第244話 ひとまず終わって(後編)
「……ねぇねぇ、兄さま」
「おぅふ……!」
しばらく食事を楽しみ、追加のアルコールが入り始めた頃。気が緩んでいたタイミングでノンアルコールの果汁飲料を持ったイゾルデが肘で脇をつんつんしてきた。
敏感な場所に容赦ないことをしやがる。口に飲み物を含んでいたらあわや大惨事になるところだった。
「……コラ、なにするんだイゾルデ。俺が言えたクチじゃないけど、もうちょっと淑女っぽく振る舞えないのか?」
ちょっかいを出してきたイゾルデの顏色は普段のままだった。
酒に強いとかではなく、もうちょっとで成人なのでイゾルデはアルコールなしだ。
ひとりだけ飲めないのでつまらないのかと思ったが、様子を見るにどうもそうではないらしい。
「そんなのは些末事なのです。なーんかショウくんとイリアの仲が進展しているように見えるのですが」
イゾルデの声には少なからぬ焦りの感情が滲んでいた。応じるように俺も視線を動かす。
いつもなら男たちは男たちで、女たちは女たちで自然に固まったりするのだが、今回は適度にバラけている。
ヘルムントは妻のハイデマリーとゆったりとした時間を過ごしているし、ティアはサダマサとビールのメガジョッキを傾け、シルヴィアとフェリクスは同族同士でゆったりとワインを楽しんでいた。
尚、ベアトリクスとミーナは、周りなど関係なしに料理の吟味に精を出している。食いしん坊キャラか。
その中で唯一酒杯が進んでいない組み合わせがショウジとイリアだった。
互いの雰囲気が悪いわけでもない。どうにも今一歩を双方が踏み出せないでいる感じなのだ。あれからろくに会話もしていないのだろう。
「ショウくんってお前なぁ……。うーん、今回は北方で色々あったし、ほぼくっつく寸前の状態だろうなありゃ」
嘘をついても仕方がないのでストレートに言うと、「がーん!」という効果音でも聞こえそうな顔になるイゾルデ。
……ショウジを好きっぽいことは先日ベアトリクスから聞かされていたが、実際に目の当たりにするとなんかショックだ。
ある日突然どこの馬の骨とも知れない貴族子弟がやって来るよりは100万倍マシなのだけれども。
そうなれば、俺とサダマサと親父の三人をそれぞれ倒してからになるのだが……。
おっと思考が変な方向に逸れてしまった。
「あー、そういうことですかー。なんだか距離は縮まっているのに最後の部分が踏み切れていないというか、見ててやきもきする感じがしたのはそれなんですねー」
まるで実際に見てきたような物言いに俺は驚愕を隠せない。
我が妹ながら本当にいい勘してると思う。
「そうだな。ふたりともどう接していいかわからないんだろう」
「でしょうね」
「俺たちにできることはない。いつまでもというなら考えなければだけど、今は時間が解決するのを待ってやるしかないかな……」
ふたりを眺めるのを止め、くしゃりとイゾルデの頭を撫でてやる。「にゃーっ!!」と叫んだイゾルデが俺の腕を掴む。
「気になってしまう気持ちもわかるけど、今はそっとしておいてやってくれないか」
俺にはそう言うのが精一杯だった。
少なくとも、ふたりについては俺から語るべきではないだろう。
「……わかっています、兄さま。あそこに割り込んでいくのはさすがにできません。わたしも、イヤな女にはなりたくないですから……」
俺の方を向いて微笑むイゾルデ。その表情は少しだけ寂しげに見えた。
「あー、おいしかったですー」
部屋に入るや否やベッドに飛び込むミーナ。ぼふんとマットレスの空気が反発する音が鳴る。
「だらしねぇなぁ」
元王族とは思えないフリーダムすぎる行動に小さく苦笑を浮かべながら、俺もナイトテーブルに暖色のLED照明を置いてからミーナに続くようにしてベッドへと登る。
まだ眠るには少し早い。
かけ布団は腹くらいまでに留め、枕を腰にあててベッドボードに背中を預けゆったりと寛ごうとする。
「つれないことを言わないでくださしまし。ふたりっきりの時くらい大目に見てくださいな」
小さく笑いながら俺が言うと、左手側にいるミーナは悪戯が見つかった子どものような表情で舌を出し、もぞもぞと近づいてくる。
もうちょいしっかりしろよと口に出しそうになったが、同時に王族として『大森林』にいた時は細かいことでも抑圧されていたんだろうなぁ……とも思うので邪険にはできなかった。
とはいえ、なんだろうか。間合いの詰め方が普段よりも速いような気がする。
「……なぁ、ミーナ。なんかさ、いつもより積極的じゃない?」
「ご存じの通り寒がりですので。……という冗談はさておき、こちらへ帰って参りました初日はティア様にお譲りしましたし、その後はクリス様が倒れられていたので順番を待っていたんです。たまには……よいではないですか」
甘えるような声とともに大きく動き、ミーナは身体ごと俺の胸元へ顔と手を持ってくる。
乾かした髪からふんわりと漂う香料の匂いと、ひんやりとした手の感触。たしかに本人の言う通り寒がりなのかもしれない。薬用酒でも用意してやるべきだろうか?
