第243話 ひとまず終わって(前編)


 その日の夕食は、久し振りに――もっとも年明け時期にもやってはいるんだが――かなり豪華なものだった。晩餐と言ってもよさそうだ。


 時期も時期なため、普通に調達した食糧が限られていた関係で、『お取り寄せ』をフルに使って調理をした。兵器を召喚するわけでもなく魔力の消費もたかが知れていると、病み上がりでも止められることはなかった。

 依然として筋肉痛がひどいので、調理は使用人たちに手伝ってもらったが。



 ――さてさて



「わあああああ……」


 給仕をしてくれる使用人たちによって料理がテーブルへ所狭しと並べられていく。

 それを前に、ミーナが場の面々を代表するような声を上げ、すでに飛びかからんばかりに目を輝かせていた。

 いつもは使用人に混ざって食事の準備を手伝ってくれるミーナだが、今回は俺が調理を担当してのサプライズを仕掛けるからと、みんなと一緒に食堂で待っていてもらったのだ。


「うーん、いつにも増しておいしそう……。兄さま、どれだけ本気出したの……」


 続いて声を上げたイゾルデもそうだが、見れば他の面々もわりと同じような表情を浮かべていた。

 貴族育ちとかだとみっともないという意識があるのだろうか。

 リアクションは控えめにしているようだが、妙にそわそわしているようだし内心ではミーナと似たようなものなのだろう。

 いずれにしてもこういうリアクションは素直に嬉しい。


「相変わらずというか、クリスの料理は派手はないが見事だな」


 しみじみと感想を漏らすヘルムント。ハイデマリーも隣で穏やかな笑みを浮かべつつ、静かにうんうんと頷いていた。


 基本的に、前世基準でいえば西洋風に分類される味付けが人類圏――主に帝国では主流のため、今回はそちらをメインにしてある。

 調味料に関しては塩が中心なばかりか、国家間の大規模な交易ルートが限られていた背景もあって調味料自体が発展していない。

 素材の味を活かすなら、畜産業の関係で肉質が改良されていない肉では然るべき処理をしたとしても臭みとの戦いだ。

 まぁそもそもの問題として、生鮮食品の保存技術がほぼ存在しないため、市場で潰したてでもなければ生肉で出回らないのだが。


「早く香辛料が見つかるといいんですけどね」


 帝都にいた時に書物で調べたところ、どうも香辛料はアウエンミュラー侯爵領から西方か、大森林よりも南方の砂漠地帯に存在しているらしい。

 現在も流通している気配はないので、好機とばかりに文明化爆弾をぶち込んだ例のゴブリンさんたちに探してもらっているが、今のところ一部ハーブとして使えそうなものが見つかったのみで、胡椒のような付加価値を生み出すモノの発見には至っていない。

 とはいえ、それだけでも料理が発展する可能性は十二分にあるため、積極的にアウエンミュラー侯爵領から交易品として各地に輸出している。


 ……おっと、話がそれた。


「まぁ、ここには“家族”だけです。たまには趣向を変えた方が面白いでしょう」


 この世界では、祝宴の主菜として焼いた肉――豚や仔牛の丸焼きなどが用意されるが、じゃあそれを凌ぐためにブランド黒毛和牛の厚切りステーキ……というのも脂慣れしていないと胃にもたれるし、ちょっと調理としては安直に感じられたので、今回は少し腕を振るわせてもらった。


 生きるか死ぬかの瀬戸際で戦ってきたのだ。こんな時に少しぐらい贅沢しても罰は当たらない。……というか贅沢させろ。


「貴族の当主が料理するのも大概だけど、また見るからに美味しそうってなると文句もつけられなくなってしまうわ。ちょっと反則よねぇ……」


 横で腕を組んだベアトリクスがなにやら難しい顔で言っているが、言葉とは裏腹に視線はさっきから料理に釘づけで説得力が皆無だ。


「こまけぇことはいいんだよ。人生、楽しまない方が損じゃないか」


 ベアトリクスに笑いかけてから、俺は料理に視線を持っていく。

 牛肉の薄切りでモッツァレラチーズを包み、焼いた後にトマトやタマネギ、セロリなどの刻んだ野菜を赤ワインの入ったソースで煮込んだインボルティーニ。

 厚くスライスした豚ロース肉のショウガで作った甘めのタレでソテー。まぁ、ポークジンジャーソースがけって言えば洋風だろう。

 脂がのった銀鮭の切り身に小麦粉をつけて焼き、そこに薄く切った玉ねぎと赤と黄色のパプリカと水菜を乗せて甘酢ソースをかけた鮭南蛮。

 さらに豪勢さの出せるメニューとして、大きな真鯛を筆頭に貝類とトマト、オリーブ、ケイパーを入れ、それを白ワインや各種スパイス・ハーブでじっくり煮込んだアクアパッツァ。

