第239話 何度目かの雨も上がった(前編)
本来の静けさを取り戻した寒空の下、地面へ降りたハインドの兵員輸送室に俺は腰を下ろしていた。
何を考えるわけでもなく遠く広がる北の空を眺めていると、不意に空の一角に黒点が浮かんだのが視界に映る。
「ん、戻ってきたみたいよ……」
隣から聞こえた声で、俺の意識が現実に引き戻される。
空に浮かんだ黒点は、視界の中で次第に大きくなっていき、最終的には空を飛翔する巨大な黒竜の姿となる。
「……あまり、元気がないみたいね。ティア姉さま」
大空の覇者と見紛う巨大な姿を見て何かを感じたらしい。ベアトリクスが右隣でぽつりと漏らした。
反対側で趣味の悪い雪だるまみたいに着膨れたミーナも、こくこくと同意するように首を縦に振った。
戦いは終わったが、元ハイエルフ王族としてもうちょっとこうビジュアル面に気をつかってほしいものだと俺は内心で嘆息する。
「無理もない。俺らの前で竜の姿になるのをあれだけイヤがってたんだ。もちろん、それだけが原因じゃないのもわかっちゃいるが……」
重力を無視するように、言葉を交わす俺たちの近くへふわりと舞い降りた黒竜――『神魔竜』形態のティアは、青色の魔力の煌めきを放って人間の姿へと戻ると、ゆっくりとした歩みで俺たちのもとへと近づいてくる。
少しだけ俯いたティアの表情が妙にはっきりと見えたことで、俺は遅まきながら気がつく。
この地を巡る戦い――すべての決着へ合わせたように、いつしか雪は降り止んでいた。
「終わってから止む雪、か――――」
つぶやきが漏れる。
自分を挟み込むベアトリクスとミーナを促しながら立ち上がり、近付いてくるティアを迎える。さすがにこちらから言葉をかけるものか迷う。
「すまぬ、待たせたの……」
ティアが口を開く。いつになく口数が少なかった。
あれからティアは斃した白虎の亡骸をはるか北方の火山へ葬りに向かった。
『神魔竜』と同じく、やはり白虎の身体も武器や防具の素材に狙われかねない代物らしい。
ここは戦場の跡だ。いつになるかはわからないにしても、場を荒らす者が現れないとも限らない。そんな場所に白虎を埋めることはできない。
いくら生死をかけて戦ったとはいえ、旧知の存在がそのように扱われることをティアは望まなかったのだ。
「休ませてもらってたからな。平気さ」
黒髪の間から覗く
「いや……こちらもついさっき終わったばかりさ」
無難な言葉を返しつつ、話題を変えるように俺が親指で指し示すと、ティアの視線がそちらへ向かう。
「そうか、あの者の――」
ティアは途中で言葉を切った。
白虎にも関係するだけに、そこから考えてしまうのだろう。
「……あぁ、さっき葬り終わった」
間を置くように、俺はあらためて周囲に目を向ける。
切り立った崖となったこの場所。
眼下に広がる戦場跡には、昼間の激突で生まれた無数の死体がそのままの状態となっている。
一部は特に酷く、ハインドのサーモバリック弾をはじめとした容赦ない航空攻撃を受けている。先ほどまで降り続いていた雪がそれらを覆い隠そうとしたものの、叶わずに凄惨極まる様相を残していた。
金、名誉、希望――何かを求めて戦った、名も知らない戦士たちの“残骸”が今は静かに眠っている。
「アイツの魔力はショウジが吸収した。だが、一度“魔王化”してしまった死体を残すことはできない。焼いた遺骨をあの下に埋めた」
そう、崖の少し手前に漆黒の大剣が大地に深く突き刺されている。
墓標があるわけでも名が刻まれているわけでもない簡素なそれが、ラヴァナメルの墓となっていた。
「墓標の代わりか。ああなると、妙に寂しく感じるものじゃのう……」
ティアがそっとつぶやく。
種族の特性上、墓を作る習慣のない『神魔竜』だが、実際に目の当りするとまた別の感慨が湧いてくるのだろうか。
「騒がしいよりはずっとマシさ。すべてが終わった後くらい、静かに眠らせてやっても罰は当たらないはずだ」
疲労の混じった声を吐き出しながら俺は肩を竦める。
“竜”の襲撃を受け両軍が壊滅したこの戦場跡には、当面誰も近づこうとはしないだろう。
ただ、時折風が通り抜けるだけの場所。死者が眠るには悪くもない環境だと思う。
もちろん、これが死んでいった者への慰撫になるなんて思っちゃいない。
俺が転生してきた時と同じように、魂というものが存在しているなら、ラヴァナメルの魂はもうとっくに輪廻の環へと還っているはずだ。
だから、これも結局は“残る者”が抱く気持ちの問題なのだ。
「……こう言ってはなんじゃが、クリスのとる行動らしからぬものよな」
「ティア姉さま、思っていても言わなかったことを……」
「さすがお姉さま、容赦ないですわね……」
ティアたちの遠慮の欠片もない物言いに俺は苦笑を浮かべるしかない。
「お前ら……こんな時でもホント遠慮なく言ってくれるな……」
全員、お互いに無理をしていると気づいていた。気を抜けば暗くなるのを避けるために振舞っているのだとも。
「でもまぁ、実際のところ、誰かのためでもなければ自分のためでもないよ」
言葉は自然に出ていた。今までこのような真似をしたことはない。
正直に言えば、ラヴァナメルの弔いや、自分の感情に整理をつけるためとも思っていない。
「たぶん、あいつらには必要なんだと思う」
残されたふたり――墓標の前に佇むショウジとイリアのためだった。
「左様か」
ティアの返事も言葉少なげだった。
こちらに背中を向けるふたりは終始無言のまま。
墓前に何を語りかけようとも、死者は二度と語ってはくれない。
それゆえに紡ぐべき言葉もまた存在しなかった。
敵とはなったが、仇敵でも怨敵でもなかった。
頑迷になっていたかもしれないが、悪辣ではなかった。
自分たちの障害となった。ただ、それだけの理由で殺した。
他に何も存在してはいない。
だから、言葉にならない。
「……帰るか」
どう声をかけるべきか――散々考えた末に、俺の口から出た言葉はそれだけだった。
どんな言葉をかけても、今はきっと意味がない。
だったら、取り繕うような言葉を俺は仲間にかけたくなかった。
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