第246話 微熱がさめないまま(中編)
「いろいろあり過ぎて、どこから話していいかわからないけれど……。まずはこうして話すのが遅くなってすまない」
おそるおそるといった感じでショウジは話を切り出した。ほんの少し声が震えて聞こえた。
内心を渦巻く感情に翻弄されているのかもしれない。
「いいよ、ショウジもクリス様と同じで寝込んでいたのだし。元気になったのならそれで」
重くなりかけた雰囲気をやわらげようと、イリアが意識的に明るい言葉で返す。
「そう言ってくれると助かる」
もうちょっとイリアの気遣いにさぁ……。
口を挟みたくなるのを必死で堪えながら、俺たちは背中越しにふたりの会話を聞きつつ、何もない空間を見つめる。気まずいが、それ以外にやることがなかった。
やはり会話が聞こえてしまうからか、ミーナはそわそわと落ち着きがないし耳が動きまくっている。
「……ベッドから起き上がれない間、ずっと考えてたんだ。今回の件は、俺の無力さが引き起こした事態とばかり思ってた。あそこでイリアを守れていたら、こんな結果にはならなかったんじゃないかって」
覚悟を決めたようにショウジが語り始める。少年の中に秘めていた不安が
どのような経緯があれ、ショウジはラヴァナメルにトドメを刺している。その事実と向き合うためにはどれだけの覚悟が必要だったのか。
ただ――ショウジの喋り方は自分を追い込んでいるように感じられた。
「それは違うよ、ショウジ。それではあまりにも自分を責めすぎている」
ヒートアップしかけているショウジを落ち着かせようとするイリア。
それでは少年は止まらない。
「そうかもしれない。けど、今回のことが頭から離れないんだ。自分がいた場所とは違う世界で生きていくために、自分にはなにができるのか。前はそればかり考えてた。でも、今度はなんのために戦うのかわからなくなったんだ」
押し寄せる感情に突き動かされるように語り続けるショウジ。
イリアを前にしているからだろうか? 俺やサダマサ、もしくはティアたちの前ではこうはならないと思う。
元々、ショウジは自分の意見を積極的に主張する性格ではない。
転移を切っ掛けに意識して変えようとしているのだ。
だからこそ、今まで言えなかった言葉もあるに違いない。
それが今、イリアを前に言葉として溢れ出していた。
「今まで俺はクリスさんたちに流されるように生きてきた。それがこのまま終わりたくないって思ったのは、北方での戦いの中だった」
……あまりよくない流れだ。
いざとなれば無理にでも出て行くべきかと無意識に腰が浮きかける。
「今しばらく」
差し出された手によって止められる。こちらを向いたミーナは静かに首を振っていた。俺はそっと力を抜く。
「まったく歯が立たなかった。研鑽だって積んできたつもりだった」
「でも生き残れたじゃない」
イリアのかけた声は事実だが、それゆえに苦い思い出を引き起こさせるものでしかない。
「ああ。じゃあ、力を渡された俺はどうするべきなんだろう。『勇者』として――」
「違う!」
ついにイリアが叫んだ。小さな声ではあったものの、それは部屋の中に鋭く響き渡った。
「そんなことクリス様も誰も望んでないわ……! わたしだってそうよ……!」
ショウジの言葉を遮るように今度はイリアが思いをぶつける番だった。
「たしかに生き方は自分で決められたらいい。流されるままよりずっといい。でも、それが自分を縛りつけるものなら、なんのためにクリス様が“あの男”に手を下したかわからなくなってしまう。それに、ショウジがやったことだって。そんな結論を出すために――」
イリアは途中で言葉を切った。続けられなくなったのだろう。最後の方の声は明らかに嗚咽混じりだった。
自分自身で過去の傷口を抉るに等しい言葉だ。彼女自身、まだ自分の気持ちに整理がついていないのだ。
「イリア……。俺は――」
言わなくてもいい言葉を口にさせてしまったと気づいたショウジは言葉に詰まる。
手に入れてしまった力をどうしていいか。それをショウジは今求めているのだ。
「それは今すぐ結論を出さなきゃいけないの? わたしには急ぎすぎているようにしか見えない」
自分より相手の心情を気遣う響きがイリアの声にはあった。
「どうしてもこの世界で生きてくための理由が足りないって言うなら――」
一瞬言葉が途切れる。その後に続くものを必ず届けるために。
「わたしがいるよ。わたしは、これからもショウジと一緒に歩んでいきたい……」
秘めていた想いの告白であり、同時に懇願でもあった。
イリアは今、完全に故郷を捨てた。
本人が帰参を望めば、俺はオルトに対して名分を用意するつもりだった。
多くの死者を生み出したとはいえ、残された獣人たちと、彼らの暮らす大地が蹂躙される結末を回避したのだ。それくらいの要求はねじ込めるだろう。
俺がベッドから動けない間、報告に訪れたイリアにはそれとなく話をした。
だが、彼女は一切望まなかった。
その時の表情から、俺は彼女がショウジに想いを告げる決意をしたと気付いた。
イリアがすべてを口にしたわけではない。俺の憶測も混じっている。
しかし、軽々しく踏み込むつもりもなかった。
「でも、イリアには故郷が……」