 転生前に作った経験のある料理だった。久しぶりだが身体は覚えているものだ。


 それらに合わせる肝心の酒は、乾杯のためにまずはシャンパーニュを選んだ。

 今回の銘柄は、瑞々しいリンゴを思わせるすっきりとした味わいのものを用意している。世界的に有名なイギリス人スパイが愛飲している銘柄だ。

 使用人たちボトルを持ってサーヴに回り、各自に割り当てられた背の高いフルートグラスにゆっくり注いでいくと、グラスの底から立ち上る泡が深い黄金色の液体に幻想的な美しさを加えてくれる。

 宴席では、女性向けには首元を晒さなくていいソーサー型グラスを使うこともあるらしいが、身内だけのパーティであるし勘弁してもらおう。


「えー、帰って来て早々、皆様には心配をかけしましたがこうして無事に回復しました。今回は北方の平和もどうにか守られたっぽいので……とりあえずかんぱーい!」


 俺が主役とはいうが、あまり適切な言葉も特に思いつかなかったのでわりと適当な乾杯の音頭をとる。

 ヘルムントにもうちょっとなんとかならないのかという目を向けられたが、今後の課題として前向きに検討します。


 内心で問題の先送りを決意しながら、近くにいた面々とグラスを軽く合わせて乾杯してグラスを傾けた。

 あー美味い。口の中にすっきりとした酸味を伴う味わいが広がり、舌の上ではじける仄かな炭酸の刺激が愉しませてくれる。

 そのあとで口の中に残る余韻も涼しげでさえあり、食前酒だというのにえもいわれぬ満足感が押し寄せてくる。


「なにこれなにこれ、おいしっ……!」


 うん、期待していた反応を見せてくれて本当にありがとう。

 第一陣の真鯛のアクアパッツァを食べたベアトリクスが小さく叫ぶ……と思った次の瞬間には、上品にフォークとスプーンを使いつつ次なる鮭南蛮を歯応えの良い野菜とともに口へ運んでいっている。


「口に合ったようでなによりだよ。そのあとでシャンパンで口をすっきりさせると、またどちらの美味さも際立つよ」


「やる!」


 寒い季節であるし、本当は脂ののった刺身を味わえるついでに身体も温まるクエ鍋にでもしようかと思ったけれど見た目が地味なんだよな……。

 ヘルムントたちもいるからまた今度と見送って正解だった。


 いずれにしても喜んでくれているようで作った甲斐がある。


「舌の上で荒れ狂う複雑な味わい! おいしさの洪水です、これは……!」


 ミーナに至っては、最低限のマナーだけは崩さないようにしつつも「ふおおおお」などと言いながら、一心不乱にアクアパッツァを味わっている。

 お前は美食評論家かよと内心で突っ込みながら、眺めていた俺は苦笑してしまう。背後に無駄に凝ったエフェクトとか出てきたら完璧な料理アニメのリアクションキャラになれるな。


「あぁ、本当に『大森林』を出てクリス様のところへお嫁に来れてよかった……。ぶっちゃけ料理だけでもわたくしは幸せの絶頂にいけるかもしれません……」


「そんなにかぁ?」


 ミーナのオーバーな反応に苦笑が出る。


「当然です! 美味さの複合魔法です!」


 いつから元王女サマはこんなにもネタキャラ的な振舞いをするようになってしまったのか。

 最近、食べる量が増えている割にはなかなか肉にはなってくれない感があるが、贅肉にもなっていないようだから気にすることでもない。具体的な箇所に効果が出ていないことについても触れない方がいいだろう。その程度には空気も読める。


「んじゃ、ミーナは明日から料理だけで良さそうだな」


「ちょっとクリス様!? そんな殺生なっ!?」


 無慈悲な宣告に、ぴたりと手を止めて硬直したミーナから悲鳴。同時に周りから笑い声が漏れる。

 多少は場を和ませるジョークになっただろうか?


「ふぅ……」


 口から自然と溜息が漏れる。心からの安堵のものだった。

 いつの間にか、宴の中心から一歩引いてみんなの様子を眺めていた。


 きっとそれは、幸福な瞬間を静かに噛み締めたいからだと思う。

 こうしてみんなの歓談を見ると強く実感できる。


 無事に、生きて帰って来られたのだと――





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