「んー、あったかいー」
愛嬌のある声を出したミーナが顔をすりすりさせると、ほのかに吐息が肌にかかる。くすぐったい。
むず痒さに耐えながら、しばらくの間したいように任せていると、段々とミーナの身体が温かくなってくる。
俺の体温がミーナに少し奪われているわけだが、こうして誰かとくっついていると気持ちが落ち着いてくるから不思議なものだ。
「犬がじゃれついてきているみたいだ」
自分の身体に触れたものがもぞもぞと動く感触に、気恥ずかしくなってついつい軽口を叩いてしまう。黙っていられない性格なのが本当に悔やまれる。
「む、犬とは心外ですわね。わたくしは肌を通してクリス様分を補充しているだけなのです……。こう、ぎゅーんって」
どう見ても完全にくんかくんかしている。思いっきり犬じゃないか。それともいきなり舐められないだけマシなのか? それはそれでアブノーマルな気がする。
「謎の成分過ぎないかそれ。
彼女なりの冗談なのだろう。素直に笑って返すと、ミーナもほのかに笑みを浮かべる。
「あまり細かいことは気にしないでくださいまし。それよりも、心配したんですのよ? 北方では無茶をするし、帰ってきたと思ったらいきなり倒れてしまわれるし……」
表情に微笑みを浮かべてこそいるものの、内心に秘めた感情を表すように、ぴこぴことミーナの長い耳がやや下向きに動く。
「……すまない。心配をかけた」
口ではうるさく言わないものの、やはりみんなそれぞれで心配してくれていたのだ。目の前にいるミーナの様子を見てあらためて実感させられる。
「……まったく。普段はおどけているくせに、こういう時だけ素直にされるのはおやめください。こちらも軽いいじわるで言っているのですから」
素直な反応に、ちょっとだけ困ったような顔になるミーナ。
どうにもうまくいかない。こういうところで、俺は相手を困らせてしまうようだ。
そんな俺の表情を見て、ミーナがゆっくりと口を開く。
「この世界を少しでも変えようと、クリス様が動かれているのは重々承知しています。そのためには時として危険にみずから飛び込まねばならないことも。わたくしにできることは少ないですけど、クリス様の許に参りました時からそれなりの覚悟は決めております」
俺に向けるミーナの蒼色の目は、いつしか真剣な色合いを帯びていた。
「わたくしはティア様やベアトリクス様よりもずっとあとになってからクリス様と出逢いました。ですが、今わたくしが抱いている気持ちは、他のみなさまに負けたり劣るようなものではないと思っています。もし歩みが追い付いていないのなら、すぐに追いついてみせましょう。歩むなら、横に並んでいたいですから」
ミーナのそれは自分自身に向けた言葉にも聞こえた。
幾分かは自分で選択したとはいえ、生まれ育った故郷を離れて異種族の暮らす土地に嫁入りしたのだ。ミーナの抱える感情に、不安や寂しさは確実に存在しているはずだ。今でも手探りな部分だってあるに違いない。
「ありがとう」
俺は素直に感謝の言葉を口に出せた。
こうしてついて来てくれるばかりか、ともに戦ってくれる存在がどれほど心強いことか。
「ですから――」
「真面目な話をしたらちょっと喉が渇いたな」
ミーナが甘ったるい声を出したような気がしたが、不意に覚えた喉の渇きを優先してベッドから起き上がると、背後から小さな悲鳴が聞こえてきた。
なにごとかと振り返ると、ついさっきまで俺のいた空間にミーナがうつぶせに突っ伏していた。
「……そんなに匂いを嗅ぎたかったのか?」
「もう! ちょっと空気的に今のはナシじゃありませんこと!?」
俺の言葉に起き上がって怒り出すミーナ。握り締めた両拳でぽかぽかと胸を叩かれる。
さすがに自分がなにをしたのかを理解してしまい、別の意味でちょっとだけ胸が痛くなる。
「しゃーないだろ、タイミングが悪すぎたんだ」
「女に恥をかかせないでくださいまし!」
顔を紅潮させ、膝立ちのままで頬を膨らませて怒るミーナ。なにげに可愛らしい反応をしてくれる。ミーナはちょっとした時に見せる素の感情が可愛い。
「悪い悪い。そんな怒るなって。あとでちゃんと埋め合わせはするからさ」
彼女の頭を胸元に持ってくるようにして抱きしめ、頭をぽんぽんと軽く叩くように撫でてから、俺はミーナの額に優しく口づけをする。
「うー、すぐにそうやって誤魔化そうとするんですから……」
口ではこう言っているが、それでも耳が上向きに動いているの見るに、ミーナの怒りは少しだけ和らいでくれたようだった。
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