帰れる場所がある――ショウジの言葉には隠しようもない羨望が滲んでいた。
それは誤解だ。
俺はイリア本人の口から、過去に起きた出来事についても聞いていた。
「北方には戻らないわ。あそこには過去しかない」
数年前、北方で出会ったラヴァナメルとイリアの関係は恋仲――と呼べるものではあったかはわからない。
イリアは族長の娘――それも男子がいなかったため、将来は一族の中から伴侶となる存在を見つけるとされていたが、どうしても外の世界への憧れを消せないでいた。
一方のラヴァナメルも、彼自身の肉体に現れた先祖帰りによって忌み子のような扱いを受けており、一族の中にはどこにも居場所がなかった。
まさしくふたりにとっては時間が止まった場所だったのだろう。
それぞれの居場所を求めるふたりが巡り会ったのは単なる偶然だったのか。
いつしか互いの距離が縮まっていく中でふたりが選んだのは、ちょうど北方の地を訪れていた獣人の傭兵団に加わり、外の世界へと出て行くものだった。
自分たちの運命に対するせめてもの反抗からの行為だったかもしれない。
だが、運命は両者へさらに残酷な結末と傷痕を残していく。
外の世界を求め獣人の傭兵団に加わったものの、一団は国境線をめぐる小競り合いに参戦。運悪く付近に展開していたノルターヘルン軍精鋭部隊により壊滅する。
その中でイリアは捕虜となり、彼の地を出ることとなった。
戦いの中で捕虜となったため、実際どれだけの生存者がいたかはイリアも知らなかった。
ほとんどの味方が倒れるような激戦だったため、より前線に配置されていたラヴァナメルもその時に死んだものと思っていた。
深く語らなかったが、おそらく希望に縋れるような状況ではなかったのだろう。
そして、時を経ての再会と、別れ――
どれだけの傷をイリアの心へと新たに生み出したか俺には想像もつかない。
「わたしは自分の人生を取り戻す。時間の止まってしまった場所はもう要らないの」
それでもイリアは前へ進もうとしている。
届かないと知っていても、心の中で俺は問いかけずにはいられない。
ショウジ、お前はどうしたいんだ? なにを選ぶ?
「あんなことの後でこんなことを言うなんて幻滅した? でも、わたしはそんな女なの。わたしはショウジとここで一緒にいたい。あなたはどう?」
イリアはまっすぐにショウジに向かって言葉を投げかける。
それは裸の感情だった。
「だけど……俺はきっとこれからも、いやきっと今まで以上に世界を取り巻く流れの中に踏み込んでいく。クリスさんの意志は理解しているつもりだけど、やっぱり『勇者』としての運命からは逃れられる気がしないんだ」
どこか予感めいたショウジの言葉だったが、きっとその予想は間違っていない。
たとえ俺たちが彼を表舞台から遠ざけようとしても、一度でも『勇者』としてのカードを持っていると示した以上、間違いなくショウジの動向には世界が目を向けている。
いずれ、宿命と呼ぶべき出来事とてショウジの前に立ちふさがるはずだ。
それを理解しているからこそ、ショウジは躊躇っているのだ。
俺は思う。
「そんなこと、関係ないわ」
俺の内心で浮かべたものと同じ言葉で、イリアはそれを一蹴した。
「なっ……? でも、不幸にさせるとわかっていて、それを告げずにいるなんて俺には――――」
「それはズルい物言いだよ」
口を開こうとするショウジをイリアが言葉で封じる。一度口を開けば、感情は次々に溢れてくる。
「不幸にするから? そんな勝手な理由で人の気持ちを決めつけないで。女はね、この相手となら不幸になっても構わない、そう思える相手と結ばれたいのよ。だから――――」
そこでイリアは一瞬言葉を切る。
「だから、わたしにそう思わせて、ショウジ」
ガタッと椅子の動く音。イリアがショウジに飛びかか――――間違えた、抱きついたのだ。
無音ながら、ショウジが息を呑む気配が伝わってきた。
瞬間、場からすべての音が途絶える。
「俺は、焦っていたんだと思う……」
無音のまま幾ばくかの時間が過ぎ、ようやく落ち着きを取り戻したショウジが静かに口を開く。
「遠くばかりを見てイリアの気持ちに気付けてなかった。あんなことがあってようやく自覚したと思っていたけど、結局ここまで言われなきゃわからなかった」
「いいの、考えてくれてただけで。わたしは平気。自分の気持ちは、ちゃんと今全部伝えたから。だから、ゆっくりと答えを見つけましょう。ふたりなら、できるから――」
再び音が消える。そこでふたりの間になにがあったかはわからない。
やがて、ふたりは言葉もなく立ち上がって歩き出す。
ほどなく灯りが消え、扉が閉められた。ふたつの足音は静かに遠ざかっていく。
来た時よりもほんの少し軽くなったように感じるそれらを確認し、俺はひとまず終わったかなと大きく息を吐き出した。
「たぶんだけど、イリアにはバレてたよな?」
「おそらく」
獣人の優れた嗅覚が、俺とミーナの体臭――やや語弊はあるが、風呂上りの身体に残る石鹸の香りに気付かなかったとは考えにくい。
「承知で話を続けたのなら、俺たちに聞いてほしかったのかもな」
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