第242話 胎動する気配(後編)
「“仲間”がいたからです。イリアを見捨てるなんて選択肢はハナから存在していませんでした。もちろん、この地を預かる領主――帝国貴族としてそういう判断が必要になることもあるでしょう。しかし、今回は盤面を覆せる戦力は持っていました」
「なるほど。だが、想定通りにはいかず、自分自身も含めて生死の危機に曝されたようだが? それも、卿ひとりだけではないだろう?」
俺に向けるヘルムントの目は厳しい。
そこには、侯爵としての責務と、実の息子に対する父親のそれが混在していた。
本当は「無茶しやがって馬鹿野郎」とでも言いたいのだろう。ストレートな物言いさえままならないヘルムントに頭が下がる思いだ。
しかし、必要な発言はしなくてはならない。
「あくまでも結果論です。まさかあそこで『神魔竜』に比肩するような規格外の相手が出てくるなんて予想のしようがなかった。……無論、事実が想定外のことだったからと責任を転嫁はしないですし、心配をかけたことは本当に申し訳なく思っています」
ヘルムントの言い方は公私混同に近い。
だが、ここは公式の場ではないし、逆にそうでもなければ成人して自分の手を離れてしまった子どもに対して、間接的であっても感情をぶつけることは難しいのだろう。
ひどく難儀な世界だし、なんだかとても申し訳ない気持ちになってくる。
きっと、もう少し賢いやり方が存在したのかもしれない。
だが、北方へ出向いた時点で流れは決まっていた。
イリアを攫われたショウジをあのままにはしておけなかったし、同様に攫われたイリアを見捨てられなかった。
もしそんな選択肢をとれば、ショウジはイリアを助けるべく単身で獣人の領域へ向かっていただろう。
いくら『勇者』でも、ショウジの力量は俺と大差はないし、生きて戻って来られたとは思えない。
ある意味、あそこで動かざるを得なかったのだ。
だから選択に後悔はない。
「言うべきは言い、引くべきは引く……。わかっているならそれでいい。しかしな、ザイドリッツ卿。仲間を心配することは大事だ。それができない貴族についてくる家臣などいない。しかし、それでも卿にもしものことがあった時には、お前を信じてついてきた領民たちが困窮することになる。それもゆめゆめ忘れるな」
「……ええ、しかと承知致しました」
まさしくヘルムントの言うとおりだ。
この領地には、工廠から独立したウーヴェをはじめとしたドワーフたちや、『大森林』から移住してきたシルヴィアたちダークエルフが生活を始めている。
ドワーフは銃をメインに武器や防具の開発・製造、ダークエルフは専業で兵役に就いており、俺が雇用主として報酬を払っている。
もし俺の身に何かあった場合、出来たばかりの領地であることもそうだが、跡継ぎなんていないのだから、よっぽどの裏工作に奔走しない限り、新たなザイドリッツ男爵が派遣される。
たとえ僻地に近くても、男爵位を欲する貴族の子弟は腐るほどいるだろう。
事実、まったくのゼロからの開拓にならない時点で御の字と飛びついてくるはずだ。
そうなれば、この地を新たな定住の地にしようとしている彼らにどのような影響が及ぶかわからない。
残念ながら、同じヒト種であっても平民に対する扱いが良い貴族は多くはないのだ。異種族となればその比ではないだろう。
いくらこの領地が、実家であるアウエンミュラー侯爵領とベアトリクスの実家であるエンツェンスベルガー公爵領に挟まれる形にでも、地理条件や身内の情に甘んじるような行為は厳にして慎むべきなのだ。
半年前に不意討ち気味とはいえ叙爵されてから、俺の責任の範囲も大きく変わってきている。
ヒト種以外の種族を組み込んで相互作用による領地の発展を考えているなら、彼らに対する責任も果たさねばならない。
あらためて、自分とって“できること”と“やれること”――その区別はもっとはっきりと意識しなくてはならないわけだ。
今回の自分の行動の軽率な点について考え俺は嘆息する。
結局、もっと強くなるしかないのだろう。
「……しかし、獣人たちの蜂起とは別に、『守護者』が言っていたことがどうにも気になるな。『魔族は風前の灯火』という部分だが、俗世から永い間離れていたような者が、なぜそのようなことを知り得たのか。そこが腑に落ちん」
重くなりかけていた雰囲気を切り替えるように、ヘルムントが疑問を口にする。
たしかに、それは俺も気になっていた。
あのような環境にいて、どうして白虎は魔族の動向について言及できたのか。
いくらヤツの頭に血が昇っていたとはいえ、憶測だけであのような言葉を放ったとは考えにくい。
「……んー、そうですね。考えられるとするならば、第三者の介入があった。それこそ安直に考えたら“魔族による工作”になるでしょうね」
白虎にとって都合のいい話を吹聴した者がいるのだ。
では誰が?
