第245話 微熱がさめないまま(前編)


「で、散々文句言っといて結局はついてくるのか……」


「もー、そんな面倒臭そうにおっしゃらないでください。ちょっと冷たいですわ」


 本人にとってはいい雰囲気のところで梯子を外されたからだろう。ぴーぴー文句を言い続けるミーナを宥めすかして、俺たちは一緒に夜の廊下を歩いていた。


「普段から冷静な男で通してるからな」


「意地悪に労力を割くのは、はたして冷静と呼べるものなのでしょうか?」


 嘯く俺に、今度はミーナのツッコミが冷たい。


 夜の冷えきった空気が漂う廊下を冬用スリッパで歩き、俺とミーナはひそひそと小声で言葉を交わしながら、寝静まった屋敷の中を厨房へと向かう。


「さすがに寒いなぁ」


「本当に……わたくしには帝都でもなかなかでしたのに……」


 なぜこうなったか。今日に限って水差しを部屋に持ち込むのを忘れたからだ。どうにもうっかりしている。

 ペットボトルの水を『お取り寄せ』したら済む話だったが、ミーナとの会話でなんとなく身体を動かしたくなったのだ。


 ひんやりとした空気によって、身体だけでなく思考も冷やされていく。

 その感覚が少しだけ心地よかった。


「早く暖かくなって欲しいです。冬がこんなに大変だと思ったのは初めてです」


 言葉にしたことでより意識したのか、ミーナはぶるりと身体を震わせる。


「そうだなぁ。こう寒いと何もできやしない。もっとも、一部を除いて周りの国が静かでいてくれるのもたしかなんだが……」


 小声でとりとめもない会話を続けながら、真っ暗な中をLEDランタンの灯りを頼りに歩く。

 夜の闇に支配された屋敷の中で、オレンジ色の灯りが足元を照らしてくれる。


「なぁ、あんまりくっつくなよ、歩きにくい。階段から転げ落ちるだろ」 


 さっきからミーナが思いっきり腕に引っ付いているので、歩きにくいことこの上ない。

 階段を転げ落ちて意識が入れ替わるなら笑い話で済むが、普通は大けがか死ぬ。


「むー、そうはおっしゃっても寒いんですから仕方ないじゃありませんか」


 抗議の声を上げながら、ミーナはより強い力で俺の二の腕をぎゅっと抱きしめてくる。身体全体でくっついているのだが、寝巻の上に厚手のガウンを羽織っていてもこうなんというか他二人に比べると圧迫感は控え目だ。口にだけは絶対にしないが。


「寒いなら部屋で待ってればよかったじゃないか。あまり身体を冷やすのはよくないぞ」


「それはそれで寂しいじゃないですかー。クリス様、鈍いっていうか、わかっていておっしゃられてますよね?」


 そうしたいからそうしているのだ。理屈なんてない。


 開き直ったミーナの態度に俺は小さく嘆息した。

 かくいう俺も憎まれ口を叩いてはいるが、こうして過ごす時間を悪くないと思っていた。



 厨房について戸棚を開け、中からミネラルウォーターのボトルを取り出す。

 コップに注いだ水を飲みながら、この時期ならわざわざ冷蔵庫に入れる必要もないなと、冷たくなった水の温度を感じつつ喉を潤していく。

 本当はぬるいくらいの水が内臓を冷やさずに良いらしいが、今からお湯を沸かすのもと思った。


「わざわざ水差しに入れなくてもいいよな?」


「べつに構いませんでしょう。使用人たちが用意してくれる場合はそうもいかないでしょうけれど」


 一応ミーナに確認をしてから、引っくり返した新しいコップをボトルのネック部分にかぶせる。こちらは部屋に持っていく分だ。


「みんな本当によく働いてくれるよ。ありがたいもんだ」


 会話をしている中で、無意識のうちに冷蔵庫に目がいく。わずかな空腹感。

 ……うーん、ちょっと小腹がすいた気もするが我慢しよう。この時間に間食するのはあまりよろしくない。


 ふと横を見ればミーナも同じような顔をしていた。

 食べるのに夢中であまり酒類を飲んではいなかったようだが、やはり時間の経過と食べ物を間近にして胃の動きを活発化したのかもしれない。


「今食うと肉になるぞ」


「内心の葛藤を見透かすのは止めてくださいまし」


 俺の指摘にミーナは冷蔵庫から目を逸らしながら赤面する。


 ちなみにこの領主館だが、領民が来る前に『レギオン』の工兵部隊にかなり頑張ってもらったため、屋根の大型ソーラーパネルによる太陽光発電と地下での燃料発電が可能となっており、普通に厨房には家電製品の類が置いてある。

