決めた時から始まっていて、そして今もなお続いている。終わりはまだ見えない。


「俺が止まったら、今まで死んでいった者たちをなかったことにしてしまう。後悔をしないからこそ、それだけはできない。自分を責めているとかそういうものではなくて自分の信念の問題なんだ」


 俺は『勇者』ではない。英雄でもないし、たぶん人より少しだけ手の届く範囲が広いと思い込んでいる人間にすぎない。

 しかし、これからも続いていく世界に、なにかひとつでも残し伝えることができればと思う。


「理解はしています。でも、その信念のために、わたしたちよりも先に逝かれることだけはやめてください。この救われない世界が変わることを、あの時わたくしは望みました。でも、それはあくまでもクリス様がいる上での話。ベアトリクス様はもとより、まだ千年以上も生きるであろうわたくしやティア様を置いていくことだけは絶対に――――」


 ミーナは言葉を切る。想像したくないことを言葉にしなければいけない苦しみを堪えての言葉だった。


「それだけはしない。これからも俺は悩んだり落ち込んだりすると思う。でも、同じくらい俺が知らないみんなのことだってまだまだいっぱいあるはずだ。それを見ないうちは、な?」


 ミーナの顔を正面から見つめながら、俺は力強く答える。

 不吉な言葉は使わない。


「なら――見てください。今夜は、わたくしだけを」


 ミーナが胸元に身体を預けてくる。ミーナの体温が俺に伝わってくる。


「ああ、今は休もう。ゆっくりと」



 第4章 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る