当然、人類圏を引っ掻き回したい存在だ。筆頭は『魔族』となる。
「妥当なところだろうな。『守護者』を人類同士の争いへ介入させれば、こちらの大陸を引っ掻き回すことができるのだから。最低限の労力でそれなりの成果を引き出せる上策だ。立場が同じなら私でもそう考えるだろう。実現の可能性は別としてもな」
それは親父殿だけで、よくいる頭でっかちの貴族じゃ死んでもやりたがらないだろうなぁと思ったが、今は話の腰を折るだけなので口にはしない。
実際、人類ではあの北の大地の更に奥にいる白虎のところまで辿り着けたとは思えない。
そういう意味でも、下手人として魔族が有力候補に挙がってくる。
「相手に油断させるにしても、方法はいくつもありますからね。人類のような社会を構築している存在が相手であれば、交易が前提にはなりますが、情報の中に程よく事実と嘘を混ぜて流してやればいい。さほど難しいことではありませんね」
「どちらも事実と確認する手間がかかるな。一石を投じるには十分か」
「ええ。しかし、今回のように俗世から離れているとなれば少し話は変わってきます。ぱっと思いつくのは……魔族がみずから窮状を訴えた、ですかね」
いささか強引に思えるが、白虎をその気にさせるなら『魔族』にとって何らかの好ましからざる変化が起きていると認識させればよい。
特に効果的なのは、「このままではいずれ人類とのパワーバランスが傾く」あたりだろうか。
人類側に余力が生まれたと錯覚すれば、重かった腰も軽くなりかねない。
「なるほど、窮状か。内部分裂の可能性に総力の低下……。事実であってもどちらでも構わない。切っ掛けを探していたであろう白虎の心を揺らがせるには有効だろうな」
実際動かすことには成功している。
「いずれにしても戦の気配はそう遠からずといったところか。問題は認識している人間がこの大陸にどれほどいるかだが……」
難題に頭を抱えるように、ヘルムントは大きく溜息を吐く。
今回の件、まだ結論は出ていないが、仮にノルターヘルン側が落ち着いたとしても周辺には小さくない火種が燻ったままだ。
北伐軍の壊滅を受けて、ノルターヘルンは北の国境付近に新たな守備部隊を展開させる必要が出てくる。起きるのは戦力の分散による攻撃力・守備力の低下だ。
それを近くの国――カザファタス皇国あたりが黙って見過ごしてくれるとは思えない。
おそらく、このままでいけば雪解けの時期あたりが、帝国にとって危なくなる頃合いかもしれない。
「ですから備えるのです。私が全力でテコ入れするのは、はっきり言って好ましくはないですが、イザとなればそれさえも辞さない覚悟はしています」
できることなら通常戦力だけで解決したいものだが、それではこちらに犠牲が出る。
戦争はいかに少ない犠牲で勝つかだ。綺麗ごとなど挟む余地はない。
もっとも、より面倒なことを押し付けられない程度の戦果には留めなくてはならないが、それはそれとしてこの国に手を出してくる侵略者には、生まれてきたことを後悔させてやるくらいの反撃はカマすつもりだ。
「恐ろしいが頼もしくもあるよ。私も早々に執政府に働きかけをしよう。火縄銃の配備が遅れているのも気にはなっている。こちらはこちらで“テコ入れ”が必要だな」
「え、まだ進んでいないのですか?」
意外な事実に驚愕の声を漏らしてしまう。
「急激な変化に反対はつきものだが、それでもやはり帝室主導で進むのが気に入らない貴族は多い。あまり性急な改革は内側の火種を大きくするだけだ。場合によってはそれさえも利用しなくてはいけないかもしれんが……」
そこまで言うと、こちらを見ていたヘルムントの顏から緊張が消え、穏やかなものへと変わる。
「……堅苦しい“貴族のお話”はこれまでだ。クリス、今回もご苦労だった。せっかくみんなも揃っているし、今夜は快気祝いといこうじゃないか。レオに任せてきたとはいえ、俺もそれほど長いこと領地を空けるわけにもいかん。さすがに明日には領地に戻りたい」
相好を崩してヘルムントは言う。
急所を外さないというか締めるところは締めるとでもいうべきか、ヘルムントの場を切り替えるセンスは卓越している。
そう考えると、俺を理解した上で支えてくれる本当にかけがえのない存在のひとりだ。
「なら、さっそく準備をしなければですね」
とりあえず気持ちを切り替えていこうぜ。
ヘルムントの心配りに応えるべく、俺もゆっくりと椅子から立ち上がって笑みを浮かべる。
それじゃ酒宴といきますか。
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