 今の時期はいいにしても、やはり春以降は食料の保存が大変なので業務用冷蔵庫を備えつけているのだ。

 正直、食事だけはどれだけズルと言われようが妥協したくない。


 氷を生成する魔法で地下室を氷室にする手法もあるのだろうが、別に魔力を使うという意味では同じなんだからと開き直っている。

 楽をさせてもらっているぶん、領民たちには少しでもいい暮らしをさせてやれるよう頑張らなくてはいけないが。


「ん、足音……?」


 ふと人の気配を察知。

 反射的に水の入っていたコップを傾けるのを止めて言葉を漏らす。


「え? しました?」


 俺の言葉を受けて、自分でも確認しようとミーナの耳が上下に動く。

 どうもミーナは捉えていなかったようだが、俺の聴覚はこちらに近づいてくる二つの足音を捉えていた。


「……どうも感覚が鋭くなっている気がする。まさかとは思うが、これが『守護者』の血を浴びた効果か?」


「そのうち獣耳や尻尾とか生えて来なければいいですがそれも可愛いかもしれませんね……」


 やめてくれ。


「この足音は……」


 とりあえずミーナは無視。聞き覚えのある足音にもしやと思い、俺はランタンの電源に手を伸ばす。


「え、ちょっと? クリス様なにを?」


「悪いけど、ちょっと静かにしてくれ。好きなだけひっついてていいから」


 説明している時間はないと、俺は人差し指を口の前に持って行きながらランタンの灯りを消し、ミーナを引っ張って厨房のカウンターの向こう側に隠れる。

 使ったコップを片付けておくのも忘れない。

 暖房もかけていない部屋は寒いため、毛布を『お取り寄せ』して俺とミーナを包む。その際、石鹸のいい匂いが鼻腔をくすぐった。


 そのまま息をひそめていると、ほどなくして厨房に通じるリビングの扉が開く。

 チラリと隙間から覗くと、同じくランタンを持って中に入って来たのはショウジとイリアだった。


 ……やはりそうだったか。

 顔を引っ込めながらひとり納得する俺の傍らでは、状況が飲み込めていない様子のミーナがもぞもぞとしていた。


 食堂の灯りが点けられる。この部屋には電気が通っており、ふたりが持ってきた照明では気休め程度にしかならないからだろう。

 漏れてくる光で厨房の中の闇が少しだけ追いやられ、俺とミーナは互いの顔が認識できる程度の視界を得る。


「話ってなに?」


 最初に口を開いたのはイリアだった。すこしだけ緊張するような声をしていた。

 こんな時間にわざわざ食堂で会話をするのだから、何事かと思うのも無理はない。少なくとも色っぽい話ではなさそうだ。


「……そろそろ落ち着いた頃かなと思って」


 イリアの緊張を感じ取ったのか、ショウジの声も控えめなトーンだった。寝静まった屋敷と冬の透明な空気が、ふたりの声をここまで届けてくれる。


 俺とミーナは薄暗がりの中で顔を見合わせる。

 様子を窺うのが目的で意図したわけではなかったが、このままでは完全に盗み聞きとなってしまう。

 出て行こうにも、部屋の構造的にふたりのそばを通らなければそれは不可能だ。


 いっそ声をかけるべきか一瞬だけ悩んだが、それでは会話そのものがなくなってしまいそうな気がして、俺には出て行くことを選べなかった。


「参ったな……」


 座って話をしようとしているのだろう。

 食卓の椅子を引く音を聞きながら、ボソリと俺はミーナにだけ届くくらいの声でつぶやく。


「さすがに今からでは出ていけませんわね……」


 ふたりが腰を据えてしまったとあっては尚更だ。困惑した顔で耳元で囁いたミーナも俺と同じ意見らしい。


 こうなれば、あとはもうふたりの会話の邪魔をしないようにするしかない。

 本当に小さく溜め息を吐きながら、この場からのエスケープを諦め、背中を厨房の棚にゆっくりと音がしないように預けた。




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